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2010-04-16

小ネタ満載/『世界の「聖人」「魔人」がよくわかる本』一条真也監修、クリエイティブ・スイート編


 中々面白かった。たまにはこんな本もいい。週刊誌感覚で読める。聖人がキリスト教に傾きすぎているきらいはあるものの、そこそこ目が行き届いている。文庫本に善悪を網羅することは不可能であろうが、狙いには好感が持てる。


 クリシュナムルティが紹介されているので読んでみたが、まったく当てが外れた。わずか2ページの記事で、長めのプロフィール程度しか書かれていない。ま、取り上げただけでもよしとしておくか。


 ナメてかかっていたところ、結構知らない小ネタがあってビックリ。教養は細部から成る。そこに神が宿っていないにせよ。


 手っ取り早く言ってしまえば善悪というのは多数決の概念である。より多くの人々を幸せにした人が善で、より多くの人々を不幸のどん底へ追いやった者が悪ってわけだ。


 同じ神を奉じるユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、よく「アブラハムの宗教」とも総称される。アブラハムとは、「箱舟伝説」で知られるノアの子孫で、ユダヤ民族の先祖と称される人物だ。


【『世界の「聖人」「魔人」がよくわかる本』一条真也監修、クリエイティブ・スイート編(PHP文庫、2008年)以下同】

「アブラハムの宗教」という言葉を私は知らなかった。エイブラハム・リンカーンの名前も響きが変わってくる。


 キリスト教を築いたのは、じつは開祖イエスではなく、彼の没後に師の教えを広めた「十二使徒」だといわれる。ペテロは、そのリーダーと目される人物だ。


 というよりも、ペテロとパウロの二人が「イエス」なる人物を創作したのがキリスト教だと私は考えている。「イエス」という人物が実在した証拠は何ひとつ存在しないのだから。


 一歩間違えれば彼女(ジャンヌ・ダルク)は、聖人ではなく魔人として、本書にとりあげられてもおかしくなかった。なにしろ、カトリック教会から異端者、そして魔女という烙印を押されて、火刑に処されたのだから。没後20年を経て、教会がその判定を撤回しなければ、いまだに魔女と称されていたかもしれないのである。

 教会のジャッジによって聖女になったり魔女になったりするところが面白い。結局、風評と同じレベルだ。善悪の根拠は人々の理性でも感情でもなく、教会に依存しているということか。火あぶりにされ、「イエス様、イエス様!」と叫ぶ彼女を神が助けることはなかった。


 また、ヒトラーの占星術に対する信奉は篤く、戦争の際も、いつどこに攻め込むかはすべて占星術で決めていたといわれるほどだ。ちなみに、これに対抗して、連合国軍も占星術師の意見を作戦にとりいれたというのだから、第二次大戦は魔術戦争という側面もあったといえるだろう。


 これも初耳。


 ちなみに、グルジェフの思想の影響を受けた秘密結社に「トゥーレ協会」というものがある。これがヒトラー率いるナチスに、多大な影響を与えたのは有名な話だ。


 出たよ、グルジェフ!(笑) 尚、ハーケンクロイツに関しては苫米地英人による以下の指摘もある──


 お坊さんでもほとんどの人が知らないようですが、「■(=卍の逆)」(鉤十字〈ハーケンクロイツ〉)はヒトラーがチベット密教に憧れてナチの旗に使ったのです。ヒトラーは超人思想の持ち主で、チベット密教はナチズムの元になったのです。有名な神秘思想家ゲオルギィ・イワヴィッチ・グルジェフが持ち込んだ神秘主義にヒトラーは憧れていました。グルジェフやヘレナ・ブラヴァッキーたちがチベットまで行ってきて、ヨーロッパに伝えたチベット密教が、おそらくドイツの神智学協会みたいなものを作り上げたと私は考えています。そのあたりででき上がった神秘主義と、バリバリの原理主義プロテスタンティズムが結びつくと、そのまんまヒトラーの超能力思想に繋がって、それが彼の優性遺伝思想になるわけです。それを生み出した大もとはチベット密教です。少なくともチベット密教は私にとってはカルトです。


