古本屋の覚え書き このページをアンテナに追加 RSSフィード


WWW を検索 古本屋の覚え書きを検索

2010-11-13

行動経済学という武器/『「ジャパン」はなぜ負けるのか 経済学が解明するサッカーの不条理』サイモン・クーパー、ステファン・シマンスキー


 透徹した専門性は学問領域を軽々と越境する。ま、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」ってな感じだわな。狭いトンネルが別世界に通じることもあれば、穴のまま終わることもあるのだろう。


 それにしても行動経済学の台頭恐るべし。一昔前なら「大体、生きた人間がだな、データや数字に換算されてたまるかってえんだ」と江戸っ子の親父あたりが言ってそうなものだが、昨今は異なりつつある。データが生きているのだよ。これはね多分、スタンレー・ミルグラムの実験手法を踏襲したものだと思われる。ミルグラムアイヒマン実験によって心理学(特に社会心理学)を検証可能な学問の世界に引き上げた。


 スポーツと経済学の共通点は何だろう? それは合理性だ。ルールという論理に縛られている以上、合理的な攻守が求められる。そのための作戦であり、選手起用であり、チームワークなのだ。


 だがそれも、ビル・ジェイムズが現れるまでの話だった。カンザス州の田舎に生まれた彼は、地元のリトルリーグの統計をとったり、食品工場でボイラーの火を見ていたほかに、人生でたいしたことはしていなかった。ところが暇にまかせて野球の統計を新鮮な目で勉強しはじめたところ、「古くからある野球の知識はほとんどがたわごと」であることを発見した。ジェイムズは野球というテーマに「知的な厳しさ」をもって取り組みたかったと書いている。


【『「ジャパン」はなぜ負けるのか 経済学が解明するサッカーの不条理』サイモン・クーパー、ステファン・シマンスキー/森田浩之訳(NHK出版、2010年)以下同】


 ある号(彼が毎年出版したした『ベースボール・アブストラクツ』)にジェイムズはこう書いている。「これは野球を外側からみた本である。数歩後ろに下がり、徹底的に子細に、でも距離を置いて研究したときに野球がどうみえるかを書いた本である」


 で、ビル・ジェイムズにはどう見えたのか? 実は打率よりも出塁率の方が重要だった。彼の分析法は「セイバーメトリクス」として採用されている。「チャンスに強い選手」といった見方が案外デタラメな場合がある。強い印象を受けることで人々が勝手に作り出す物語なのだろう。


 サッカーの世界で「ジェイムズ的革命」のもうひとつの担い手になりそうなのは、ACミランのメディカル部門であるミラン・ラボだ。ミラン・ラボは跳躍力を分析しただけで、その選手が負傷するかどうかを70%の確率で予測できた。


 中身についてはトップシークレットらしいが、きっと跳躍力が落ちた時に怪我をしやすくなるのだろう。


 では本題に。サッカーにおいて勝敗を左右するデータは何か?


 だが国際試合では、この3つの要素(国の人口、国民所得、国際試合の経験)が結果を大きく左右する。


 これは驚きだ。国の人口はサッカー人口の底上げにつながっているということか。国民所得が上がれば余暇の時間(学校だと体育)も増える。貧しい国の学校には体育の時間がない。


 こうなるとデータも面白みが増すというものだ。では果たして完璧なデータを集めれば、試合結果は完全に予測可能となるのであろうか?


 答え──ならない。なぜなら世界を支配しているのはランダム性(偶然性)であるからだ。たとえ、宇宙に存在する全ての量子の位置と全ての物理法則がわかっていたとしても、宇宙の未来は予測できない。っていうか、実は量子の位置すら特定できない。これを解き明かしたのがハイゼンベルク不確定性原理である。アインシュタインが「神はサイコロを振らない」と反論したエピソードが広く知られている。


 宗教団体なんかも、行動経済学で読み解くことが可能だろう。宗教社会学と行動経済学が結びつけば面白くなりそうだ。行動経済学は色んな意味で我々の武器となることだろう。

「ジャパン」はなぜ負けるのか─経済学が解明するサッカーの不条理

2010-03-16

エディ・タウンゼントと井岡弘樹/『遠いリング』後藤正治


 エディ・タウンゼントの名を知ったのは、沢木耕太郎の『一瞬の夏』(新潮社、1981年/新潮文庫、1984年)を読んでのこと。ボクシング・トレーナーとして育て上げた世界チャンピオンは藤猛海老原博幸柴田国明ガッツ石松友利正井岡弘樹の6人。赤井英和もエディの教え子だ。名伯楽という言葉は彼のためにあるようなものだ。


