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2010-11-30

「私たちは大量虐殺を未然に防ぐ努力を怠ってきた」/『NHK未来への提言 ロメオ・ダレール 戦禍なき時代を築く』ロメオ・ダレール、伊勢崎賢治


 アクションもののヒーローはおしなべて無法者の匂いがする。「俺が法だ」と言わんばかりに社会の矛盾や組織の理不尽を踏みつけてくれる。我々に代わって。人気の高い作品というのは、人々の不満を上手にすくい取ってカタルシスを与えているのだろう。


 映画『ホテル・ルワンダ』を観た人であれば、ロメオ・ダレールを知っているはずだ。ニック・ノルティが演じたオリバー大佐はロメオ・ダレールがモデルになっている。国連という枠組みに縛られて、大虐殺を傍観せざるを得なかった司令官だ。


 映画から受けた衝撃は十分すぎるものであったが、私にとってルワンダは遠い国だった。世界中がルワンダを放置しているのだろう、と思いながら私も放置していた。アフリカというだけで、どうせ大した情報もあるまいと決めつけていた。


 映画を観てからちょうど2年後に、レヴェリアン・ルラングァ著『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』を偶然見つけた。これが私の運命を大きく変えることになった。その意味でルワンダは我が精神の祖国といってよい。


 ルワンダについて、ダレール氏は次のように語る。

ルワンダはわたしを変えました。生涯心から消えることのない体験だったからです。大量虐殺は核兵器の使用と同じく、人類が越えてはならない一線です。それなのにわたしたちは、大量虐殺を未然に防ぐ努力を怠ってきたのです」


【『NHK未来への提言 ロメオ・ダレール 戦禍なき時代を築く』ロメオ・ダレール、伊勢崎賢治(NHK出版、2007年)以下同】


 経験が人を変えるとよくいう。そんなのは嘘っぱちだ。経験は誰でもしている。そして経験の劇的さを競うことには意味がない。問われるのは経験ではなく感受性なのだ。世界と人間から感じ取るものが大きければ大きいほど、人は深い生を味わうことができる。


 それにしてもロメオ・ダレールに伊勢崎賢治をぶつけるというのが絶妙なキャスティングだ。この二人は共に地獄を見てきた男であり、平和のプラグマティストである。理想だけでもなく、口先だけでもなく、政治的な現実を知り尽くした上で可能な範囲ギリギリまで平和を推進してきた。


ダレール●アフリカに対する先進国の関心はゼロに等しい状況です。わたしたちは彼らに対して植民地時代よりもひどい仕打ちをしています。わたしたちは勝手に格付けを行って、黒人の住むアフリカ大陸を最低だと決めつけてしまったのです。自分たちに利益がない場所には、決して関与しないと。

 ルワンダで虐殺が始まった当初、部隊を派遣するかどうを判断するため、各国の視察団がやってきました。ある国の代表はそっけなくこう言いました。

「司令官、わたしたちはルワンダに来るつもりはありません。兵力の増強を政府に進言するつもりもありません」

 わたしは言いました。

「なぜですか。ルワンダの惨状をよく見てください」

 しかし、彼は次のように答えました。

「状況はわかります。でも、ルワンダには何の戦略的価値も資源もない。ただ人がいるだけです。すでに多すぎるくらいの人間がね」

(中略)

 そして、さらに彼はこう言い放ったのです。

「白人兵士をひとり送るためには、ルワンダ人8万5000人の死が必要だ」と。

 それがアフリカの人びとの命の価値だったのです。

 結局、ルワンダには誰ひとりとして来ませんでした。


 価値観は恐ろしい。差別を合理化できるのだから。そして自分の価値体系から外れるものは切り捨てることができる。「国益に利することがないのであれば、我が国は関心を持てません」ってわけだよ。日本も無関心だった。そして、あなたや私も。


 1994年8月、ダレール氏はルワンダから帰国。これ以上、任務を遂行する気力も体力もない、と司令官を辞任した。しかし、脳裏からルワンダの惨状が消えることはなかった。ダレール氏は、PTSD心的外傷後ストレス障害)と診断された。2000年6月、ダレール氏は自殺を図り、公園のベンチの下で発見された。国連平和維持部隊の司令官まで務めたダレール氏の自殺未遂に、カナダの人びとは衝撃を受ける。


 ここにロメオ・ダレールの真実があった。深き感受性はどこまでも自分を苛(さいな)んだ。「国連を非難しているが、じゃあお前はどうなんだ? お前は何かしたのか?」という声が胸の中で去来したことと想像する。


