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2009-01-20

豊かな語りの文化/『タレントその世界』永六輔


 永六輔による聞き書きシリーズ三部作の一つ。岩波書店から『芸人 その世界』と『役者 その世界』は復刊されているのだが、本書は絶版のまま。岩波に都合の悪い内容でもあるのだろうか?


 講談は読むという。

 義太夫は語るという。

 落語は話すという。

 長唄は唄うという。

 この差を楽しむだけでも日本の芸能は面白い。


【『タレントその世界』永六輔(文藝春秋、1973年/文春文庫、1977年)】


 私は永六輔が嫌いだ。虫唾(むしず)が走るほど嫌いである。武田鉄矢同様、あの説教臭さにはうんざりさせられる。多分、リベラルという仮面をかぶった左翼なのだろう。しかし、である。このシリーズは素晴らしい内容だ。言葉に興味のある方は必読。


 日本人が皆、読み書きができるようになったのは明治期以降のことと思われる。するってえと、それまでの日本文化の底流にあったのは「語り」であったに違いない。名調子で聴衆を魅了する――そんな光景がそこここにあったことだろう。今時はもうないね。芸は見せるものとなり、敢えなく映像に敗れてしまった。


 時折、政治家やアナウンサーが「言葉は命ですから」なあんてことをぬかしているが、笑っちまうようね。メディアってのはね、「見栄(みば)えが命」なんだよ。


 テレビがつくる文化は一過性のものに過ぎない。文化と呼べるとすればの話だが。所詮、目立ちたがり屋の連中がテレビ局の台本通り、ドタバタやっている世界だろう。だから私は殆どテレビを観ない。この3ヶ月間ではNHKスペシャルを一度観ただけだ。


 大体文化ってのはさ、それ相応の歳月をかけてコミュニティ内で醸成されるものだ。だから、文明の発達によって移動が自由にできるようになると、文化は破壊される運命にある。


 芸能界とは言うものの、芸らしい芸は皆無といってよい。文化の名残りがあるのは演歌くらいのものだろう。演歌なんぞにはまったく興味のなかった私だが、実は最近「ちあきなおみ」にハマっているのだ(ニヤリ)。

タレントその世界

2001-11-25

『タレントその世界』永六輔


 忘れ難い本がある。いたく感動した作品なんぞもそうなんだが、探し続けた挙げ句にやっと見つけた本の方が生々しい記憶となって脳味噌に刻み込まれている。私の場合だと、丸山健二の『メッセージ 告白的青春論』(文藝春秋)や、ハリソン・E・ソールズベリーの『攻防900日』(早川書房)、P・マルヴェッツィG・ピレッリ編の『イタリア抵抗運動の遺書』(冨山房百科文庫)など。


 見つけた瞬間の動きといったら、そりゃもう、フェンシングの“突き”さながらで、一閃の光芒を放つほどである。そして、今回、紹介するこの本もその一つ。永六輔の『タレントその世界』(文藝春秋、1973年)。向井敏が書評で持ち上げているのを読んでから、ずうっと探していた。タレントの発言やエピソードなどが収録されており、いずれも寸鉄人を刺すような余韻をはらんでいる。