 後藤は井岡を取材するために津田博明が経営するグリーンツダジムに通った。足繁く訪れるうちに他のボクサーとも親しくなり、後藤のペンは期せずして無名のボクサーの群像を描くことになる。つまり本書の主役はボクシング・ジムという「場」である。


 そこには教える者と教えられる者がいた。チャンピオンと無名の選手がいた。ベテランと初心者がいた。そして夢に向かって突き進む若者達がいた。


 冒頭の章でエディ・タウンゼントと井岡弘樹が描かれている。これでは尻すぼみになるのではないかと心配したが、後藤は勝者と敗者のドラマを見事にすくい上げている。


 エディにとって井岡は残された最後のチャンスであった。井岡は見事に応え、18歳でチャンピオンとなる。そして初めての防衛戦を迎えた。その時エディは既に癌に冒されていた。絶対安静を振り切ってエディは車椅子で井岡の元へと向かった。朦朧(もうろう)とする意識と戦いながらもエディは井岡を叱咤激励した。遂に試合の日が訪れた──


 井岡は、エディの様子にハッとしたようだった。そばに寄ると、短い間、老人と眼でうなずき合って、それから離れていった。その後若武者は、部屋の隅にほとんど視線をやらなかった。

 その日エディには、グリーンツダジムの近くで開業医をしている二木日出嘉(にき・ひでよし)が付き添っていた。二木がエディの瞳孔が開いているのに気付いたのは、神代が戻ってきた直後である。リングサイドで観戦するという願いも、もはやかなわなかった。二木は百合子と打ち合わせ、すぐに救急車の手配をした。危篤状態のエディが控室から運ばれていったのは、井岡がリングに向かう直前である。エディの状態を、このとき井岡は知っていない。エディが控室から運ばれていったのは気付いたのだが、別の部屋に行ったのかなと、そのときは思っていた。


【『遠いリング』後藤正治〈ごとう・まさはる〉(講談社、1989年/岩波現代文庫、2002年)以下同】


 エディはリングサイドで井岡の試合を観ることがかなわなかった。だが彼の魂は井岡と共にリング上にあった。生の焔(ほのお)を若き弟子に吹き込んだ。


 病院の1階のロビーにテレビが置いてあって、次女のダーナが、ラウンドが終わるたびに2階へあがってきて試合の様子を教えてくれた。そして11ラウンドが終わった頃、エディの意識が戻りはじめ、最終12ラウンドの頃にははっきりと戻っていた。井岡のKO勝ちを告げるダーナに、エディははっきりと、うん、うん、とうなずいたのだ。それに、なぜ、この日だったのだろう、井岡の試合が終わるまでは死ねないという執念が、この世の訣れの日をも動かしたのだろうか。


 試合終了後、井岡が病院を訪れて勝利の報告。その5時間後にエディは逝った。ボクシング一筋の人生は静かに幕を下ろした。


 何かに打ち込む、何かに賭ける人生は時に壮絶な姿を現す。否、狂気に取りつかれることなくして、何かを達成することはできない。単なる欲望でも名声でもなく、我を忘れるほどの没頭に真の充実があるのだ。


 エディはボクシングを愛した。それ以上にボクサーを愛した。彼はどのトレーナーよりもタオルを投げ込むのが早かった。「ボクシング辞めた後の人生の方が長いのよ。誰がそのボクサーの面倒を見てくれるの? 無事に家に帰してあげるのも私の仕事ね」とその理由を語っている。また、選手が勝った後は不意に姿を消し、敗れた場合にはずっと傍にいた。「勝った時には友達いっぱい出来るから私いなくてもいいの。誰が負けたボクサー励ますの? 私負けたボクサーの味方ね」。


 井岡はエディ亡き後もエディと共に歩み続けた。


「エディさんにいわれたことがあるんです。一番いけないのは負けたときに元気の残っている試合だって。たとえ負けたとしても全部出し切ったらいいんだって。あの試合はもちろん良くなかったんだけど、出し切った試合だったし、だから自分としては恥ずかしい試合じゃなかったと思ってるんですけど」