 ロメオ・ダレールと伊勢崎賢治は暴力の構図から妥協の知恵を模索する。ダレールの「保護する責任」という主張は2005年の国連サミットで採択される。こうして「国家主権」「内政不干渉」に一撃を食らわせた。しかし条文やルールで平和を構築した歴史は人類に存在しない。悪用されるケースも十分考えられる。


 目の前にある不幸と関わる。世界の不幸に思いを馳せながら。それしかできない。いや、それだけならできる。世界を根本的に変えるのは、不幸を感受する力を促す教育である。他人の不幸に鈍感な人々が世界を滅ぼすのだ。

NHK未来への提言 ロメオ・ダレール―戦禍なき時代を築く

2010-11-04

アメリカの誇大妄想と被害妄想/『日本人が知らない「ホワイトハウスの内戦」』菅原出


 アメリカの政治システムを支えているのがシンクタンクである。それぞれのシンクタンクが立案した政策は公開され、政府が変わるたびに採用されたり斥けられたりする。いわば政策立案の市場化。


 読み物としてはさほど面白くないが資料的価値のある一冊。アメリカの政治は初めに戦略ありきで、それから世論形成を図る。我が国の政治は……あ、政治は存在しなかった。日本は談合だ(笑)。談合三兄弟。寄り合い。村。同調圧力が支配するのみ。


 ブッシュ政権の目的が本当にイラクの大量破壊兵器の廃棄だけであるのなら、国連査察の強化もしくは継続でよかったはずだ。ブッシュ政権には表向きの理由とは別に、イラク攻撃、フセイン潰しをどうしてもやりたい理由があったのではないか……。国際石油資本(メジャー)の暗躍、兵器産業の謀略、キリスト教原理主義(右派)の野望など、ブッシュ政権の「真の狙い」に関するさまざまな憶測が飛び交う中、あるアメリカの保守系シンクタンクの存在に、世界中の注目が集まった。

 そのシンクタンクは、「新アメリカの世紀プロジェクト(Project for New American Century、通称PNAC)」。9.11テロと、それに続く対テロ戦争を契機に浮上した「イラク脅威論」のはるか以前から、打倒サダム・フセインを掲げて活動してきた過激なシンクタンクである。ブッシュ政権内には、このシンクタンクと深い関わりを持つ大物たちが多数存在し、ブッシュ外交を対イラク強硬姿勢へと導いていた。


【『日本人が知らない「ホワイトハウスの内戦」』菅原出〈すがわら・いずる〉(ビジネス社、2003年)以下同】


 日本の政治を動かしているのは官僚だが、アメリカはシンクタンクということだ。なかんずくブッシュ政権は大統領よりも閣僚クラスが権力をコントロールしていた。


 要は外交情況に応じた政策判断が為されるのではなくして、最初に絵(構想)があるわけだ。シンクタンクが描いた下絵に基づいて政治の筆が色をつけてゆく。


 フム、何かに似ているな。そう、聖書だ。「初めに言葉ありき、言葉は神と共にありき」だ。世界はアメリカの構想に基づいて蹂躙(じゅうりん)され、踏みつけられ、殺されるという寸法だ。その際必ず「正義」と「民主主義」というキーワードが標榜される。


 ネオコンのこうした概念を、ジョージタウン大学のジョン・アイケンベリー教授は批判的に「新帝国主義」と呼んだ。この新帝国主義によれば、「アメリカは世界的な基準を設定し、脅威が何であるか、武力行使を行うべきかどうかを判断し、正義が何であるかを定義するグローバルな役割を担っている」のだという。そして、「アメリカの主権はより絶対的なものとみなされ、一方で、ワシントンが設定する国内的・対外的行動上の基準に逆らう諸国の主権はますます制約されていく」と同教授は書いている。


 アメリカはジャイアンと似ている。「お前のものは俺のもの。俺のものは俺のもの」って感じだわな。


 日本の政治が何となくおかしく感じるのは、たぶん敗戦後に布かれたレールの上を今も尚走り続けているからだろう。官僚・メディア・CIAというトライアングル。きっと、この国に主権は許されていないのだろう。


「シンクタンク」とは元来、第二次世界大戦時のアメリカで、国防関係の科学者や軍の作戦担当者たちが、「戦略を討議するために集うことのできる安全な場所や環境」を指して呼んだのが始まりだ。


 これをランド研究所が変えた──


 ランド研究所は、それまでの研究者と政策形成過程の関係を根本から変化させ、新世代のシンクタンクの見本となった。それだけではなく、全く新し分析法の開発でも目覚ましい活躍を見せた。それまでは、文献調査、構造分析、それに統計調査が定番の分析手法だったのだが、同研究所は「システム分析」と呼ばれる新たな技術を開発、合理的分析の新しいスタイルを切り開いた。


