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2011-02-28

『3つの原理 セックス・年齢・社会階層が未来を突き動かす』ローレンス・トーブ/神田昌典監修、金子宣子訳(ダイヤモンド社、2007年)


3つの原理―セックス・年齢・社会階層が未来を突き動かす


 人類の歴史を動かしてきた大きな原理は、「性」「年齢」「社会階層」の変化である。本書は、この3つの原理にもとづく理論によって、人類の過去・現在・未来を大胆に分析し、予測する。本書を読むならば、われわれが現在目の前で感じている不条理を合理的に説明できる。上質の推理小説を読むような知的快感の書。

インタビューの常識


「わたしの質問がもし不快であるなら、すぐにこのインタビューをやめます」(イギリス)


漂流生活的看護記録


 ある事件の犯人(とされている人物)を「セニョール」と呼び「回答を誘導したり名誉を傷つけるおそれがあるなど、質問が不適切であると思われたらすぐ言ってください、エントレビスタ(インタビュー)はそこで終わらせます」と、聞くアナウンサーを見たことがある。(アルゼンチン)

ウィスキーは偉大なる平等主義者


 僕はやがて、ある真理に到達する。それは、ウィスキーとは偉大なる平等主義者であるということだ。広告会社のやり手のエリートであろうと、貧乏な工場労働者であろうと、酒を抑えることができない限り、等しくただの酔っぱらいだ。


【『ぼくと1ルピーの神様』ヴィカス・スワラップ/子安亜弥〈こやす・あや〉訳(ランダムハウス講談社、2006年/ランダムハウス講談社文庫、2009年)】

ぼくと1ルピーの神様 (ランダムハウス講談社文庫)

「同調」「服従」「内面化」


「同調」「服従」「内面化」は、人が集団に従うときの、不本意さの程度に応じた用語である。もっとも不本意なものが服従である。不本意だという感覚がある限り、服従は服従以上にはなり得ず、「無責任の構造」も拡大はしない。他方、不本意ながら、従っているうちに、やがて、従っている不本意な行為の背景にある価値観を、自分の価値観として獲得してしまうことがある。それが内面化である。服従や同調から内面化が生じるプロセスが、少なくとも一握りの人たちの心に起こることによって、「無責任の構造」が維持されるのである。


【『無責任の構造 モラル・ハザードへの知的戦略』岡本浩一〈おかもと・こういち〉(PHP新書、2001年)】

無責任の構造―モラル・ハザードへの知的戦略 (PHP新書 (141))

2011-02-27

岡本太郎、ミネット・ウォルターズ、J・クリシュナムルティ


 2冊挫折、1冊読了。


 挫折8『呪術誕生岡本太郎みすず書房、1998年)/読むのが遅すぎた。10代、20代で読むべき作品だ。触覚に忠実であろうとする若者の生き方は、私にとって何ひとつ参考にならない(笑)。


 挫折9『氷の家』ミネット・ウォルターズ/成川裕子訳(創元推理文庫、1999年)/文章がまったく肌に合わず。胸に入ってこない。期待していたんだけどね。


 22冊目『クリシュナムルティの日記』J・クリシュナムルティ宮内勝典〈みやうち・かつすけ〉訳(めるくまーる、1983年)/やっと入手した。小説家による唯一の翻訳。読みやすかった。「訳者あとがき」で知ったのだが、宮内はクリシュナムルティの講話を直接聞いている。1973年からの日記。クリシュナムルティは自分のことを、「彼」とか「あなた」と書いている。完全に自我から離れている証拠だ。クリシュナムルティ本はこれで46冊目。

月並会第1回 「時間」その二

 テクノロジー開発の目的は「時間の短縮化」といえる。移動、製造、記録がスピードアップすることで、現代人の情報量は増大の一途を辿っている。その分、「豊かな時間」は失われた。CMをカットした録画番組を観たところで、CMの時間の分だけ人生が長くなるだろうか?


 時間が手段になったとすれば、一生という時間も目的のための手段に過ぎなくなる。時間は有限だ。私が死んだ瞬間、あるいは地球が滅んだ瞬間、更には宇宙が消え果てた瞬間に時間は溶けてなくなる。観測者もいなければ、変化する物も存在しない世界だ。


 人々の生活は時間に追われている。労働・家事・育児と。子供たちの学校生活も時間割で管理されている。現代社会においては否応なく労働を強いられ、よき納税者であることを求められる。歴史は権力者のペンで記されるとすれば、権力が人々の時間管理をするのも当然か。


 人間の知覚は0.5秒ほどのタイムラグがある。我々が認知している世界はわずかながら過去の世界だ。知識も過去であり、歴史も過去である。そして自我もまた過去である。なぜなら自我とは記憶の異名に他ならないからだ。


 意識とは何ぞや? 意識とは言葉で織りなされる思考である。学習された言葉で行う思考もまた過去である。思考の次元で現在を捉えることはできない。「あ、わかった!」という理解の瞬間や、何かに感動した時、そこに現在性が立ち現れる。


 自我とは記憶の異名である。「認知症になったらおしまいだ」という発言を時折耳にするが、これは「自分が自分でなくなる恐怖」を示していると思う。では、その自分とは何かといえば、過去の体験に裏打ちされた記憶にすぎない。


 私は「私」という時間を記憶する媒体なのか? 多分そうなのだろう。私は「私」という情報である。教育・文化・宗教の目的は「コピー」なのだ。多分。


 音楽は時間である。終わらない音楽はない。きっと人生も音楽のようなものだろう。曲は終わる。だが余韻を残すことは可能だ。とすると時間を司っているのは聴覚かもしれぬ。


 物語という時間もある。起承転結、序破急など。脳神経という縁起世界は因果を志向しながら物語をつくり上げる。

無である人は幸いなるかな!/『しなやかに生きるために 若い女性への手紙』J・クリシュナムルティ


 1948年から60年にかけてクリシュナムルティが若い女性に宛てた手紙を編んだもの。63ページの小品である。これで800円は高いわな。きっとクリシュナムルティも眉をひそめることだろう。


 1950年代半ばにクリシュナムルティダライ・ラマと会談している。インディラ・ガンディーから相談を受けるようになったのも同じ時期だ。1895年生まれだから、既に60歳になろうとしていた。学校経営、財団運営、講話、個人面談の合間を縫って、一人の乙女にメッセージを送り続けてきた事実が胸を打つ。私はまだ50歳にもなっていないが、年賀状を書くことさえ怠っている。


 心しなやかに生きるようにしなさい。強さは、ごわついた堅さにではなく、しなやかさにあるのです。しなやかな木は強風の中で立っています。敏捷な精神の力を集めるようにしなさい。


【『しなやかに生きるために 若い女性への手紙』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(コスモス・ライブラリー、2005年)以下同】


「疾風に勁草(けいそう)を知る」という。堅ければポッキリと折れてしまう。若い時分の正義感や潔癖さは、狭量さを伴って先鋭的になることが多い。垂直的な理想は猫背で歩く人々を忌み嫌い、嫌悪する。だが人間を定規で測ることはできないのだ。


 清濁を併せ呑む必要はない。若いのだから清濁を徹底的に見極めるべきだ。真実と虚偽を見抜くことができなければ、生き方そのものが濁ってゆく。10年もすれば頭を下げることやら、煮え湯を飲まされることを何とも思わないような大人になることだろう。


 クリシュナムルティは2通の手紙を「無である人は幸いなるかな!」と締め括っている。


 威厳(ディグニティ)は非常に稀なものです。尊敬を受ける役職(オフィス)または地位(ポジション)は威厳を与えます。それはコートを着るようなものです。コート、衣装、地位(ポスト)は威厳を与えます。肩書または地位は威厳を与えます。が、人間からこれらのものを剥ぎ取ってごらんなさい。そうすれば、ごくわずかの人しか〈無〉(ナッシング)としてあることの内面的自由とともに生まれるあの威厳を持っていないことがわかるでしょう。何か(サムシング/ひとかどの人間)であることが人間が切望していることであり、そしてその何かが彼に社会的に尊敬すべき地位を与えるのです。彼をある種のカテゴリーに当てはめてみてください──利口、富裕、聖者、物理学者といった。が、もし彼が社会に認められたカテゴリーに当てはまらなければ、彼は半端物または変わり者扱いされます。威厳は装ったり、培ったりできないものです。そして威厳があることを意識することは自分自身を意識することであり、それはちっぽけなことです。無であることはまさにその自意識から自由であることです。特定の状態ではないこと、あるいはそれに陥っていないことが真の威厳です。それを取り去ることはできません。常にそれはあるのです。

 いかなる残滓(ざんし)も残すことなく生の流れを自由に流させることが真の気づきです。人の精神は、いくつかの特定のものを保持し、それ以外のものをふるい落とす【ふるい】のようなものです。それが保持するものはそれ自身の願望の大きさに応じていきます。で、願望は、いかに深く、広く、気高かろうと、ちっぽけなのです。なぜなら、願望は精神のものだからです。いくつかの特定のものを保持せず、無制限、無選択に生を自由に流させること、それが完全な気づきです。私たちは常に選びまたは保持し、有意義だと思われるものを選び、延々とそれらにすがりつくのです。これを私たちは経験と呼び、そして経験を増やすことを私たちは生の豊かさと呼ぶのです。が、生の豊かさは、経験の蓄積から自由になることにあるのです。経験が保持されて残っていると、既知のもののないあの状態が現われるのを妨げるのです。既知なるものは財宝ではないのですが、精神はそれにすがりつき、それによって未知なるものを損ない、または汚すのです。

 人生とは不思議なものです。無である人は幸いなるかな!


 資本主義経済というシステムにおいては、皆が「成功者になろう」と奮闘努力している。人はどの道にあっても「ひとかどの者になりたい」という欲求を覚える。若者には若者特有の野心がある。


 幸福をお金で買うことはできない。とはいえ、お金のない幸福を想像することもできない。資本主義経済とは需給関係の中で行われる熾烈な価格競争である。人間は労働力と見なされ、スキルや能力によって値段がつけられる世界だ。我々は生まれた時から兄弟や近所の子と比較され、学校や社会でランク付けされる。


 教育は国家の選別システムと化し、勝ち組だけが経済的成功を手中にし、貴重な情報へのアクセスが認められる。政治家、官僚、経団連、テレビ局、東京電力……。


 威厳とは強い者が弱い者の前で発するオーラだ。ヘビに睨(にら)まれたカエルや、まな板の鯉状態。煮るか焼くかは先方の意のままだ。


 社会に対する知識が増えれば増えるほど、我々は成功者に対して威厳を感じるようになる。結局のところヒエラルキーに対する隷属の裏返しなのだろう。


 クリシュナムルティはこうした種類の威厳を「虎の威を借る」と一刀両断にしている。なぜか? 本当の威厳とは生きる姿勢に根差すものであって、世間の評価とはまったく関係がないためだ。


 国会では威厳を保っている日本の首相が、アメリカ大統領の前では卑屈な醜態をさらけ出す。相手によってコロコロと態度を変え、強い者にはペコペコ頭を下げ、弱い者をいじめるのは動物に等しい振る舞いであろう。

 アメリカ先住民のあの風貌を見よ。大自然と共に生きる彼らの表情は、現代文明がどれほど生の実感を奪っているかを教えてくれる。太陽や風雨にさらされた彼らの顔には、巨岩のような落ち着きがある。


 お金は人々をだめにします。富者特有の傲慢さがあります。どの国でも、ごくわずかの例外を除いて、富者にはあらゆるものを──神々すらをも──ひねりつぶすことができるというあの特有の尊大な雰囲気があり、そして彼らは神々をも買うことができるのです。豊かさは金銭的な貯えによってだけではなく、能力の持ち主はまた、自分は他の人々より勝っている、彼らとは違うと感じます。このすべてが彼に一種の優越感を与えます。彼は、どっかりと腰かけて、他の人々が身もだえしているのを見守るのです。彼は、自分自身の無知、自分自身の精神の暗さに気づかないのです。お金と能力はこの暗さからの格好の逃げ口を提供します。結局、逃避は一種の抵抗であり、それはそれ自身の問題を生み出すのです。人生とは不思議なものです。無である人は幸いなるかな!


 次の手紙も同じ言葉で締め括られている。これは「幸いなるかな心の貧しき者」という「山上の垂訓」の言葉をもじったのだろう。


 それにしても見事だ。マネーが支配する社会の残酷さを、たったことだけの言葉で炙(あぶ)り出している。お金は等価交換の手段として機能しながら、簒奪(さんだつ)の道具となって暴力性を発揮している。


 よくよく考えてみよう。お金がなければ食べていけない動物は人間だけである。これっておかしくないか? それどころか、お金を払わなければ住むところさえ確保できないのだ。


 私が言いたいことはこうだ。生存を支える衣食住すら国家に管理され、企業が流通を支え、消費することでしか我々は生きてゆけないのだ。明らかに国家が生を支配している。


 持つ者と持たざる者がいる。何と残酷な社会だろう。ヒエラルキーも暴力であり、集団そのものが暴力なのだ。


 欲望を空っぽにすることは可能だろうか? 競争から離れることは可能だろうか? 「生の流れを自由に流させる」ことは可能だろうか?


 クリシュナムルティの言葉は静かでありながら力強い余韻と共に、私の胸を震わせる。

しなやかに生きるために―若い女性への手紙

プロ職人の技/靴磨きとアイロン掛け


 繰り返される中で合理的となった手順が様式美にまで至る。


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ジョン・スタインベックが生まれた日


 今日はジョン・スタインベックが生まれた日(1902年)。1939年、大干ばつと耕作機械によって土地を奪われた農民たちのカリフォルニアへの旅を描いた壮大な作品『怒りの葡萄』出版。作品は賛否両論を引き起こす。1940年、怒りの葡萄がピューリツァー賞、全米図書賞を受賞。 後に映画化。

怒りの葡萄 (上巻) (新潮文庫) 怒りの葡萄 (下巻) (新潮文庫) ハツカネズミと人間 (新潮文庫) スタインベック短編集 (新潮文庫)

ルドルフ・シュタイナーが生まれた日


 今日はルドルフ・シュタイナーが生まれた日(1861年)。神秘思想家人智学の創始者。41歳の時、神智学協会の会員となる。神智学協会ドイツ支部を設立し、事務総長に就任。クリシュナムルティを来るべき救世主として仰ぐことを拒んで神智学協会を脱退。その後、人智学を旗揚げする。

子どもの教育 (シュタイナーコレクション) 自由の哲学 (ちくま学芸文庫) いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか (ちくま学芸文庫) 神智学 (ちくま学芸文庫)

コンスタンティヌス1世が生まれた日


 今日はコンスタンティヌス1世が生まれた日(272年)。キリスト教を世界宗教にした人物。すなわち彼によって、ローマの玉座がキリスト教になり、教会が権力になった。一夜の夢が世界史を塗り替えたといってよい。

「私たちの世界」がキリスト教になったとき――コンスタンティヌスという男 古代ローマ人の24時間---よみがえる帝都ローマの民衆生活 コンスタンティヌスの生涯 (西洋古典叢書) キリスト教の歴史―現代をよりよく理解するために


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2011-02-26

アーマンド・ハマー


RT @take23asn: エクソンやモービルなど石油メジャーはリビアの石油を扱わない。アメリカでは業界の異端児アーマンド・ハマー率いるオクシデンタル石油のみがリビアの石油を独占販売している。アーマンド・ハマー


RT @ujikenorio: あ、そうそう、リビアといえば、オクシデンタル・ペトロリウムですよね。会長をつとめたアーマンド・ハマー氏は、社会主義のシンボルである「鎌とトンカチ」から「あーむ・あんど・はんまー」という命名なのよねん。だから何なのよ、つーうことだが。

ドクター・ハマー 私はなぜ米ソ首脳を動かすのか


メジャーへの道


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小学1年生の神業ドリブル


 まるでロナウジーニョだ。彼は一人、別世界でボールと遊んでいる。間もなく2年生だってさ。


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「閉じ込め症候群」患者の72%、「幸せ」と回答 自殺ほう助積極論に「待った」


 英国医師会(British Medical Association、BMA)発行のオンライン医学誌「BMJ Open」に23日、意識はあるが体が完全に麻痺している「閉じ込め症候群」の患者の多くが幸せだと感じているとする調査結果が発表された。閉じ込め症候群の患者の自殺ほう助に関する議論に一石を投じたことになる。

 閉じ込め症候群は脳幹の損傷に起因し、意識ははっきりしているものの動くことも話すこともできない状態をいう。ただし、まばたきと眼球を動かすことは可能だ。 

 ベルギー・リエージュ大(University of Liege)のスティーブン・ローレイズ(Steven Laureys)教授(神経学)率いるチームは、フランスの閉じ込め症候群患者団体ALISに所属する168人に対し、病歴、心の状態、生活の質に関する聞き取り調査を行った。(眼球運動による)回答は介護人に記録してもらった。

 すべての質問に回答できた患者のうち、「幸せだ」と答えたのは72%、「不幸せだ」は28%、「自殺したい」は4%だった。

 不幸せだと答えた人の多くは閉じ込め症候群になってから1年未満であり、とても不安だという回答や、体を動かせないつらさ、社会生活やレクリエーションに参加できない悔しさを訴える人が多かった。

 ただし、回答できたのは168人中91人であり、その中でもすべての質問に回答できたのはわずか65人だった。研究者らは低い回答率により結果がゆがめられている可能性があることを認めている。なお、回答した91人のうち3分の2が自宅住まいでパートナーがおり、70%は信仰を持っていた。


自殺ほう助への積極意見に再考を促す


 一方で研究者らは、閉じ込め症候群患者への自殺ほう助を法律で認めるべきだとする議論に待ったをかける結果だと自負している。こうした議論は欧州で活発に行われているが、そこには、閉じ込め症候群患者の人生は耐え難いものだとの前提がある。

 閉じ込め症候群については、話せるようになった、頭や指、または足を動かせるようになったというケースも報告されている。また、患者の80%以上が10年以上生存し、なかには数十年間生存する人もいる。

 論文は、「以上の結果は、(閉じ込め症候群の)急性期においていかに体が衰え患者が精神的苦痛に襲われようと、最善のケアをすることで長期的に大きな利益をもたらしうることを示唆している」とした上で、「閉じ込め症候群を発症したばかりの患者には、適切な治療を続ければ幸福な人生を取り戻せるチャンスが大いにあることを伝えるべきだ」と結んでいる。


AFP 2011-02-24

23年間昏睡状態、実は意識あり ベルギー


 23年間「昏睡(こんすい)状態」と診断されていたベルギーの男性が、実際は意識があったことが新たな検査方法で分かった。

 ロム・ハウベン(Rom Houben)さん(46)は1983年に交通事故にあって以来、植物状態にあると考えられていたが、実際は意識があり、麻痺(まひ)状態でコミュニケーションがとれないだけだったことが分かった。

 ハウベンさんの本当の状態は3年前に明らかになった。リエージュ大学(University of Liege)の研究チームが行った新たな検査で、脳が機能していることが判明したのだ。

 ハウベンさんの状態は「閉じ込め症候群」と呼ばれるもので、同チームによると、意識があるのに昏睡状態と誤診されたケースは非常に多いという。「閉じ込め症候群」のレベルはさまざまだが、ある患者グループでは昏睡状態と誤って診断されていた人が40%を超えていたという。


「叫びたかったけれど、声が出なかった」


 技術系の学生で武術に夢中だったハウベンさん。現在は特殊なコンピューターを使ってメッセージをタイプすることができる。

 独週刊誌シュピーゲル(Spiegel)に対し、長い間いろいろなことに思いを巡らして過ごしていたと語った。「叫びたかったけれど、声が出なかった」「ようやく間違いが発見された日のことを絶対に忘れない。2度目の人生が始まったんだ」


標準的な診断基準を


 新たな検査方法は主に脳の働きを観察するもので、患者が痛みや話しかけに反応することを見極めることができる。

 通常の手法で植物状態と診断された患者44人のうち、18人が何らかの意識があり、うち4人は最終的に昏睡状態から目覚めたという。

 研究チームによると、昏睡状態とは異なる「最小意識状態(minimally conscious state)」という概念は、2002年まで医学界で知られていなかった。

 チームはまた、医学の進歩にもかかわらず診断手順がまだ定まっていないために、近年になっても誤診が大幅に減少してはいないと結論づけ、ハウベンさんのようなケースを避けるために、「植物状態」と断定する前に少なくとも10回は検査をすべきだと指摘している。


AFP 2009-11-25

『TPP亡国論』中野剛志(集英社新書、2011年)


TPP亡国論 (集英社新書)


 TPP(環太平洋経済連携協定)参加の方針を突如打ち出し、「平成の開国を!」と喧伝する民主党政権。そして賛成一色に染まったマス・メディア。しかし、TPPの実態は日本の市場を米国に差し出すだけのもの。自由貿易で輸出が増えるどころか、デフレの深刻化を招き、雇用の悪化など日本経済の根幹を揺るがしかねない危険性のほうが大きいのだ。いち早くTPP反対論を展開してきた経済思想家がロジカルに国益を考え、真に戦略的な経済外交を提唱する。

