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2011-02-05

ジャック・リーチャー・シリーズ第1作/『キリング・フロアー』リー・チャイルド


 面白かった。だが内容を覚えていない。正確に言おう。相前後して読んだ『前夜』とグレッグ・ルッカの作品とが、記憶の中でごっちゃになっているのだ。


 リー・チャイルドの作品はおしなべて手堅い。高校生のバッターがセンターから右方向へヒットを狙うような印象を受ける。ただし読んでいる最中はさほど気にならないのだが、読み終えると「上下巻にするほどの内容か?」と思わざるを得ない。もっと刈り込めば余韻が深くなるはずだ。


 とはいうものの読み手は作家に多くを求めるべきではない。全知全能は神様に任せておけばよい。4番打者ばかり集めてしまうと、ナベツネ巨人軍のように醜悪なものとなってしまうだろう。


 本書がリーチャー・シリーズの第1作となる。突然逮捕されたリーチャーが容疑を晴らし、凶悪犯罪を追求するといった内容。女性捜査官との色恋つき。アンソニー賞最優秀処女長編賞。


 私は彼を注視した。6時だ。バスがくる。

「あんたが思っている以上に知ってるよ。あんたはハーヴァードの大学院出で、離婚歴があり、4月に禁煙しただろう」

 フィンレイはあっけにとられた顔をした。


【『キリング・フロアー』リー・チャイルド/小林宏明訳(講談社文庫、2000年)以下同】


 これが元エリート軍人の観察力だった。説明能力がプラスされることで完璧な洞察力となる。


 ロスコーは、信じられないといった顔で、私を見た。そして、頭を左右に振った。

「そしたらなにをしたの? 4人とも殺した?」

「3人だけだ。4人目は生かしておいて、質問に答えさせる」

 私は全面的な確信をもってそう言った。


 ジャック・バウアー並みの冷徹ぶりである。軍人の暴力性はロジックによってコントロールされている。常に目的が優先されるのは当然だ。感情は長続きしない。高いレベルを維持するために訓練が繰り返される。戦術は戦略から導き出される。躊躇(ためら)い、逡巡は許されない。その場の判断力が次の戦闘に直結しているためだ。


 いかなる分野であろうと、力のあるリーダーは情熱と冷酷さを併せ持っているものだ。「鳴いて馬謖を斬る」(『三国志』)場面で温情をかけてしまえば、組織は必ず腐ってゆく。「戦う」意識があれば、なあなあで済ますわけにはいかない。人の強さと弱さを分かつのはここだ。


 リー・チャイルドが侮れないのはプロット以外の記述。正確でありながらも踏み込んだ文章には目を瞠(みは)るものがある。


「アメリカ経済は膨大なものです。資産も債務も、計算できないほど膨大です。何兆ドルにもなります。しかし、どちらも現金化されているわけではありません。あの紳士だって、50万ドルの資産をもっているが、現金はいま50ドルしかもっていない。のこりはすべて書類上かコンピュータのなかにあるんです。ようするに、現金があまり出まわっていないということですよ。アメリカ国内では、1300億ドルしか現金がありません」


「説明がむずかしいわ」モリーは言った。「信頼と信用の問題なのよ。ほとんど形而上学的と言ってもいいくらい。もしも外国のマーケットに贋ドルがあふれたとしても、それ自体はたいした問題じゃないの。でも、外国のマーケットで売り買いをしている人たちがそれに気づいたら、それこそ問題。みんなパニックになるからよ。信頼も信用もがた落ち。もうだれもドルをほしがらなくなる。日本の円やドイツのマルクに鞍替(くらが)えして、マットレスのなかに詰め込みはじめる。ドルは紙くず同然に捨てられる。その結果、一夜にして、政府は2600億ドルのお金を外国に払い戻さなきゃならなくなる。一夜でよ。そんなことができるわけがないわ」


 経済に興味のない人であれば、漫然と読み過ごしてしまう箇所だろう。実にわずかな言葉で信用創造を巧みに表現している。こういうところをきちんと読めば、ミステリ作品からも色々なことを学ぶことが可能だ。