 永六輔という人物はあんまり好きじゃないんだが、こうした情報収集になると右に出る者は、まずいないだろう。


 福沢諭吉は杵屋弥十郎を贔屓(ひいき)にした。

 ある時に弥十郎を呼ぶと「三味線がこわれているので」と断ってきた。

 福沢が弥十郎の家の近所の質屋を調べると案の定、弥十郎の三味線が入っている。

 それを受けだしておいて、芸はしなくていいからと弥十郎を呼び「私の三味線で弾いてくれ」と例の三味線を出した。

 これが弥十郎を大成させるキッカケになった。

 こんなエピソードを知ると、1万円札の顔も優しく見えてくるから不思議だ。願わくは、その優しいお顔をもっとたくさん見させておくれ。


 高度経済成長前の聞き書きは、貧・病・争を思わせるものが多く、それだけに“生”の実感と息遣いに満ちている。例えばこう――


 ジョセフィン・ベーカーが踊り出したキッカケは寒かったからなのだ。


 かと思えば、こんなのもある。


 かつての横綱常陸(ひたち)山は眼力をきたえるのに堂々と道でウンコをした。

 当然だが道を行く人は好奇の目でウンコをしている常陸山を見る。

 その目をにらみ返すのである。


 自分を鍛えようと思えば、いかような知恵も出るという手本である。ただし、真似はしないよーに(笑)。


タレントその世界

2000-02-09

『ラジオの鉄人 毒蝮三太夫』山中伊知郎


 心を響かせて発せられたものが言葉だとすれば、声に心根が現れると言って良いだろう。この間読んだ藤原伊織著『てのひらの闇』(文藝春秋)には、会長秘書の言葉を称して「ステンレスの定規みたいに事務的な声」なんてのがあったが、巧いもんだね。生の言葉は、書き言葉とは違って、言葉遣いよりも息遣いに人間が出る。「ステンレスの定規」ってのがピンと来るのは、冷たさと硬さ、そして隙(すき)のなさであろう。我が国では人と人とが会った時は、時候の挨拶から始まる。「随分と寒くなって来ましたね」「全く鬱陶しい雨が続きますな」「生憎(あいにく)の天気ですね」など、万人がわかり切った内容の確認から会話が始まる。四季の移り変わりがハッキリとしてるが故に、気温に敏感なのだろうか。


 声の響きもそうだ。自分に対して親近感を抱いているか、打ち解けようとしているか、そんな温もりを人は素早く察知する。


 私は北海道出身で、ゆったりした言葉の中で育ったせいだろうか、江戸っ子言葉に弱い。何とも言い難い威勢の好さに魅了されるのだ。寅さんやマムシが放つ言葉は、生き生きとしたリズムを奏で躍動する。乱暴な言葉遣いをガッチリと人情が支えている。


 私が初めてマムシのラジオ放送を聴いたのは10年程前だったろうか。ウルトラマンのアラシ隊員でお馴染みだったマムシが、ぽんぽんと毒気の強い言葉を放っているのを耳にした時は度肝を抜かれた。


「いやァ、キレイな店だね。汚いのは客だけ。まったく、きょうもあの世から早く来いって呼ばれてるようなジジイ、ババアばかりだ」


「湿気取り置いとくと、年寄りはみんなカサカサにひからびちまう」


「こんなくたばりぞこないに何かあげても、冥土まではもってけないよ」


「アンタの時代は女学校なんてねーよな、寺子屋だよな」


「素直じゃないよ。女房に無理矢理保険に入れられるタイプだよ、お前は」


 大体こんな感じで「ジジイ、ババア」のオンパレードだ。


 私は耳を疑った。だが、更に驚いたのはマムシとやりとりする老人達の明るい笑い声だった。大事にしなきゃならない存在だからという理由だけで、配慮され、体よくあしらわれて来た年寄り連中が、本音で語るマムシに大らかな笑い声を上げていた。その番組を聴き終えた時、ああ、これは小学校の同窓会みたいなものかも知れないと、ふと思った。


 当初はやはり苦情が殺到したそうだ。しかし、マムシの人となりをよく知るスタッフは、これで行こうと支持した。更に、マムシ自身が、自分の言葉をたぐり寄せるために毎晩、メイン・パーソナリティの近石真介とその日の仕事を振り返り、入念な反省が行われていた。この電話は短くて1時間、長いと数時間も続いたという。


 本書はコンパクトながら、毒蝮三太夫の生涯をなぞり、番組の舞台裏が垣間見え、軽めの読み物として一気に読める。


 ゴリラそっくりで近所のオバアサンをつかまえては、「よう、しばらく見ねえから、くたばっちまったかと思った」などと言う、口の悪い父親。目が不自由な近所のオバアサンの手を引いて15年の長きに渡って、毎日、銭湯に連れていった母親。マムシの芸は父と母から受け継がれたものだった。


 マムシは下町のオヤジ宜しく人情で掛け合いを締め括る。


「そうか、10年もクニに帰ってないのか。クニのオフクロに、ラジオ通して元気でやってるって言ってやれ」


「お前がここまでやれたのも近所の皆さんのお陰なんだぞ。近所の皆さんにどうもありがとうございますって言いなよ」


「一人娘が結婚するんじゃ、オヤジも寂しいなァ。結婚する娘に、ユミコ幸せになれよって言ってやれ」


 懐かしき父性と言ったら言い過ぎであろうか。実の父親が我が子に遠慮する昨今である。妙なものわかりの好さが子供達を増長させてやしないだろうか。厚底のサンダルやブーツ越しに少女達は大人を見下している。


 マムシはこんなことを言っている。


「心地いい本音じゃないとね。お互いに昂揚しないと。そこに知的な作業がなきゃだめなんだよ、毒がないとね。豆腐だって、にがりがないと固まんない。でも、にがりそのものは食えない。僕はにがりみたいなもんだと思うよ」


 一見、何気ない話術は、熱心な研究と彼の優しさがつくり上げたものだった。そこに誰もが真似しようのない独創性が磨かれていったのだ。


 ラジオとはまたひと味違うマムシの魅力に触れることができた。

ラジオの鉄人 毒蝮三太夫