古本屋の覚え書き このページをアンテナに追加 RSSフィード


WWW を検索 古本屋の覚え書きを検索

2011-03-30

自由を達成するためには、どんな組織にも、どんな宗教にも加入する必要はない/『自由と反逆 クリシュナムルティ・トーク集』J・クリシュナムルティ


「人生は幸福よりも自由を目指すべきだ」──そう思うようになったのは40代になってからのことだ。わけのわからないルール、しがらみ、決まり事が私を縛ろうとしていた。40代は堕落の季節だ。残された人生も何となく見通しがついて保守的な傾向が強まる。腐臭に気づかないのは本人だけだ。


 私は「自分の価値観から自由になること」を模索していた。物事は離れなければ見えない。自由とは執着から離れることだ。


 そんな時にレヴェリアン・ルラングァ著『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』と出会った。私の価値観は木っ端微塵になって吹っ飛んだ。道徳・思想・宗教が単なる物語にすぎないことを悟った。90万人のツチ族が殺戮されたのは、神が与えた運命や過去世の宿命であるはずがない。


「では、どうして彼らが殺されたのか?」──我々の脳は因果という物語に束縛されている。答えはひとつ。そこに殺す人々がいたからだ。歴史的経緯を踏まえれば、ベルギーの植民地政策がフツ族を抑圧し続けていたと考えられる。そしてツチ族を殺した者には報酬が約束されていた。あるいは皆がやっているから一緒にやったという者だっていたことだろう。だが、これらの理由で納得できるだろうか?


 できるわけがない。なぜなら正当な「殺す理由」などあってはならないからだ。私はルワンダ大虐殺を知って、家族を何者かに殺害された人と同じ情況に追い込まれた。神も仏もあるものか──。


 私の葛藤は続いた。そして1年後にクリシュナムルティと出会った。暗雲から光が射した。その瞬間、我が人生は再構成された。


 自由を達成するためには、どんな組織にも、どんな宗教にも加入する必要はない。なぜならそれらは人を縛り、限定づけ、あなたに崇拝や信条の特定の型を押しつけるからだ。もしもあなたが自由に憧れるなら、私がそうしたように、どんな種類の権威に対してもあなたは戦うだろう。というのも、権威は霊性の反対物だからである。仮に私が今日自分を権威として用い、あなたがそれを受け入れるとすれば、それはあなたを自由には導かず、たんに他人の自由に従っているだけになるだろう。他者の自由に従って、あなたは自分をさらに強く限定の輪に縛りつけることになる。あなたの精神、あなたの心が、何か、または誰かに縛られることを許すな。もしあなたがそうするなら、あなたはもう一つの宗教、もう一つの寺院を建てるだけになる。一方で一つの信仰体系を破壊しながら、他方で別の信仰体系を作り上げることになるのだ。私は人を縛るあらゆる伝統、精神を狭めるあらゆる崇拝、心を腐敗させるあらゆるものに対して戦っている。もしあなたが、私がその道を指し示した自由を見出すつもりなら、私がそうしたように、あなたの周りのすべてに不満で、反逆と、内なる不同意の状態にあることから始めなければならない。あなたはよく次のような言い回しを使う。「私たちはリーダーに従うつもりだ」誰があなたのリーダーなのか? 私は一度もリーダーになどなりたいと思ったことはない。私は一度も権威をもちたいと思ったことはない。私はあなたに、あなた自身のリーダーになってもらいたいのである。(1928年キャンプファイヤー・トーク)


【『自由と反逆 クリシュナムルティ・トーク集』J・クリシュナムルティ/大野龍一訳(コスモス・ライブラリー、2004年)】


 星の教団を解散する前年の講話である。クリシュナムルティは33歳の青年であった。昭和3年でこれほどの見識を示した事実に驚きを禁じ得ない。世界は第一次大戦(1914-1918年)から第二次大戦(1939-1945年)へと向かっていた。


 クリシュナムルティは教団というスタイルを否定した。組織は必ずヒエラルキーを形成する。そして集団は必然的に帰属意識を要求する。そこに宗教性はない。教団の外側にいる人々は皆敵となる。やがて組織の拡張が目的となり、布教は否応なくプロパガンダへと変質する。


 ブッダの時代のサンガ(僧伽〈そうぎゃ〉)には序列などなかったことだろう。元々サンガとは組合を示す言葉で皆が同等の発言権をもっていたとされる。であるならば、「同行の友」といった意味合いが強かったはずだ。


 世界の宗教人口はキリスト教33.4%、イスラム教22.2%、ヒンドゥー教13.5%、仏教5.7%となっている(百科事典『ブリタニカ』年鑑2009年版)。人類の70%以上が宗教を信じていながら、いまだに世界平和は実現していない。これが現実である。それどころか宗教が戦争や人種差別の要因となっているのだ。


 正当性は批判とセットになっている。それが思想的吟味であれば構わない。しかし教団を取り巻く政治的な主張に陥りがちだ。「私たちは正しい」と言った瞬間に「あなた方は間違っている」というメッセージを放っている。


 ツチ族はフツ族の敵であったからこそ殺されたのだ。人種差別とは敵と味方を厳しく見極める生きざまに他ならない。いじめも同様だ。何らかの部分的な利益(あるいは損害)を共有する一体感から差別構造は生まれる。


 組織は合理的である。その合理性が人間を手段化する。組織は分業制であるがゆえに、分業のスペシャリストを育成してしまう。こうして人間を解き放つべき宗教が、人間を束縛する教団へと変わり果てるのだ。


 もはや組織という形態が行き詰まりを見せている。その最たるものが国家であろう。戦争を行う主体が国家であることを知りながらも、我々はいまだに国家という枠組みを超克することができずにいる。


 一切の依存を捨てて自己に拠(よ)って立て、とクリシュナムルティは教える。ここにのみ真の宗教性があるのだろう。彼の慈愛は一切の宗派を超えて万人の胸を打つ。

自由と反逆―クリシュナムルティ・トーク集

投稿したコメントは管理者が承認するまで公開されません。

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証