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2010-06-09

革マル派に支配されているJR東日本/『マングローブ テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実』西岡研介


 読む前は「虫眼鏡本かな?」と思っていた。小さな事実を大袈裟なまでに拡大解釈して騒ぎ立てる本を私は虫眼鏡本と呼ぶ。予断は見事に外れた。タイトル通りの内容だった。驚愕の事実である。JRを利用している人は必読のこと。


 集団や組織は目的の下(もと)に形成される。そして組織の内部にあっては、目的に沿った力学が働く。基本的に「開かれた組織」というものは存在しない。組織は常に閉じられている。つまり組織内部の力学は法律や常識、あるいは倫理や道徳から距離を置き、「目的達成のための犠牲」を強いることが多々見受けられる。


 胡散臭い新興宗教や悪質なマルチ商法からの勧誘に遭遇した時、我々が覚える違和感は「閉ざされた集団内の論理」と「良識」との乖離(かいり)に基づいたものだ。


 約7500キロの線路網を有し、1日約1600万人が利用する「世界最大級の公共交通機関」、JR東日本。その最大・主要労組に「革マル派」という特定の思想集団が浸透し、労働組合を支配し、さらにはJR東日本の経営権にまで介入しているという事実が、この問題の核心部分である。

 革マル派に支配されたJR東労組幹部とJR東日本経営陣の癒着は、「JR東労組(組合員)ニアラザレバ、人(社員)ニアラズ」という悪しき風潮を生み出した。そして、それはJR東日本発足から20年で、もはや企業風土になってしまった。さらにその企業風土は絶えず、乗客の安全や、生命さえ脅かしかねない危険性を孕(はら)んできた。

 これらの問題の中心的存在が、JR東労組の絶対権力者で、「革マル派最高幹部」といわれる松崎明〈まつざき・あきら〉氏(71歳・以下敬称略)という人物である。


【『マングローブ テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実』西岡研介(講談社、2007年)以下同】

 革マル派というのは完全なテロリスト集団である。戦前の治安維持法を嫌悪する人であっても取り締まって欲しいと思うような連中だ。基本的に左翼は「暴力による革命」を標榜している。これが内部に向かって締めつける力として働くとリンチになる。


「日本革命的共産主義同盟革命的マルクス主義派」、略称「革マル派」。いまもなお「帝国主義打倒、スターリン主義打倒」、いわゆる「反帝、反スタ」を掲げ、共産主義暴力革命をめざす新左翼セクトである。

 革マル派は1963年の結党以来、10年余にわたって、中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)や革労協革命的労働者協会)など対立セクトと、血で血を洗う「内ゲバ」を繰り返してきた。しかし70年代後半からは、組織拡充に重点を置き、党派性を隠して基幹産業の労組やマスコミなど各界各層に浸透。全国に約5400人の構成員を擁するといわれており、きわめて非公然性、秘密性、そして排他性の高い組織である。

 過去に「内ゲバ」という名の殺人を繰り返し、盗聴や盗撮、住居侵入や拉致監禁などの非合法な手段で、自らと主義主張の違う人たちを「Terreur」(フランス語で「恐怖」)に陥れてきた彼らを、「テロリスト」と呼ぶことに私は、なんら躊躇(ちゅうちょ)を覚えない。

 ただ、私は彼らの「思想」を問題にするつもりはない。むしろジャーナリズムに携わる者として、彼らの「思想・信条の自由」は、それこそ職を賭して守らなければならないと考えている。

 私が問題としているのは、彼らの「思想」ではなく、その「行動」なのだ。


 それにしても本書の内容には驚かされる。革マル派の工作活動はスパイ映画さながらである。革マル派思想を浸透させることを目的に作った組織のコードネームが「マングローブ」であった。


「なんなんだ、これは……」

 98年1月7日、東京都練馬区豊玉の6階建て雑居ビル。その最上階に踏み込んだ警視庁公安部の捜査員は、部屋の中から約1万4000本もの鍵の束を見つけ、思わずうめき声を上げたという。