 二つの死体が発見される。壁に釘打ちされた男。そして妻は夫の陰嚢(いんのう/キンタマ)を飲み込まされていた。リーチャーは犯人を追う。


 待ち伏せする場合は、待つことが戦いに勝つ秘訣だ。用心深い敵ならば、はやく現れるか、さもなくば遅く現れる。相手の不意をつくことができると思うからだ。敵がどんなにはやくこようと、こっちはもっとはやくから待っていればいい。どんなに遅くなってからこようとも、ずっと待っていればいい。我を忘れて恍惚(こうこつ)状態になるまで待つことだ。強靭(きょうじん)な忍耐力が必要だ。いらいらや不安は禁物。ただひたすら待つのだ。なにもせず、なにも考えず、エネルギーをいっさい浪費せずに。そして、いざとなったらすばやく行動を開始する。1時間後だろうと、5時間後だろうと、1日後だろうと、1週間後だろうと。待つことはたいせつなテクニックだ。


 待つことが瞑想の域に達している。一意専心は脳細胞のフル活動を意味する。集中ではなく注意。目ではなく耳。大気の振動に鼓膜をシンクロさせた時、シナプスはあらゆる変化に反応する。


 人生にも待つべき時と進むべき時とがある。嵐の時はいたずらに前進すべきではない。変化を読み誤るとエネルギーを分散する羽目となる。伏(ふく)するは伸びんがため、という。とすれば雌伏(しふく)にも充実があるはずだ。

新装版 キリング・フロアー 上 (講談社文庫) 新装版 キリング・フロアー 下 (講談社文庫)

2010-12-15

相対化がハードボイルド文体の余韻を深める/『前夜』リー・チャイルド


 内野手の間を抜けてゆく鮮やかなツーベースヒット。そんな印象だ。文章がいい。読み終えた瞬間、本のボリュームに驚く。それほどスイスイ読める。展開がやや冗長ではあるが、時折、警句の余韻を響かせる引き締まった文章が現れるので、あまり気にならない。


 ジャック・リーチャー・シリーズは既に10冊以上出ている模様。本書は番外篇のようだ。軍人モノで、上層部の陰謀を暴くといった内容。ベルリンの壁が崩壊した頃が背景となっており、軍隊の構造が変化を余儀なくさせられる様相がよくわかる。


 死に至る心臓発作とはどんなものなのか、だれも知らない。生きのびて教えてくれる者などいないからだ。


【『前夜』リー・チャイルド/小林宏明訳(講談社文庫、2009年)以下同】


 物語全体が生と死のモノトーンに包まれている。転属したばかりのリーチャーが、ある将軍の死を知らされる。事件性はないと伝えられていたが、明らかに不審な点があった。リーチャーは一人で密かに捜査を続けた。将軍の家を訪ねたところ、そこには夫人の遺体があった。


 明らかに証拠が少なすぎた。将軍は会議に向かっていたにもかかわらず、書類一つ持参していなかった。


「会議にはいつだって議題がある。そしてその議題はいつだって書類にしたためられる。なんにでも書類はつきものなんだ。軍用犬(K-9)のドッグフードをべつのものに替えたいときだって、47回会議をやって、47枚の書類が作成される」


 上手い。上層部の官僚主義を巧みに表現している。ニヤリとさせられるところにハードボイルドの真骨頂がある。


「感謝するよ」わたしは言った。「わたしの側についてくれて」

「わたしが少佐の側についたんじゃありません。少佐がわたしの側についたんです」


 新しい上司が捜査を妨害する。そしてリーチャーを手助けしたのがスピード狂の黒人女性兵士だった。ま、軍人だからハチャメチャなキャラクター設定は難しかったことだろう。会話を反転することで相対化を図っている。こういったところがハードボイルド文体と絶妙にマッチしているのだ。もちろん生と死も相対化されている。


 人間の体には全部で210本以上の骨があるが、ピクルズというこの男の骨はほとんど折れているようだった。彼ひとりでこの病院の放射線科の予算をそうとう使っていた。


 これまた同様で、怪我と治療費を相対化することで事実を突き放している。ハードボイルドとはリアリズムを追求する文体のことであって、タフな生きざまを意味する言葉ではないのだ。リーチャーは怪我人を脅して情報を吐かせる。


