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2009-02-21

砂漠の民 ユダヤ人/『離散するユダヤ人 イスラエルへの旅から』小岸昭


 流浪の民ユダヤ人は、砂漠に追放された民でもあった――


「私にとって、砂漠の経験はまことに大きなものでした。空と砂の間、全と無の間で、問いは火を噴いています。それは燃えていますが、しかし燃え尽きはしません。虚無の中で、おのずから燃え立っております。」(「ノマド的エクリチュール」)

「おまえはユダヤ人か」という火を噴くような問いを、このように「砂漠」を憶(おも)いつづける自分自身につきつけて思考するのは、エドモン・ジャベス(1912-91)である。エジプトからヨーロッパの大都市パリへ移住してきたこの詩人は、さらにこれにつづけて、「他方で、砂漠の経験は研ぎすまされた聴覚とも関係があります。全身を耳にする経験と言っても差しつかえありません」と言う。ジャベスのこのような「砂漠の経験」の根底には、当然のことながら、追放という濃密なユダヤ性が鳴りひびいている。

 エードゥアルト・フックスによれば、少なくとも1000年間は砂漠の中に暮らしていたというユダヤ人は、その「研ぎすまされた聴覚」によって、迫り来る危険をいち早く察知する能力を身につけていた。砂漠の遊牧民だったユダヤ人は、地平線から近づいてくる「生きもの」が獣であるか人間であるかを、そのかすかな音を耳にした途端すでに聞き分け、刻々と変化する危険な事態を乗り切るため、つぎの行動に素早く移行しなくてはならない。こうして砂漠の経験は、忍び寄る危険の察知能力ばかりでなく、あらゆる状況の変化への同化能力を彼らの中に発達させた。


【『離散するユダヤ人 イスラエルへの旅から』小岸昭〈こぎし・あきら〉(岩波新書、1997年)】


 実に味わい深いテキスト。砂漠という空間と、ユダヤ民族という時間が織り成す歴史。


 養老孟司が『「わかる」ことは「かわる」こと』(佐治晴夫共著、河出書房新社)の中で興味深いことを語っている。耳から入る情報は時間的に配列される。つまり、因果関係という物語は耳によって理解される。一方、眼は空間を同時並列で認識する。


 つまり、だ。迫害され続けてきたユダヤ人は、歴史の過程で「強靭な因果」思想を構築したことが考えられる。彼等が生き延びるためにつくった物語はどのようなものだったのだろうか。そこにはきっと、智慧と憎悪がたぎっていることだろう。


 民族が成立するのは、「民族の物語」があるからだ。そして民族は、過去の復讐と未来の栄光を目指して時が熟すのを待つようになる。

離散するユダヤ人―イスラエルへの旅から (岩波新書)

2009-01-25

生き生きとしたアメリカのスケッチ/『チャーリーとの旅』ジョン・スタインベック


 竹内真の新訳。実にあっさりした文体となっている。功成り名を遂げたスタインベックがキャンピングカー(ロシナンテ号)でアメリカ再発見の旅に出る。愛犬のチャーリーを伴って。


 文豪の手にかかると、何気ない日常の風景が生き生きと躍動するスケッチ画となる。


(※ケベック州から出稼ぎに来ている十数人の家族に、高級ブランデーを振る舞う)コニャックは実に実に美味かった。最初に乾杯の声を上げて口をつけた時から男たちの兄弟愛が膨らみ、ロシナンテ号をいっぱいに満たした。――もちろん姉妹愛も一緒である。

 みんなお代わりを遠慮したが、私はそれでもすすめた。とっておくほどの量ではないからと3杯目も注いで回った。みんなで分けるにはちょっとずつしにしかならなかったが、おかげでロシナンテ号では人間の素晴らしさを味わうことができた。それは家じゅうを、いやこの場合はトラックじゅうを祝福する魔法だ。

 9人の者たちは静けさの中で結びついた。手足が体の一部であるように、9人でありながら一体となったのだ。別々でありながら分かちがたく結びついていたのである。ロシナンテ号は喜びに包まれ、決してさめることはなかった。


 これほどの一体感は長くは続かないものだし、長引かせるべきでもない。

 家長が何か合図をし、客人たちはテーブル周りの窮屈な席からにじり出た。こんな場合にふさわしく、さよならの挨拶は短くて礼儀正しいものだった。


【『チャーリーとの旅』ジョン・スタインベック/竹内真訳(ポプラ社、2007年)】


 擦れ違うような一瞬の出会いに情感が通う。祝杯を挙げるのに相応しい人達だ。節度が好ましい距離感を保ち、鮮やかな余韻を残す。人間の善き一面が照らし合う時、平和は出現するのだ。ロシナンテ号は確かに平和だった。