 後に「豊玉アジト」と呼ばれるこの革マル派の非公然アジトからは、この約1万4000本の鍵以外に◎広島県警の警察手帳2冊と公安調査庁の調査官証票4通◎印鑑約400個◎革マル派担当捜査員の住民票や住宅地図をはさんだファイル◎無線機やイヤホンマイク◎偽装カメラ◎5000本を超えるカセットテープとビデオテープ――などが見つかった。

「約1万4000本の鍵のうち、半数の7000本ほどが、使用可能な状態に加工されていました。それらのなかには警察庁、警視庁幹部をはじめ、革マル派担当の捜査員の自宅の鍵まであったのです。

 しかも、実際に使われた形跡のある鍵も多い。驚くべきことに、その後の捜査の結果、革マル派が元警察庁長官宅に侵入し、資料や写真を盗み出していたことまで判明したのです」(捜査関係者)


 盗聴、侵入どころではない。デジタル化された警察無線が傍受され、更には公安警察の専用無線までもが筒抜けになっていた。


 何の躊躇(ためら)いもなく犯罪に手を染める集団がまともであるはずがない。JRには複数の組合があるが、松崎明率いる革マル派が牛耳っていたのは「JR東労組」である。組合員が同郷出身の別の組合員とバーベキューに行っただけで凄惨ないじめに遭う。擦れ違う電車からのパッシングや、挙げ句の果てには「信号を隠す」ようなことまで行われる。毎日毎日罵倒され続け、心理的に追い込まれる組合員はやがて職場を去ってゆく。こんなことが日常的になされているのだ。


 組合間の攻防が熾烈(しれつ)を極めると、鉄パイプで滅多打ちにされ死亡したケースもある。


 このようなテロ集団がなぜ野放しにされているかというと、何と公安幹部の天下り先になっており、公然と公安OBが捜査を妨害しているのだ。


 読み進むうちにオウム真理教を思い出した。オウムがロシアとネットワークがあったことや暴力肯定のポア思想を踏まえると、彼等は「宗教に名を借りた極左集団」であった可能性がある。


 マルクス主義は唯物論の土壌から生まれた。人間を物質的、機械的に見つめる眼差しは暴力との親和性が高い。


 ソ連崩壊後、左翼という言葉は死語になりつつあると思っていたが大きな間違いであった。極左勢力が動かす鉄道を私は利用していたのだから。

マングローブ―テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実

2010-05-08

経済侵略の尖兵/『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス

 戦争の形は軍事に限らない。経済的に、学術的に、文化的に、心理的に行われているのだ。戦争の本質は「システマティックな侵略」にある。


 エコノミック・ヒットマンという職業があるそうだ。ヒットマンとはご存じのように「狙撃手=殺し屋」を意味する言葉だ。つまり他国の経済を狙い撃ちすることを目的としている。ジョン・パーキンスはエコノミック・ヒットマンであった。彼は悔恨の中から本書を執筆し、自らの体験を赤裸々に綴っている。


 エコノミック・ヒットマン(EHM)とは、世界中の国々を騙して莫大な金をかすめとる、きわめて高収入の職業だ。彼らは世界銀行や米国国際開発庁(USAID)など国際「援助」組織の資金を、巨大企業の金庫や、天然資源の利権を牛耳っている富裕な一族の懐(ふところ)へと注ぎこむ。その道具に使われるのは、不正な財務収支報告書や、選挙の裏工作、賄賂、脅し、女、そして殺人だ。彼らは帝国の成立とともに古代から暗躍していたが、グローバル化が進む現代では、その存在は質量ともに驚くべき次元に達している。