「わたしはGRUで5年も訓練を受けた。人の殺し方はわかっている。殺さないやり方も」


 GRU(グルー)とはロシア連邦軍参謀本部情報総局のこと。アメリカのCIAに該当する組織だ。旧ソ連時代から存続している。つまり血も涙もないってことだわな。ミステリの台詞ではあるが、ブッダの初期経典のような味わいがある。


 コントロールされた意志から繰り出される計算済みの暴力。ここに軍隊の本質が浮かんでくる。


 組織と政治という骨太のテーマを描いて秀逸。リーチャーと母親のやり取りも哲学的示唆に富んでいる。

前夜(上) (講談社文庫) 前夜(下) (講談社文庫)

2010-11-11

妊娠中絶に反対するアメリカのキリスト教原理主義者/『守護者(キーパー)』グレッグ・ルッカ


 アメリカでは堕胎を行う産婦人科医が毎年のように殺されている、と何度か書いてきた。その辺の情況を描いたミステリはないかと探して見つけたのが本書である。


 予想以上に面白かった。警句の余韻をはらんだ文章も中々お見事。関口苑生の「解説」を呼んでびっくりしたのだが、グレッグ・ルッカは26歳でこの作品を書き上げたという。トム・ロブ・スミスもそうだが、ミステリ界には若い書き手の台頭が見受けられる。


 書き出しはこうだ──


 そうしてやりたいのはやまやまだったが、わたしは、男の鼻を折らなかった。


【『守護者(キーパー)』グレッグ・ルッカ/古沢嘉通〈ふるさわ・よしみち〉訳(講談社文庫、1999年)以下同】


 暴力をコントロールする意思。主人公のアティカスはボディガードを生業(なりわい)としていた。彼はフリーランスだった。自分の職業を「パーソナル・セキュリティー・エージェント」と称した。


 物語はアティカスが恋人と産婦人科を訪れ、中絶を決意するところから始まる。病院の周囲を中絶反対派の人々がプラカードを林立させて取り巻いていた。


 やかまし男がメガフォンを掲げ、話しはじめた。

「諸君に殺人について話そう」男はいった。

 デモ隊はざわめいた。

「またしても殺人が、さらなる血塗られた殺人がおこなわれている」男はいった。「おびただしい死体、ちぎれ、引き裂かれた死体が彼らのゴミ箱を、大型ゴミ容器を、シンクを埋めている。冷たい金属、鋭い金属、あの子たちの感じるこのうえもなく冷たく、このうえもなく鋭いもの、母から引き離され、安全とぬくもりとふるさとから引き離されて二度めに感じるものがそれなのだ」


 中絶反対派のリーダーは長広舌を振るった。そして彼の言葉は全てが正しかった。戦争の大義名分と同じように。世間の耳目を糊塗する言動は、暴力にまぶされたシュガーパウダーだった。そして正しい言葉が暴力性を先鋭化してゆくのだ。正義によって狂信が増幅されることを見逃してはなるまい。


 言葉の限界は言葉の弱みでもある。整合性のある言葉は脳を支配する。考え込んでしまえば負けだ。即座に応答することができなければ、脳はコントロールされる。広告・占い・宗教・政治においても同じ手法がまかり通っている。


 アティカスは知性と直観を兼ね備えた人物だった。婦人科の女性医師が彼に警護を依頼した。


 この職業のいやなところをいわざるをえない。冷徹なる真実の部分。「あなたを完璧に守ることはできない。だれにもできない。だれかがあなたを本気で殺したいと願い、そいつらに忍耐心と半分でも脳味噌があり、多少の金があったなら、その仕事をやりとげるだろう。10年かかるかもしれないが、やりとげるはずだ。どんなに徹底的にセキュリティに気をつけても、どれだけおおぜいのボディーガードがいても、どんなに金をかけても、防ぐことはできない。カナダのユーコン準州みたいな僻地(へきち)に引っ越しても、本気であなたを殺したいと望んでいるなら、追ってきて、なんとか方法を見つけるはずだ。絶対の保護みたいなものはありえない」


 プロフェッショナルはできることとできないことを弁えている。そしてできることについては知り尽くしている。


 どんな世界にも原理主義者は存在する。彼らは原理に人間を合わせる。プロクルステスのベッドのように。原理主義は人間を手段化する。原理でがんじがらめにすれば自爆テロも可能となる。