 政治と宗教、民族と教育が戦火の原因であれば、そんなものは最初からない方がいいに決まっている。

チャーリーとの旅

2001-05-03

『ミッドナイト・サン 新・北欧紀行』丸山健二


殴られる心地好さ


 私は軽井沢の地にいた。新世紀初のゴールデン・ウィークを、余りにも有名となった避暑地で優雅に過ごす予定だった。2日に出発。クルマで向かう途中、怪しげな顔を見せていた雲がパラパラと雨を落としてきた。面子が悪過ぎた。古書店仲間だったのだ。道中、古書店でも巡りながら行きましょう、ということだったので、「あんまり荷物になっても仕様がないし、適当にみつくろってくるか」程度に思っていたのが、そもそもの過ちだったのだ。1軒目、2軒目は、まだバカンス気分だった。3軒目あたりから、妙な熱気が身体を包み込んだ。この時点で私を含めた4人の旅の目的が道楽ではなくなったように思う。買う度にはしゃぐ姿は、とても大人のものではなかった。単なる仕事にしては執念が深過ぎた。


 結局、一泊二日の旅で数十件の古本屋を回り、私は67冊もの荷物を持つ羽目となっていた。多目に持ってきたはずの所持金は1000円札一枚となっていた。「宵越しの金は持たねえ流儀よ」と心で呟いたが、下唇には歯型がクッキリとついていた。しかし、私にはまだ伝家の宝刀が残されていた。「俺は、まだ普通だ。オヨヨの山崎君と較べれば……」と自分を慰めることができるのだから。とある書店で山崎君は持ち出した本の値段を訊いた。1万円足りなかった。こんな買い方は普通の人間はできねえぜ、全く! イカシタ古書店主とイカレタ古書店主は紙一重だった。その点、月影の大塚さんなんぞは買い方が上手い。クルマの後部座席で、山崎君と2人で大塚さんが買った袋の中を覗いた。「上手いのを抜いてくるねえ」と私が言うと、山崎君はすかさず「失敗しても傷が浅く済む買い方ですね」と応じた。西荻窪で「ハートランド」というブックカフェを構える斉木さんは相性が悪かったようで収穫は少なかったようだ。


 持ってはいたのだが、丸山健二の『ミッドナイト・サン』を買った。皆を待つ間、パラパラとめくってみた。本の状態は非常に悪かったのだが、読むには差し支えなかった。


 暗く、重く、うんざりさせられる日々とすっぱり手を切りたいと願うなら、旅に出るがいいだろう。これが一番だ。もしくは、さんざんあがいて、音をあげて、苦しんだ挙句に万策尽きたと思ったなら、さっさと旅に出るがいい。


 この冒頭を読み、私は自分を呪った。軽井沢まで来て本を買う姿は旅とは懸け離れ、日常そのものだった。


 丸山は、旅が逃避行為であることを認めた上でこう書く――


 少なくとも、家に閉じこもって無為のうちに過すことよりはましなはずだ。弁解の言葉に埋まって動かないよりも、ともかく出ることだ。未知なる時間と空間のなかをくぐり抜けて行くうちには、おそらくどうになかなるだろう。よしんばどうにもならなかったとしても、移動しているあいだはまばゆい光輝に包まれる瞬間がきっとあるだろう。きょうはなくてもあしたには得られるかもしれないという期待につきまとわれるだけでも意味があるだろう。


 30代の丸山はなかなか威勢が好い。「アナーキズムは思想ではなく哲学である」などと面倒なことはいわない。充実した体力のせいであろうか。エッセイの文章はどこか余裕がある。最新作の『逃げ歌(講談社:上下)』などは、とても読めた代物じゃない。落ちた体力を総動員してペンにしがみついているような印象しか受けなかった。あるいは、庭仕事に精魂を傾け過ぎて、ペンを握る力が残ってなかったのかも知れない。


 タイトルは、ラオネル・ハンプトンの名曲からとったようだ。ノルウェーを中心にクルマで走破する5500kmの旅。丸山がしかと見据えた土地や人々がスケッチされている。もやもやした鬱屈を抱え、それを排気ガスと一緒に吐き出す旅だ。


 がむしゃらに前へ進みゆく者の言葉が清々しい。丸山の言葉には“殴られる心地好さ”がある。

ミッドナイト・サン 新北欧紀行