 大量生産された画一的な商品に囲まれ、二流三流のまがい物を買わされているうちに、ふと気がついてみれば自分自身がどうでもいいような存在になり果てている。挙げ句の果てにはつまらぬ意地を張ったり、自分勝手な真似をすることが個性と勘違いされるような時代だ。


 ボクサーが体現しているのは「裸にされた力」である。きらびやかな衣装もなければ、過去を問われることもない。リング上には世間の人びとが競い合っているハードルが何ひとつ存在しない。何か、言いようのないきらめきがそこにあるのだ。

遠いリング (岩波現代文庫―社会) 一瞬の夏 (上) (新潮文庫) 一瞬の夏 (下) (新潮文庫)


D


D


D


D


D

2009-07-31

イラクチームの快進撃を政治利用したブッシュ大統領/『蹴る群れ』木村元彦


 私はサッカーをまったく観ない。多分、日本代表がワールドカップの決勝戦に進出したとしても観ることはないだろう。そんな私が本書を開くや否や、一気に引きずり込まれ、貪(むさぼ)るように読んだ。


 彼等は紛争という大地に立っていた。彼等は人種差別というフィールドを駆け抜けた。そして彼等は同胞の希望を託してボールを蹴り上げた。世界各国のサッカー選手が、これほどの困難な状況下でプレーしていることを私は初めて知った。政治・宗教・民族にまつわる問題がチームを引き裂き、翻弄する。彼等にとってサッカーができることは、文字通りの自由を意味した。


「サッカーというスポーツで世界は一つになれるかも知れない」――そんな青臭いことを本気で思わせるほどの内容だ。高校の教科書に採用すべきだ。世界が置かれた現実を、これほど雄弁に物語っている作品はそうない。


 では、イラク戦争を見てみよう――


 5月、アブグレイブ刑務所での米兵による虐待行為が明るみに出た。世界中に発信されたその写真は、おぞましさに目をおおいたくなるような代物(しろもの)だった。イラク人捕虜を全裸にした上での自慰行為の強制、覆面(ふくめん)をさせた上で殴打し、踏みつける、人間ピラミッド、タブーである豚肉を食べさせる等々。しかも、実行している米兵は指をさして笑っている。人間の尊厳を踏みにじった、この同胞への蛮行。

 その話題に変えると、(イマード・)リダはとたんに声を荒らげた。耳にするや否や、まるで目の前に米軍部隊がいるかのように、今まで理性的だった男は激しく興奮しだした。

「おまえたちはイラクを解放すると言っておいて、こんなひどい仕打ちをする。おまえらが言っていることは全部嘘だ! 世界はこんな蛮行は許せないと言っているぞ!」

 私は米兵の代わりに、怒鳴られる格好となった。

 アブグレイブで起こった出来事が、メディアを通じて流されたことで、当事者であるイラク人たちが、どれほど屈辱的な思いをさせられたことか。民族的トラウマといっていい。五輪出場を決めることで、同胞に蔓延(まんえん)したこの屈辱感を一掃(いっそう)したかったのだと、リダは言う。


【『蹴る群れ』木村元彦〈きむら・ゆきひこ〉(講談社、2007年)以下同】

 イラク代表選手の多くは明朗かつ知的だった。その彼等がアメリカに対しては一様に怒りを露(あら)わにした。温厚なラザク・モサも「あの虐待の様子がテレビに映しだされたとき、もしも、すぐそばにアメリカ人がいたら、私はそいつを殺していたかもしれない」と語っている。


「無差別攻撃を受けて、サドルシティに住む私の友達は、3人が死に、2人が重症(ママ)を負った。デモクラシーとやらはどこにあるんだ?」(MFハイタム・タヘル)

「アメリカは、バグダッドに自由を授けにきたと言っている。そんな嘘を、絶対に私は認めはしない」(セルマン)


 これが“被害者の声”だった。アメリカは“現代の十字軍”といってよい。自分達の勝手な正義を掲げて、彼等は他の国々を蹂躙(じゅうりん)する。冷戦構造が崩壊して、世界はアメリカの縄張りと化した。


 ところが、このイラクチームの快進撃を、こともあろうにアメリカのブッシュ大統領が政治利用しようとした。大会期間中、再選を目指す選挙広告にこのようなコピーを流したのだ。