 宇宙開発、情報処理、人工知能などを仕切っている。インターネットの原則を決めたのも奴らだ。アメリカの頭脳といってよかろう。


 ロックフェラーは当時、アメリカ、西ヨーロッパと日本の財界人や官僚や学者による諮問機関設立の必要性を痛感、1973年に「日米欧三極委員会」を立ち上げた。


 名称は知っていたが、私は政府の委員会だとばかり思い込んでいたよ。ここの中心人物がヘンリー・キッシンジャーだ。ロックフェラーの子飼いにして番犬のような存在だ。汚れ仕事は一手に引き受ける有能な人物でもある。


 アメリカの外交面でもっとも影響力のある集団は、東北部の大企業、多国籍企業、銀行などに足場を持つグループで、国際主義者、俗に「東部エスタブリッシュメント」と呼ばれるエリートたちである。


 菅原本にはやたらと登場するのが東部エスタブリッシュメントだ。一般的には共和党の穏健派を指し、ロックフェラー・リパブリカンとも呼ばれる。ま、リベラルのお面をつけた保守勢力といっていいだろう。


 こうした政治情況から窺えるのは、岸田秀がいうようなアメリカの誇大妄想的な自我意識と、強迫神経症という病状である。


 アメリカは誰も頼んでいないのに自ら保安官を買って出て、よそ者全員を敵と見なしている節(ふし)がある。錯綜する誇大妄想と被害妄想。


 移民の国であるがゆえに、正義という価値観で国をまとめ上げる他ない。でっち上げられた正義がわかりやすい暴力となって他国に向けられる。正義である以上、正義を証明しなければならない。


 アメリカのメディアはユダヤ資本に牛耳られている。大手メディアは政府のプロパガンダを担ってきた歴史がある。オーウェルが描いた『一九八四年』はソ連を風刺したものではなく、あらゆる組織が避けて通れない一大テーマなのだ。


 欧米の植民地主義覇権主義は現在も根強く国際政治に影響を及ぼしている。白人による人種差別がそろそろ手痛い目に遭ってしかるべきだろう。ギリシアもローマも滅んだ。永遠に栄える道などありはしない。

日本人が知らない「ホワイトハウスの内戦」

2010-08-29

第二次世界大戦の命運を分けた人脈−チャーチル、イントレピッド、ルーズベルト/『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』菅原出

 人が歴史を動かすのか、あるいは歴史が人を育むのか。いずれにしても歴史の先頭に立つ人物が必ずいるものだ。時代の寵児(ちょうじ)、歴史の申し子、世界地図を塗り替えた男達が……。


 第二次世界大戦の命運を分けたのはイギリスのウィンストン・チャーチルだった。


 まずドイツを取り巻く米英の人物相関図を見てみよう──


 このW・A・ハリマン商会で活発にドイツ債を商ったのが、ジョージ・W・ブッシュ現アメリカ大統領の祖父プレスコット・ブッシュであった。プレスコットはローランド・ハリマンのエール大学時代の学友で、1926年5月にW・A・ハリマンの副社長として迎え入れられた。プレスコット・ブッシュはブラウン・ブラザース・ハリマン商会では執行役員になり、同社の経営に大きな影響力を持つようになった。

 こうしたウォール街の超エリートたちは、ドイツ・ビジネスを通じて政財界に広範な人脈を築き、こうしたネットワークを通じて膨大な知識と情報(インテリジェンス)をもって、以降数十年間にわたり、アメリカ政府の対独政策に大きな影響を与えていくのである。


【『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』菅原出〈すがわら・いずる〉(草思社、2002年)以下同】


 パパ・ブッシュではなくグランド・パパ・ブッシュ(笑)。で、アメリカってえのあ、元々移民の国なわけで、そのルーツはヨーロッパにある。ブッシュ家は折り紙つきの名家らしい。血統書つきのヒトってわけだよ。

 チャーチルと縁戚関係に当たるという指摘もあるが、ブッシュ爺さんはドイツにテコ入れしていた。


 この流れ(イギリスのドイツに対する宥和政策)が180度変わるのは、ウィンストン・チャーチルが首相の座に就いてからのことである。この反ナチス強硬派の政治家が政権を奪取するまでには、イギリス政界内ですさまじい権力闘争が繰り広げられ、チャーチルはやっとの思いで1940年5月10日に首相の座にたどり着く。そしてこの日が、英独全面対決のはじまりの日となったのである。

