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2010-11-17

コリン・グレイ、ガヤトリ・C・スピヴァク、J・クリシュナムルティ


 2冊挫折、1冊読了。


 挫折80『戦略の格言 戦略家のための40の議論』コリン・グレイ/奥山真司訳(芙蓉書房出版、2009年)/文章がよくない。それにも増して、戦争のための理論を読むことに徒労感を覚えた。


 挫折81『サバルタンは語ることができるか』ガヤトリ・C・スピヴァク/上村忠男訳(みすず書房、1998年)/薄い(150ページ弱)ので読めるかなと思いきや甘かった。それにしても、哲学はどうしてこんなに狭いリングで勝負をするのだろう。何書いてあるんだか、さっぱりわからんよ。「サバルタンは語ることができない」──それを論じてどうしようってんだ? スピヴァクさんよ。飢えの前でデリダ脱構築はどんな価値があるのかね? スピヴァクさんよ。あんまりわからないもんだから、頭に来ちゃったよ。


 132冊目『恐怖なしに生きる』J・クリシュナムルティ/有為〈うい〉エンジェル訳(平河出版社、1997年)/スピヴァクさんがストレスを与えてくれたおかげで一気読み。恐怖をテーマにした講演抄録集。これは最終段階だ。人生を開くには恐怖と悲しみを乗り越えるしかない。訳者の有為は子供を亡くしている。クリシュナムルティは諄々と説く。恐怖をありのままに見つめよ。恐怖の一部ではなく全体を根源から観察せよ、と。桁外れの知性と慈愛。クリシュナムルティ本はこれで43冊目。

「糸」諫山実生


 いやあ、これも素晴らしい。自家薬籠中の物としている。



こころ

視覚は世界についての知識を得ることを可能にするために存在する


 多くの動物、特にネズミやモグラの視覚は極めて原始的であり、実際のところ視覚がないに等しいにもかかわらず、環境の中で自分の進む方向をかなりうまく見定め、進化的意味での生存を可能にする一般的活動を行うことができる。

 筆者が思うに、この問いの答えはもっとずっと単純で、より深い意味を持つものなのである。すなわち、「視覚は、この世界についての知識を得ることを可能にするために存在する」のである。無論、視覚という感覚が、唯一の知識獲得手段ではない。他の感覚も同じことをしているが、視覚がたまたま最も効率的な機構だっただけである。視覚は知識を得る能力を無限に広げてくれるとともに、顔の表情とか表面の色のような、視覚を介してしか得ることのできない知識をも提供してくれる。(中略)

 この定義こそが、おそらくは神経科学と美術とを結びつける唯一の定義なのである。


【『脳は美をいかに感じるか ピカソやモネが見た世界』セミール・ゼキ/河内十郎訳(日本経済新聞社、2002年)】

脳は美をいかに感じるか―ピカソやモネが見た世界

最も古い手書きの福音書は4世紀のもの


 2世紀に作られたいくつかのパピルス文書の断片は別にして、手書きの福音書として、最も早いものでも4世紀になってからである。4世紀半ばに標準化されるまで、福音書テキストは流動状態にあり、神学上の理由、またその他の理由から、写本作成者による改変を免れることはできなかった。その結果、福音書がどの程度原形を伝えているか、またどの程度編集され、変更を加えられ、浄書の際にどんな誤りが生じたかについて、私たちには一切語る手段がなくなった。あるいはまた別に、たとえばグノーシス派のような、いわゆる異端を抑えようとして初期教会が苦しんだとき、正統を整える必要に合わせて改変があったか、なかったかも問題になるだろう。


【『イエスの失われた十七年』エリザベス・クレア・プロフェット/下野博訳(立風書房、1998年)】

イエスの失われた十七年

ユゴーが『レ・ミゼラブル』の執筆を始めた日


 今日はユゴーが『レ・ミゼラブル』の執筆を始めた日(1845)。日本では森田思軒が一部を「哀史」の題名で訳したが完訳には至らず。黒岩涙香が翻案、『噫無情』の題名で1902年から連載を開始。原題は「悲惨な人々」「哀れな人々」という意味。1本のパンを盗んで19年間も投獄された男の物語。


レ・ミゼラブル 全4冊 (岩波文庫)

アウグスト・フェルディナント・メビウスが生まれた日


 今日はアウグスト・フェルディナント・メビウスが生まれた日(1790年)。ドイツの数学者。ガウスに師事。「メビウスの輪」で広く知られる。1865年に「多面体の体積の決定について」という論文の中で発表した。実際にメビウスの帯を発見したのは1858年のこととされる。


メビウスの帯 メビウスの遺産 数学と天文学