 かつて私は、そうしたEHMのひとりだった。


 1982年、私は当時執筆していた『エコノミック・ヒットマンの良心』(Conscience of an Economic Hit Man)と題した本の冒頭に書いた。その本は、エクアドルの大統領だったハイメ・ロルドスと、パナマの指導者だったオマール・トリホスに捧げるつもりだった。コンサルティング会社のエコノミストだった私は、顧客である二人を尊敬していたし、同じ精神を持つ人間だと感じてもいた。二人は1981年にあいついで飛行機の墜落で死亡した。彼らの死は事故ではない。世界帝国建設を目標とする大企業や、政府、金融機関上層部と手を組むことを拒んだがために暗殺されたのだ。私たちEHMがロルドスやトリホスのとりこみに失敗したために、つねに背後に控えている別種のヒットマン、つまりCIA御用達のジャッカルたちが介入したのだ。


【『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス/古草秀子〈ふるくさ・ひでこ〉訳(東洋経済新報社、2007年)】


 白羽の矢が立てられる国は石油などの天然資源が豊富な発展途上国である。ここにIMFや世界銀行などから資金が流れる仕組みをつくった上で、開発援助という名目のもとにアメリカ企業が参入する手筈を整える。実際のマネーはアメリカ国内の金融機関同士で完結する。種を明かしてしまえば、懐(ふところ)から鳩を出すよりも簡単な話だ。


 西水美恵子の著作を読んだ人は必ず本書を読むべきだ。

 彼女が何も知らなかったのか、あるいは知っていながら広告塔を買って出たのかそれはわからない。だが本書を読めば、西水が描いたのは世界銀行のわずかに残された美しい部分であることがわかる。大体、「世界」だとか「国際」と名のつく団体は、おしなべて先進国の論理で運営されているものだ。


 私はジョン・パーキンスが嫌いだ。この人物は吉川三国志劉備(りゅうび)と同じ匂いがする。弱さを肯定する延長線上に善良さを置いている節がある。「告白すれば罪が赦(ゆる)される」というキリスト教的な欺瞞を感じてならない。だから文章もそこそこ巧みで読ませる内容にはなっているものの、底の浅さが目につく。煩悶(はんもん)、懊悩(おうのう)、格闘が足りないのだろう。私を魅了するだけの人間的な輝きが全く感じられなかった。


 大体最初に告白本を出版しようとした際に、様々な圧力を掛けられたにもかかわらず、その後はテレビにまで出演しているのもおかしな話だ。彼の話が正真正銘の事実であるなら、とっくに消されているのではあるまいか。「よもや、エコノミック・ヒットマンとして新しいステージの仕事をしているんじゃないだろうな」と疑いたくもなる。


 暴力は様々な形で存在する。世界中の貧困が放置されているのも暴力の一つの形に他ならない。多様な暴力の形態を知るために広く読まれるべき一冊である。読み物としては文句なしに面白い。


 尚、既に紹介したが、ジョン・パーキンスは『Zeitgeist Addendum/ツァイトガイスト・アデンダム』にも登場している。

エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ

2010-03-16

エディ・タウンゼントと井岡弘樹/『遠いリング』後藤正治


 エディ・タウンゼントの名を知ったのは、沢木耕太郎の『一瞬の夏』(新潮社、1981年/新潮文庫、1984年)を読んでのこと。ボクシング・トレーナーとして育て上げた世界チャンピオンは藤猛、海老原博幸、柴田国明、ガッツ石松、友利正、井岡弘樹の6人。赤井英和もエディの教え子だ。名伯楽という言葉は彼のためにあるようなものだ。


 後藤は井岡を取材するために津田博明が経営するグリーンツダジムに通った。足繁く訪れるうちに他のボクサーとも親しくなり、後藤のペンは期せずして無名のボクサーの群像を描くことになる。つまり本書の主役はボクシング・ジムという「場」である。


 そこには教える者と教えられる者がいた。チャンピオンと無名の選手がいた。ベテランと初心者がいた。そして夢に向かって突き進む若者達がいた。


 冒頭の章でエディ・タウンゼントと井岡弘樹が描かれている。これでは尻すぼみになるのではないかと心配したが、後藤は勝者と敗者のドラマを見事にすくい上げている。


 エディにとって井岡は残された最後のチャンスであった。井岡は見事に応え、18歳でチャンピオンとなる。そして初めての防衛戦を迎えた。その時エディは既に癌に冒されていた。絶対安静を振り切ってエディは車椅子で井岡の元へと向かった。朦朧(もうろう)とする意識と戦いながらもエディは井岡を叱咤激励した。遂に試合の日が訪れた──