岡本太郎が生まれた日


 今日は岡本太郎が生まれた日(1911年)。抽象絵画シュルレアリスムとも関わり、縄文や沖縄の魅力に再注目した人物でもある。平面・立体作品を数多く残し、文筆活動も精力的に行った。後年はTVなどメディアへの露出も多かった。ピアノの腕前はプロ級。

日本の伝統 (知恵の森文庫) 今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社文庫) 沖縄文化論―忘れられた日本 (中公文庫)


岡本太郎の本〈1〉呪術誕生 美の呪力 (新潮文庫) 岡本太郎 (PHP新書 617)

河口慧海が生まれた日


 今日は河口慧海〈かわぐち・えかい〉が生まれた日(1866年)。黄檗宗(おうばくしゅう)の僧。仏教学者にして探検家。中国や日本に伝承された漢訳仏典に疑問をおぼえたことが発端となって、仏典の梵語原典とチベット語訳を入手しようとして、日本人で初めてチベットへの入境を果たした。帰国後『西蔵旅行記』(『チベット旅行記』)を発表。

チベット旅行記(1) (講談社学術文庫 263) チベット旅行記(2) (講談社学術文庫 264) チベット旅行記(3) (講談社学術文庫 265) チベット旅行記(4) (講談社学術文庫 266)


チベット旅行記(5) (講談社学術文庫 267) 河口慧海日記 ヒマラヤ・チベットの旅 (講談社学術文庫) 評伝 河口慧海 (中公文庫) チベット滞在記 (講談社学術文庫 1946)

ヴィクトル・ユゴーが生まれた日


 今日はヴィクトル・ユゴーが生まれた日(1802年)。一言でまとめるならば「波乱に富んだ人生」である。作家としては大成功をおさめ、彼の名前と作品は名声と感動とともに今日まで残っている。しかし、政治家としての彼は逆境の連続であり、さらに幼少の頃から家庭生活は不幸の連続であった。

レ・ミゼラブル〈1〉 (潮文学ライブラリー) レ・ミゼラブル〈2〉 (潮文学ライブラリー) レ・ミゼラブル〈3〉 (潮文学ライブラリー)


レ・ミゼラブル〈4〉 (潮文学ライブラリー) レ・ミゼラブル〈5〉 (潮文学ライブラリー) 死刑囚最後の日 (岩波文庫 赤 531-8)

2011-02-25

湾岸戦争では800トンに上る劣化ウラン弾が使用された

 湾岸戦争では800トンに上る劣化ウラン弾が使用されたといわれます。湾岸戦争に参加したアメリカ軍兵士も多数が被曝し、アメリカに帰国後、「湾岸戦争症候群」と呼ばれる後遺症を引き起こしています。


【『そうだったのか! 現代史 パート2』池上彰ホーム社、2003年/集英社文庫、2008年)】

そうだったのか! 現代史 (集英社文庫) そうだったのか!現代史〈パート2〉 (集英社文庫)

オシムの戦争観


 ――監督は目も覆いたくなるような悲惨な隣人殺しの戦争を、艱難辛苦を乗り越えた。試合中に何が起こっても動じない精神、あるいは外国での指導に必要な他文化に対する許容力の高さをそこで改めて得られたのではないか。

「確かにそういう所から影響を受けたかもしれないが……。ただ、言葉にする時は影響は受けていないと言ったほうがいいだろう」

 オシムは静かな口調で否定する。

「そういうものから学べたとするのなら、それが必要なものになってしまう。そういう戦争が……」


【『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』木村元彦〈きむら・ゆきひこ〉(集英社インターナショナル、2005年/集英社文庫、2008年)】

オシムの言葉―フィールドの向こうに人生が見える オシムの言葉 (集英社文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2011-02-24

月並会第1回 「時間」その一

 時間は過去−現在の間でしか計測することができない。一般的には「将来」(まさにきたる)というが、仏教では「未来」(いまだきたらず)と表現する。時間は過去である。

 時間を計測するのは観測者である。すなわち時間は意識と関係している。それゆえ認識・分析には時間を要する。意識された体験世界を時間が貫く。眠っている間は時間を感じない。夢は意識が働いているので時間を感じる。


 夢や理想は過去の裏返しである場合が多い。我々は過去の延長線上にしか未来を捉えることができない。


 キリスト教……現象世界を「超越」の方向につきぬける/仏教……現象世界を「内在」の方向につきぬける──と広井良典氏は分析している。神の時間は外に流れ、瞑想の時間はゼロ地点で止まる。これが止観。


 時間は概念であるゆえ、永遠は存在しない。観測者がいなくなった時点で時間は消失する。変化という諸行無常の姿が時間の本質なのかもしれない。


 宇宙がビッグバンから始まったとすれば、特異点の向こう側には時間が逆に流れている可能性がある。ビッグクランチが逆回しになっているかもしれない(笑)。


 時間がプランク時間で形成されているとすれば、時間は断続的に流れていると考えられる。とすると、物凄いスピードでコマ送りしているが、実は異なる世界が瞬間瞬間誕生している可能性もあると思う。仏の別名を如来とも如去ともいう。

システムとは概念/『一目均衡表の研究』佐々木英信

    • システムとは概念

 一目均衡表は一目山人〈いちもくさんじん〉のペンネームで知られる細田悟一が創案したチャートで、既にグローバルスタンダートになった感がある。


 チャーチストは価格原理主義であり、「歴史は繰り返す」を金科玉条とし、愚かな人間を嘲笑するところに真骨頂がある。


 もちろんチャートに本質的な意味はない。マーケットに参加しているプレイヤーが意味を与えているだけだ。つまりチャートという価格変動の物語をどのように読むか、という心理戦が展開されているのだ。


 売買が一対の合意で形成されている以上、需給関係が存在するのは確かだ。値を下げようが上げようが、すべての取引は一対一の相対取引である。すなわち値幅はプレイヤーの心理情況を示している。


 最終的にこれを総合化してまず「相場の現在性」(相場が現在持っている力)を知りなさい、と説いておられる。


【『一目均衡表の研究』佐々木英信(投資レーダー、1996年)以下同】


 もっとも大事な考え方は、時間論にある。師が最も力説されているのは、【この時間こそが相場そのものである】という点にある。


 相場は時間との戦いである。時間的優位性に立った者だけが勝利を収める。その意味でマーケットは人生と似ている。人生もまた限りある時間との戦いであるからだ。


 問題は昨日までの値動きではなく、今この瞬間に相場がどちらを目指しているのかだ。ポジションの保有期間はキャッシュ比率で決まる。ポジションサイズを大きく取るか小さく取るかは、自分が望む利益率で変わってくる。マーケットを支配するのは欲望と計算だ。


 計算するには戦略が必要となる。孫子の兵法で説かれる「計篇」とはこの意味である。


 均衡表の哲学の中には、東洋、西洋の哲学が織りなされているが、中でも明確に打ち出されているのが仏教精神であろう。自力本願は、自助努力の精神がまずこれにあたる。


 これが本当に理解できれば、ポジションサイズは小さくなる。なぜなら少欲知足こそがブッダの教えだからだ。世界中の欲望を目の当たりにしながら、離れた位置から達観してみせるのが仏教の極意であろう。相場が大きく動こうが、膠着状態の揉み合いを続けようが冷静さが求められよう。


 確かに景気の「気」や投機の「機」は、仏教的世界観に近い意味が感じられる。さすれば、チャートの本質は欲望の変化相であり、これすなわち諸行無常と考えることも可能だ。


 相場とは予想するものではない、予測するものである、と明言されている。なぜなら、予め想うと思い込みが強くて、誤った判断をしていてもなかなか気づきにくい。これに対して予測は、足元の証拠をもとに今後の相場を予め測っておくことである。実際の相場が予測の範囲を超えた場合は、当初の論理が誤っていたことがハッキリする。どのように論理を変更するかも明確になる。したがって、相場は予測するものであって、予想するものではないとされている。


 予測とは「測る」こととの指摘が重い。しっかりとしたルールで測れば、物差しの誤りにも直ぐ気づくことができる。気分や雰囲気だけではあっと言う間に丸裸にされるのが相場の恐ろしいところだ。


 師の一目山人は、相場の研究をされるにあたって、洋の東西を問わずさまざまな哲学を学ばれている。その中からカント哲学を第一の論理、ヘーゲル哲学を第二の論理とし、東洋哲学から墨子老子荘子を、またインド論理学、さらに仏教論理学で最終段階に達したと書き記されている。京都学派の西田幾太郎哲学を信奉され、終生の師として仰がれたことにも触れられている。

 こうしたら哲学的な思索も優に数百ページにも及び、これだけで一冊の本となせるほどであったと述懐されている。


 値動きは人の気である。そうであれば、やはり人間心理を知らねばならない。チャートが一方に大きく動いた時、殆どのプレイヤーは腰が引けて、利を薄くしてしまう。欲望が大きければ大きいほど、恐怖もせり上がってくる。


 結局のところ経済の本質は「自律」にあるのだろう。自己を律し、コントロールし、時に抑える。いかなる世界であろうと勝利の王道がここにある。


 チャートの宇宙にローソク足が描かれている。一目均衡表は宇宙に潜む重力を現しているかのように見える。あるいは光も届かぬダークマターを描き出したのかもしれない。

一目均衡表の研究

体験談


 科学者は、体験談を証拠とはみなさない。


【『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』スーザン・A・クランシー/林雅代訳(ハヤカワ文庫、2006年)】

なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか (ハヤカワ文庫NF)

忘却を求める者


 ジャンソンは、バーカウンターの奥に並ぶ琥珀色のボトルに目をやった。どのラベルも仰々しいのは、忘却を求める者にとってはそれが恰好の口実を与えてくれるからだ。


【『メービウスの環』ロバート・ラドラム/山本光伸訳(新潮文庫、2004年)】

メービウスの環〈上〉 (新潮文庫) メービウスの環〈下〉 (新潮文庫)

『月光仮面』が放映された日


 今日は『月光仮面』が放映された日(1958年)。同名のスーパーヒーローを主人公とするテレビ冒険活劇番組。日本初のフィルム製作による国産連続テレビ映画である。着想は薬師如来の脇に侍する月光菩薩から得たもの。悪人といえども懲らしめるだけで過剰に傷つけることはなく、人命は決して奪わない。

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月光仮面〔完全版〕―正義の章―【上】 (マンガショップシリーズ 324) 月光仮面〔完全版〕―正義の章―【中】 (マンガショップシリーズ 325) 月光仮面〔完全版〕―正義の章―【下】 (マンガショップシリーズ 326)


「月光仮面」を創った男たち (平凡社新書) ネオンサインと月光仮面 宣弘社・小林利雄の仕事 月光仮面 [DVD]

2011-02-23

自由意志は解釈にすぎない


 コーンヒューバーの研究はほかの研究者によって追試、拡大されてきた。その結論によれば、各人が行動を決定する自由行為者であると私たちが信じているのは、思いちがいである。そのような決定とは、決定を自覚するよりもずっと前に、自分自身の別の部分がどこかほかのところで開始した行動に対して、私たちがあたえた解釈である。つまり決定は、決定をするという考えを自覚する前になされているのだ。「私たち」が糸を引いているのではないなら、だれが、あるいは何が、糸を引いているのか? 内省でははかりしれない未知の部分、というのがその答だ。


【『共感覚者の驚くべき日常 形を味わう人、色を聴く人』リチャード・E・シトーウィック/山下篤子訳(草思社、2002年)】

共感覚者の驚くべき日常―形を味わう人、色を聴く人

カール・ヤスパースが生まれた日


 今日はカール・ヤスパースが生まれた日(1883年)。ドイツの精神病理学者、哲学者(神学者)。実存主義を代表する人物の一人。紀元前500年頃に(あるいは紀元前800年頃から紀元前200年)起こった世界史的、文明史的な一大エポックを「枢軸時代」(世界史の軸となる時代)と名づけた。

哲学入門 (新潮文庫) 戦争の罪を問う (平凡社ライブラリー) 哲学の学校 (河出・現代の名著)

グーテンベルク聖書の印刷が始まった日


 今日はグーテンベルク聖書の印刷が始まった日(1455年)。180部が印刷されたと考えられているが、現時点で存在が確認されているのは不完全なものも含めて48部である。日本では1987年に丸善が購入したものを慶應義塾大学が保存している。

グーテンベルク―印刷術を発明、多くの人々に知識の世界を開き、歴史の流れを変えたドイツの技術者 (伝記 世界を変えた人々) グーテンベルクの謎―活字メディアの誕生とその後 グーテンベルクの銀河系―活字人間の形成

2011-02-22

安田節子、J・クリシュナムルティ、宮城谷昌光


 3冊読了。


 19冊目『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子(平凡社新書、2009年)/平凡社の本は実に読みやすい。アグロバイオとは農業関連生命工学のこと。遺伝子組み替え技術を駆使した「種業者」のことで、代表的なのはアメリカのモンサント社だ。ターミネーター技術を施された種は、2世代目の種に毒ができ自殺するスイッチを入れるとのこと。つまり、「毎年、種を買わざるを得なくなる」ってわけだ。TPPが実施されれば、米国内で禁じられているものも日本へ流入してくることだろう。ゆくゆくは種がマネーのように流通する可能性も指摘されている。ただ、最初から最後まで市民的な正義感が勝ちすぎていて、読みながら疲れを覚える。


 20冊目『孟嘗君 5』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1995年/講談社文庫、1998年)/昨夜読了。全5冊を5日間で読み終えた。最終巻は意外にあっさりしている。田分が一気に年をとるため、時々「アレっ?」となる。ヤスパースが名づけた枢軸時代の息吹きが伝わってくる。宮城谷作品は吉川英治よりも金庸に近い。歴史小説の正確さと、武侠小説のドラマ性を併せ持つ。


 21冊目『智恵からの創造 条件付けの教育を超えて』J・クリシュナムルティ/藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉、横山信英、三木治子訳(UNIO、2007年)/クリシュナムルティ作品の殆どにレビューを書いている「エヴァンジル」という人物について、翻訳家の大野龍一は藤仲関係者と推察している。大野によれば、大野純一も劣悪な人物であるとのこと。正しい人物(クリシュナムルティ)の周囲には胡散臭い連中が集まるのかもしれない。「訳者のあとがき」は40ページにも及ぶ。この註解だけで10ページもある。言葉巧みな自己主張にすぎず、他の翻訳家を貶めることで自分たちを持ち上げようと企図している。藤仲という人物の志は限りなく低い。序盤の訳はぎこちなくて読みにくいが、中盤以降は問題なし。クリシュナムルティの意を知らぬから、情報をてんこ盛りにせざるを得ないのだろう。クリシュナムルティ本はこれで45冊目。

日米安保という幻想/『日本人のための戦略的思考入門 日米同盟を超えて』孫崎享


 孫崎享〈まごさき・うける〉を初めて知ったのは、岩上安身USTREAMインタビューでのこと。そのフランクな物腰から元外務官僚であるとは伺い知れなかった。どこから見ても「近所のオジサン」である。実はそこにこの人の凄さがある。仕立ての良さそうなスーツや、おっとりとした上品な口調や、手の込んだ難しい言葉で装飾する必要がないことを示している。


 佐藤優同様、孫崎も実務家である。そして彼らは忠臣でもあった。とはいっても特定の権力者の意向に寄り添ったわけではない。国民から成る国家に忠誠を尽くした。該博な知識や視点の高い卓見もさることながら、義を尽くし誠を貫こうとする気風を感じてならない。


 自由な言論は時に分際をわきまえず極端から極端へと走り回る。できもしないこと、やりもしないこと、直接は言えないことを無責任に放つ。そこに礼の精神はない。あるとすれば肥大した自我だけであろう。佐藤と孫崎は分際をわきまえながら、ギリギリのところで諫言(かんげん)を行う。かように正義と中庸を知る人物は少ない。


 まず、「まえがき」で戦略の意義を説く──


 戦略とは、「人や組織に死活的に重要なことをどう処理するか」を考える学問である。


【『日本人のための戦略的思考入門 日米同盟を超えて』孫崎享〈まごさき・うける〉(詳伝社新書、2010年)以下同】


 戦略はなくても戦争は戦える。しかし負ける。戦略はなくとも企業経営はできる。しかし、長期的には恐らく、世界市場で勝ち残ることはできないであろう。

 戦争も経営も、実験することはできない。しかし、歴史的結果を踏まえて学ぶことはできる。組織も個人も、戦略を学ぶ必要がある。

 戦争は手段であって目的ではない。戦闘は非日常行為といってよい。自由と幸福は平和の中で実現される。そうであればこそ、孫子はこう言ったのだ──

 だが資本主義が世界を席巻するようになり、人々の日常は否応なく戦闘状態となってしまった。社会では人間が比較され、取捨され、消費されている。我々は生まれ落ちてから死ぬまで競争に駆り立てられている。


 とすれば、こうした時代を生きる以上、一人ひとりに戦略が必要となる。戦略は目的から生まれ、目的は理念・思想・価値観などからつくられる。世界中で多くの人々が苦しんでいる以上、権力を牛耳っている連中がエゴイスティックな思想の持ち主であることは明らかだ。


 孫崎は現状の日本に戦略が欠けていることを、日米安保から鮮やかに描いている。


 こう書くと、誇張(こちょう)でいないかと反論される読者が必ずいるであろう。豊下楢彦(とよした・ならひこ)著『安保条約の成立』(岩波新書)は次の記述を行なっている。


「ダレス使節団が来日した翌日の1月26日、最初のスタッフ会議においてダレスは、『我々は日本に、我々が【望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利】を獲得できるだろうか? これが根本問題である』(中略)と、明確に問題のありかを指摘した」


 間違いなく、今日の米軍関係者はこの心理を継続している。

 ダレス使節団が来日したのは1951年(昭和26年)のこと。ジョン・D・ロックフェラー3世が同行している。

 つまり、1952年(昭和27年)4月28日にGHQの占領は終わったが、枠組みだけはきっちり残していったと考えるべきなのだ。


 連綿と続いた自民党の一党支配、それを支え続けた官僚機構、許認可事業でありながら完全に独占している新聞社とテレビ局、主要電力会社電通なども同じ臭いを発している。明らかに競争原理と離れた位置で巨大な城のようにそびえ立っている。

 多くの国民は、日米安保条約で日本の領土が守られていると思っている。日本の領土を外国から守るという点では、日本人の最大の関心は尖閣諸島である。中国が尖閣諸島を攻撃したらどうなるのか?

