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2010-11-23

カトリックとプロテスタントの風俗史/『宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史』永田諒一


 歴史は海のうねりのようにゆっくりと動く。劇的な変化もよく目を凝らして見れば、長期間にわたって圧力や負荷に覆われていることがわかる。小事が積もり積もって大事へ至る。


 中世の宗教改革を社会史の観点から読み解いている。


 宗教改革と宗派対立の時代とされるこの16世紀と17世紀の前半は、最近の研究成果によれば、実は宗教観だけでなく、社会のどの局面をみても、中世と近代の境目に位置する重要な時期であったといわれる。


【『宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史』永田諒一(講談社現代新書、2004年)以下同】


 ところが、社会史はこれ(※歴史学)に対抗する形で社会の全体、あるいは中下層に焦点をあわせ、また、100年も200年も変わらない制度、習慣、ものの考え方に注目する。


 歴史学とは権力の変遷に光を当てたものなのだろう。支配、統治の関係性および社会性がテーマだ。軍事・経済が中心となるのは言わずもがな。


 歴史学を氷山とするなら、社会史は氷山に該当するのだろう。多分。あるいは鍋底か。


 試みとしては興味深いのだが、如何せん面白くなかった。悪い意味での教科書本といっておこう。大きなテーマを欠いているようにも感じた次第だ。


 宗教改革はどのように展開したか──


 とりわけ宗教改革派は、活版印刷術を用いて安価で大量の宣伝パンフレットを流布させ、ひとびとの支持を獲得するとともに、自らの勢力基盤を確立した。「活版印刷術なくして宗教改革なし」といわれるゆえんである。宗教改革は、印刷物というマスメディアを用いた、歴史上最初の思想宣伝運動であった。


 何とプロパガンダ工作によってであった。現代においては新聞・テレビ・週刊誌が衣鉢(いはつ)を継いでいる。戦略的布教、あるいは洗脳、または詐欺。メディアよ、汝を嘘と名づけよう。思想宣伝が出版によって行われているのは現代でも同様だ。


 この時代の識字率がどの程度であったか触れられていないが、いずれにせよパンフレットが紙つぶてとなって時代を揺り動かしたのだ。当然何らかの衝撃が走ったわけで、キリスト教社会において神を再確認せざるを得なくなるような発見があったはずだ。パラダイムシフト。


 例えば、一般信徒は、聖書の教えを聖職者から口頭で聞き学ぶべきで、自ら聖書を読む必要はない、あるいは、読んではならないとされていた。ラテン語で書かれた聖書は、聖職者たちが占有する門外不出の聖典であり、それを各地域の言葉に翻訳することは固く禁じられていた。(中略)ラテン語の聖書を自分たちの日常の言語に翻訳する試みも行われたが、そのような行為をするひとびとは異端として弾劾された。


 教会や寺院は必ず閉ざされてゆく。ヒエラルキーの頂点を高くしようと目論んで必ず失敗する。信仰にありがたみという付加価値をつけようとしてインチキを行う。その動機は金と名誉。


 門外不出、禁コピー、マル秘──結局、権力とは情報へのアクセス権限であることが理解できよう。「お前は知る必要がない」ってわけだよ。内容はどうでもいい。人々が知らない情報を自分が知っているというだけで欲望を満たすことが可能だ。


 当然のようにダブルスタンダードとなる。本音と建て前、隠された意図が知る者と知らざる者との懸隔を築く。キリスト教はテキスト教でもある。だから教義という鋳型に無理矢理人間をはめ込もうとする。神のせいで人間は二次的な存在となり、現実世界は天国の下部構造へと格下げされる。そしてここが暴力の温床となるのだ。


 マルティン・ルター贖宥状(しょくゆうじょう)について「95ヶ条の論題」をもって質(ただ)した。彼は神学上の質問をしたにすぎなかった。だから神学上の根拠があるかどうかを問いかけただけであった。


 とりわけ、当時ドイツで販売されていた贖宥状は、買った当人だけでなく、別のひと、それもすでに死んで、ちょうど今煉獄で苦しんでいるひとにも有効と定められていた。

 この規定は、贖宥状の販売実績を飛躍的に伸ばすことになった。


 巧みなマーケティング戦略だ。悪知恵の見本。あの世にまで伸ばされる商いの手(笑)。教会の入り口では「おいでやす」と言っていたに違いない。


 一方で宗教改革という知的ムーブメントが台頭し、他方では魔女狩りの嵐が吹き荒れていた。ここを本当は掘り下げてもらいたかったんだよね。西洋の中世史ってのはさ、一言でいえば「言ってることとやっていることが違いすぎる」のよ。ま、二重人格だわな。


 勘案するに我々の社会のネットワーク環境は、歴史を動かし安くなっていることだろう。だからブログであろうとツイッターであろうと、自分が感じた何かを伝える営みが大切だ。たとえ文句や愚癡の類いであろうと、ある瞬間に燎原の火の如く広がる可能性がある。

宗教改革の真実 (講談社現代新書)

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