【『スピリチュアリズム苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(にんげん出版、2007年)】


 最後にもう一つ。国際謀略モノによく登場する「アサシン」の意味──


 ニザール派シーア派 > イスマーイール派 > ニハサン一派=ニザール派)は政治的手段のひとつとして、暗殺を繰り返した。彼らは、別名アサシン(大麻)派と呼ばれていたことは有名だが、とくにシリアのニザール派が勇猛果敢であったため、スンニ派がそう呼んだそうだ。暗殺を命じられた刺客は、大麻など麻薬を服用して任務を遂行していたことからそう称されたようだ。


 人が歴史をつくるのか、それとも歴史が人をつくるのか。時の流れが臨界を形成し、一人の人物がある方向へと一気に傾かせる。時代の寵児(ちょうじ)はトリックスター的要素をはらんでいる。


 因果という物語性に支配されていると、どうしても人の要素に目を奪われてしまう。事実は何も語らない。物語をつくり上げるのは後世の人々なのだ。


 蛇足となるが、掲載されているイラストが薄気味悪い。

世界の「聖人」「魔人」がよくわかる本 (PHP文庫)

2009-11-04

悩める人々に示す戦略の数々/『インテリジェンス人生相談 社会編』佐藤優


 この人は実務家だ。その点で佐藤優伊勢崎賢治は似たタイプだと思う。実務家は仕事や任務の範囲に明快な線を引き、何をどうすることで目標が達成できるかに集中する。彼等は障害が発生するたびに戦略を練り、駆け引きに応じ、自分が泥をかぶる場面があってもそれを厭(いと)わない。そう。プラグマティズムの体現者なのだ。


 個人編とは打って変わって、やはり格差問題が多い。相談者は資本主義の犠牲者といえるだろう。富は偏在する。だからこそ国家が税を徴収し再分配するわけだが、これが上手く機能していない。再分配先が大企業――すなわち官僚の天下り先――となっているためだ。偏在する富は国家の手によって、更に隅っこの方へ片寄ることとなる。ま、少々の犠牲には目をつぶろうってわけだよ。


 佐藤は相談者に対して、何ができて何ができないかを同じ目線で考え、具体的な戦略を提示する。読みやすいこともあって素通りしてしまいそうになるが、大事な情報があちこちに散りばめられている。


 例えばネットカフェ難民に対するアドバイスはこうだ――


 人間は環境順応性の高い動物です。ネットカフェ難民は、太陽の光の下でスーツや下着を干さないので、独特の臭いが生じます。踊り場や屋上に服を干して、ネットカフェ生活から抜け出す決断をすることです。


【『インテリジェンス人生相談 社会編』佐藤優〈さとう・まさる〉(扶桑社、2009年)以下同】


 ね、凄いでしょ。恐るべき想像力である。佐藤の脳には多分、相談者の映像が浮かび上がっているのだろう。あるいは意図的に映像化しているのかもしれない。


 また、こんな言葉もある――


 自分のことを「ダメ人間」と思っている人は決してダメ人間ではないのです。どうしてかというと、ダメである自分を外側から観察しているもう一人の自分がいるからです。もしほんとうのダメ人間ならば、自分がダメであるということに気づきません。


 心理的・哲学的でありながらも心優しいメッセージだ。佐藤は相談者と向かい合った位置に身を置かない。相談者と同じ方向を見つめながら、寄り添っているのだ。


 この男は、ひょっとしたら獄中で何かを悟ったのかもしれない。いや、ホントに。

インテリジェンス人生相談 [個人編] インテリジェンス人生相談 [社会編]