 多くの日本人は日米安保条約があるから、米国は即、日本と共にに戦うだろうと思っている。かつ、米国政府要人はその印象を与えてきた。日本の外務省幹部は「絶対守ってくれる」と言ってきた。そんなに確実なのか、改めて考える必要がある。

【1996年、時の駐日大使モンデールは「米国軍は安保条約で(尖閣諸島をめぐる)紛争に介入を義務づけられるものではない」と発言した。】


 我々日本人はアメリカに対して膨大なみかじめ料を支払ってきたために、何かあれば暴力団みたいに守ってくれるものと錯覚してしまったのだ。


 安全保障条約は国家と国家とが対等の関係で有効に機能する。アメリカからすれば、「自分で戦わないうちから当てにされても困る」ってな具合だろう。日本が望んだのは「棚ぼた式安全保障」であった。そんなもの画餅(がべい)であろう。小学生の時の初恋よりも淡くはかない。カルピスの味すらしねーわな(笑)。


 1986年6月25日付、読売新聞夕刊一面トップは「日欧の核の傘は幻想」の標題の下、次のようなターナー元CIA長官の言葉を報じた。


【「同様に、日本の防衛のために核ミサイルを米本土から発射することはあり得ない」「われわれはワシントンを犠牲にしてまで同盟諸国を守る考えはない」「アメリカは外国と結んだ理化学防衛条約にも、核使用に言及したものはない」】


 だいたい被爆した国が核の傘で守ってもらうという発想がいただけない。傘の下がきのこ雲で充満しそうだ。


 アメリカは日本の脇の下をくすぐりながら、官僚とメディアをコントロールして、日本国民が勘違いする方向付けを行ったのだろう。


 竹島もまた、日本の管轄下にあるとは見なされない。したがって、これも安保条約の対象外である。

 米国は過去、竹島問題で、日韓のいずれの立場も支持するものでないとの立場をとってきたが、【ブッシュ大統領訪韓時、米国は竹島を韓国領と位置づけた】。2008年、米国地名委員会がこれまで韓国領としていたのを、係争中に変更した。ちょうどブッシュ大統領の韓国訪問直前でもあったので、韓国側は大統領を含め、激しい抗議を米国に行なった。

 これをうけ、米国地名委員会は再度韓国領と修正した。この動きはブッシュ大統領から来週国防長官の支持に基づくと報じられている(「The Japan Timues」2008年8月1日付報道)。2010年5月時点でも、【米国地名委員会は竹島を韓国領と見なしている】。(中略)

 日本は、世界で最も米国に忠実な国である。しかし、米国は、尖閣諸島であれ、竹島問題であれ、最も忠実に米国に従う日本の立場は無視している。米国は、敵対的地位にある中国や、文句を言う韓国の立場を重視している。これ一つみても、「米国に追随するだけ」の戦略では日本に利益をもたらさないことがわかる。

 日本多くの人は、日米同盟の下、米国は領土問題で日本の立場を強く支持していると思っている。だが、実態は違う。竹島では韓国の立場を支持し、尖閣諸島では日中のどちら側にもつかないと述べている。北方領土は安保条約の対象外だ。びっくりすると思う。しかしこれが実態だ。


 孫崎のツイッターによれば、2005年「日米同盟未来のための変革と再編」の役割・任務 能力の項目で「島嶼部(とうしょぶ)への侵略対応は日本」とされているとのこと。日本が島国であることを踏まえると、「悪いが北海道も九州も四国も島嶼部ということで」と言われてしまえばお手上げだ。


 結局敗戦後、軍隊を失ったことで独立国になれなかった我が国の姿が浮かび上がってくる。色々な考えがあるだろう。色々な考えがあってしかるべきだ。それが民主主義のいいところなんだから。


 私は、軍隊を侵略のための暴力装置として見るのではなく、セキュリティという次元から光を当てるべきだと考える。つまり「ドア」であり「鍵」であり「防犯グッズ」。


 手っ取り早く結論を述べてしまおう。日本は元より世界各国が核爆弾を持つべきだと私は思う。だって、そうだろ? 核爆弾には抑止力があるのだから。まず全員が持つ。それから段階的に減らしてゆけばいいし、最終的になくせばいい。


 そうでもしない限り、第二次大戦後の連合国支配の世界構造は変わらないよ。変わらないとすれば、沖縄の若い女性はいつまでも強姦され続けることになるだろう。


 私の最終的な案としては、戦争を本当のゲームにしてしまうことだ。対戦国は互いに得意なゲームを指定する。で、元首同士が直接勝負するのだ。これをオリンピック化することを提案したい。例えば、中国=書道、アメリカ=アメリカン・フットボール、日本=囲碁、イギリス=クロスワードパズル、モンゴル=乗馬、インド=カレー、西アフリカ=トーキングドラムといった具合だ。


 料理や絵画だって構わない。どうせ俺たち人類は争い合いが好きなのだ。最終的な提案の最終形はこうだ。親切、優しさ、公正さ、紳士ぶりを各国が競い合う。

日本人のための戦略的思考入門――日米同盟を超えて(祥伝社新書210)

『地雷を踏んだらサヨウナラ』一ノ瀬泰造(講談社文庫、1985年)


地雷を踏んだらサヨウナラ (講談社文庫)


 2000年正月映画『地雷を踏んだらサヨウナラ』原作。「アンコールワットを撮りたい、できればクメール・ルージュと一緒に。地雷の位置もわからず、行き当たりドッカンで、最短距離を狙っています……」。フリーの報道写真家として2年間、バングラデシュ、ベトナム、カンボジアの激動地帯を駆け抜け、26歳で倒れた青年の鮮やかな人生の軌跡と熱い魂の記録。

『日本のインテリジェンス機関』大森義夫(文春新書、2005年)


日本のインテリジェンス機関 (文春新書)


 情報戦とは、砲弾なき知恵の闘い──。英にMI6、インドにRAWあり。主要各国の政策決定のベースには、それぞれのインテリジェンス機関が入手した独自の情報が存在する。日本はどうか。弱体な組織がバラバラに活動。これが現状だと著者。この国に漂う対米追随感、対中国無力感を払拭し、大国のエゴがぶつかる国際社会で生き残るために今、打つべき手は何か。旧陸海軍の失敗、歴代内閣が直面した有事を検証し、情報の収集・分析・活用の急所を詳述。辣腕の元内調室長による「視えざる戦場ガイド」です。

「自由の叫び声 Sout el horeya」


 彼らの笑顔は、何て人間らしいのだろう。優しいメロディーでありながら、人々を鼓舞せずにはおかない歌だ。


 反政府デモが成功して、ムバラク大統領が退陣して、この歌が作成されました。デモや人々の場面はすべてオリジナルデモです。撮影地は注目のタハリル広場です。源氏物語をはじめとして色々翻訳したカイロ大学日本文学部のアハメッドファテヒ博士の­翻訳です。日本はエジプトから遠くて、いわゆる若者革命の情報がなかなか届かないと思いながら、­このビデオを日本人の人々に向けて日本語翻訳の字幕付きをアップロードしました。


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思考で動かす新型義手、米科学会議で実演

 いよいよ人体とテクノロジーの合体が具体化してきた。ま、その意味でいえば筆記用具や眼鏡もテクノロジーなんだけどね。

宇宙帰りのサクラ異変…なぜか発芽・急成長

 遺伝情報の書き換えが行われたと考えるべきだろう。宇宙に出ることでタガが外れてしまったのだ。

【在日中国人のブログ】胃袋は正直に語る…日本食が不可欠な私の食生活

 嗜好を極めれば淡白かドライに行き着く。仙人は霞(かすみ)を食すという。霞は飽きのこない味なのだろう(笑)。

白バラ抵抗運動のショル兄妹がナチスに処刑された日


 今日は白バラ抵抗運動のショル兄妹がナチスに処刑された日(1943年)。ミュンヘン大学の学生による反ナチグループの中心人物。残っている尋問記録から、ショル兄妹が2人で責任をとり、友人を守ろうとしたことが分かっている。5回にわたってビラをまき、首謀者5名がギロチンの露と消えた。

白バラは散らず 改訳版―ドイツの良心ショル兄妹 「白バラ」―反ナチ抵抗運動の学生たち (CenturyBooks―人と思想) 白バラの声 ショル兄妹の手紙 ゾフィー21歳―ヒトラーに抗した白いバラ

沢田教一が生まれた日


 今日は沢田教一が生まれた日(1936年)。青森県出身。ベトナム戦争を撮影した『安全への逃避』でハーグ第9回世界報道写真コンテスト大賞、アメリカ海外記者クラブ賞、ピュリッツァー賞受賞。5年後、カンボジア戦線を取材中に狙撃され、34歳で逝去。死後、ロバート・キャパ賞受賞。

泥まみれの死 (講談社文庫) ライカでグッドバイ―カメラマン沢田教一が撃たれた日 (文春文庫 (375‐1)) 戦場―二人のピュリツァー賞カメラマン

ショーペンハウアーが生まれた日


 今日はショーペンハウアーが生まれた日(1788年)。西洋において仏教を厭世主義におとしめた犯人。これに釣られた弟子のニーチェが同様に虚無主義というレッテルを貼りつけた。こうして西洋の仏教理解は大いに阻害された。

読書について 他二篇 (岩波文庫) 幸福について―人生論 (新潮文庫) 孤独と人生 (白水uブックス) 自殺について 他四篇 (岩波文庫)


意志と表象としての世界〈1〉 (中公クラシックス) 意志と表象としての世界〈2〉 (中公クラシックス) 意志と表象としての世界〈3〉 (中公クラシックス) 知性について 他四篇 (岩波文庫)

2011-02-21

Hip Hop?−Hocus Pocus feat The Procussions


 まあ見事なPV。これは「ヒップポップ」というべきか(笑)。フランスの洒落っ気はやはり凄い。


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73タッチズ

ファウスト的衝動


 ベルは、近代の終焉についても述べている。彼によると、近代の特徴は「超越(beyound)」にある。しかし、ポスト・モダーンは「限度(limit)」である。確かに、近代がルネサンス、宗教改革、大航海時代から始まるとすると、その特徴は「超越すること」にあった。近代の原理は「無限への衝動」であり、「ファウスト的衝動」とも呼ばれる「もっと、もっと」の精神によって営まれてきたのである。言い換えれば、「無制限の無条件の顧みるところなき」衝動によって駆動されてきたのが、近代の特徴であった。(訳者解説)


【『二十世紀文化の散歩道』ダニエル・ベル/正慶孝〈しょうけい・たかし〉訳(ダイヤモンド社、1990年)】

二十世紀文化の散歩道

構成作家という職業


 そう。構成作家は、社内派閥みたいなものが醸す不安定な波の上で上手にサーフィンをしてみせるバランス感覚をもっていなければならない不思議な商売だ。そのためには、飲んで楽しく、語って面白く、怒鳴って無難な男手なければならない。

 かように、「書かない作家」である構成作家が立たされているロープははなはだ細いのである。スタジオの幇間、打ち合わせ伝票のアリバイ、噂のはきだめ、男OL、近代丁稚、有料友達、会議飴…………まあ、なんとでも呼んでくれ。

 ともかく、こんな仕事は、20歳代の明日なきブラブラ者にしかつとまらないはずなのである。


【『罵詈罵詈 11人の説教強盗へ』小田嶋隆(洋泉社、1995年)】

罵詈罵詈 11人の説教強盗へ

石垣りんが生まれた日


 今日は石垣りんが生まれた日(1920年)。小学校を卒業した14歳の時に日本興業銀行に事務員として就職。以来定年まで勤務し、戦前、戦中、戦後と家族の生活を支えた。そのかたわら詩を次々と発表。職場の機関誌にも作品を発表したため銀行員詩人と呼ばれた。

表札など―石垣りん詩集 空をかついで 石垣りん詩集 (ハルキ文庫) 現代詩手帖特集版 石垣りん

レーモン・クノーが生まれた日


 今日はレーモン・クノーが生まれた日(1903年)。処女作『はまむぎ』は文壇からは黙殺される。これに憤慨したジョルジュ・バタイユを始めとする13人の友人たちが、マルローの『人間の条件』がゴンクール賞を受賞したのと同じ日に、パリの老舗カフェでクノーに与えるためだけの文学賞を自ら新設。一人100フランずつポケットマネーを出し合って賞金1300フランをクノーに授与した。これがドゥ・マゴ賞の発足。

地下鉄のザジ (中公文庫) 文体練習 あなたまかせのお話 (短篇小説の快楽) オディール

2011-02-20

『選択の科学』シーナ・アイエンガー/櫻井祐子訳(文藝春秋、2010年)


選択の科学


 出身や生い立ちは選択を行う方法にどのような影響を与えるのか? 他人に選択を委ねた方がよい場合はあるのだろうか? 「選択」研究の第一人者が、約20年にわたる数々の研究成果や考察をまとめる。

日本文化という幻想


 自分たちに独自の「文化」があると思いたがるのは、どの国も同じだ。しかし日本人は、思い込みがすぎることで知られている。日本の国民性(とされるもの)に関する一大出版ジャンルまである。日本人論だ。あるアメリカの研究者は日本人論を、日本社会の「特殊性」に関する「国を挙げての思索」と位置づけた。(中略)

 こうした議論には、日本人の文化というものが確固として存在するという前提がある。文化の核には永遠に不変のものがある。どんなに世界が変わろうとも、日本人を日本人たらしめる何かがある。それは日本人の「血」か何かかもしれない――。この「日本人論」的な議論によれば、日本人が点を取れないのは日本の文化のせいだということになる。


【『「ジャパン」はなぜ負けるのか 経済学が解明するサッカーの不条理』サイモン・クーパー、ステファン・シマンスキー/森田浩之訳(NHK出版、2010年)以下同】


 トルコのたどった道は大切なことを教えてくれる。サッカーにおいて「文化」はさほど意味をもたないということだ。(ドイツ人指導者デアバルが監督に就任し、ドリブルからパス重視のヨーロッパサッカーを導入した)

「ジャパン」はなぜ負けるのか─経済学が解明するサッカーの不条理

滅私奉公と『プロジェクトX』


 私は、けっして「滅私奉公」が無条件に悪だと言いたいのではない。「滅私」に値するほどの公もあるだろう。たとえば、本章の第5節でも言及する、今後発展されることが期待される「新しい公共空間」がそうなる可能性はある。男性にせよ女性にせよ、公の世界に生きようとすれば「命を賭ける」必要が生じてくることはもちろんあるだろう。ただ、滅私奉公の倫理の問題点は、しばしば、人が公の世界に命を賭ける必要が生じたときに、私の世界に負い目を感じるどころか、私の世界をすっぱりと切り捨てることを要求することにある。『プロジェクトX』にしても、挑戦者の男たちが男泣きしている場面で完結せずに、負い目を感じなくてはならないはずの家族に「ありがとう。これまですまなかったね。これからは家事するよ」と毎回エンディングにおいて感謝と謝罪をすべきだと思うのである。男性が公の世界に生きようとすればするほど、私の世界に負い目を増していくことを、佐藤忠男は「情感的論理の世界」と呼んで好んだ。一方で佐藤は、私の世界の切り捨てを要求する「忠誠」を嫌っていた〔佐藤 2004〕。


【『男らしさという病? ポップ・カルチャーの新・男性学熊田一雄〈くまた・かずお〉(風媒社、2005年)】

男らしさという病?―ポップ・カルチャーの新・男性学

小林多喜二の命日


 今日は小林多喜二の命日(1933年)。特高警察の拷問により築地警察署で死亡。1929年に『蟹工船』を発表し、一躍プロレタリア文学の旗手として注目を集める。その後、特高警察から要注意人物としてマークされる。警察当局は「心臓麻痺」による死と発表。遺族に返された多喜二の遺体は、全身が拷問によって異常に腫れ上がり、特に下半身は内出血によりどす黒く腫れ上がっていた。しかし、どこの病院も特高警察を恐れて遺体の解剖を断った。

愛蔵版 ザ・多喜二―小林多喜二全一冊 蟹工船・党生活者 (新潮文庫) 小林多喜二―21世紀にどう読むか (岩波新書)

2011-02-19

福本伸行、宮城谷昌光


 3冊読了。


 16冊目『福本伸行 人生を逆転する名言集 2 迷妄と矜持の言葉たち福本伸行著、橋富政彦編(竹書房、2010年)/数日前に読了。1と比べると明らかにトーンダウンしている。しょこたんを担ぎ出しているのもあこぎだ。「売らんかな」という狙いが見え見え。それでも福本作品の言葉が重みを失うことはない。


 17冊目『孟嘗君 3』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1995年/講談社文庫、1998年)/巻を措く能わずとはこのこと。主役は白圭から、少しずつ田文と孫ピンに移ってゆく。田文はまだ少年だ。読んでいると背筋が垂直に伸びる。紀元前の世紀にこれほどの人々が実在したことに驚く。物語は一気に政治の色合いを強める。


 18冊目『孟嘗君 4』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1995年/講談社文庫、1998年)/胸が高鳴ってとどまることを知らない。数年前より感受性が鋭くなってきたことは自覚していたが、これほどというほど心が震える。田文は成人し、30歳にまでなるが、まだ頭角を現す程度にすぎない。孫ピンの深慮遠謀は諸葛孔明の比ではない。全5巻のうち、4巻までは漆黒の闇から薄明までを描いている。孟嘗君〈もうしょうくん/田文〉という人物を明らかにするには、これほどの背景を知らしめる必要があるのだろう。意味を計りかねる太い溜め息ばかりが出てくる。

俺のおかしな人生を書いてみる

 それでも人は生きてゆかねばならないのだろう。もしもこれが私だったら、17歳までには報復を遂げている。決断を誤ると人生の歯車は狂い始める。

阿部謹也が生まれた日


 今日は阿部謹也が生まれた日(1935年)。「世間」をキーワードに、日本社会を研究し独自の日本人論を展開した。日本におけるドイツ・ヨーロッパ中世史における重鎮。賤民や職人などにも目を向けて、人と人の関係の世界にヨーロッパ宇宙を探るべく独自の歴史観を構築した。

ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫) 「世間」とは何か (講談社現代新書) 自分のなかに歴史をよむ (ちくま文庫) 中世賎民の宇宙―ヨーロッパ原点への旅 (ちくま学芸文庫)

コペルニクスが生まれた日


 今日はコペルニクスが生まれた日(1473年)。ポーランド出身の天文学者。当時主流だった天動説を覆す地動説を唱えた。これは天文学史上最も重要な再発見とされる。コペルニクスはまた、教会では律修司祭(カノン)であり、知事、長官、法学者、占星術師であり、医者でもあった。

天体の回転について (岩波文庫 青 905-1) コペルニクス―地球を動かし天空の美しい秩序へ (オックスフォード 科学の肖像) 誰も読まなかったコペルニクス -科学革命をもたらした本をめぐる書誌学的冒険 (ハヤカワ・ノンフィクション) コペルニクス革命 (講談社学術文庫)

2011-02-18

刷り込みやアンカーに気づく

 ソクラテスは、吟味されない人生は生きる価値がないと言った。わたしたちもそろそろ、自分の人生における刷りこみやアンカーをよくよく検討していいころだ。その刷りこみやアンカーがかつてはまったく合理的だったとしても、いまも合理的とはかぎらない。ひとたび昔の選択を考えなおせば、新しい決断に、そして新しい一日の新しいチャンスに気持ちを向けられるようになる。


【『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー/熊谷淳子訳(早川書房、2008年)】

予想どおりに不合理[増補版]

吾れ此れを以て勝負を知る


 故にこれを校(えら)ぶるに計を以てして、其の情を索(もと)む。曰く、主 孰(いず)れか有道なる、将 孰れか有能なる、天地 孰れか得たる、法令 孰れか行なわる、兵衆 孰れか強き、士卒 孰れか練(なら)いたる、賞罰 孰れか明らかなると。吾れ此れを以て勝負を知る。


【それゆえ、〔深い理解を得た者は、七つの〕目算で比べあわせてその時の実情を求めるのである。すなわち、君主は〔敵と身方(ママ)とで〕いずれが人心を得ているか、将軍は〔敵と身方とで〕いずれが有能であるか、自然界のめぐりと土地の情況とはいずれに有利であるか、法令はどちらが遵守されている、軍隊はどちらが強いか、士卒はどちらがよく訓練されているか、賞罰はどちらが公明に行なわれているかということで、わたしは、これらのことによって、〔戦わずしてすでに〕勝敗を知るのである】


【『新訂 孫子金谷治〈かなや・おさむ〉訳注(岩波文庫、2000年)】

孫子 (ワイド版岩波文庫) 新訂 孫子 (岩波文庫)

(※左がワイド版、右が文庫本)

ハンス・アスペルガーが生まれた日


 今日はハンス・アスペルガーが生まれた日(1906年)。アスペルガー症候群の最初の定義を著した。4人の男児において、彼が「自閉的精神病質」と呼んだ、自閉症(そのもの)と精神病質(人格の疾患)を意味する行為や能力のパターンが見られた。そのパターンには、「共感能力の欠如、友人関係を築き上げる能力の欠如、一方的な会話、特定の興味における極めて強い没頭、ぎこちない動作」が含まれる。

発達障害の子どもたち (講談社現代新書) 高機能自閉症・アスペルガー症候群入門―正しい理解と対応のために ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)をはじめる セルフヘルプのためのワークブック 弁証法的行動療法ワークブック―あなたの情動をコントロールするために

エルンスト・マッハが生まれた日


 今日はエルンスト・マッハが生まれた日(1838年)。19世紀にニュートンによる絶対時間、絶対空間の概念を否定したマッハの原理を提唱した。この考え方はアインシュタインに大きな影響を与え、相対性理論の構築への道を開いた。超音速気流の研究でも有名。音速をマッハ1とするのは彼の名に由来。

時間と空間 (叢書・ウニベルシタス) 認識の分析 (叢書・ウニベルシタス) 感覚の分析 (叢書・ウニベルシタス) 死生観を問いなおす (ちくま新書)

2011-02-17

北条時頼と『立正安国論』


〈この男……何者なのだ〉

 時頼は背筋にしばしば寒気を覚えながら大部の書巻を読み終えた。

 夏も真盛りを過ぎて7月も半ばだ。

 いよいよ日蓮得宗被官(とくそうひかん)の宿屋光則(やどや・みつのり)を通じて『立正安国論』と題する問答仕立てのものを時頼に奏上してきたのだ。

 その分量の多さにまずは圧倒された。

 だが日蓮の言動に興味を抱いていた時頼は早速に目を通した。

 そして衝撃に襲われたのである。

 問答仕立てゆえに読みやすく、論旨も明快であるが、中身はすこぶる深い。おなじ僧の身なのでそれがよく分かる。

〈こんな者がこの世に居たとは……〉

 信じられない気持ちもした。(中略)

 まさに炎のごとく熱い舌鋒(ぜっぽう)だ。

 繰り返し読んでも唸るしかなかった。

 そしてこれは時頼への挑戦に他ならない。

 執権の上に立つ北条得宗の身でありながら出家した僧でもある時頼に日蓮は命を懸けて喧嘩を挑んできている。

 他の者がこれを読んでも遠い比喩としか感じられないだろう。が、国の纏(まと)めを任せられている時頼にとってはすべてが現実である。(中略)

 書巻から目を離して時頼は大きな息を吐いた。心を集中したせいか頭の芯(しん)が重い。

〈途方もない男が居るものだ……〉

 その思いだけは時頼に強く刻まれた。


【『時宗高橋克彦(NHK出版、2000年/講談社文庫、2003年)】

時宗〈巻の1〉乱星 (講談社文庫) 時宗〈巻の2〉連星 (講談社文庫) 時宗〈巻の3〉震星 (講談社文庫) 時宗〈巻の4〉戦星 (講談社文庫)