 井岡は、エディの様子にハッとしたようだった。そばに寄ると、短い間、老人と眼でうなずき合って、それから離れていった。その後若武者は、部屋の隅にほとんど視線をやらなかった。

 その日エディには、グリーンツダジムの近くで開業医をしている二木日出嘉(にき・ひでよし)が付き添っていた。二木がエディの瞳孔が開いているのに気付いたのは、神代が戻ってきた直後である。リングサイドで観戦するという願いも、もはやかなわなかった。二木は百合子と打ち合わせ、すぐに救急車の手配をした。危篤状態のエディが控室から運ばれていったのは、井岡がリングに向かう直前である。エディの状態を、このとき井岡は知っていない。エディが控室から運ばれていったのは気付いたのだが、別の部屋に行ったのかなと、そのときは思っていた。


【『遠いリング』後藤正治〈ごとう・まさはる〉(講談社、1989年/岩波現代文庫、2002年)以下同】


 エディはリングサイドで井岡の試合を観ることがかなわなかった。だが彼の魂は井岡と共にリング上にあった。生の焔(ほのお)を若き弟子に吹き込んだ。


 病院の1階のロビーにテレビが置いてあって、次女のダーナが、ラウンドが終わるたびに2階へあがってきて試合の様子を教えてくれた。そして11ラウンドが終わった頃、エディの意識が戻りはじめ、最終12ラウンドの頃にははっきりと戻っていた。井岡のKO勝ちを告げるダーナに、エディははっきりと、うん、うん、とうなずいたのだ。それに、なぜ、この日だったのだろう、井岡の試合が終わるまでは死ねないという執念が、この世の訣れの日をも動かしたのだろうか。


 試合終了後、井岡が病院を訪れて勝利の報告。その5時間後にエディは逝った。ボクシング一筋の人生は静かに幕を下ろした。


 何かに打ち込む、何かに賭ける人生は時に壮絶な姿を現す。否、狂気に取りつかれることなくして、何かを達成することはできない。単なる欲望でも名声でもなく、我を忘れるほどの没頭に真の充実があるのだ。


 エディはボクシングを愛した。それ以上にボクサーを愛した。彼はどのトレーナーよりもタオルを投げ込むのが早かった。「ボクシング辞めた後の人生の方が長いのよ。誰がそのボクサーの面倒を見てくれるの? 無事に家に帰してあげるのも私の仕事ね」とその理由を語っている。また、選手が勝った後は不意に姿を消し、敗れた場合にはずっと傍にいた。「勝った時には友達いっぱい出来るから私いなくてもいいの。誰が負けたボクサー励ますの? 私負けたボクサーの味方ね」。


 井岡はエディ亡き後もエディと共に歩み続けた。


「エディさんにいわれたことがあるんです。一番いけないのは負けたときに元気の残っている試合だって。たとえ負けたとしても全部出し切ったらいいんだって。あの試合はもちろん良くなかったんだけど、出し切った試合だったし、だから自分としては恥ずかしい試合じゃなかったと思ってるんですけど」


 大量生産された画一的な商品に囲まれ、二流三流のまがい物を買わされているうちに、ふと気がついてみれば自分自身がどうでもいいような存在になり果てている。挙げ句の果てにはつまらぬ意地を張ったり、自分勝手な真似をすることが個性と勘違いされるような時代だ。


 ボクサーが体現しているのは「裸にされた力」である。きらびやかな衣装もなければ、過去を問われることもない。リング上には世間の人びとが競い合っているハードルが何ひとつ存在しない。何か、言いようのないきらめきがそこにあるのだ。

遠いリング (岩波現代文庫―社会) 一瞬の夏 (上) (新潮文庫) 一瞬の夏 (下) (新潮文庫)