2009-11-01

民族という概念は「創られた伝統」に過ぎない/『インテリジェンス人生相談 個人編』佐藤優


 まずは、1050円という値段に抑えた扶桑社に拍手を送りたい。文章で行う人生相談は不利なところがある。相手の表情や声がわからないためだ。それゆえ答える側はどうしても一般論に傾きやすい。私は今まで開高健北方謙三のものを読んだが、面白かったという記憶がない。雑誌で連載される以上は「読み物」となるため、相談も答えも散漫で無責任だと読むのが苦しい。本当は作家の別な顔にスポットライトを当てるのが編集部の目的なのだろう。


 売れっ子作家という点では共通しているが佐藤優は違う。何と言っても佐藤は獄に繋(つな)がれた経験がある。権力との攻防に身をさらした人物は、一線を画した人生観・社会観を見出す。それは、彼等がビッグ・ブラザーを知ってしまったがためだ。


 佐藤の博覧強記と国際センスはいつもと変わらない。人々の相談に対して国際情勢を語り、神学を引用し、全力で応じている。佐藤が本気であることはページをめくって直ぐに気づく。「求婚されているが躊躇している」という女性からの相談に対し、「手鏡で自分の顔とオマンコをよく見ることです」(趣意)と答えているのだ。佐藤は決して馬鹿にしているわけではなく、「現実を知れ」という強烈なメッセージが込められている。そしてそれが、「もっと素敵な男性が現れるかもしれない」と考えている女性の甘さや思い上がりを一刀両断するのだ。このように、佐藤は実務家としての態度を貫いている。


 対中憎悪を持つ若者からの質問に対しては、次のように応じる――


 人間は自らの利害得失を冷静に計算できなくなると、周辺に次々とトラブルを呼び寄せるようになります。


【『インテリジェンス人生相談 個人編』佐藤優〈さとう・まさる〉(扶桑社、2009年)以下同】


 民族という現象は実に厄介です。誰にでも眼、鼻、口、耳があるように、民族的帰属があると考えるのが常識になっていますが、このような常識は、たかだか150年か200年くらいの歴史しかないのです。アーネスト・ゲルナーたちの研究(※『民族とナショナリズム岩波書店、1983年)の結果では、民族というものが近代的な現象であると、はっきりとした結論が出ています。民族的伝統と見られているものの大半が過去百数十年の間に「創られた伝統」に過ぎないのです。


 アイデンティティがあやふやな人々の砦(とりで)は国家となる。「お前は何者なんだ?」と尋ねられた時に、「俺は日本人だ」という程度の規定しかできないからだ。彼等には確固たる自分がなく、「俺は俺だ」と大きな声で言うことができない。


 日本人としての自覚は、外国を意識することで生まれる。歴史を振り返ってみよう。日本人が嫌でも日本人を意識したのは、間違いなく「戦争」の時だ。国威発揚、国旗掲揚、戦意高揚、欲しがりません勝つまでは、ときたもんだ。で、最後は一億玉砕。つまり、国家と命運を共にするということは自滅することを意味しているのだ。俺は嫌だね。


 国家は戦時において死ぬことを強要し、平時において税金収奪装置として機能する。証拠を一つ示そう。我々は自分が支払っている税金の総額を知らない。所得税や住民税は知っているものの、ありとあらゆる財やサービスに含まれる税率を自覚していない。酒類や煙草に至っては二重三重の税が掛けられている。


 権力者は民族主義が大好きだ。国民がまとまってくれるからね。それゆえ、国家周辺で諸外国の不穏な動きが起これば、実に好都合だ。口角泡を飛ばして危機感を煽り、専守防衛に備え、国内における外国人犯罪をフレームアップすることに余念がない。


 敵は多ければ多いほど好ましい。国民の民族意識はいやが上にも高まる。そして、右翼の街宣車はボリュームをアップしながら街中を疾走する。


 私は日本人である。だが、これは私が選択したものではない。将来、私がアメリカ人になることも、中国人になることも可能性としては残されている。そもそも、DNAのレベルでは民族的な違いというものが確認されていない。