インターネットは神なのか? 世界を見守るインターネット

 視点としての「神」。すなわち、「神」という言葉が示すのは、これ以上はないという視点の高さなのだ。人間の想像力がその視点に及んだ瞬間、神は生まれた。

ジョルダーノ・ブルーノが火刑に処された日


 今日はジョルダーノ・ブルーノが火刑に処された日(1600年)。イタリア出身の哲学者、ドミニコ会の修道士。それまで有限と考えられていた宇宙が無限であると主張し、コペルニクス地動説を擁護したことで有名。異端であるとの判決を受けても決して自説を撤回しなかったため、火刑に処せられた。

無限、宇宙および諸世界について (岩波文庫 青 660-1) 英雄的狂気 (ジョルダーノ・ブルーノ著作集)

2011-02-16

宮城谷昌光


 2冊読了。


 14冊目『孟嘗君 1』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1995年/講談社文庫、1998年)/一昨日読み始め、そのまま読了。人を照らす言葉にたじろぐほどの感動を覚える。


 15冊目『孟嘗君 2』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1995年/講談社文庫、1998年)/本日読み始め、そのまま読了。風洪(ふうこう)は学を志す。苦労の末に師を探し求め、秦へ戻る。風洪は商人の道を歩むことを決意し、白圭と改名する。孫ピン登場。

盲目の冒険者

 ある日、ロブと連れだって、山の中に高さ50メートルを軽く超す無線塔をもっているという噂のアマチュア無線愛好家をサンタクルーズに訪ねた。無線塔は噂どおりの立派なものだった。設備を好きに使ってかまわないと、その男性は言ってくれた。ただし、塔のてっぺんのアンテナを調整しないと使えないとのことだった。マイクはその作業を買って出た。風が吹きつけるなか、ベルトもロープもなしで塔をよじ登りはじめた。前に後ろに、右に左に、1メートル以上ゆらゆら揺れながら登っていった。20メートル、30メートル、40メートル、45メートル。15階建てのビルに相当する高さだ。頂上にたどり着くと、長さ20メートルのアンテナの調節に取りかかったが、その間も無線塔は風に吹かれてメトロノームの針のように揺れ続けた。怖かった。一度でも足を踏み外せば、命はないだろう。それでも、このアンテナの角度を直せば世界のいろいろな土地とつながれるのだと思う期待が恐怖を上回った。


【『46年目の光 視力を取り戻した男の奇跡の人生』ロバート・カーソン/池村千秋訳(NTT出版、2009年)】


 カーソンの少年時代のエピソード。

46年目の光―視力を取り戻した男の奇跡の人生

作為的に死を選ぶのは邪道

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 人は生まれるとき、自らの意志とは無関係に生を受ける。どこの世界や家庭に生まれるか、選択の余地はない。人生の始まりからしてそうなのだから、作為的に死を選ぶのは邪道であると私は考える。


【『自殺死体の叫び』上野正彦(ぶんか社、1999年/角川文庫、2003年)】


「自殺」と書かないところに、この人の優しさがある。自殺については、いずれ書く予定だ。

自殺死体の叫び (角川文庫)

2011-02-15

宗教の原型は確証バイアス/『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン

 正真正銘の神本(かみぼん/神の如く悟りを得られる本)だ。著者のテンプル・グランディンは、オリヴァー・サックス著『火星の人類学者 脳神経科医と7人の奇妙な患者』(吉田利子訳、早川書房、1997年)のタイトルになっている人物。自称「火星の人類学者」は自閉症(※アスペルガー症候群と思われる)の女性動物学者であった。


 これは凄い。とにかく凄い。本書とトール・ノーレットランダーシュ著『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』とレイ・カーツワイル著『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』を合わせて、「科学本三種の神器」と私は名づけたい。


 網羅、渉猟、越境の度合いが生半可でないのだ。本物の知性は統合に向かうことがよく理解できる。緻密さや細部で勝負する知性はカミソリみたいなもので、切れ味は鋭いものの骨肉を断ち切るところまで及ばない。それに対して豊かな広がりをもつ知性は、専門領域を通して高い視点を示すことで世界の風景を変える。


 テンプル・グランディンは自閉症患者が動物の気持ちを理解できるとしている。彼女は幼い頃から動物の感情を知っていたのだ。大人になるまでそれが特殊な能力であることに気づかなかったという。ここから様々な動物の生態を通して人間との違いや人類の歴史を綴っている。


 まあ、一回こっきりの書評で紹介できる作品ではないため、時間が許す限り何度でも書いてみせるよ(笑)。数多(あまた)ある驚天動地の内容で最も驚かされたのがこれ──


 動物と人間は、「確証バイアス」と学者が呼ぶものを、生まれつきもっていることがわかっている。ふたつの事柄が短時間のあいだに起こると、偶然ではなくて、最初の事柄が2番目の事柄を引き起こしたと信じるようにつくられているのだ。

 たとえば、食べ物が出てくる直前に明かりがつくボタンつきのかごにハトを入れると、ハトはすぐに、食べ物を手に入れようとして、明かりがついたボタンをつつくようになる。これは、確証バイアスによって、最初のできごと(ボタンの明かりがつく)が2番目のできごと(食べ物が出てくる)を引き起こしていると考えるようになるからだ。ハトは、たまたま何回かボタンをつついて食べ物が出てくると(ボタンの明かりがついているときに、かならず食べ物が出てくるので)、こんどは、明かりがついているときにボタンをつつくから食べ物が出てくるという結論を出す。

 ハトの行動は、ウサギの足のお守り〔行為のまじないとして持ち歩くウサギの左の後ろ足〕を持っていたらチームが野球の試合に勝てると考える人に似ている。それで、B・F・スキナーはこういった行為を「動物の迷信」と呼んだ。ピッチャーがウサギの足を持っていたときに登板した試合で勝ったのは、ハトが明かりがついたボタンをつついたあとに何回が食べ物を手に入れたのと同じことだ。どちらの場合も、相関関係が原因だと考えた。


【『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン/中尾ゆかり(NHK出版、2006年)以下同】

 既に何度も紹介済みだが、相関関係と因果関係の混同である。

 つまり脳というシステムは、相関関係を因果関係に仕立てることで物語を創造していると言い換えることも可能だ。例えば歴史は権力者のトピックにすぎない。それゆえ歴史の大半は戦争という糸で紡がれている。圧倒的に膨大な量がある一般人の日常が年表に記されることは、まずない。捨象、切り捨て、無視ってわけだ。

 確証バイアスが組みこまれているために生じる不都合は、根拠のない因果関係までたくさん作ってしまうことだ。迷信とは、そういうものだ。たいていの迷信は、実際には関係のないふたつの事柄が、偶然に結びつけられたところから出発している。数学の試験に合格した日に、たまたま青いシャツを着ていた。品評会で賞をとった日にも、たまたま青いシャツを着ていた。それからとは、青いシャツが縁起のいいシャツだと考える。

 動物は、確証バイアスのおかげで、いつも迷信をこしらえている。私は迷信を信じる豚を見たことがある。


 ここでいう「迷信」とは「非科学的」という意味であろう。だとすると殆どの宗教は迷信になる。なぜなら因果関係を証明することができないからだ。幸不幸の原因は神が下したものかも知れないし、家の方角の善し悪しかも知れないし、単なる偶然かもしれないのだ。


 たまたま朝一番でつけたテレビの番組で星座占いをしていたとしよう。あなたのラッキーカラーはピンクだ。ピンクのものさえ身につけておけば万事が上手く運ぶ。昨日、上司から叱られ、恋人と喧嘩をしたあなたの脳は敏感に反応することだろう。で、ピンクのネクタイを締め、颯爽と出社する。


 こうして一日の中の好ましい出来事は「ピンクのネクタイのおかげ」となるのだ。

 占いを信じる人は、占いに沿った思考となり、占いに当てはまらない事実は印象に残らなくなる。このようにして「占い物語」という人生が進んでゆく。


 ところが、ほかの豚も、これまた確証バイアスにもとづいて、囲いの中の餌桶にまつわる迷信をこしらえる。私が見ていたときには、何頭かが餌用囲いまで歩いていって扉が開いているときに中に入り、それから餌桶に近づき、地面を踏み鳴らしはじめた。足を踏み鳴らしつづけていると、そのうち頭がたまたま囲いの中のスキャナーにじゅうぶんに近づいて、タグが読みとれ、餌が出てきた。どうやら豚は、たまたま足を踏みならしていたときに餌が出てきたことが何回かあって、餌にありつけたのは足を踏み鳴らしたからだという結論に達していたらしい。人間と動物はまったく同じやり方で迷信をこしらえる。わたしたちの脳は、偶然や思いがけないことではなく、関連や相互関係を見るようにしくまれている。しかも、相互関係を原因でもあると考えるようにしくまれている。わたしたちは生命を維持するうえで知っておく必要のあるものや、見つける必要があるもの学ばせる脳の同じ部分が、妄想じみた考えや、陰謀じみた説も生み出すのだ。


 これだ。多分ここから宗教が生まれたのだ。宗教という現象は人間特有のものではなかったのだ。とすると宗教感情がいかに脳の深い部分にあるか知れようというもの。動物にもあるわけだから新皮質より下部にあることだろう。きっと情動も絡んでいるはずだ。


 とはいうものの物語なしで我々は生きてゆけない。はっきりと書いておくが、かつて宗教が人類を救ったことは一度もなかった。聖書や仏典が伝えられてから2000年以上も経過しているが、今尚人類は争い合っている。


 混乱はバラバラの物語が衝突し合っている姿といってよい。同じ宗教を信じていても考え方は違うだろうし、それこそ人の数だけ思想や価値観が存在するのだ。


 まして高度な社会になればなるほど、幸不幸はヒエラルキーや経済性に依存してしまう。我々の幸不幸は比較の中にしかない。


 結局、情報と情報をどう結び合わせるかという問題なのだろう。「私」という情報をどう扱うか? エゴイズムと無縁の物語はあるのか? 人生からそんな宿題を与えられているような気がする。

動物感覚―アニマル・マインドを読み解く 火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 我、自閉症に生まれて

危険なゲームと合理性


 危険なゲームをすることは少しも非合理的なことではない。非合理的なのは、危険について錯覚を持つことである。


【『世界は感情で動く 行動経済学からみる脳のトラップ』マッテオ・モッテルリーニ/泉典子訳(紀伊國屋書店、2009年)】

世界は感情で動く (行動経済学からみる脳のトラップ)

町は駅前を中心にして同心円状に発展していく


 町というものは、一般的には駅前を中心にして、同心円状に発展していくものだ。この同心円構造は中心部の官僚的、権力的な機関を中心として消費的、皮相的、第三次産業的、遊牧民的な街並を経て周縁部に向かって、より伝統的、倹約的、第一次産業的、ゲートボール的、温帯モンスーン気候的な要素へと移行していく。


【『我が心はICにあらず』小田嶋隆(BNN、1988年/光文社文庫、1989年)】

我が心はICにあらず(単行本)


我が心はICにあらず(文庫本)

九鬼周造が生まれた日


 今日は九鬼周造が生まれた日(1888年)。ドイツ留学の際、マルティン・ハイデガーに師事し、現象学を学んだ。三木清和辻哲郎などとともに日本でハイデガーの哲学を受容した最初の世代。「実存」といった哲学用語の訳語を定着させた。日本におけるハイデガー受容に貢献した。


「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫) 偶然と驚きの哲学―九鬼哲学入門文選 九鬼周造―偶然と自然 九鬼周造『偶然性の問題・文芸論』 (京都哲学撰書)

アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドが生まれた日


 今日はアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドが生まれた日(1861年)。、イギリス人の数学者、哲学者である。論理学、科学哲学、数学、高等教育論、宗教哲学などに功績を残す。しばしばプラトン主義も重視。「西洋の全ての哲学はプラトン哲学への脚注に過ぎない」という言葉で知られる。

ホワイトヘッド著作集 第10巻 過程と実在 (上) ホワイトヘッド著作集 第11巻 過程と実在 (下) ホワイトヘッド著作集 第7巻 宗教とその形成 象徴作用他 (河出・現代の名著)

2011-02-14

Canon Rock (JerryC) - The Original


 これはカッコイイ。いやあ痺れた。結構有名らしいね。


D

稲葉真弓


 1冊挫折。


 挫折7『エンドレス・ワルツ』稲葉真弓(河出書房新社、1992年/河出文庫、1997年)/20ページで挫ける宮城谷昌光が面白すぎて、こっちは読む気が失せた。

全世界の情報を集めると295エクサバイトに、そのうち94%はデジタル化済み

 94%は大袈裟じゃないか? 古い書籍や雑誌がデジタル化された話は聞いたことがない。

マクドナルドの原価表が流出/マックフライポテト14円など

 漏れた原価表は中国のマクドナルドのもので、マックフライポテト(Sサイズ)は約14円、マックフライポテト(Mサイズ)は約19円、ハンバーガー約28円、フィレオフィッシュ約41円、チキンバーガー約36円、チーズバーガー約35円、ダブルチーズバーガー約60円、ビッグマック約65円、チキンマックナゲット(4個)約25円、チキンマックナゲット(10個)約61円、クォーターパウンダー約60円、スイートコーン(Sサイズ)約8円、スイートコーン(Mサイズ)約14円、チョコレートシェイク約17円。

政治とは破滅と嫌悪との間の選択

 政治とは可能な事柄に対する技術ではない。破滅と嫌悪との間の選択だ。

  ──ジョン・ケネス・ガルブレイス


【『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン/水谷淳訳(ハヤカワ文庫、2009年/『歴史の方程式 科学は大事件を予知できるか』早川書房、2003年を改題)】

歴史は「べき乗則」で動く――種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

個性は伸ばすものではなく、勝手に伸びるものだ


 私は、「若いヤツらを縛りつけろ」と言いたいのではない。「個性は伸ばすものではなく、勝手に伸びるものだ」ということを私は言おうとしている。

 言い換えるなら、「勝手な行動は許さん」「黙って指示に従え」という圧力を受けながら、それでもなお勝手な行動を取り、指示に従わない個性だけが本物の個性だというわけだ。さらに言い換えるなら「周囲の人間に伸ばしてもらったり、教育プログラムに育ててもらったようなものは個性とは呼ばない。個性はあらかじめ備わった天性であって、むしろ、周囲の人間による妨害の中でこそ伸びるものだ」と言っても良い。


【『イン・ヒズ・オウン・サイト』小田嶋隆朝日新聞社、2005年)】

イン・ヒズ・オウン・サイト ネット巌窟王の電脳日記ワールド

差別を解消されてアフリカの魂を失った黒人の姿/『ダッチマン/奴隷』リロイ・ジョーンズ


 戯曲である。私の苦手な戯曲だ。それでも手をぐいと引っ張られるようにして読み終えた。まくし立てる台詞は長文だが不思議なリズム感を奏でながら畳み込む。フリージャズのソロパートのように。


「ダッチマン」は地下鉄の中で隣り合った男女の会話で構成されている。他の乗客はエキストラだ。礼儀正しい黒人男性に酔った白人女性が絡む。女は色仕掛けを交えながら執拗(しつよう)に下卑た口調で話しかける。あたかも「白人面をするんじゃないよ」と言わんばかりに。


 穏やかに応えていた黒人がぶち切れる。「だったら白人どもが望んでいる黒ん坊の姿を見せてやろうじゃないか」といった呼吸だ。吐き出された独白は黒人の焦慮だった。


 だがな、もうひとつだけきいておくんだ。そして、これからいうことをきさまのおやじに伝えるんだ。だって、きさまのおやじこそ、すぐにもさとらなくちゃならん人間だろうからさ。そうすりゃ、彼にもさきざき計画が立とうというもの。つまり、こういってやるんだ、頭のイカレた黒んぼたちに、そうごってりと合理主義やら冷たい論理を説教するのは止めなさいってな。やつらはほっといてやれってな。きさまたちへの呪いの歌を、やつらどうしの符牒でもって、やつらが勝手にうたっていても、そいつはほっといてやれってな。それからきさまらの不潔は、単にスタイルの欠如だと勝手に思わせておいてやるんだ。ともいってきかせるんだな。そうしてさらに、キリスト教的慈善の無責任きわまる押しつけや、西欧合理主義とやらの優越性とか、白人たちの偉大な知的遺産、そのもののご託宣で、愚劣なヘマをおかすんじゃないぞ、っていってやれ。そうすりゃ、たぶん、やつらだってきさまらのいうことに耳をかすようになるだろうさ。そのときはじめて、おそらくいつの日か、きさまらがしゃべったとおりの内容を、やつらが正確に理解してくれるってことをさとるだろう。あの空想たくましい人種のすべてが。あのブルースを産んだ民族のすべての人間が、だ。そうしてまさにその日、そのとき、くそったれめ、こんりんざいまがいもなく、ついさきごろまで屈従の民だった人間たちを、半分だけ白い模範囚として、きさまらの檻に“うけいれてやる”って思いこめるようになるのさ、きさまらは。そのときもはやブルースは消える、ただし、古きなつかしのブルースとしてのこる。そして黒人の好きな西瓜も姿を消すだろう。かの偉大なる伝教精神は勝利をかくとくするだろう。かつて間抜け黒人だったものが、全部が全部、清潔で、律儀で、無駄のない生活に目をそそぐ、真面目で、敬虔で、正気をそなえた、堂々たる西欧的人間になりかわるだろう。そしてついには、彼らがきさまらを殺すだろう。きさまらを殺しても、そこにはちゃんと合理的説明がととのえてあるだろう。それは、いま、きさまらが、ととのえているのとそっくりおなじような説明となるだろう。彼らはきさまらの喉笛をかき切って、街のはずれまでひきずってゆく。そうすりゃ、死体の肉はきれいさっぱり、きさまらの骨からこそげおちるんだ。(「ダッチマン」)


【『ダッチマン/奴隷』リロイ・ジョーンズ/邦高忠二〈くにたか・ちゅうじ〉訳(晶文社、1969年)以下同】


「半分だけ白い模範囚」とは痛烈だ。いや痛切というべきか。原書が刊行されたのはモンゴメリ・バス・ボイコット事件から10年後のこと。人種差別の意識が制度でなくなるとは思えない。差別意識と被差別感情は緩やかに形を変えていったことだろう。


 ブルースの引きずるリズムは鎖の音だ。鎖は怒りとなって黒人の自我を形成したことだろう。彼らが歌い上げたのは文字通りの憂鬱(ブルーな気分)だった。


 ここにはアメリカ人となることで、アフリカの魂を失うことへの恐れが感じられる。故国へ帰るに帰られなくなった戸惑いが見てとれる。たとえ白人全員を殺したとしても、アメリカはアフリカとはならないのだ。


 結局アメリカがやったことは先住民族の大虐殺と、アフリカ人の大量誘拐だった。自由を建て前にしながら、差別はいまだに根強く残っている。しかもこの国は謝罪することを知らない。第二次大戦における原子爆弾の使用も、彼らの論理では正義となるのだ。


 もう一つの作品である「奴隷」は、ある黒人が白人の家へ押し掛け脅迫するやり取りだ。ここでもまた行き場のない黒人の焦燥感が描かれている。


 そうだ。思想だ。それを確立させねばな! それが形成されるべき場において。すなわち、究極において、その所有者と目(もく)される人間のうちに、それは確立させねばならん。それを所有するものは、おまえたち白人か? それ以外の黒人か? それとも、このおれのものか?(さいごの文句を思いかえしながら、そわそわと舞台を移動する)いや、もはやだめだ。おれのものじゃないんだ。俺はゆっくりと年季をつとめあげてきた……そおして、たぶん、あげくのはてが素寒貧だった。たぶんそんなとこだったのさ。ハッハ。だったら、いったい思想を語りうるものはどこにおるんだ、じっさいだれが語るんだ? ええ、どうなんだ? しかし、それにしても、考えてみるんだ、思想はやはり依然として世界のうちに存在しているではないか。それをものにするには、正しい判断さえあればいいんだ。つまりだ、たとえそれがどうあろうとも、偏屈者やわからず屋とは無縁のものなんだ。だって、それがそれがきれいな光り輝くものだというだけでも、われらが心のまんなかで、もろに響くというだけでも……ああ、どういえばいいんだ! (声を低くして)ほんとに、どういえばいいんだ、ただそうだというだけでも、また、それにもかかわらず、いやほんとうのところ、たとえそうであっても、つまりいわんとすることは、ただそれが“正義”であるというだけでも……いや、どんなにいってみてもすべてが無意味だ。まさに正義そのものが、あらゆる場合に悪臭を放っているではないか。正義そのものが、だ。(「奴隷」)


 形而上と形而下の混乱ぶりが見事に表現されている。「俺たち黒人は一体何者なんだ?」という悲鳴に近い。権利は与えられても、正義は実現されていなかった。黒人が自分たちで正義を実行すれば、それは暴力を伴わずにはいられなかった。


 思想とは言葉である。彼が欲したのは言葉による定義であった。価値観は引っくり返った。その途端、過去は忌むべき姿となった。「俺は奴隷にさせられたのか、それとも奴隷という境遇に甘んじていたのか」と。


