古本屋の覚え書き このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2011-02-04

森羅万象これ候察の対象ならざるはなし


 その不安を一段と深めさせたのが、教官の一人、沢山浩一大尉の質問であった。

「諸官らは、この二股の町にきて、まず、何を感じたか」

 沢山教官はさらに次のような質問をやつぎばやに浴びせた。

「この町に軍隊が宿営するとしたら、何個大隊ぐらい収容できると思うか」

「ここの主産業は?」

「この町の性格は?」

「この町からどれくらい食糧が調達できると思うか」

「各町家の平均した間取りはどれくらいだと思うか」

 むろん、私たちに答えられるはずがなかった。みんな、しどろもどろだった。沢山教官は質問のあとでこう言った。

「これらを称して候察(こうさつ)という。軍にとって必要な地図を作るには、さまざまな角度から候察しなければならない。自分はこれから諸官に主として兵要地誌候察を教える。諸官らの目に映(えい)ずる森羅万象、ことごとさようにこれ候察の対象ならざるはなし、というのである」


【『小野田寛郎 わがルバン島の30年戦争』小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉(講談社、1974年/日本図書センター、1999年)】

小野田寛郎―わがルバン島の30年戦争 (人間の記録 (109))

2011-01-13

他人の行動を傍観する視線は独善的なものになる


 きっと他人の行動を傍観している立場の人間は、どうあっても独善的になるものなのだろう。考えてみれば当然の話だ。観察されている人間ほど無防備なものはなく、観察している人間の想像力ほど身勝手なものはないからだ。

 たとえば、雨の日にクルマに乗っていると、傘をさして道を歩いている歩行者が、皆、バカに見える。また、高層ホテルのラウンジのような場所から下を見おろす時など、私は、下界の人間がすべて自分より数等卑小な人間であると思い込んでしまう。

「暑いのにご苦労なことだな」

 と私は、地上を歩いているビジネスマン風を指して言う。

「まるで昆虫だな」

 と、友人が言う。

「虫だって、暑い時は日陰に入るぜ」

 と私が言う。そして、我々はカクテルのお代わりを注文して、どこかの大物になったみたいな気分で椅子の背もたれに寄りかかる……なんとまあ子供っぽい優越感であることだろう。


【『「ふへ」の国から ことばの解体新書』小田嶋隆(徳間書店、1994年)】

「ふへ」の国から ことばの解体新書

2010-12-18

視覚的錯誤は見直すことでは解消されない

 セントルイス市にあるアーチ型の門は、視覚的錯誤を引き起こす世界一大きなもののひとつである。このアーチは、幅と高さがが等しいにもかかわらず、高さの方が長いように見える。重要なことは、幅と高さが等しいことを告げられてもなお、両者が等しいようには見えないということである。このように、錯誤は、単に注意して見直すだけでは解消しない。きちんと測ってみないかぎり、両者が等しいことはわからないのである。


【『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ/守一雄、守秀子訳(新曜社、1993年)】

人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか (認知科学選書)