「お前にも日本人の血が流れているはずだ」――確かにそうなんだが、実は過去にフランスで輸血をしてもらったことがある(ウソ)。

インテリジェンス人生相談 [個人編] インテリジェンス人生相談 [社会編] 民族とナショナリズム

2009-09-29

教会は女を恐れた/『性愛術の本 房中術と秘密のヨーガ』


 たまにはこんな本を読むのもいい。いつも同じ思考回路を使っていると、脳味噌が凝り固まってしまう。興味本位で気ままにページをめくれば、脳のリラクゼーションにもなるというものだ。


 性愛術というと、エッチな妄想を逞しくする男性諸君が多いことと思う。だが、そんな低いレベルの世界ではない。身体性や皮膚感覚、呼吸法からエネルギー循環までカバーされた奥深い世界なのだよ。そして、性愛術の歴史は人類の別な顔に光を当てる。


 性の反対に位置するものは信仰であろう。キリスト教を中心とする宗教は、性を抑圧してきた歴史を持っている――


 魔女狩り当時の西欧には「女は信仰も、法も、恐れも持たない、節操のない不完全な動物」という諺(ことわざ)があった。文化史家のパウル・フリッシャウアーは、「女も人間なのか?」という問いが、中世のキリスト教世界における宗論のテーマのひとつだったといい、「女性は、『呪われた性』で、その『不埒(ふらち)な使命』は人間を堕落させることだ、と考えられていた」と指摘している(『世界風俗史』)。

 アダムをそそのかし人類を堕落させたイブの子孫は、教会にとっては古代から一貫して「呪われた存在」だった。しかし、教会が女を呪ったほんとうの理由は、神話にあったのではない。新たな生命を生み出すという“魔術的な力”は、女という性以外は所持していなかった。そこで、はるか古代の母権制の時代には、宗教も魔術も女が担(にな)った。

 この“母の宗教”を滅ぼし、反自然的な“父の宗教”を確立するために、教会は女を否定し、セックスを否定し、母権制時代から続くカニバリズム――先にも述べたように、食われた者は女を通して再生する――を否定した。要するに、女にまつわるいっさいを不浄(ふじょう)なもの、罪深いものとして、封印しようとしたのである。


【『性愛術の本 房中術と秘密のヨーガ』(学研ブックス・エストリカ、2006年)】


「女は不浄だ」――この考えは男の弱さを露呈したものだ。女性を貶(おとし)めることで男性の優位を示したのだろう。南の島々に多分こうした考え方は存在しないことと思う。寒いヨーロッパの湿気(しけ)た考え方だわな。イエスはこんなことは説かなかったはずだ。


 マリアの処女性というのも根は同じだ。ヨーロッパの連中って、よっぽど神経質なんだろうね。あと100年くらい経ったら、「卵子も穢(けが)れている」と言い出しかねない。


 違いを強調し、拡大し、固定化させる論理は、おしなべて差別主義的な匂いがする。こうした考え方が文化となって継承され、歴史が育まれてゆく。


「男女は平等であるべきだ」と考えている私ですら、「女子供は引っ込んでろ」とか「ったく女ってえのあ、どうしようもないな」と日常的に言っているのだ。正確に言うならば、私は良識的なマチズモに該当する。「男は度胸、女は愛嬌」という言葉は真理であると思う。

性愛術の本―房中術と秘密のヨーガ (NEW SIGHT MOOK―Books Esoterica)

2009-06-15

株式有料情報の手口/『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー、ブライアン・キング


 Web上には情報商材なるものが多い。その多くが、「絶対に」「確実に」「誰もが」儲けられると謳っている。馬鹿言っちゃいけないよ。そんな手に誰が乗るものか。確実に儲けることができるのは、情報商材を販売している奴だけに決まっている。


 相場関連では圧倒的に株式とFX(外国為替取引)が目立つ。最近、私が尊敬する矢口新(やぐち・あらた)氏までもが有料情報を売るようになった。実に情けないことである。仮に、そこそこ確率のいい情報があったとしても、そんなものは仕手筋の連中が動かす相場の尻尾に過ぎない。