 悪行は必ず矛盾を生む。そして暴力を正当化する国は必ず滅ぶ。かつて永遠に栄えた国家はなかった。欧米は今も尚、アフリカから搾取し続けている。

ダッチマン/奴隷

岡倉天心が生まれた日


 今日は岡倉天心が生まれた日(1863年)。明治期に活躍した思想家、文人、哲学者。明治36年、米国ボストン美術館からの招聘を受け渡米。羽織袴で街の中を闊歩していた際に若い米国人から冷やかし半分の声をかけられた。「おまえたちは何ニーズ? チャイニーズ? ジャパニーズ? それともジャワニーズ?」。天心は「我々は日本の紳士だ、あんたこそ何キーか? ヤンキーか? ドンキーか? モンキーか?」と流暢な英語で言い返した。

英文収録 茶の本 (講談社学術文庫) 東洋の理想 (講談社学術文庫) 日本美術史 (平凡社ライブラリー) 岡倉天心 (朝日選書 (274))

2011-02-13

ジェイムズ・カルロス・ブレイク、三枝充悳


 2冊読了。


 12冊目『荒ぶる血』ジェイムズ・カルロス・ブレイク/加賀山卓朗訳(文春文庫、2006年)/これはめっけ物だった。中米のねっとりとした空気を乾いた文体で描いている。時代が変わったところが少々わかりにくく、後半のカットバックも長すぎる気がするが、しっかりと細部を書き込むことでチャラにしている。場面展開に富んでいるので映画化しやすい作品だ。無名の俳優ばかり集めて作れば面白い。


 13冊目『大乗とは何か』三枝充悳〈さいぐさ・みつよし〉(法蔵館、2001年)/三枝は昨年亡くなった。バランス感覚の優れた仏教学者だった。本書は構成がデタラメな上、エッセイ風の散漫な文章が多い。で、高価ときている。それでも仏教中級者であれば勉強になる。個人的には大乗は小乗と比較するものではなく、初期仏教に対置するべきだと考えている。悟りと理論、個別性と大衆性、超越性と実用性、個人と組織、真理と言葉の問題をはらんでいるからだ。

毒舌というスパイス/『世界毒舌大辞典』ジェローム・デュアメル


 この本を持ち歩いていたところ、「これ以上毒舌になるつもりですか?」とある女性から言われた。「もっと磨きをかける必要がある」と私は答えた。トイレに一冊置いておけば、あなたも毒舌家になれるかも(笑)。


 毒舌道は奥が深い。諧謔(かいぎゃく)、諷刺(ふうし)、比喩、侮蔑を知的かつスマートに行う必要がある。そうでないと単なる悪口で終わってしまう。「お前のかーちゃん、でーべーそ」というのは憶測ですらなく、言いがかりの類いだ。


 毒舌はワサビのようなものだ。量が多すぎると顔をしかめられる。スパイスは適量であってこそ風味を発揮する。フグさながらの毒を持つ人物は、闇討ちに遭いかねない。


 6章から成っているのだが、最後の「人物」は余計でいささか後味を悪くしている。辞典である以上、網羅を意図するのは理解できるが、それ以上に質を重んじるべきだと思う。


 というわけで、いくつか紹介しよう──


 恩知らずな人間は思っているよりずっと少ないものだ。なぜなら寛大な人間もずっと少ないからだ。

(サン=テヴルモンン/1613-1703、フランスの批評家・作家・歴史家。自由思想家の一人。)


【『世界毒舌大辞典』ジェローム・デュアメル/吉田城〈よしだ・じょう〉訳(大修館書店、1988年)以下同】


 悪い人間は少ない。なぜなら善良な人間も少ないからだ。


 独身者とは妻を見つけないことに成功した男である。

(アンドレ・プレヴォー)


 結婚とは失敗の異名か(笑)。


 世界は早起きした人のものである。他の人々が起きる時刻までは。

ジュール・ルナール『日記』)


 下げがお見事。


 あのあわれな男がもっているものは、角(※「角がある」とは、妻に間男をされていること)、支払うべき手形、痔、病気の妻か怒りっぽい妻、異常児、養うべき祖母、毎食毎食のヌードル、エンジンが故障する車、ぬか喜び、本当の悲惨、故障するテレビ、次の3連勝式競馬のガセネタ。彼は結婚式で吐き、死人に服を着せ、詰まった排水管を掃除し、仔猫を溺死させ、歩道にあるたった一つの糞を足で踏んづけ、新しいアイスクリームの棒をうっかり折り、おもしろい話を理解せず、へたな話に笑い、風に逆らって小便をし、戦争に出かけ、そこに骨を埋める。人が言うことを信じ、自分が信じること言い、進歩していると信じながら後戻りするのである。

(サン=アントニオ)


 これは毒が強すぎる(笑)。人生の悪い出来事だけ拾い集めれば、皆似たようなもの。


 老人はもはや悪徳を持たない。悪徳の方が老人を所有しているのだ。

(マックス・ジャコブ/フランスの詩人)


 老獪(ろうかい)。


 我々の人生の前半は両親によって台なしにされ、後半は子供たちによって台なしにされる。

(クラレンス・ダロウ/アメリカの弁護士・思想家)


 ここまではっきり言い切られると笑えるから不思議だ。


 はじめは並んで寝て、やがて向い合い、それから互いに背を向ける。

サシャ・ギトリー)


 夫婦の一生がわずか一行で語り尽くされている。


 女は二種類に分けられる。結婚だけを夢みている独身の女と、離婚だけを夢みている既婚の女だ。

(ジョルジュ・エルゴズィー)


 当たっていそうなだけに怖い。


 人は判断力の欠如によって結婚し、忍耐力の欠如によって離婚し、記憶力の欠如によって再婚する。

(アルマン・サラクルー/フランスの劇作家)


 これも同様。


 悪を犯すことなく受胎されたマリア様、どうか受胎なしに罪を犯すことをお許し下さい。

(ジャン=ルイ・コメルソン/アナトール・フランスもほぼ同じ文を書いている)


 聖を性で嘲笑う。


 魚とは、捕獲された時から釣人が友だちにその姿を語る時までの間に、急速な成長を遂げる動物である。

(『クリスチャン・ヘラルド』紙の記事)


 釣果(ちょうか)は出世魚の如し。


 翻訳は女に似ている。美しければ忠実ではない。忠実であれば美しくはない。

(ベン・ジェルーン/1944-、モロッコの作家)


 決してそうではないのだが、そう思わせてしまう比喩の巧みさ。


 国家は、殺人をたくらんでいるとき、つねに自らを祖国と名乗る。

(フリードリヒ・デューレンマット/1921-、スイスの作家・批評家)


 寸鉄人を刺す趣がある。


 宗教は人類の性病である。政治は人類のガンだ。

(アンリ・ド・モンテルラン)


 笑うしかない。宗教と政治は人類の業病(ごうびょう)か。


 退屈は凡庸な人間のしるしである。彼らが一人でいると退屈するのは自分自身に出会うからだ。

(ベルギー王、アルベール1世)


 現代はテレビ、パソコン、携帯電話の陰に退屈が隠れている。


 ナショナリズムは子供の病気である。それは人類の【はしか】だ。

(アルベルト・アインシュタイン


 これは有名な警句。


 嘘と信じやすさとが一緒になって「世論」を生む。

ポール・ヴァレリー


 昨今のメディア情況そのもの。


 これらの言葉が面白いのは、「意外なつながり」が脳の神経回路を刺激するためだろう。ありきたりな常識に対して、ペロリと下を出しているような雰囲気がある。笑いは知的な営みである。現状を上から見下ろして笑い飛ばすことができれば、心も軽くなる。

世界毒舌大辞典

未来授業 養老孟司(脳科学・身体論)

 養老孟司の講演が素晴らしい。北野大は人柄が伝わってくるものの疾走感がまるでない。姜尚中は問題外。「頭がボーっととしている」という非礼ぶりに始まり、わけのわからんヴァーチャル談義を展開している。本や映画がヴァーチャルであることにすら気づいていない様子。先日書いた通り、電話だってヴァーチャルだ。手紙も同様。

Mega64: Assassin's Creed


 これには大笑い。アメリカのオタクなのか?


D

イランはアラブ民族ではない

 中東地域のアラブ諸国はアラブ民族ですが、イラン国民の多数はペルシャ民族です。


【『そうだったのか! 現代史』池上彰ホーム社、2000年/集英社文庫、2007年)】

そうだったのか!現代史 (集英社文庫) そうだったのか!現代史パート2 (集英社文庫)

個人ではなく身分としての存在


 当時、「国」とか「藩」などということばはあった。が、societyは、窮極的には、この(2)でも述べられているように、個人individualを単位とする人間関係である。狭い意味でも広い意味でもそうである。「国」や「藩」では、人々は身分として存在しているのであって、個人としてではない。

 societyの翻訳の最大の問題は、この(2)の、広い範囲の人間関係を、日本語によってどうとらえるか、であったと私は考えるのである。


【『翻訳語成立事情』柳父章〈やなぶ・あきら〉(岩波新書、1982年)】

翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)

ジョルジュ・シムノンが生まれた日


 今日はジョルジュ・シムノンが生まれた日(1903年)。メグレ警視シリーズ(84冊)で知られるベルギーの作家。ジッドは20世紀の作家ベスト10に選び、激賞している。1966年にアメリカ探偵作家クラブからMWA賞の巨匠賞を受賞。

メグレ警視の事件簿〈1〉 (偕成社文庫) ちびの聖者 (シムノン本格小説選) 証人たち―シムノン本格小説選 倫敦から来た男--【シムノン本格小説選】

2011-02-12

福本伸行、大野一雄


 2冊読了。


 10冊目『人生を逆転する名言集 覚醒と不屈の言葉たち福本伸行著、橋富政彦編(竹書房、2009年)/数日前に読了。いやあ痺れる。堪(たま)らん。反逆精神が刃となって振りかざされる。福本の絵が苦手な人でも、これなら読めるはずだ。


 11冊目『大野一雄 稽古の言葉』大野一雄著、大野一雄舞踏研究所編(フィルムアート社、1997年)/これは凄かった。岡本太郎を超えている。悟性という花から狂気が滴り落ちている。脳細胞が攪拌(かくはん)される。天と地との間で重力を意識しながら身体を解放するのが舞踏であることを知る。大野は崖っ淵で蝶のように舞い、遊ぶ。

「もし自分が光の速さで飛んだら、顔は鏡に映るのだろうか?」/『みるみる理解できる相対性理論 改訂版』ニュートン別冊/佐藤勝彦監修、水谷仁編集


 ニュートン別冊を読むたびに、イラストとテキストのバランスの悪さが気になる。絵は大きすぎるし、文字は小さすぎる。高齢者には不向きな雑誌である。


 さほど期待してはいなかったのだが、意外な発見がいくつもあった。


 そのはじまりはアインシュタインが16歳のときに抱(いだ)いた次の疑問でした。

「もし自分が光の速さで飛んだら、顔は鏡(かがみ)に映るのだろうか?」

 顔が鏡に映るには、顔から出た光が鏡に達し、反射して自分の眼にもどってくる必要があります。しかし自分が光と同じ速さで動いていたらどうでしょう? 光は前には進めず、鏡に届かないのではないでしょうか? しかしアインシュタインは「止まった光」などありえないのではないかと考え、悩みました。


【『みるみる理解できる相対性理論 改訂版』ニュートン別冊/佐藤勝彦監修、水谷仁編集(ニュートン プレス、2008年)以下同】


「光の速さで飛んだら」という話は聞き及んでたが、鏡の件(くだり)は知らなかった。


 空気中を伝わる波である音(音波)を考えましょう。音速で飛ぶ旅客機の先端から出た音波は、旅客機の前に出ることはできません。

 音速の速さは気温や気圧によってかわりますが秒速約340メートルです。そして音波は止まった空気に対して秒速約340メートルで進みます。さて音速で飛ぶ旅客機も、止まった空気に対して秒速約340メートルの速さで飛んでいます。ですから旅客機から見ると、前に進む音波は差し引きで速さゼロになってしまい、旅客機の前に出られないのです。以上のことから、こう結論することができます。すなわち、


【もし光が音と同じ性質をもつなら、光速で進む顔から出た光は、かがみ(ママ)に届かないでしょう。】


 光は秒速30万kmである。音は速いようで遅い。だからこそ我々は、左右の耳に届く時間差で音の方向を知覚できるのだ。


 では真相はどうなのでしょう? 結論を先にいっておきましょう。相対性理論によれば、光速で飛んでも自分の顔はかがみに映ります。つまり、


 光は音のような波とは明らかにことなるということです。


 なぜ違うのか?


 光は媒質を必要としないのです。


 なるほど。音が伝わるには大気が必要だ。中学生の時、理科の先生が「宇宙で爆発音などするわけがない」と宇宙戦艦ヤマトを批判していたが、まったくその通りだ。


 それまでは波が海という媒体を必要とするように、光はエーテルという媒質を介して伝播すると考えられていた。アインシュタインはエーテルの存在を疑った。更にはニュートンの絶対座標という概念にも疑問を抱いた。


 光速度は相対的な速度とされ、絶対座標に対して止まっている観測者にだけ秒速30万kmに見えると考えられていた。アインシュタインは「光速度不変の原理」で両方を葬った。南無──。


 アインシュタインを初めとする理論物理学者が示しているのは、豊かな想像力から生まれた問いの中に、宇宙の真理が隠されていることであろう。偉大な問いは、答えをはらんでいるのだ。


 パラダイム・シフトによって世界と宇宙が引っくり返され、まったく新しい姿を見せた。人間は概念を通して世界を認識する。概念とは構造である。


 相対性理論は光速度以外の絶対性を葬り去った。もはや神の居場所はない。

『ロレンツォのオイル/命の詩』


 太郎先輩は再びこの映画を観るべきだ。


ロレンツォのオイル/命の詩 【ベスト・ライブラリー 1500円:ファミリー映画特集】 [DVD]


 5歳の息子、ロレンツォが不治の病に侵されたという恐ろしい事実を知ったとき、オドーネ夫妻(ノルティとサランドン)の壮絶な闘いが始まった。すさまじい葛藤の中で、夫婦愛の強さ、信仰の深さ、そして既存の医療の限界が試される……。人々に希望をもたらす、魅力あふれる意思の固い両親役を、ノルティとサランドンが見事に演じきっている! 真実のみが持つ迫真の映像と全編に流れるクラシックの名曲の数々。名作の香り高い感動の一篇!


D

検索するとはこういうことだ/インテルCEOと前立腺がんの1800日

 医師は「使うもの」であって、すべてを委ねるべきではない。なぜなら彼らは裁判官と同様、過去データに判断を依存しているからだ。決して病気や治療法が「わかっている」わけではなく、ただ統計的な判断を下しているだけの話。病気を治すのは自分の治癒力であり免疫力である。医師はそれを促し、手伝っているにすぎない。

パウロはキリスト教徒を迫害していた


 キリスト教が発祥してから、ローマ帝国によって公認されるまでの約300年間、無数のキリスト教徒が、迫害や弾圧の犠牲となったことは、初期の聖人たちにまつわるさまざまな逸話が物語っているが、ステファノはその最初の犠牲者となった人物である。イエスの死の数年後に、ユダヤ教の過激派に虐殺されたのだ。

 このとき、彼をリンチにかけた群衆のなかに、じつは後のパウロも混じっていた。そう、パウロは元来、キリスト教徒を迫害する側の人間だったのだ。


【『世界の「聖人」「魔人」がよくわかる本』一条真也監修、クリエイティブ・スイート編(PHP文庫、2008年)】

世界の「聖人」「魔人」がよくわかる本 (PHP文庫)

ヒトへの進化を促したのは料理


 本書において私は新しい答えを示す。すなわち、生命の長い歴史のなかでも特筆すべき“変移”であるホモ属(ヒト属)の出現をうながしたのは、火の使用料理の発明だった。料理は食物の価値を高め、私たちの体、脳、時間の使い方、社会生活を変化させた。私たちを外部エネルギーの消費者に変えた。そうして燃料に依存する、自然との新しい関係を持つ生命体が登場したのだ。


【『火の賜物 ヒトは料理で進化した』リチャード・ランガム/依田卓巳〈よだ・たくみ〉訳(NTT出版、2010年)】

火の賜物―ヒトは料理で進化した

チャールズ・ダーウィンが生まれた日


 今日はチャールズ・ダーウィンが生まれた日(1809年)。イギリスの自然科学者。卓越した地質学者・生物学者で、種の形成理論を構築。ダーウィンガラパゴス諸島から持ち帰ったとされるガラパゴスゾウガメのハリエットは175歳まで生き、2006年6月22日に心臓発作のため他界している。

種の起源〈上〉 (光文社古典新訳文庫) 種の起源〈下〉 (光文社古典新訳文庫) ミミズと土 (平凡社ライブラリー)


ビーグル号航海記 上 (岩波文庫 青 912-1) ビーグル号航海記 中 (岩波文庫 青 912-2) ビーグル号航海記 下 (岩波文庫 青 912-3)

2011-02-11

フランス・ドゥ・ヴァール


 1冊読了。


 9冊目『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれることフランス・ドゥ・ヴァール/柴田裕之訳、西田利貞解説(紀伊國屋書店、2010年)/読みやすいポピュラー・サイエンスとなっている。フランス・ドゥ・ヴァールは既に霊長類研究の世界的権威といってよいだろう。個人的にはもっと重量級の内容に期待したい。読み物としてはチト軽すぎる。共感はヒト特有の感情ではなく、哺乳類に共通していることを例証。共感を基盤とする社会のあり方を示す。

デフレの相対性


 フィッシャーはひとつの例を出して、この点をはっきりさせる。いま仮に、鶏の卵が貨幣として使われるようになったとしよう。それでもし、雌鶏があまり卵を産まなくなったとしたら、鶏卵は貨幣なのだから、もはやその価格が上がるわけではない。そうではなくて、この時、鶏卵以外のあらゆる商品の価格が下がるのである。


【『世界デフレは三度来る』竹森俊平(講談社BIZ、2006年)】

世界デフレは三度来る 上 (講談社BIZ) 世界デフレは三度来る 下 (講談社BIZ)

身延山久遠寺が不受不施派を弾圧


 これに勢いをました身延山久遠寺は、寛永9〜10年の全国寺院の本末帳提出の折には、日蓮宗すべての派の総括を行なうようとの命令を幕府から得た。一方、不受不施派の頭目と目された妙覚寺に対しては、きびしい探索を行なうとともに、寛永10年の段階でもまだ不受不施の思想を持っているかどうかを本末帳の中に1カ寺ごとに書き入れさせた。

 それからさらに、身延山久遠寺は幕府権力を背景にしつつ不受不施派の弾圧にのり出していった。その手口は、幕府の法要のたびごとに不受不施派の不参加を口実に上訴するということであった。また久遠寺は寛文7年(1667)に江戸ならびに武蔵国などその周辺の不受不施派寺院を調査し、幕府にその弾圧をしばしば要請している。その結果、幕府は不受不施派に対して改派をせまることになった。しかし江戸だけでも242カ寺という不受不施派寺院の勢力は依然根強く、多くの人々の信仰をあつめており、簡単にはいかないようであったが、寛文9年(1669)4月には、日蓮不受不施派寺院が寺請をすることを禁じている。さらに元禄4年(1691)不受不施派とともに悲田宗をも禁止している。このようにして完全に不受不施派は禁制されることになり、その後公的な形での布教活動は困難になった。


【『庶民信仰の幻想』圭室文雄〈たまむら・ふみお〉、宮田登(毎日新聞社、1977年)】

庶民信仰の幻想

ニューエイジで読み解く宗教社会学/『現代社会とスピリチュアリティ 現代人の宗教意識の社会学的探究』伊藤雅之


 ニューエイジ・ムーブメントとは、アメリカ西海岸を発信源として1960年代後半から80年代にかけて盛り上がりを見せた霊性復興運動のこと。ベトナム反戦運動が高まる中、近代合理主義や伝統的キリスト教に反発する形でカウンターカルチャーと同時に現れた。

 ヒッピー・ムーブメントも一緒だな。多分。彼らは叫んだ。「セックス、ドラッグ&ロックンロール」と。


 戦争や神様に対するウンザリ感は何となく理解できる。特にアメリカの場合、ヨーロッパと比較しても原理主義的傾向が顕著で、暴力性を帯びている。

 そして今もなお天地創造説を信じ、進化論を否定する連中が山ほどいる国でもある。

 キリスト社会に亀裂を入れた一点においてニューエイジを私は評価する。ただし宗教性という次元では子供騙しにすぎないと考えている。


図1 ニューエイジ度の尺度

反ニューエイジ的←→ニューエイジ的
世界観 二元論(善悪の対立、絶対者)←→一元論(自己変容)
実践形態 厳格な規律、上下関係←→ゆるやかなネットワーク
担い手の意識 教祖や教義を崇拝、他者依存←→自立的、スピリチュアル


【『現代社会とスピリチュアリティ 現代人の宗教意識の社会学的探究』伊藤雅之(渓水社、2003年)以下同】


 ま、わかりやすいといえばわかりやすいのだが、社会形態も同じように変化していることを弁える必要がある。結局、制度宗教への反発は社会への反発でもある。なぜなら制度宗教そのものが宗教の社会化であり、二次的社会を形成しているからだ。