「今回のオリンピックより、自由になった国が2つ出場します。テロリストが牛耳(ぎゅうじ)っていた政権は、2つ減りました」

 2つとは、アフガニスタンとイラクを指す。このキャンペーンにイラクチームは猛反発した。激怒したMFのサリフ・サディルはアメリカのスポーツイラストレイテッドのインタビューにこう答えている。

「自分を宣伝するなら、ほかにやり方があるじゃないか。私たちの国に米軍がいることを、私たちは望んでいない。米軍には出ていってもらいたい」

 ファルージャの地獄を知っているムナージドは、もっと過激に言い切った。

「よそ者がアメリカを侵略し、それに抵抗したら、そのアメリカ人はテロリストってことになるのか? ファルージャの人は皆、テロリストというレッテルを貼られている。全部嘘っぱちだ。もし、自分がサッカーをやっていなかったら、間違いなくレジスタンスに加わっていただろう」

 アメリカに追随し、この戦争を肯定した日本のメディアも、ブッシュの思惑に加担した。8月29日の産経新聞は、イラク=ベスト4の快挙を〈産経抄〉でこう書いた。

『「四強は大きな成果だ」。こう胸を張った監督も選手も、内心は敗戦の悔しさより、何の恐怖心もなく帰国できる喜びを噛みしめたに違いない』

 米国のイラク攻撃が平和をもたらしたと喧伝(けんでん)したいのだろう。冗談ではない。戦闘がますます激化しているイラクに何の恐怖心もなく帰国できるはずがない。実際、シュタンゲの後を継いだハマド監督は、BBCに対して、

「オリンピックが終ったら、我々は街路を歩くのも怖い場所に帰っていかねばならない。多くの人たちがアメリカを憎んでいる」

 と発言しているのだ。スポーツ選手が負けて悔しくないはずがない。取材もせずに、勝手に「内心」を憶測で「違いない」と言い切る傲慢(ごうまん)さ。


「良好な日米関係」とはこういうことを指すのだ。アメリカの国家的犯罪を正義と信認し、細部にわたって理想の物語を紡ぎ出すのが日本の役目だ。アメリカンドリームはいつだって力によって支えられている。そう。暴力だ。


 イラク選手の言葉を“民族的な感情”に過ぎないと斥(しりぞ)けることは難しい。その民族感情をはっきりと自覚させたのはアメリカの攻撃に他ならない。たとえ国家の指導者に罪があったとしても、その国の民を殺していい道理など存在しない。


 それにしてもブッシュという男は、猿回しの猿同様に判断力を欠いている。親子二代にわたって戦争を遂行した大統領として歴史に名を残すことだろう。ブッシュの祖父はヒトラーのビジネスパートナーだった。曽祖父もまた親ナチス派だった(菅原出〈すがわら・いずる〉著『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』草思社、2002年)。

 イラク選手の言葉から“民の声”が聞こえてくる。彼等が発する言葉には力強い真実の響きがある。私は彼等に阿羅漢を見出す。


 世界がいかなる閉塞状況に追いやられようとも、フットボール選手は芝の上で躍動する。フィールドを駆って彼等が蹴るのは不自由と不条理だ。

蹴る群れ

2009-07-19

オシムが背負う十字架/『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』木村元彦


 スポーツ選手や職人の言葉が胸を打つのは、思考に身体性が伴っているためであろう。そう。人生とは“行為”なのだ。時に学者の言葉が軽く感じられるのは、私の人生とは無縁な能書きに過ぎないからだ。


 イビツァ・オシム。身長191cmの偉容。猫背なのは知性が重すぎる証拠か。表情にはどこか憂愁がつきまとっている。しかし眼光は鋭い。そして彼が発する言葉には賢者の響きがある。


 オシムはユーゴスラビア(現・ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエヴォで生まれた。この国の複雑な歴史と運命が、オシムの人格に深い影響を及ぼしている。サッカーですら政治とは無縁でいられなかった。


 祖国で紛争が起こるサラエヴォは包囲された(1992年)。妻と長女がサラエヴォにいた。オシムと長男は戻れなくなっていた――


 オシムは内戦時に自分がサラエボにいなかったことを、強烈な負い目として感じている。心から愛して止まなかった故郷で人が殺されている時、別の場所にいたことを「一生かかっても消えない自分にとっての障害(ハンディキャップ)だ」とまで言い切る。公務、つまり代表監督として包囲される前にたまたまベオにいたこと、帰ろうにも戻れなかったことは、彼の中では言い訳にならない。死んだのは撃たれた者だけではない。隣人が殺し合う惨い状況に絶望して、自らを手にかけた自殺者の数がいかに多いことか。絶望、そう、皮肉なことに理想郷だったサラエボを知る者だけが、感じられる感情。ベオにいた代表監督も間違いなくその淵をのぞいていた。