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2009-08-23

重度身体障害者が独り暮らしを断行/『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』渡辺一史

    • 重度身体障害者が独り暮らしを断行

 よもや、活字で「三角山」に出会うとは思わなかった。私は幼少時をこの山の麓(ふもと)で過ごしているのだ。それ以降、苫小牧、帯広と引っ越し、再び札幌の同区内に戻っている。本書は、まだ介護保険が整備されていない時期に、筋ジストロフィー患者・鹿野靖明が独り暮らしを断行する顛末(てんまつ)を描いたルポルタージュである。amazonのリンクを辿って見つけた次第。講談社ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。


 ではまず、鹿野の病状を紹介しよう――


 できないといえば、この人には、すべてのことができない。

 かゆいところをかくこともできない。自分のお尻を自分で拭くことができない。眠っていても寝返りがうてない。すべてのことに、人の手を借りなければ生きていけない。

 さらに大きな問題があった。

 35歳のとき、呼吸筋の衰えによって自発呼吸が難しくなり、ノドに穴を開ける「気管切開」の手術をして、「人工呼吸器」という機械を装着した。筋ジスという病気が恐ろしいのは、脈や腕、首といった筋肉だけでなく、内臓の筋肉をも徐々にむしばんでゆくことだ。

 以来、1日24時間、誰かが付き添って、呼吸器や気管内にたまる痰(たん)を吸引しなければならない。放置すると痰をつまらせ窒息死してしまうのである。


【『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』渡辺一史〈わたなべ・かずふみ〉(北海道新聞社、2003年)以下同】


 手っ取り早くいうと「筋肉が死んでゆく」病気である。その上気管切開をしていた。現在でも気管切開をしている要介護者は、ショートステイや訪問入浴を断られることが珍しくない。事故が懸念されるためだ。痰の吸引は医療行為に該当し、最近ではヘルパーにも認められつつあるが、現状の大半は医師・看護師と家族に限られている。多い場合だと一日に100回もの吸引を必要とする人もいて、家族の負担が大きい。


 鹿野はボランティアの面々を「広い意味での家族」と位置づけることで、牽強付会の論理を押し通した。そして彼は、痰吸引を数多くのボランティアに指導した。ここにおいて介護現場で立場が逆転する。


 重度の身体障害者が独り暮らしを始めるというのは、文字通り自殺行為に等しかった。鹿野はなぜそこにこだわったのか。実は妹が知的障害者だった。彼は親に負担をかけることを嫌った。そして、一日三交替制で4人のボランティアを必要とする生活を開始した。月間だと述べ人数で120人ものボランティアが必要となる。


 鹿野はおとなしい病人ではなかった。暴君といった方が相応しい。彼はわがままだった。だが、わがままを通さなければ生きてゆけない現実が確かに存在した。貪欲なまでに生を貪(むさぼ)り、生にしがみつき、生を堪能した。


 そんな不満が爆発寸前のとき、「バナナ事件」は起こった。


 ある日の深夜、病院の簡易ベッドで眠っていた国吉は、鹿野の振る鈴の音で起こされた。「なに?」と聞くと、「腹が減ったからバナナ食う」と鹿野がいう。

「こんな夜中にバナナかよ」と国吉は内心ひどく腹を立てた。しかし、口には出さない。バナナの皮をむき、無言で鹿野の口に押し込んだ。二人の間には、言いしれぬ緊張感が漂っていた。

「それに鹿野さん、食べるスピードが遅いでしょ。バナナを持ってる腕もだんだん疲れてくるしね。ようやく一本食べ終わったと思って、皮をゴミ箱に投げ捨てて……」

 もういいだろう。寝かせてくれ。そんな態度を全身にみなぎらせてベッドにもぐり込もうとする国吉に向って、鹿野がいった。

「国ちゃん、もう一本」

 なにィ!! という驚きとともに、そこで鹿野に対する怒りは急速に冷えていったという。

「あの気持ちの変化は、今でも不思議なんですよね。もうこの人の言うことは、なんでも聞いてやろう。あそこまでワガママがいえるっていうのは、ある意味、立派。そう思ったんでしょうか」