 トリックスターとして描かれているブリジットの人物造形も巧みだ。減らず口を叩く警官もグッド。ただ、地味な展開と受け止めるか、リアリティを追求しているとするかで好みが分かれそうだ。マイクル・Z・リューインが好きな人にはオススメできる。


 タイトルは「守護者」となっているが、文中に「灯台守(キーパー)」と出てくる。きっと「人間性の光」を象徴したのだろう。「神の光」ではなく。


 キリスト教原理主義者は生まれてくる子供達を守るために殺人をも正当化する。歴史を振り返ってもキリスト教の正義は血と暴力に満ちている。彼らは「神の怒り」を実行する者と化す。だからこそアメリカ先住民を殺戮し、黒人を奴隷にした上で虫けらみたいに殺害できたのだろう。


 世界の宗教人口の比率は、キリスト教35%、イスラム教19%、ヒンドゥー教14%、仏教6%となっている。差別的な宗教が世界にはびこっている内は平和が訪れることはないだろう。

守護者 (講談社文庫)

2010-07-15

自由のない国と信頼のない家族/『グラーグ57』トム・ロブ・スミス


 チト苦しい。ストーリーが破天荒すぎて、あちこちに無理がある。「初めに事件ありき」といった印象を受けた。


チャイルド44』の続編である。それだけで期待は膨らむ。異様なまでに。過度な期待はおのずから厳しい眼差しとなる。傑作の後の駄作を許さないのは当然だ。


 それでも「読ませる」のだから、トム・ロブ・スミスの筆力は凄い。


 自殺も自殺未遂も鬱病(うつびょう)も――人生を終わらせたいと口に出すことさえ――国家に対する誹謗(ひぼう)中傷と見なされる。より高度に発達した社会には自殺もまた存在しえないものなのだ。殺人同様。


【『グラーグ57』トム・ロブ・スミス/田口俊樹訳(新潮文庫、2009年)以下同】


 ソ連は何も変わっていなかった。理想と現実とは懸け離れ、その距離を嘘で埋めていた。社会主義国はバラ色でなくてはならない。たとえ現実が灰色であったとしても、人々は「バラ色です」と答えることを強いられた。


 前作同様、家族がモチーフになっている。レオ・デミドフは二人姉妹の子を養子に迎えたが、姉のゾーヤはレオを憎んでいた。


 ゾーヤはいまだにレオを保護者と認めていなかった。両親を死に追いやったレオを今でも赦(ゆる)していなかった。レオのほうも自分を父と呼ぶことはなかった。


 レオがゾーヤの両親を殺したわけではなかったが、幼子の目にはそのように映った。自由のない国と信頼のない家族。二重の苦しみをレオはどう克服するのかが読みどころだ。


 突然ソ連に変化が生じた。フルシチョフスターリンを批判したのだ。


 彼らが今耳にしているのは国家を批判することばだった。スターリンを批判することばだった。ラーザリはいまだかつてこのような形でこのようなことばが語られるのを聞いたことがなかった。恋人同士のあいだでさえ囁かれることのないことばだった。寝棚の囚人同士が囁き合うことさえ。そんなことばが彼らの指導者の口から語られたのだ。それも党大会で報告されたのだ。それらは書き取られ、印刷され、装丁され、こうしてこの国のさいはての地にまでたどり着いた。


 この収容所が「グラーグ57」だった。ここから荒唐無稽な筋運びとなる。既に家出をしたゾーヤは悪党の一味に加わり、ハンガリー動乱の扇動を行うといったもの。


 レオは前作と比べると明らかに老いが目立っている。本書ではレオという主人公の人物造形が凡人と超人の間で揺れており、それが物語を中途半端なものにしている。ゾーヤの落ちぶれようも救いがなく、全体のトーンが暗く明暗のアクセントを欠いている。


 このシリーズは三部作で完結する予定らしいが、次の作品はじっくりと時間をかけて再び傑作をものにして欲しい。

グラーグ57〈上〉 (新潮文庫) グラーグ57〈下〉 (新潮文庫)

2010-07-13

時計のウンチクが満載/『ウォッチメイカー』ジェフリー・ディーヴァー


 リンカーン・ライム・シリーズの第7作。手に汗握り、悶絶のラストへ突入する様はジェットコースターそのものだ。富士急ハイランドのFUJIYAMAええじゃないかを足したようなものと考えてもらえばよい。