 ヒーラスは、ニューエイジを「自己宗教(self religion)」と呼ぶ。彼は、1960年代の対抗文化の発達にともない、個人は聖なる存在に近いものとして捉えられはじめたと考える。そこでは、表現的個人主義(原文略)の広がりも影響して、自己発達、自己実現というテーマが絶えず重要な役割を果たしていた。


 私なら「宗教ごっこ」と名づける。「自慰宗教」でも構わない。そもそも「個人」という言葉は神と向き合う一人の人間を意味する。

 神に背を向けるのはよろしい。しかし、自らの内部に聖性や神秘性を見出そうとする時、そこに同じ神を見出すことになりはしないだろうか? はたまた極端な自然志向が動物的な生き方へと導く可能性もある。


 自己実現の「自己」にも、やはり神の匂いがする。実現と未実現とのヒエラルキーを避けようがない。未来を重んじることは現在を軽んじることでもある。


 また、ベラーらは、現代アメリカ社会に於いて「自己を宇宙的原理に高めてしまうほど徹底して個人主義的な」宗教形態を「神秘主義」、あるいは「宗教的個人主義」と呼んだ。宗教的個人主義の先行形態は、19世紀の思想家であるエマーソン、ソロー、ホイットマンに見いだせるが、この宗教現象は20世紀の後半になってから主要な宗教形態として発達してきていると分析する。もちろん宗教的個人主義は、ニューエイジそのものではない。しかし、「現代の宗教的個人主義は、自分のことを述べるのに『宗教的(レリジャス)』とは言わずにむしろ『霊的(スピリチュアル)』というような言い方をしばしばする」との言及からも分かるように、極めてニューエイジに近い宗教現象だといえよう。このような、「自己宗教」や「宗教的個人主義」として捉えられるニューエイジ思想は、自己を越えた他者や社会全体での関心を示すことのない、自己中心的な思想としてしばしば批判されてきた。


 スピリチュアリズムとは「非科学的な物語」といってよい。その意味では、意外かもしれないが鎌倉仏教の流れを汲む日本の大半の宗教が実はスピリチュアリズムと判断される。密教的系譜はおしなべてスピリチュアリズムである。


 筆者は、ニューエイジの思想的な特徴は、究極の「リアリティ(状態、目的)」とそこへいたる「手段(媒介)」から成り立っていると捉えている。ニューエイジでは、ホリスティック(全体論的)でトランスパーソナル(超個的)な世界観が究極のリアリティとしてあり、その究極にいたる手段として個人の聖性が強調されるのである。


 上手い説明なんだが、ニューエイジに接近しすぎているきらいがある。私は「内なるユートピア思想」がニューエイジの特徴であると考える。ひょっとすると制度宗教の戒律が時代性とそぐわなくなっているのかもしれない。


 つまり、ニューエイジ思想は、究極にいたる手段が、家族や地域共同体と分離した個人に力点がおかれる点で新しい宗教性を示しているのである。


 それが「宗教性」といえるのであれば、「社会性」に置き換えることも可能だろう。人と人とを結び合わせるのが宗教性であり社会性である。ニューエイジには散逸、離散、放射というベクトルがあるように思われる。


 続いて宗教の世俗化という骨太のテーマが展開される。特筆すべきは以下の部分──


 スタークとイアナコーニは、世俗化論一般を批判する際に、宗教に市場経済モデルを適用して、制度宗教を宗教企業、信者を宗教消費者ととらえる。従来の宗教社会学者は、宗教消費者に焦点を置き、表1、2に示したデータから宗教の世俗化、つまり人々の宗教での関心が低下していると結論づけてきた。これに対してスタークらは、信者の行動でなく宗教を供給する企業側に注目し、次のように問う。「もしも少数の怠惰な宗教企業しか存在しなかったとしたら、潜在的な宗教消費者はどのような行動をとるだろうか」と。

 スタークらは、自分たちの経済モデルに立地でした「供給サイド・モデル」の有効性を検証するためにいくつかの命題を提出している。本論との関連のみをまとめるなら、要するに、ある国で人々の教会出席率や教会所属率が低いのは、宗教企業が宗教消費者の多様なニーズにこたえるような形態となっておらず、結果的に個々人が教会に関心を示さなくなっているためであるということだ。


 言い換えれば、世俗化と誤解されている状況は、独占的宗教企業が人々に魅力的で亡くなったことに起因し、個人の宗教心が衰えたためではないのだ。(※スタークらの議論)


 宗教社会学と行動経済学の融合(笑)。教団と信者を需給関係で捉えることはあながち間違ってはいない。経済の発達に伴って「聖」と「俗」の二元論的世界観は崩壊する。霊媒師は政治家と変わり、生け贄はクリスマスケーキとなる。世俗化は社会のシステム化と関連している。


 宗教のパラダイムシフトが進展しないのは、欲望が多様化しているせいもあるのだろう。とすると人々が望んでいるのはカスタマイズ化された宗教なのかもしれない。


 宗教社会学入門としては良質なテキストだ。ただしネット恋愛に1章を割いてしまったことで、後半はかなり失速している。ヴァーチャル(仮想)の意味を履き違えており、それこそスピリチュアリズムの言い分と同じレベルになっている。


 電話を通して聞こえる声だって、音声を電気信号に変えているゆえヴァーチャルなのだ。つまり、脳が受け取る情報は仮想であろうと現実であろうと違いはない。スピリチュアリズムの短絡性や安易さをインターネットと結びつけようとして完全に失敗している。

現代社会とスピリチュアリティ―現代人の宗教意識の社会学的探究

折口信夫が生まれた日


 今日は折口信夫が生まれた日(1887年)。日本の民俗学国文学国学の研究者。釈迢空(しゃく・ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。折口の成し遂げた研究は「折口学」と総称されている。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。同性愛者であったことでも知られる。

古代研究〈1〉祭りの発生 (中公クラシックス) 古代研究〈2〉祝詞の発生 (中公クラシックス) 古代研究〈3〉国文学の発生 (中公クラシックス) 古代研究〈4〉女房文学から隠者文学へ (中公クラシックス)


死者の書・身毒丸 (中公文庫) 日本藝能史六講 (講談社学術文庫 (994)) 折口信夫 霊性の思索者 (平凡社新書) 折口信夫事典

2011-02-10

『永遠の哲学 究極のリアリティ』オルダス・ハクスレー/中村保男訳(平河出版社、1988年)


永遠の哲学―究極のリアリティ (mind books)


 自己とは何かを深く問い、究極のリアリティの直接体験をめざした「永遠の哲学者」達。本書は、古今東西の神秘思想家の心に残る章句をテーマごとに集め、ハクスレー自身の解説を加えた珠玉の箴言集である。

幼児虐待の現場は家庭


 家庭では、親がその気になれば、子どもに苦痛を与える機会がいくらでもある。


【『囚われの少女ジェーン ドアに閉ざされた17年の叫び』ジェーン・エリオット/真喜志順子〈まきし・よりこ〉訳(ソニー・マガジンズ、2005年/ヴィレッジブックス、2007年)】

囚われの少女ジェーン―ドアに閉ざされた17年の叫び (ヴィレッジブックス)

新大久保


 世の中には「誰それの息子」でしかない人間とか、「どこどこ大学卒」以上でも以下でもない人間みたいなものがたくさんいるが、新大久保も似たようなもので、もしこの街が新宿の隣でなかったら、新大久保は、新大久保でもなんでもない。

 たとえば、新大久保は、ラブホテル街であり、ホテトルの事務所が集中している地域であり、アジア・アフリカ系不法就労者たちの一方の拠点であり、業界的に言えば、意外なほどにソフトハウスの多い土地柄であったりするのだが、このうちのどれも「新宿の隣」ということと無縁ではない。

 これは、街というものの生成と発展にとって大変に不幸なことだ。「何をやっても長嶋の息子」というような状況は、本人にとっては楽なことではない。


【『山手線膝栗毛』小田嶋隆ジャストシステム、1993年)】

山手線膝栗毛

1ビットの情報をブラックホールへ投げ込んだらどうなるか?/『ブラックホール戦争 スティーヴン・ホーキングとの20年越しの闘い』レオナルド・サスキンド

    • 1ビットの情報をブラックホールへ投げ込んだらどうなるか?

 ブラックホールは「死んだ恒星」である。太陽は質量が小さいのでブラックホールにはならない。巨大な質量をもつ恒星が超新星爆発(=星の死)をした後、今度は重力が内側へと向かう。ま、綿飴を潰した状態だ。最終的に原子はおろか素粒子レベルまでが破壊される。つまり空間が存在しない状態といってもいいだろう。

 標準のブラックホールで質量は太陽の10億倍。温度は数千万度から数十億度に達する。この重力地獄からは光ですら脱出することができない。それゆえ、光を反射しないブラックホールは「見えない存在」なのだ。

 スティーヴン・ホーキングが「情報のパラドックス」という問題を提示した。


 スティーヴン・ホーキングは1ビットの情報をブラックホールへ投げ込んだらどうなるかと想像した。投げ込む情報は本やコンピューターでもいいし、1個の素粒子でもいい。ホーキングはこう考えた。ブラックホールは究極の落とし穴(トラップ)であって、情報のビットは外の世界から永久に失われる。この一見無害にみえる観察は、断じて無害ではなかった。それは、現代物理学が築いた建造物すべてをなぎ倒す恐れがあった。何か決定的にうまくいかない点があった。もっとも基礎的な自然法則である情報の保存が危機にひんしていた。関心を持った人たちにとって、ホーキングが間違っているか、300年の歴史を持つ物理学の中心が崩れてしまうかのどちらかだった。


【『ブラックホール戦争 スティーヴン・ホーキングとの20年越しの闘い』レオナルド・サスキンド/林田陽子訳(日経BP社、2009年)以下同】


 これに異を唱えたのがレオナルド・サスキンドである。ブラックホール戦争の勃発。


 ブラックホールの内部で1ビットの情報が失われることも何がそんなに不都合なのだろうか? しばらくして、わかってきた。情報の損失は、エントロピーを生成するのと同じことである。そしてエントロピーの生成は熱を出すことを意味する。スティーヴンがいとも簡単に仮定した仮想ブラックホールはから空っぽの空間に熱を発生させるだろう。もうひとりの同僚のミカエル・ペスキンと一緒に、私たちはスティーヴンの理論に基づいて推計した。もしスティーヴンが正しければ、空っぽの空間は1秒もたたないうちに10億×10億×10億×1000度まで熱くなることがわかった。私はスティーヴンが間違っているとわかっていたが、彼の推論に欠点を見つけることができなかった。多分それが私をいちばんいらだたせたのだ。

 この後起こったブラックホール戦争は物理学者同士の論争にとどまらなかった。それはアイデアの戦争、その後基本原理の間の戦争だった。


 実はここに大統一理論(矛盾し合う相対性理論量子力学を統合する原理)の鍵があった。レオナルド・サスキンドの筆致は軽やかにエピソードと比喩を盛り込みながら、難解なテーマをぐいぐい読ませてゆく。


 この湖には危険がひとつある。それに気づくのが遅すぎたために多くのおたまじゃくしが命を失った。1匹として生きて戻ってその話を伝えたものはいなかった。湖の中心に、湖水が流れ出てゆく排水の穴がある。水は排水管を通って下の洞穴に流れていき、鋭くとがった岩の上に滝のように落ちる。湖を上から見おろせば、水が排水管の方に動いていくのを見ることができる。排水管から遠く離れたところでは、水の流れる速度は感じ取れないほど遅い。しかし近づくと水の速度が速くなる。排水管が非常に速く水を吸い込むので、ある距離まで近づくと水の流れる速度が音速と等しくなると仮定しよう。さらに排水管に近づくと、流れは超音速になる。そして非常に危険な排水管が現れる。

 水の中にただようオタマジャクシは、自分たちの回りのことしかわからないので、自分たちがどれくらい速く進んでいるのかわからない。オタマジャクシの近くにあるものはすべて同じ速度で一緒に動く。非常に危険なこととは、排水管へ吸いこまれて鋭い岩で砕かれることだ。実際、中心に向かって吸い込まれていく速度が音速を超える地点を越えてしまったオタマジャクシは、破滅するしかない。帰還不能点を越えたら、彼は流れより速く泳ぐこともできないし、安全の領域にいるものに警告を発することもできない(どの音響信号も音速より速く水の中を進めないからだ)。アンラーは排水の穴とその帰還不能点を【沈黙の穴】と呼ぶ。音がしないという意味の沈黙だ。どんな音もそこから脱出することができないからだ。

 帰還不能点ももっとも興味深いことのひとつは、そうと知らずに浮かびながらそこを通りすぎる観察者は、最初は異常にまったく気付かないということだ。これに警告する広告板もサイレンもない。これを止める障害物もない。危険が迫っていると知らせるものは何もない。ある瞬間には何の問題もないように見えて、次の瞬間もすべてがまだ何の問題もないように見える。知らず知らずのうちに帰還不能点を越えてしまう。


【沈黙の穴】がブラックホールだ。では、帰還不能点の手前と向こう側で世界はどのように異なるのか?


 一方、アリスは何もおかしいと気づかない。彼女は、ものごとの進み方が遅くなるとも速くなるともまったく感じないまま、気楽に帰還不能点を越えていく。もっと後になって危険な岩の方に引きこまれてから、初めて彼女は危険を知る。ここにブラックホールの重要な特徴のひとつが示されている。つまり、ことなる観察者は同じ事象をまったく逆に感じる。ボブにとっては、彼が聞く音から判断するとアリスが帰還不能点に達するには無限の時間がかかる。だが、アリスにとっては、まばたきすることも時間もかからない。


 いやあ、お見事。これが双子のパラドックスだ。観測者の運動によって世界は異なって映るのだ。絶妙な喩えは、あたかも生と死を相対化している趣さえある。


 実際我々は地球の自転速度や回転速度、はたまた太陽の運行や銀河の回転を自覚することがない。宇宙は巨大なメリーゴーランドだ。しかし我々はあまりにも小さすぎる。マクロ宇宙と量子世界が回転と螺旋運動で成り立っているのであれば、きっと時間も同じように流れているのだろう。


 手っ取り早く結論を述べよう。スティーヴン・ホーキングは誤っていた。


【どんなブラックホールであっても、1ビットの情報を加えると、その地平線の表面積が1プランク面積、すなわち1平方プランク単位だけ大きくなる。】


【ビットで測ったブラックホールのエントロピーは、プランク単位で測ったその地平線の表面積に比例する。】


 もっと簡潔にするとこうなる。


【情報は面積と等しい。】


「参りました!」。私は本を閉じて畳に手をついた(ウソ)。情報は「失われない」のだ。ということは、宇宙の実体が「情報宇宙」ということを示している。


 生とは情報が密集した状態で脳に象徴される。認知を司るのも脳である。それゆえ存在は脳というフィルターを通して知覚される。つまり世界も宇宙も脳内において存在するわけだ。ブラックホールで情報が失われないとすれば、ブラックホールもまた生の一分を示している。死は特異点の向こう側に位置する。情報が意味をなさなくなる世界だ。


 日常生活における死とは、知覚し得ない無意識領域であろう。眠りは死である。そして瞑想もまた死である。睡眠をとらないと人は生きてゆけない。瞑想をしなければ生きているとは言えない。多分そんなところだろう。

ブラックホール戦争 スティーヴン・ホーキングとの20年越しの闘い

パステルナークが生まれた日


 今日はパステルナークが生まれた日(1890年)。『ドクトル・ジバゴ』で知られるロシア・ソ連の詩人・小説家。1958年には受賞者として発表されたが、ソ連当局の圧力により辞退を余儀なくされた(但し、委員会側が一方的に賞を贈り、後に遺族がこれを受取っている)。

ドクトル・ジバゴ 1 ドクトル・ジバゴ 2


リュヴェルスの少女時代 晴れよう時 1956‐1959―ボリース・パステルナーク詩集 早朝列車で 1936‐1944―ボリース・パステルナーク詩集

2011-02-09

『ジーヴズの事件簿 P・G・ウッドハウス選集 1』P・G・ウッドハウス/岩永正勝、小山太一訳(文藝春秋、2005年)


ジーヴズの事件簿  (P・G・ウッドハウス選集 1)


 世界中で愛され、古典探偵小説にも多大な影響を与えた巨匠ウッドハウス。第1巻には、天才執事ジーヴズが、若主人バーティを襲う難題を奇策の数々で見事に切り抜けてみせる機略縦横の活躍からよりぬいた傑作を収録。

ブッシュ氏が海外渡航中止 拷問の告発準備受け


 欧米の人権団体が、テロ容疑者への拷問をブッシュ前米大統領が承認したことは「犯罪」だとして、スイスの司法当局への告発を準備、ブッシュ氏が講演のために予定していたスイス行きを中止していたことが分かった。ロイター通信などが7日報じた。

 告発は、キューバのグアンタナモ米海軍基地のテロ容疑者収容施設で拘束されていた中東の衛星テレビ、アルジャジーラの元記者ら2人の代理で準備。今後もブッシュ氏が米国を離れた場合には、即座に告発を行うとしている。

 同団体は米司法当局が告発を受理する可能性はないと判断、わずかでも可能性がある米国以外の国をブッシュ氏が訪問するタイミングを狙って告発する作戦に出たとみられる。

 人権団体は、ブッシュ氏がテロ容疑者の鼻や口に大量の水を注いで自白を迫る「水責め」と呼ばれる過酷な尋問や、睡眠を妨げるなどの拷問を承認したと非難。ブッシュ氏は昨年11月に発売した回想録で、2001年の米中枢同時テロの容疑者に対する水責めを承認したことを認めている。


47NEWS 2011-02-08

江戸城明け渡し


 自分の手柄を陳(の)べるやうでをかしいが、おれが政権を奉還して、江戸城を引払ふやうに主張したのは、いはゆる国家主義から割り出したものサ。300年来の根柢があるからといつたところが、時勢が許さなかつたらどうなるものか。かつまた都府といふものは、天下の共有物であつて、決して一個人の私有物ではない。江戸城引払ひの事については、おれにこの論拠があるものだから、誰が何と言つたつて少しも構はなかつたのサ。各藩の佐幕論者も、初めは一向(いっこう)時勢も何も考へずに、無暗(むやみ)に騒ぎまわつたが、後には追々(おいおい)おれの精神を呑み込んで、おれに同意を表するのも出来、また江戸城引渡しに骨を折るものも現れて来たヨ。しかしこの佐幕論者とても、その精神は実に犯すべからざる武士道から出たのであるから、申し分もない立派のものサ。何でも時勢を洞察して、機先を制することも必要だが、それよりも、人は精神が第一だヨ。


【『氷川清話』勝海舟江藤淳、松浦玲編(講談社学術文庫、2000年)】

氷川清話 (講談社学術文庫)

四角く切りとられた光の箱


 ひんやりした台所から見る庭は、夏の陽にあふれて、四角く切りとられた光の箱のようだった。


【『夏の庭 The Friends』湯本香樹実〈ゆもと・かずみ〉(新潮文庫、1994年/徳間書店、2001年)】

夏の庭―The Friends (新潮文庫)

ブライアン・グリーンが生まれた日


 今日はブライアン・グリーンが生まれた日(1963年)。米国の物理学者。専門は理論物理学で超弦理論の権威。

エレガントな宇宙―超ひも理論がすべてを解明する 宇宙を織りなすもの――時間と空間の正体 上 宇宙を織りなすもの――時間と空間の正体 下

J・M・クッツェーが生まれた日


 今日はJ・M・クッツェーが生まれた日(1940年)。「その小説は、緻密な構成と含みのある対話、すばらしい分析を特徴としている。しかし同時に、周到な懐疑心をもって、西欧文明のもつ残酷な合理性と見せかけのモラリティを容赦なく批判した」として2003年にノーベル文学賞を受賞した。

恥辱 (ハヤカワepi文庫) 夷狄を待ちながら (集英社文庫) マイケル・K (ちくま文庫) 鉄の時代 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-11)

2011-02-08

きのう勤皇 きょう佐幕 きのうホントで きょうはウソ


 氏家法雄さんのツイートで知った。


 サヨナラだけが人生か

 それなら今日(こんち)は何なのさ

 きのう勤皇 きょう佐幕

 きのうほんとで きょうはウソ

 雨は降る降る 血の雨が

 人の情けは泥まみれ

 あした天気になあれ


こたつねこカフェ

人を許すってどういうことですか?