 そのときの体験を、国吉は入社試験の作文に書いてNHKに合格したという。現在は事件・事故現場からの“立ちリポ”でニュースにも登場する第一線の報道記者である。


 これがタイトルの由来となった事件である。鹿野とボランティアの関係が実に上手く出ている。介護現場は生々しい格闘のリングであった。鹿野がボランティアを罵倒し、ボランティアが鹿野の頭を叩く場面もある。


 取材を重ねる中で著者の渡辺一史もボランティアに加わる。その意味では、巻き込まれ型ノンフィクションともいえる。フィールドワークではない。なぜなら、鹿野靖明は他人を巻き込むエネルギーの持ち主であるからだ。


 渡辺のペンは、鹿野を取り巻くボランティアの生きざまを炙(あぶ)り出す。ボランティアとは、「助けること」と「助けられること」とが密接不可分になり、融(と)け合い、時に立場が入れ替わる営みでもあった。


「そうじゃない、本当はこうしてほしい」

「そうじゃない、本当はこう望んでいる」

 こうした障害者の思いは、往々にして、健常者が「よかれ」と思ってした行為や、安易な「やさしさ」や「思いやり」を突き破るような自己主張として発せられることが多い。介助者にしてみれば、つねに好意が打ち砕かれるような、激しさと意外性の伴う体験なのだ。

 さらに考えなければならないことは、自立をめざす重度障害者たちは、こうした自己主張を対人間関係のみならず対社会にまで押し広げることで、在宅福祉制度の必要性を訴え、自立生活の基盤そのものを生み出してきた点だ。歴史的に見ても、彼らの飛び出した施設とは、障害者を隔離収容することで、安全に一律に“保護”しようという、安易で硬直した健常者の「やさしさ」や「思いやり」が生みだした産物であろう。


 介護や医療の現場において、人間関係は凝縮された姿で現れる。迫り来る死の実感が、人間の本質をさらし出すのだろう。鹿野の偉大さは、制度の不備を嘆いているだけの人が多い中で、自らが打って出て必要な体制を築いた事実にある。中々できるものではない。ボランティアの高橋雅之が撮影した秀逸な写真が配されているが、鹿野はギラギラしている。


「フツウは、死にそうな体験を何度もすると、何があってもニコニコ笑った“おばあちゃん”みたいな、人にやさしく、あんまり欲もなく、不平不満も言わず、みたいな、そういう人物像を思い浮かべますよね。

 でも、シカノさんの場合、何度も死ぬ思いをしてきたにもかかわらず、いまだにギラギラして脂(あぶら)っこいですよね。あれは――なんなんでしょうかね(笑)。オレとか、ワタナベさんより、100倍くらいは生命力が強いんじゃないですか」

 私は斉藤と顔を見合わせて笑った。とても愉快だったのだ。


 本書の完成を間近に控えた2002年8月12日、鹿野靖明は逝ってしまう。享年42歳。鹿野の死を取り巻くボランティアの様子も淡々と描かれている。


 エド・ロングや小山内美智子といった大物も登場し、464ページで1890円は安い。渡辺の文章がとにかくいい。


 人間として生まれた以上、他人の助けがないと生きてゆけない。そんな当たり前のことをドラマチックに教えてくれる一冊だ。

こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち (文春文庫 わ)
渡辺 一史
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2009-08-11

獄中の極意/『アメリカ重犯罪刑務所 麻薬王になった日本人の獄中記』丸山隆三


 丸山隆三は派手なカーチェイスの末に逮捕された。アメリカでのこと。バブル前夜ともいうべき時期に、彼は外車の並行輸入を手掛けて、これが当たった。懐が温かくなると悪い友達が群がるようになる。そして転落の人生が幕を開けた。麻薬売買の仲介者(フィクサー)となったのだ。


 本業で儲けている上に、仲介手数料はうなぎ上りに入ってくる。一時期は年収が10億円を超えていたというのだから凄い。しかもアングラマネーだから銀行へ預けるわけにいかない。当然の如く湯水のように使うこととなる――