 そもそもマーケットというのは、自分以外の存在は全員が敵なのだ。当たり前の話である。自分が儲かっているからといって、他人にまで儲けさせようなんて人物がいるわけがない。とどのつまりは、自分のポジションを有利にする目的以外、考えられない。


 本書は小説や映画以上に劇的な偶然のドラマを多数紹介した本であるが、こんな話まで載っている――


 じつを言うと、今回の場合、偶然などではなかった……もっとも、超常的な力や超自然の力が働いたわけではない。この男はニューズレターを発行していたのだが、「私は最新のデータベースを使い、業界内部の事情通から情報提供を受け、高度な計量経済学モデルを駆使して株価予想をしています」と謳ったニューズレターを64000人に送っていたのだ。そのうち32000人分には、来週、ある銘柄の株価が上がると書き、残りの32000人分には下がると書いた。

 翌週の株価がどう動こうと、彼はニューズレターの第二弾を送る――ただし、彼の予測が「当たった」32000人余りの人たちだけに。そのうち16000人分で次の週の株価上昇を予測し、残りの16000人分では株価下落を予測する。実際の株価変動がどうだろうと、16000人にとっては、彼の株価予測が2週連続で当たったことになる。そのやり方を続けるのだ。この手を使って彼は、自分の株価予測は必ず当たる、という幻想を作りだすことができた。

 彼の目的は、ニューズレターの送り先を、6週連続で予測が(偶然)当たった1000人ほどに圧縮することだった。今後も「お告げ」のご利益にあずかろうと、この人たちなら喜んで、彼の要求通りに1000ドル払うはずだ。


【『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー、ブライアン・キング/有沢善樹、他訳(アスペクト、2004年)】


 実に巧妙な手口だ。相場というのは上がるか下がるかに賭けるので、確率は50%ということになる。ま、その意味では宝くじや競馬の類いよりはずっと確率がいい。手数料も安くなったしね。その50%を逆手に取ったわけだ。


 情報を受け取る側は、当たるか外れるかにしか関心がない。2勝すれば「ホウ」、3勝すれば「凄い」、4勝すれば、これはもう信じるしかない。有り金のありったけを突っ込んでもおかしくない。


 こういったプレイヤー心理を知ればこそ、こんな手口を思いついたのだろう。脱帽するしかない。


 経済誌「フォーブス」でアメリカの長者番付で1位(2008年版)になったウォーレン・バフェットをご存じであろうか? 11歳の時から株式投資を始め、一代で巨額の資産を築いた立志伝中の人物である。総資産額は日本円にして6兆円以上となる。では、バフェットのパフォーマンスはどのくらいかといえば、1956-1969年の平均が29.5%、バフェットが経営するバークシャー・ハサウェイ社の1965-2006年の平均が21.4%である。


 かのアインシュタインは、「数学における最も偉大な発見の一つは、複利の発見である」と言っています。また、ロスチャイルドは、世界の七不思議とは? と訊かれた時、「それは分からないが、8番目の不思議が複利である、というのは確かだ」と答えたそうです。


【『貧乏人のデイトレ 金持ちのインベストメント ノーベル賞学者とスイス人富豪に学ぶ智恵北村慶PHP研究所、2006年)】


 確実に儲けることができれば、資産は雪だるま式に増大してゆくのだ。これだけ見ても、いかに勝ち続けることが難しいかがわかる。


 よく投資本で「何億円稼いだ」ってなやつがあるが、その何億円というのは同じマーケット参加者の金であることを忘れてはなるまい。一般的にマーケットで勝ち続けている人間は5%といわれている。つまり、上がるか下がるかは50%の確率だが、勝ち続けることができるのは5%ってな話だ。一般投資家は長期投資でなければ、まず勝算がない。

本当にあった嘘のような話 (アスペクト文庫 B 19-1)