 ディーヴァー作品の正しい読み方を教えて進ぜよう。ストーリーは必ず3分の2ほどでひと区切りつくので、それ以降はどんでん返しがあるたびに本を閉じ、翌日まで読むのを我慢するのだ。こうすれば多分、通常のミステリの5倍は楽しめるはずだ。


 シリーズものはサザエさん化を免れることができない。ディーヴァーファンの中には「食傷気味だ」なんて生意気を言っている連中もいるが、これは文章の細部に目が届いていない証拠だ。


 ウォッチメイカーとは時計師のことである。彼が創作するのは、もちろんクォーツを使わない機械時計だ。

 その昔、時計を持つ者は「時を司る者」だった。人の一生は時に支配されている――


 私の姿は目に見えない。

 だが、私はつねにいる。

 力のかぎり走るといい。

 私から逃れられるものはない。

 力のかぎり闘うといい。

 私を打ち負かせる者はない。

 私は私の論理で人を殺す。

 法のもとで罰を受けることはない。

 さあ、私は誰だ?


“時”(とき)さ。


【『ウォッチメイカー』ジェフリー・ディーヴァー/池田真紀子訳(文藝春秋、2007年)以下同】


 その時計師を名乗る犯人が次々と事件を起こす。時計好きの方であれば、読み終えるまで陶酔に身を浸(ひた)すことができる。ウォッチメイカーは時間に関することなら何でも知っていた――


「時間? 時間についてどんなことを話すの?」

「ありとあらゆることについてだよ。時間の歴史とか、時計の仕組みとか、暦(こよみ)のこととか、そのときの状況によって時間の進みかたが違って感じられるとか。たとえばさ、“スピードアップ”って言葉は振り子時計から来てるとかって話をする。振り子の重りを上(アップ)にずらすと、時計の進み方が速くなるだろう。反対に“スローダウン”は――重りを下(ダウン)にずらす……ふつうならさ、退屈な話だよな。だけどダンカンが同じ話をすると、つい聴き入っちまう」


 ディーヴァーは犯人の人物像を実に瑞々しい色合いで描き出す――


 ――知ってたか、ヴィンセント。“几帳面”(メティキュラス)って言葉は、“おびえる”という意味のラテン語“メティキュロサス”から来てるんだ。

 正確でないもの、秩序立ってないものを目にすると、頭をかきむしりたくなる。平行でない線路とか、少しだけ曲がった自転車のタイヤのスポークとかいったささいな欠陥であってもだ。何かが予定どおりに運ばないと、黒板を爪でひっかく音を聞いたときのように、神経が逆立った。


 人生は時間であり、歴史もまた時間である。時間は過去、現在、未来と流れ、我々は現在を生きている。にもかかわらず、時間は有限性を強烈に意識させ、我々はいたずらに過去に捉われたり未来を夢見たりしている。


 時間はどこに存在するのか? そもそも時間とは何なのか? 既に量子力学で明らかになっているが実は時間は連続して流れているわけではない。時間は過去と現在、現在と未来の比較の中に存在する。つまり時間とは概念なのだ。


 脳のシステムは概念を構築する。例えば神や幽霊というのも概念に過ぎない。要は概念としては存在するが、実体は存在しない。


【ビフォア・アンド・アフター】。

 人は前進を続ける。

 理由はどうあれ、人は前進を続け、ビフォアはアフターになる。


 現在は、過去と未来の分水嶺である。未来は存在しないが過去は存在すると我々は思い込んでいる。だが実際は過去も存在しない。過去は記憶の中にのみ存在しており、例えば記憶障害や認知症になれば消え失せてしまう。過去は淡い。その淡い過去が自我を形成している。


 光に時間は存在しない。世界が存在するのは光が世界を照らしているからだ。目に見える事物を仏典では「色法」(しきほう)と呼ぶが、色は光の反射である。世界には有無が混在している。有無という見(けん)から離れるところに「空」(くう)が現れる。


 色々な意味で時間を考えさせてくれる一冊だ。

ウォッチメイカー〈上〉 (文春文庫) ウォッチメイカー〈下〉 (文春文庫)