【『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』木村元彦〈きむら・ゆきひこ〉(集英社インターナショナル、2005年/集英社文庫、2008年)】


 ユーゴ代表チームにはセルビア人、クロアチア人、アルバニア人がいた。紛争が始まるや否や、チームメイトは敵国の人間となった。ジャーナリズムは国威発揚を隠そうともせず、好き勝手なサッカー記事を綴った。


 そんな中でオシムはチームを牽引し、国家をも牽引した。サッカーの世界に人種は関係がなかった。


 ユーゴスラビア紛争終結後もわだかまりの残る旧ユーゴスラビア構成諸国家内各民族の間で、今なおどの民族からも尊敬を集め得る人物の一人であるといわれている。これは数々の困難を乗り越えてユーゴスラビア代表に栄光をもたらした功績によるものである。


Wikipedia


 崇高な責任感と高貴な正義感が、オシムに十字架を背負わせた。監督としての務めは果たしていたが、同胞が経験した地獄に居合わせなかった。オシムはサッカーチームの監督である前に一人の民であった。


 ここにおいてオシムの発想が逆転していることに気づくのだ。凡人であれば、サラエヴォから脱出していたことを僥倖(ぎょうこう)と感じたことだろう。もしも、ユーゴスラビアの政治家にオシムほどの責任感があれば、紛争は間違いなく回避できたはずだ。


 サラエヴォは人種と宗教の坩堝(るつぼ)である。オシムは言う――「バルカン半島の人間はアイディアを持ち合わせてないと生きてゆけない。今日は生きれた。でも明日何が起きるかわからない。バルカン半島では、問題解決のためのアイディアがないと生きてゆけないのだ」と(※本書に掲載されているのだが入力していなかったため、「チャンネルアジア」より借用)。


 オシムが語る「アイディア」とは、傷ついた者が生き延びようとする強靭な意志から生まれる智慧なのだ。乾いたユーモア、絶望を達観するニヒリズム、聞き手が考えざるを得ない言葉の数々……。私にはオシムの姿がブッダと重なって見える。

オシムの言葉―フィールドの向こうに人生が見える オシムの言葉 (集英社文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2009-03-05

ジョージ・フォアマンの復讐/『彼らの誇りと勇気について 感情的ボクシング論』佐瀬稔


 佐瀬稔はムラが多い作家だ。というよりはむしろ、本書の完成度が高過ぎたのかもしれない。「ファイト」という名の詩を前にした途端、他の作品は色褪せてしまう。ジョージ・フォアマンは引退後、宣教師となった。それから10年後、青少年の更生施設の建設費用をつくるために再びリングへ上がった。フォアマンの復活劇を佐瀬は謳い上げる――


 絶対にラッキー・パンチのたぐいではない。ロドリゲスのアゴが弱過ぎたせいでもない。120kgの巨体が持つ力と、そして失われた歳月の間に蓄えたもの、すなわち、おのれの身を捨てる勝負度胸、相手を罠にかける狡知、何よりも、効果的なパンチを打つ技術。それらのすべてを、一個の凶悪な弾丸に凝縮してのワンパンチ・ノックアウト。

 リングサイドのイードニー・ロドリゲスがわっと涙にくれた。友人たちは、なぐさめる言葉を知らず、茫然と立ちすくむ。

 41歳の真実がギラギラッと光った一瞬である。

 リング上で、フォアマンが意識不明のロドリゲスを冷やかに眺め下ろしている。あわれなギーガーではない。肥った道化師でもない。大きくて強くて重くて、狡知にたけた王。キンシャサでアリのしかけた罠に落ち、暗殺された王が、人生に立ち向かっていく勇気と、絶対に諦めない執着心のゆえに蘇(よみがえ)って歳月に復讐をとげた。


【『彼らの誇りと勇気について 感情的ボクシング論』佐瀬稔(世界文化社、1992年)】

彼らの誇りと勇気について 感情的ボクシング論