 このころは、毎日稼いで毎日使っていた。稼いだ以上に使って、使った以上に稼いだ。

(なんだか、馬鹿な競争をしているみたいだな……)


【『アメリカ重犯罪刑務所 麻薬王になった日本人の獄中記』丸山隆三〈まるやま・たかみ〉(二見書房、2003年/ルー出版、1998年『ホテルカリフォルニア 重犯罪刑務所』を加筆訂正)以下同】


 中々書ける文章ではない。使いっぷりも凄まじい内容である。アメリカでは1ドル紙幣をたくさん持っていると「ヤクの売人」だと思われるため、丸山は1ドル紙幣を嫌った。ある時、貯まりに貯まった1ドル紙幣をバッグに詰めて、海辺で燃やした。そんなエピソードまで紹介されている。


 丸山は、幾度となくクスリに汚染されたアメリカを糾弾している――


 拘置所では、7〜8割の人間が麻薬の虜になっていた。麻薬中毒者は確かに人間のクズかも知れないが、塀の中で、半ば公然と麻薬を売っているのは公務員たるシェリフたちなのだ。これでは、どちらが人間のクズかわかったもんじゃない。


 そんなアメリカの刑務所で丸山は「ゴッド・ファーザー」と渾名(あだな)されるまでに上り詰める。この本は獄中体験記なんだが、秀逸なビジネス書のような趣がある。結果的に、「異なる文化の中で、どのように自分をプレゼンテーションするか」というモチーフになっているのだ。


 丸山がいた刑務所はレベル4で、最も厳重な態勢が布かれている。ここは、看守が警告なしで銃を撃っても構わない場所だ。実際、いたずら半分で射殺される囚人もいるとのこと。そして、塀の中にいるのは命知らずの面々だ。


 まずはルールを覚える必要がある。これを破ると殺される危険性が直ぐ現実のものとなる。次に刑務所内の力関係を知る。そして、利用できる人や物は全て利用する。更にそこから人脈を拡大してゆく。


 例えばこんな話が書かれている。「煙草を一本貸して欲しい」と一人の男が寄ってくる。「一本ぐらい……」と思って返してもらわないでいると、今度は別の男が寄ってきて「俺にも一本貸してくれ」となる。これが、あっと言う間に広がるというのだ。そこで渋ると、直ちに制裁が加えられる。「あいつに貸して、なぜ俺には貸せないのか」と。紹介されている人物は案の定、カモにされ続け、挙げ句の果てに袋叩きにされている。


 犯罪者は身体能力が秀でている。これは運動神経がいいという次元のことではなく、彼等が身体を張って生きていることに起因していると思う。犯罪者は常に現場で学んでいる。不測の事態が起こりやすい現場に身を置くと、勘が研ぎ澄まされてくる。彼等には独特の身のこなし方がある。


 人間は塀の外で自由に暮らしているときには、自分のことをふり返ってみないし、わかろうとしない。自分の中にもうひとりの自分がいて酷使されていたり、粗末にされていても気がつかない。刑務所は周りから完全に遮断されているからそれがわかる。ひとりになると、自分の中の魂と対話するしかない。簡単にいうと、自分を助けてやることができるのは自分しかいないのだ。とことんまでつきつめて考えると人は変わる。俺は変わった。


 丸山を救ったのは一人の女性であった。出会った頃、彼女はウェイトレスだった。歌が好きだった。丸山は金に物を言わせて大物プロデューサーに曲を作らせた。彼女はプロデビューを成し遂げた。丸山はこの女性を妹のように大事にした。男女の関係はなかった。この女性というのが歌手のマリーンである。


 マリーンの存在は、名画に描かれる美少女の如く綴られている。丸山のささくれだった人生に人間の温もりを与えたは、心清らかなウェイトレスだった。


【※本書を知ったのは、村西とおる監督のブログ記事「人間関係の方程式 P=R+A」を読んでのこと】

アメリカ重犯罪刑務所―麻薬王になった日本人の獄中記 ホテルカリフォルニア 重犯罪刑務所