 絶対に許してはいけない。許せば、過去のいじめが正当化されるためだ。経済的視点で考えてみよう。いじめと謝罪の需給関係が成立するなら、先に謝罪すれば後でいじめてもいいことになってしまう。何にも増して致命的なのは、許すことで人生の物語性が平板になることだ。いじめられた時の苦悩が、謝罪を受け容れる寛容な態度で相殺できる人は、生きる態度が受け身にならざるを得ない。

イギリスからアメリカへの覇権の交代


 この所有と経営の分離という変化は、イギリスからアメリカへの覇権の交代という、世界の政治経済の大転換をも引き起こした。

 第一次産業革命をいち早く成し遂げたイギリスは、19世紀を通じて、その覇権的地位を維持してきた。しかし、私有財産制度の伝統が長いイギリスでは、所有と経営を明確に分離することが社会的に難しかったため、産業組織の規模を重工業に十分なほど拡大することができず、第二次産業革命に乗り遅れてしまった。


【『恐慌の黙示録 資本主義は生き残ることができるのか』中野剛志〈なかの・たけし〉(東洋経済新報社、2009年)】

恐慌の黙示録―資本主義は生き残ることができるのか

苫米地英人の仏教知識


 笑い話のようだが、キリスト教教育を中心に受けてきた私は、1996年当時、仏教知識はほとんどゼロであった。


【『洗脳原論』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(春秋社、2000年)】


 念のために証拠保全(笑)。公の場できちんとした言葉づかいのできない人物を私は絶対に信用しない。明らかに「肥大した自我」を見てとれるからだ。このタイプの連中は人の話を聞くことができないため、コミュニケーションが成り立たない。おしなべて多弁であるところに特徴がある。苫米地がその典型だが、宮台真司ホリエモンも同じ臭いを放っている。老人組だと石原慎太郎西部邁など。彼らは決して相手と目を合わせない。視線がさまよう。

洗脳原論

ジュール・ヴェルヌが生まれた日


 今日はジュール・ヴェルヌが生まれた日(1828年)。H・G・ウエルズとともにSFの開祖として知られ、SFの父とも呼ばれる。パリでアレクサンドル・デュマ父子と出逢い、劇作家を志す。平和主義者・進歩主義者としても知られた。代表作に 『月世界旅行』 『海底二万里』『八十日間世界一周』。


月世界へ行く (新装版) (創元SF文庫) 海底二万里 (創元SF文庫) 八十日間世界一周 (創元SF文庫) 地底旅行 (岩波文庫)


十五少年漂流記 (新潮文庫) 神秘の島〈第1部〉 (偕成社文庫) 神秘の島〈第2部〉 (偕成社文庫) 神秘の島〈第3部〉 (偕成社文庫)

2011-02-07

『サルの正義』 呉智英(双葉文庫、1996年)


サルの正義 (双葉文庫)


 馬と鹿の次は猿だ。暴論に正論あり。混迷の20世紀末に贈る知性の爆弾。

「ヘッドライト・テールライト」ジャニス・イアン


 いやあ、びっくりした(笑)。これはこれで味がありますな。トリビュート・アルバムがあったとは。


D


中島みゆき トリビュート Yourself・・・Myself

明治政府そのものが外的自己と内的自己との妥協の産物

 明治政府そのものが、開国派と尊王攘夷派、外的自己と内的自己とのある種の妥協の産物で、その屈従政策、文明開化政策は、内に抱え込んだ、または野に放たれている攘夷派、旧士族の反発を招かずにはおかなかった(大久保と西郷、内治派と征韓派の対立は、政府内部における外的自己と内的自己の対立の典型である。このパターンは、昭和になって、政党と軍部の対立という形でくり返される)。


【『ものぐさ精神分析』岸田秀〈きしだ・しゅう〉(青土社、1977年/中公文庫、1996年)】

ものぐさ精神分析 (中公文庫) 続 ものぐさ精神分析 (中公文庫)

「名はスペンサーだ、サーの綴りは、詩人と同じようにSだ」


「この一件で、お前はひどい目にあうことになる、そのことを忘れるな」

 私が言った、「名はスペンサーだ、サーの綴りは、詩人と同じようにSだ。ボストンの電話帳に載ってるよ」外に出てドアを閉めた。また開けて中に首を突っ込んだ。「〈タフ〉という見出しの項にな」ドアを閉めて階段を下りた。


【『初秋』ロバート・B・パーカー/菊池光〈きくち・みつ〉訳(早川書房、1982年/ハヤカワ文庫、1988年)】

初秋 (ハヤカワ・ミステリ文庫―スペンサー・シリーズ)

チャールズ・ディケンズが生まれた日


 今日はチャールズ・ディケンズが生まれた日(1812年)。イギリスのヴィクトリア朝を代表する小説家。主に下層階級を主人公とし、弱者の視点で社会を諷刺した作品群を発表した。その登場人物は広く親しまれており、イギリスの国民作家とされる。代表作は『クリスマス・キャロル』『二都物語』など。

クリスマス・カロル (新潮文庫) 二都物語 (上巻) (新潮文庫) 二都物語 (下巻) (新潮文庫)


大いなる遺産 (上巻) (新潮文庫) 大いなる遺産 (下巻) (新潮文庫) オリバー・ツイスト〈上〉 (新潮文庫) オリバー・ツイスト〈下〉 (新潮文庫)

トマス・モアが生まれた日


 今日はトマス・モアが生まれた日(1478年)。法律家、人文主義者、カトリックの聖人。国王をイングランド国教会の長とする法律にカトリックの立場から反対。反逆罪とされ斬首刑に。「私の首は短いからな」と上手くやるよう首切り人を励まし、頭を台に載せてからもユーモアを飛ばした。

ユートピア (中公文庫) トマス・モア

2011-02-06

リチャード・ランガム、中原圭介


 1冊挫折、1冊読了。


 挫折6『火の賜物 ヒトは料理で進化した』リチャード・ランガム/依田卓巳〈よだ・たくみ〉訳(NTT出版、2010年)/狙いはいいのだが展開に問題があり、前半で既にもたついてしまっている。重複する文章も多すぎる。新書にすればよかったのに。生食では必要なエネルギーを摂取できないとのこと。我々は「食べること」ではなく、「消化するもの」で生きているのだ。


 8冊目『騙されないための世界経済入門』中原圭介(フォレスト出版、2010年)/中原は実学のアナリスト。アメリカの住宅バブル崩壊(サブプライムショック)を2年前から予測したことで名を馳せた。本書は2011年の世界経済を展望した内容で、米国・欧州・中国という構成。ビリヤード台の上で繰り広げられるマクロ経済といった感がある。マーケットとはマネーの関係性(需要と供給)である。その様相を正攻法で丁寧に解説している。改行が多いのが難点。もう一つ付け加えると「日本人は元来、人の和を重んじるDNAを受け継ぐ農耕民族です」といった言葉づかいはやめるべきだ。

『さようなら、ゴジラたち 戦後から遠く離れて』加藤典洋(岩波書店、2010年)


さようなら、ゴジラたち――戦後から遠く離れて


 大きな反響と論争を巻き起こすとともに、多くの誤解にも曝された『敗戦後論』の発表から15年。その間に深化した、著者の思索は、壁が崩れ、夢が霧散した世界に、自ら選択したものとしての戦後の可能性を――そこから遠く離れつつも――未来へ向けて押し広げる。戦後思想の核心から放たれる、現状変革への意志。

クリシュナムルティの悟りと諸法実相/『クリシュナムルティの神秘体験』J・クリシュナムルティ

 間違えてもこの本を最初に読んではいけない。本書から入ってしまえば、クリシュナムルティをニューエイジの枠に入れざるを得なくなるからだ。ひとたび「不思議大好き→スピリチュアルでござい」という方程式が完成すると、その条件づけから逃れることは難しい。確かに瞑想や悟りは不思議な現象であるが、本来の意味は思議し難いがゆえに不可思議と名づけるのだ。興味津々ドキドキワクワクとは無縁だ。悟りとは、思考の彼方に存在する生命的地平を表す言葉である。


 本書は空前絶後の内容で、経典に位置すべき一書である。独白によってクリシュナムルティの内面世界が赤裸々に綴られているためだ。1961年6月から7ヶ月間にわたって、何かに取り憑かれたかのように書き上げられた。


 6月18日〔1961年ニューヨーク〕

 夕刻、〈それ〉はそこにあった。突然〈それ〉はそこにあって、部屋を壮大な美と力と優しさで満たした。他の人たちも〈それ〉に気づいた。


【『クリシュナムルティの神秘体験』J・クリシュナムルティおおえまさのり監訳、中田周作訳(めるくまーる、1985年)以下同】


 巻頭から最後に至るまでこのような記述が続く。クリシュナムルティは27歳の時、啓示的な宗教体験をしている。

 驚くべきことだが、この「プロセス」と称する状態は晩年に至るまで断続的に現れたという。講話の最中に訪れたことも、しばしばだった。確かにDVDを観ると、静かに瞑目した後で開かれた眼には、明らかに聴衆ではなく自分の内側を凝視しているような光がある。


 19日

 夜通し、目を覚ますたびに、〈それ〉はそこにあった。〔ロサンジェルスへ飛ぶ〕飛行機に向かう時、頭が痛んだ。――頭脳(ブレイン)の浄化が必要だ。頭脳はあらゆる意識の中心であり、意識がより注意深く鋭敏であれば、頭脳はより明晰になる。頭脳は記憶という過去の中心であり、経験や知識という伝統の貯蔵庫である。そのため頭脳は限界づけられ、条件づけられている。それは計画し、考え出し、推論する。だがそれは限界の内で、時空の内で機能するのである。従ってそれは全体的なもの、包括的なもの、完全なものを明確に述べたり理解したりすることはできない。完全なもの、全体的なものは心(マインド)である。それは空っぽ、完全に空っぽであり、この空性(くうしょう)の故に、頭脳は時空の内に存在する。頭脳がその制約、貪(むさぼ)り、羨望、野心を自ら浄化した時にのみ、それは完全なものを理解することができる。愛がこの完全なものである。


 明晰さとは思考ではなく感覚である。そしてクリシュナムルティが説く「見る」ことは直観を意味している。思考は時間に支配され、感覚は時間を打ち破る。悟りは思考でも理論でも概念でもない。時間というx軸を稲妻のように縦方向へ切り裂くy軸が悟りなのだ。


 人生は時間的に有限であり、肉体は空間的に有限である。この有限性を突き破ったところに無限が立ち現れる。多分そういうことなのだ。


〔マドラスへと向かう〕混雑した飛行機の中は暑く、8000フィート上空のこの高度においてさえ、涼しくなるような気配を見せなかった。その朝の飛行機の中で、突然全く不意に他性(アザーネス)が到来した。それは決して同じものではなく、常に新鮮で、常に予期せぬものだった。奇妙なことは、思考がそれを反復したり、再考したり、たやすく調べたりすることができないということである。記憶はそれに何の関与もしてはいない。というのもそれは起こるたびにすっかり新しく思いがけないので、後にどのような記憶も残さないのである。それは全的かつ完璧なできごと、事件であるため、後に記憶としての記録を残さない。従ってそれは常に新鮮で、若々しく、思いがけないものである。それは驚異的な美と一緒にやって来るが、それは雲の見事な形や光、限りなく青く優しげな青空のせいではない。その信じ難いまでの美にはいかなる理由や原因もなく、そうであるが故にそれは美しいのである。それはすべての事物を取り集め、感じ、見ることができるように煮詰めたものの精髄ではなく、かつて存在し、今存在し、これから存在するであろう全生命、永劫の生の精髄なのであった。それはそこに存在し、美の猛威であった。


 私はここに、諸法無我から諸法実相への飛翔を見る。空観が空観で終われば、極端なニヒリズムに傾いてしまう危険性がある。一切を空なるものと達観する時、その眼差しは存在として屹立する。


 真空が一切のものを吸い込むとすれば、空とはまさに慈悲の異名なのであろう。生の全体性を悟れば、万物への慈愛が泉のようにこんこんと湧いてくるに違いない。


 法華経鳩摩羅什訳)において諸法実相は十如是と説かれている。十如是とは、相(形相)・性(本質)・体(形体)・力(能力)・作(作用)・因(直接的な原因)・縁(条件・間接的な関係)・果(因に対する結果)・報(報い・縁に対する間接的な結果)・本末究竟等相(相から報にいたるまでの九つの事柄が究極的に無差別平等であること)を意味する。


 瞬間的な生命の断面に一貫性があることを示したものといってもよかろう。生命が苦しみを感じていれば苦しみの十如是となり、喜びを感れば喜びの十如是が現れる。相だけ苦しいけど、性は喜んでいる状態はあり得ない(笑)。


 クリシュナムルティの独白は悟りの十如是を示したものと私は受け止めた。だが彼は、それを目指せとは言っていない。ここが大事なところだ。「私のように悟れ」となれば、隷属的な関係性が成り立ってしまう。クリシュナムルティはグル(導師)を一貫して否定したのだ。


 夕べの光の真っ只中で、丘陵がさらにその青みを増し、赤茶けた大地がいっそうその豊かさを加えていくと、あの他性(アザーネス)が祝福を伴って、静かに到来した。一瞬ごとにそれは驚嘆するばかりに新しいが、なおかつそれは同じものである。それは破壊と傷つきやすさの強さを伴った限りなき広がりであった。それはそのような充満と共に到来し、一瞬にして過ぎ去っていった。その一瞬はいっさいの時間を超えていた。疲れきった一日だったが、頭脳は不思議にも敏感で、観察者なくして見つめていた。それは経験を伴うものではなく、空(くう)からの〈見ること〉であった。


 何と、悟りとは他性(アザーネス)であった! 悟りとは見出すものではなくして、向こうから訪れるものなのだ。


 ブッダが悟ったのは境地の二法であった。「境」は森羅万象の本来の姿のことで、「地」はその本質を照らし出す智慧を意味する。つまり、条件づけから解き放たれて本来の自分を発揮すれば、智慧の光は他性(アザーネス)を捉えることができるのだ。


 この不可思議の境地をクリシュナムルティは「生の全体性」と名づけた。これが本末究竟等である。

クリシュナムルティの神秘体験 クリシュナムルティ・ノート

(※左が旧訳、右が新訳)

【肥田美佐子のNYリポート】米人権団体が石原都知事の同性愛差別発言に「ノー」

 昨年6月、グーグルは、既婚社員に認められている扶養家族への医療保険手当ての免税措置をゲイやレズビアンの社員にも適用すると発表。(同記事より)

「拵(こしら)え相撲」に張り手を食らわせた雷電為右衛門

 長いこと自分が探し求めてきた者にやっと出会えたような気がしていた。まず、何より土俵においてどんな妥協もしない、正に真剣で渡りあうような最強の力士を養成する必要があった。

 しかし、「拵え相撲」が横行し、星の貸借や売買が行われ、それによって均衡が保たれている現在では、それに妥協せず真の勝負をいどむ若い相撲人が出現すれば、腐敗した連中によって徹底的に痛めつけられ潰されることも目に見えていた。そんな妥協のない力士を世に出す時には、すでにその時点で、誰よりも抜きん出た無双の力を備えていなくてはならない。たとえ、腐敗しきった者たちが総がかりでも、それをはねのけ、有無を言わせず逆にたたき潰すだけの圧倒的な力量を備えていなくてはならなかった。いろいろ目にしたが、自分を超える可能性を持った者は見当たらなかった。ただ、おそらくそれを成しとげられる者は、これまでの力士とはまるで違った相撲を取るに違いないといった予感だけはうすうす谷風は抱いていた。

 あの者は得体の知れない、底無しの力を感じさせた。長くせり出した顎と張り出したエラ、馬のような長い顔に眉も目尻も細く下がった呑気な顔をし、一見はただ馬鹿大きいだけで人のいい百姓家の小倅のように見えるが、圧力をかけ痛めつければつけるほど、その眠たげな顔の下から全く別の顔が立ち現れる。あの身体の奥底に小さな火種がかくれ潜んでいて、それに火がつくと全身に燃え広がった業火が、相手を焼き尽くすか、己れを滅ぼすかの選択を迫って、襲いかかってくる。もはや相撲などと呼べるものではなくなってしまう危険さえ秘めている。しかも通常、人は興奮しきってしまえば、身体がこわばり、直線的な硬い動きばかりになるのに対して、あの化け物はむしろ自在に、己れの意志を超えた軟らかな粘っこい体の動きをし始める。

 何の情実もさし挟まず、何の妥協も土俵内には持ち込まぬ、虎のように相撲(すま)う力士。今、何より必要なのはそんな力士だった。あの化け物ならやれるかも知れない。


【『雷電本紀』飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉(河出書房新社、1994年/河出文庫、1996年/小学館文庫、2005年)】


雷電本紀 雷電本紀 (小学館文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

隠し場所


「糞を隠すには下水が一番だ」


【『ピアノ・ソナタ』S・J・ローザン/直良和美訳(創元推理文庫、1998年)】

ピアノ・ソナタ (創元推理文庫)

ボブ・マーリーが生まれた日


 今日はボブ・マーリーが生まれた日(1945年)。ラスタファリ運動の思想を背景としており、彼の音楽・思想は数多くの人々に多大な影響を与えている。「僕は自分を革命家だと思っている。誰の助けも借りず買収もされず音楽を武器に単身戦っているからだ」。脳腫瘍を患い36歳で逝去した。

ボブ・マーリー―レゲエを世界に広めた伝説のミュージシャン (伝記 世界の作曲家) ボブ・マーリーとともに Live

2011-02-05

『シネマ・ポリティカ 粉川哲夫映画批評集成』粉川哲夫(作品社、1993年)


シネマ・ポリティカ 粉川哲夫映画批評集成


 映像メディアの転換期の中で、〈映画〉はどこへ行こうとしているのか?作品に秘められた〈政治〉性を引き出し、映画独自の支配と教育の機能を浮き彫りにする“粉川映画論”20年間の全軌跡。

外交の世界における論理構成


 ここで強調しておきたいのは、外交の世界において、論理構成は、その結論と同じくらい重要性をもつということだ。


【『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』佐藤優(新潮社、2005年/新潮文庫、2007年)】

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)

ジャック・リーチャー・シリーズ第1作/『キリング・フロアー』リー・チャイルド


 面白かった。だが内容を覚えていない。正確に言おう。相前後して読んだ『前夜』とグレッグ・ルッカの作品とが、記憶の中でごっちゃになっているのだ。


 リー・チャイルドの作品はおしなべて手堅い。高校生のバッターがセンターから右方向へヒットを狙うような印象を受ける。ただし読んでいる最中はさほど気にならないのだが、読み終えると「上下巻にするほどの内容か?」と思わざるを得ない。もっと刈り込めば余韻が深くなるはずだ。


 とはいうものの読み手は作家に多くを求めるべきではない。全知全能は神様に任せておけばよい。4番打者ばかり集めてしまうと、ナベツネ巨人軍のように醜悪なものとなってしまうだろう。


 本書がリーチャー・シリーズの第1作となる。突然逮捕されたリーチャーが容疑を晴らし、凶悪犯罪を追求するといった内容。女性捜査官との色恋つき。アンソニー賞最優秀処女長編賞。


 私は彼を注視した。6時だ。バスがくる。

「あんたが思っている以上に知ってるよ。あんたはハーヴァードの大学院出で、離婚歴があり、4月に禁煙しただろう」

 フィンレイはあっけにとられた顔をした。


【『キリング・フロアー』リー・チャイルド/小林宏明訳(講談社文庫、2000年)以下同】


 これが元エリート軍人の観察力だった。説明能力がプラスされることで完璧な洞察力となる。


 ロスコーは、信じられないといった顔で、私を見た。そして、頭を左右に振った。

「そしたらなにをしたの? 4人とも殺した?」

「3人だけだ。4人目は生かしておいて、質問に答えさせる」

 私は全面的な確信をもってそう言った。


 ジャック・バウアー並みの冷徹ぶりである。軍人の暴力性はロジックによってコントロールされている。常に目的が優先されるのは当然だ。感情は長続きしない。高いレベルを維持するために訓練が繰り返される。戦術は戦略から導き出される。躊躇(ためら)い、逡巡は許されない。その場の判断力が次の戦闘に直結しているためだ。


 いかなる分野であろうと、力のあるリーダーは情熱と冷酷さを併せ持っているものだ。「鳴いて馬謖を斬る」(『三国志』)場面で温情をかけてしまえば、組織は必ず腐ってゆく。「戦う」意識があれば、なあなあで済ますわけにはいかない。人の強さと弱さを分かつのはここだ。


 リー・チャイルドが侮れないのはプロット以外の記述。正確でありながらも踏み込んだ文章には目を瞠(みは)るものがある。


「アメリカ経済は膨大なものです。資産も債務も、計算できないほど膨大です。何兆ドルにもなります。しかし、どちらも現金化されているわけではありません。あの紳士だって、50万ドルの資産をもっているが、現金はいま50ドルしかもっていない。のこりはすべて書類上かコンピュータのなかにあるんです。ようするに、現金があまり出まわっていないということですよ。アメリカ国内では、1300億ドルしか現金がありません」


「説明がむずかしいわ」モリーは言った。「信頼と信用の問題なのよ。ほとんど形而上学的と言ってもいいくらい。もしも外国のマーケットに贋ドルがあふれたとしても、それ自体はたいした問題じゃないの。でも、外国のマーケットで売り買いをしている人たちがそれに気づいたら、それこそ問題。みんなパニックになるからよ。信頼も信用もがた落ち。もうだれもドルをほしがらなくなる。日本の円やドイツのマルクに鞍替(くらが)えして、マットレスのなかに詰め込みはじめる。ドルは紙くず同然に捨てられる。その結果、一夜にして、政府は2600億ドルのお金を外国に払い戻さなきゃならなくなる。一夜でよ。そんなことができるわけがないわ」


 経済に興味のない人であれば、漫然と読み過ごしてしまう箇所だろう。実にわずかな言葉で信用創造を巧みに表現している。こういうところをきちんと読めば、ミステリ作品からも色々なことを学ぶことが可能だ。


 二つの死体が発見される。壁に釘打ちされた男。そして妻は夫の陰嚢(いんのう/キンタマ)を飲み込まされていた。リーチャーは犯人を追う。


 待ち伏せする場合は、待つことが戦いに勝つ秘訣だ。用心深い敵ならば、はやく現れるか、さもなくば遅く現れる。相手の不意をつくことができると思うからだ。敵がどんなにはやくこようと、こっちはもっとはやくから待っていればいい。どんなに遅くなってからこようとも、ずっと待っていればいい。我を忘れて恍惚(こうこつ)状態になるまで待つことだ。強靭(きょうじん)な忍耐力が必要だ。いらいらや不安は禁物。ただひたすら待つのだ。なにもせず、なにも考えず、エネルギーをいっさい浪費せずに。そして、いざとなったらすばやく行動を開始する。1時間後だろうと、5時間後だろうと、1日後だろうと、1週間後だろうと。待つことはたいせつなテクニックだ。


 待つことが瞑想の域に達している。一意専心は脳細胞のフル活動を意味する。集中ではなく注意。目ではなく耳。大気の振動に鼓膜をシンクロさせた時、シナプスはあらゆる変化に反応する。


 人生にも待つべき時と進むべき時とがある。嵐の時はいたずらに前進すべきではない。変化を読み誤るとエネルギーを分散する羽目となる。伏(ふく)するは伸びんがため、という。とすれば雌伏(しふく)にも充実があるはずだ。

新装版 キリング・フロアー 上 (講談社文庫) 新装版 キリング・フロアー 下 (講談社文庫)

ウグイス(春告鳥)


 何だかピーピー鳴いているな、と窓を開けた。こりゃ多分ウグイスですな。春告げ鳥。買ってもらったばかりの楽器を面白半分に吹きまくっている幼児みたいに鳴いている。


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日本二十六聖人が処刑された日


 今日は豊臣秀吉の命により、長崎でカトリック信徒26名が処刑された日(1597年)。後に「日本二十六聖人」と呼ばれる。キリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑としては日本で初めてとされる。カトリックの祝日となっている。

殉教 日本人は何を信仰したか (光文社新書) 日本二十六聖人殉教記

2011-02-04

これは圧巻…もしも月の位置に他の惑星があったら、こんな風に見える

 木星でかすぎ(笑)。因みに地球をバレーボールの大きさとすると、月までの距離は6m62cmとなる。月の大きさは地球の3/11である。

カレル・チャペック


 1冊読了。


 7冊目『絶対製造工場カレル・チャペック/飯島周〈いいじま・いたる〉訳(平凡社ライブラリー、2010年)/面白かったんだが、終盤でフリーメーソンが登場してからわかりにくくなっている。前半が秀逸なだけに失速感が強い。ま、それでも一読の価値は十分ある。バルザック著『「絶対」の探求』へのオマージュである。カルブラートルという機械が発明され、わずかな石炭で無限のエネルギーを供給することが可能となった。そして原子の力を解放するこの機械は「絶対=神」をも放出するのであった。やがて放射能のように「絶対」が世界を汚染した。考えさせられるところが多い小説だ。ユートピアとディストピア、宗教と全体主義、SFとパロディが渾然一体となっている。チャペック自身が「この作品全体を【相対主義の哲学】によって押し進める」と書いている。平凡社ライブラリーは少々値段が高いが、フォントも行間のバランスが見事で実に読みやすい。本作りへの愛情が伝わってくる。

森羅万象これ候察の対象ならざるはなし


 その不安を一段と深めさせたのが、教官の一人、沢山浩一大尉の質問であった。

「諸官らは、この二股の町にきて、まず、何を感じたか」

 沢山教官はさらに次のような質問をやつぎばやに浴びせた。

「この町に軍隊が宿営するとしたら、何個大隊ぐらい収容できると思うか」

「ここの主産業は?」

「この町の性格は?」

「この町からどれくらい食糧が調達できると思うか」

「各町家の平均した間取りはどれくらいだと思うか」

 むろん、私たちに答えられるはずがなかった。みんな、しどろもどろだった。沢山教官は質問のあとでこう言った。

「これらを称して候察(こうさつ)という。軍にとって必要な地図を作るには、さまざまな角度から候察しなければならない。自分はこれから諸官に主として兵要地誌候察を教える。諸官らの目に映(えい)ずる森羅万象、ことごとさようにこれ候察の対象ならざるはなし、というのである」


【『小野田寛郎 わがルバン島の30年戦争』小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉(講談社、1974年/日本図書センター、1999年)】

小野田寛郎―わがルバン島の30年戦争 (人間の記録 (109))

おまえたちの語る計画は語られた時点ですでに頓挫している


 そして、ただひとり、ほかの少女たちの甲高いおしゃべりを黙って聞いている、おまえたちの語る計画は語られた時点ですでに頓挫しているのだと言わんばかりに。


【『神は銃弾』ボストン・テラン/田口俊樹訳(文春文庫、2001年)】

神は銃弾 (文春文庫)

宮城谷昌光が生まれた日


 今日は宮城谷昌光が生まれた日(1945年)。白川静の著作と出会い光明を見出す。白川に深い影響を受け金文甲骨文字まで独学で学んだ。『王家の風日』が500部刊行にも関わらず司馬遼太郎の目に止まり、葉書をもらっている。殷、周、春秋戦国時代など古代中国に素材を求めた作品が多い。

孟嘗君(1) (講談社文庫) 楽毅〈1〉 (新潮文庫) 重耳(上) (講談社文庫) 介子推 (講談社文庫)


沈黙の王 (文春文庫) 奇貨居くべし―春風篇 (中公文庫) 太公望〈上〉 (文春文庫) 晏子〈第1巻〉 (新潮文庫)

ローザ・パークスが生まれた日


 今日はローザ・パークスが生まれた日(1913年)。公民権運動の母。1955年にアラバマ州都で公営バスの運転手の命令に背いて白人に席を譲るのを拒み、人種分離法違反のかどで逮捕された。これを契機にモンゴメリー・バス・ボイコット事件が勃発。黒人による公民権運動の導火線となった。

ローザ・パークス (ペンギン評伝双書) ローザ・パークスの青春対話 (潮ライブラリー) 勇気と希望―ローザ・パークスのことばローザ・パークス自伝 (潮ライブラリー)

2011-02-03

中野剛志


 1冊挫折。


 挫折5『恐慌の黙示録 資本主義は生き残ることができるのか』中野剛志〈なかの・たけし〉(東洋経済新報社、2009年)/読み物としては今ひとつ。文章が硬く、教科書的な印象を受けた。ミンスキーに関する解説の途中で挫ける。東洋経済新報社は本作りに手抜きがある。安っぽいフォントを使用し、編集の手もさほど入っていないように感じた。

『時間の終焉 J・クリシュナムルティ&デヴィッド・ボーム対話集』J・クリシュナムルティ/渡辺充訳(コスモス・ライブラリー、2011年)


時間の終焉―J.クリシュナムルティ&デヴィッド・ボーム対話集


著名な理論物理学者と稀有の覚者が、人類の未来について、英知を傾けて行った13回に及ぶ長大な対話録

 本書の冒頭で、「人類は進路を間違えたのだろうか?」とクリシュナムルティが問い、それに対して「人間は5000〜6000年ほど前、他人から略奪したり、彼らを奴隷にしたりできるようになり始め、その後はもっぱら搾取と略奪に明け暮れてきた」とボームが応えている……。

「愛の休日」ミッシェル・ポルナレフ


 1972年のヒット曲。生まれて初めて「洋楽」を意識したことを覚えている。見るからにインチキ臭い風体とのアンバランスも衝撃的だった。


D


ポルナレフ・ベスト

グレゴリー・マンキューが生まれた日


 今日はグレゴリー・マンキューが生まれた日(1958年)。経済学部の学部生向けに書いた『マクロ経済学』が世界的なベストセラーとなる。古典派ケインズ派を長期分析と短期分析という時間軸で一つにまとめることを提案。ケインジアンと一線を画す意味から「ニュー・ケインジアン」と呼ばれる。


マンキュー入門経済学 マンキュー経済学〈1〉ミクロ編 マンキュー経済学〈2〉マクロ編

シモーヌ・ヴェイユが生まれた日


 今日はシモーヌ・ヴェイユが生まれた日(1909年)。労働階級の境遇を分かち合おうと工場や農場で働き、まもなく政治活動に身を投じた。ロンドンではフランスレジスタンス運動に参加した。戦争の悲惨さ、残酷さに抗議してハンストを行い、34歳でその生涯を閉じる。生前の著書はなかった。

自由と社会的抑圧 (岩波文庫) ヴェイユの言葉 (大人の本棚) 神を待ちのぞむ ヴェーユの哲学講義 (ちくま学芸文庫)

オランダのチューリップ・バブルが崩壊した日


 今日はオランダのチューリップ相場が突然暴落し、チューリップ・バブルが崩壊した日(1637年)。その後、価格は100分の1以下まで下落した。南海泡沫事件ミシシッピ計画と並んで近世ヨーロッパの三大バブルに数えられる。居酒屋で先物取引が行われた。経済や歴史に対する影響は少なかった。

チューリップ・バブル―人間を狂わせた花の物語 (文春文庫) チューリップ熱 バブルの歴史―チューリップ恐慌からインターネット投機へ 狂気とバブル―なぜ人は集団になると愚行に走るのか (ウィザードブックシリーズ)

2011-02-02

バイオホロニクス(生命関係学)/『生命を捉えなおす 生きている状態とは何か』清水博


 読書には時機というものがある。タイミングだ。長ずるにつれ、知識の枝は天を目指して複雑に枝分かれしてゆく。そして生の現実が地中に根を張り巡らす。


 不幸にして本書はタイミングが合わなかった。1978年に出版されながら、今まで知らなかったのは、私の守備範囲が傾いている証拠といえる。残念無念。


 清水博が研究するのはバイオホロニクス(生命関係学)という分野。慧眼(けいがん)の持ち主といっていいだろう。しかし残念なことに、今となっては古臭さを覚えずにはいられなかった。以下、アトランダムに内容を紹介しよう。


 自然科学と全く交わらない「世界」が実在するかどうかは、自然科学によっては証明できませんし、また否定もできません。


【『生命を捉えなおす 生きている状態とは何か』清水博(中公新書、1978年)以下同】


 これは自然科学以外でも証明することが不可能だ。世界は「ある」のではなくして、認識によって開かれてゆくものだ。つまり、「認識されたものが世界」なのだ。


 中世は形而上学の全盛時代でしかたら、自然の理解は進みませんでした。「生きていることに」についても、今から考えると事実に合わない説明がまことしやかになされ、長い間にわたって信じられてきました。


 確かに自然の理解は進まなかったが、神を頂点に据えた学問体系が統合された。自然を無視したのは、やはりキリスト教が砂漠から誕生した宗教であったためだろう。形而上と形而下も天国と地獄に由来しているような気がする。


 その上、要素還元主義によって、分子や原子の世界にまで到達すると、もうそこで問題にされるのは1秒よりも桁はずれに短い時間における変化だけです。要素に分けることは、対象を単に空間的に細かく細かくしていくだけでなく、時間の尺度をも同時に非常に短縮してしまう効果があるのです。したがって、科学の関心は必然的に「現在」に凝縮されるのです。


 科学の悪口をいう時に「要素還元主義」という常套句が使われるが、これは既に通用しない。なぜならビッグバン理論によって、宇宙の最初の姿が「点」であったと想定されているためだ。我々の物差しに合わないのはミクロ宇宙だけではなく、マクロ宇宙も同様である。


 ここに、水蒸気・水・氷を全く別の物質だと考えている科学者がいたと仮定しましょう。その人は、【三つの物質】を分析して、その要素である水の分子を探し当てたとき、大変びっくりするでしょう。水蒸気から得た水分子も、水から得た水分子も、氷から得た水分子も、全く変らないからです。このことは確かに大きな発見といえます。しかし、同時に、水蒸気・水・氷といった物質の【状態の差】は、対象を分子にまで分析してしまうと失われてしまうことが分かります。


 私が違和感を覚えたのはこの辺りからだ。「失われてしまう」という言葉づかいは明らかにおかしいし、何らかの意図が込められている。左目で顕微鏡を覗き、右目で氷を見つめれば決して「失われる」ことはない。


 多分、清水は「科学なんぞで生命を捉えきることはできないよ」って言いたいのだろう。で、身体や心をバラバラにして分析するのは無駄な抵抗だ、と。この思惑が先行しすぎている。分析と統合の双方が必要なのであって、一方的に分析を斥(しりぞ)けるのはどうかと思う。


 一般に、個々の要素の性質をそのまま単純に加え合わせても全体の性質が出来上がることを非線形性と呼びます。aとbという原因が、それぞれ単独に働いたときに現われる結果をそれぞれAとBとしましょう。いまaとbとが一緒になってa+bとして働いたときに、A+Bという結果が出るのが線形性、A+B+Xというように新しい結果Xがつけ加わったり、ときにはCという全く変った結果が出るのが非線形性です。相乗効果といわれるものはこの非線形性の効果を表わしたものです。


 非線形性という言葉は、きっと「心」を過大視している。だが、心といったところで脳のシナプス結合以外のどこかに存在するわけがない。脳科学の発達によって現代では、心=脳と考えられるようになった。


 生きている状態と死んでいる状態というのは生体という分子の集まりが持っているグローバルな性質ではないかと推定されます。だとすれば、これは気体・液体・固体などとは全く次元を異にする(生体という分子の集合体が示す)一つのグローバルな性質ということになります。


 10年前なら私は絶賛したことだろう。「生命はグローバルな性質である」というのと、「宇宙はグローバルなシステムである」という言葉にさほど違いはないだろう。無の世界からタンパク質が生まれたところに問題の本質があるのだ。

 グローバルな状態に共通の性質として相転移と呼ばれる現象が見られます。相とは互いに区別できるグローバルな状態のことをいいます。たとえば、氷・水・水蒸気はそれぞれ別の相です。また磁石が強い磁性を示す状態とそうでない状態とは異なった相ということができます。

 一般に、一つの相から別の相に物質や系のグローバルな状態が変ることを相転移と呼びます。相転移は不連続的に突然おきるのが普通です。氷を暖めて水にする時には摂氏零度で氷が急に溶けて水に移ります。水が水蒸気に不連続的に変る温度は100度です。物質の磁性にもこのような不連続的な相転移がおきることが知られています。


 書きながら段々イライラしてきた(笑)。「これは気体・液体・固体などとは全く次元を異にする(生体という分子の集合体が示す)一つのグローバルな性質」と書いておきながら、「氷・水・水蒸気」に戻っている。


 相転移というのであれば、生と死もそうだし、個人と社会だってそうだろう。しかも、相転移は観測する人がいて成り立つのだ。


 これは結局のところ、世界と時間(三世と十方)をどう捉えるかというテーマに帰着する。人生は過去から未来へと向かっているが、時間は未来から過去へと流れている。橋に立った観測者が川上を向くか、川下を眺めるかで当然世界は異なる。


 世界は認識によって開かれている。だから私が死んだ後、世界は存在しないのだ。

 統合の立場から分析を批判するのは浅ましいやり方だと私は思う。しかも統合党は、統合の未来像を示すことができていない。社会や国家の先にどのような生命状況があり得るのか、青写真くらい示すべきだろう。


 宗教や哲学には期待できそうにない。ブッダやクリシュナムルティは人間としての出来が違いすぎる(笑)。となれば、レイ・カーツワイルが指摘したようにテクノロジーに期待するしかないだろう。

生命を捉えなおす―生きている状態とは何か (中公新書)

石川知裕議員女性秘書が語った「不意打ち10時間取調べ」の全貌

 取り調べに当たった検事は民野健治。このような捜査が続けば、検察はテロのターゲットになりかねない。生活に困窮する人々が増え始めると、憎悪と怒りが伝わりやすい情況ができあがる。

戦略(strategy)とは


 戦略的環境において、自分が自分の自由意思のもとにとりうる行動を、その将来にわたる予定を含めて記述したものを【戦略】(strategy)という。


【『戦略的思考の技術 ゲーム理論を実践する』梶井厚志中公新書、2002年)】

戦略的思考の技術―ゲーム理論を実践する (中公新書)

カウンセラーは「大根役者のように振る舞え」


 私は「大根役者のように振る舞え」といっています。

 大根役者の演技は、ちょっと大げさです。しかしメッセージは明確です。一方名優と呼ばれる人の演技は、抑えた表現をします。そのほうが自然に見えますし、表現があいまいな分、観客は自分のことと重ね合わせて感情移入できるのです。

 ところがカウンセリングでは(とくにその最初の部分では)、名優より大根役者の演技のほうが、有効なのです。だからカウンセラーもはじめは、少々大げさな「大根役者的演技」から技術を磨いてください。


【『目からウロコのカウンセリング革命 メッセージコントロールという発想』下園壮太〈しもぞの・そうた〉(日本評論社、2008年)】


 声に抑揚をつけ、動作を大きくすることでメッセージが強化される。傾聴についても同様で頷き方の工夫が重要。

目からウロコのカウンセリング革命―メッセージコントロールという発想

アレキサンダー・セルカークが太平洋の無人島で発見された日


 今日はロビンソン・クルーソーのモデルといわれるスコットランド人船員のアレキサンダー・セルカークが太平洋の無人島で発見された日(1709年)。マスケット銃、火薬、大工道具、ナイフ、聖書、それに衣服だけで、4年4ヶ月にわたって無人島で暮らした。

完訳ロビンソン・クルーソー (中公文庫) 『ロビンソン・クルーソー』を書いた男の物語-ダニエル・デフォー伝- (‐ダニエル・デフォー伝‐)

2011-02-01

スウィフト、レイ・カーツワイル


 1冊挫折、1冊読了。


 挫折4『ガリヴァ旅行記』スウィフト/中野好夫訳(新潮文庫、1951年)/後回し。


 6冊目『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル/井上健監訳、小野木明恵、野中香方子〈のなか・きょうこ〉、福田実訳(NHK出版、2007年)/神本。600ページで3000円は破格の値段だ。章立てが短く読みやすい。エピグラフと戯曲もセンスが光っている。テクノロジーが指数関数的に飛躍し、「特異点」(シンギュラリティ)に達する。ナノテクノロジーによって極小化したコンピュータチップが人間に埋め込まれる。これがバージョン2.0だ。2040年頃には実現するとカーツワイルは予測している。ここで終わらないのが本書の凄いところ。何とバージョン3.0という未来をも見つめているのだ。脳と身体の情報を完全にコピーすることが可能になれば、それはコピーではなく私である。最終的にはナノ化した知性が宇宙全体に広がり、一体化するという。SFよりもスリリングな論考だ。

『1940年体制 さらば戦時経済』野口悠紀雄(東洋経済新報社、2010年)


1940年体制(増補版) ―さらば戦時経済


 日本型経済システムは日本の長い歴史と文化に根差したものであるがゆえに「変えられない」という運命論を排し、「日本的」と言われているものの多くが「1940年体制的」なものであることを喝破した1995年刊の名著&ロングセラー『1940年体制』の増補版。経済危機後の今日の情勢を踏まえて書き下ろした追加の第11章「経済危機後の1940年体制」では、企業の戦時経済的体質について論じている。戦時期に作られた経済体制に束縛され、日本はグローバリゼーションから取り残されている、と警告する。

ムバーラク政権が与えた屈辱〜エジプト現代圧政史

 ユースフ・イドリース著「黒い警官」は実際に起こった事件を元にして書かれた小説だ。

食糧不足と脱水症状で死んでゆくアフガニスタンの子供たち

 実際、診療所付近で落命する患者たちは、ほとんどが小児であった。栄養失調で弱っているところに汚水を口にし、赤痢にかかる。健康なら簡単に死ぬことはないが、背景に食糧不足と脱水があると致命的である。子供だけではない。多くの病気は十分な食糧と清潔な飲み水さえあれば罹(かか)らぬものであった。


【『医者、用水路を拓く アフガンの大地から世界の虚構に挑む』中村哲〈なかむら・てつ〉(石風社、2007年)】

医者、用水路を拓く―アフガンの大地から世界の虚構に挑む

モルモン教原理主義者と一夫多妻制


 モルモン原理主義者は、現代のモルモン教徒とちがって、聖徒には複数の妻をめとる神聖な義務があると本気で信じこんでいるのだ。モルモン原理主義者の信奉者たちは、自分たちは宗教上の義務として一夫多妻制を実践していると説明しているのである。


【『信仰が人を殺すとき』ジョン・クラカワー/佐宗鈴夫訳(河出書房新社、2005年)】

信仰が人を殺すとき 上 (河出文庫)信仰が人を殺すとき 下 (河出文庫)

子母澤寛が生まれた日


 今日は子母澤寛が生まれた日(1892年)。北海道厚田村出身。股旅物の他、幕末・維新物が多い。新聞記者をするかたわらで、尾佐竹猛らの指導で旧幕臣の聞き書きをまとめ、1928年『新選組始末記』を出す。代表作は『国定忠治』『勝海舟』『父子鷹』など。

新選組始末記 (中公文庫) 新選組三部作 新選組遺聞 (中公文庫) 新選組物語―新選組三部作 (中公文庫)