 政権を握ったチャーチルは、まずイギリス国内の宥和派、親ナチス派を、あらゆる手段で徹底的に攻撃し、対独全面戦争に向けてイギリス国内をまとめあげていくのである。


 ポイントその一──反ナチスの言い出しっぺがチャーチルであるという事実。イギリスは決して一枚岩ではなかったのだ。


 アメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディの父親ジョセフ・P・ケネディは、長い間ウィンストン・チャーチルにとって目の上の瘤(こぶ)であった。ケネディはヒトラーの大ファンになり、イギリスやアメリカに根を張る親ナチス派の間に広範なネットワークを築いていたからである。


 ポイントその二──アメリカのエスタブリッシュメントの多くがヒトラー率いるナチスドイツを経済的に支援していたという事実。政治的道義は問われていなかった。


 さらに驚くことに、数多くの反戦・平和団体までがナチスや親ナチス派企業によって密かに支援を受けていた。その代表的なものが、ニューヨークのワールド・ピースウェイズだ。この団体は戦争反対のスローガンを高々と掲げて市民運動を展開し、女性や子供が戦争によって無惨にも被害にあう様子を写真入りのパンフレットで掲載し、戦争の悲惨さと参戦への反対を強く訴えていた。同団体が配付したパンフレットには、「私を戦争に送るのかどうかについて、もう少し慎重になってほしい。私だったらあなたのことを戦場に送ったり、死なせたりするのはまっぴらだし、それに、後でまた間違いを犯してしまったということで後悔したくないから……」というメッセージが記載されていた。

 こうした平和のメッセージを大量生産したワールド・ピースウェイズの運動員の多くは、戦争を心から憎む誠実な市民だったにちがいない。しかし彼らの活動資金は、「ヒトラーのもっとも重要な財産」であるIGファルベン社から出ていた。


 この手口は現在、製薬メーカーが引き継いでいる。

 ま、マーケティングの走りなのだろう。その根っこはプラグマティズムにある。風が吹けば桶屋が儲かるという図式だ。米国内で反戦運動の機運が高まればアメリカは参戦せず、というわけ。


 ここでチャーチルは一人のスパイに命運を託す──


 第一次世界大戦後、イギリスはウィリアム・ワイズマン卿というスパイをアメリカに送り、アメリカを戦争に引き込むためのプロパガンダ、情報活動を行なわせたが、チャーチル首相はこの先達(せんだつ)の例にならい、ウイリアム・S・スティーブンソン、暗号名で「イントレピッド」と呼ばれたカナダ生まれの紳士を、アメリカ合衆国に送り込んだ。

「イントレピッド」は当時44歳の実業家で、1930年代までに数多くの事業で成功を収めた億万長者であった。彼はしかしたんなるビジネスマンではなかった。商用でヨーロッパ中を飛び回っては、現地でせっせと情報収集をし、イギリスの情報機関に情報を提供する役割も果たしていたのである。


「イントレピッド」は「アメリカを参戦させる」という究極の目的のために、スパイを送り込み、郵便物を操作し、電話を盗聴し、プロパガンダ活動を行ない、敵の集会を妨害し、密かに新聞、ラジオやさまざまな組織に資金を投入して情報を操作し、偽造文書を捏造する等々、ありとあらゆる活動を展開していくわけだが、その活動を全面的にサポートしてくれるアメリカ人に恵まれた。他ならぬルーズベルト大統領である。ルーズベルト大統領は強硬な反ナチス思想の持ち主で、「イギリスを助けるためにできるかぎりの援助をしたい」と考えていた。そこで大統領は、「イントレピッド」の活動をサポートするために惜しみない援助の手を差し伸べたのである。


「イントレピッド」はまた、ボストンに拠点を置く短波ラジオの放送局WRULにも資金援助を行なった。このラジオ局は、協力な5万ワットの短波送信機を持ち、世界中に多くのリスナーを抱えていた。「イントレピッド」は密かに毎月WRULに資金援助をし、この放送局をイギリスのプロパガンダの道具に変身させた。そして『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』紙等の大新聞と同様、このラジオ放送局も反ナチスのプロパガンダ放送を大量に流すようになった。


 いわゆるやらせ写真がSOE(※イギリス特殊作戦部)によって大量生産され、それがアメリカの「イントレピッド」のもとに送られ、「ナチスの残虐行為」として全米のメディアに配信されたのである。


 つまり、イントレピッドがアメリカを第二次世界大戦に巻き込んだのだ。実質的には一人のスパイが連合国の勝利を決定づけたことになる。信じ難い話ではあるが。


 政治が経済を押し切った格好となった。当時のデータを見ると一目瞭然だが、イギリスよりもドイツの方が優勢であった。国力ではイギリスに勝ち目がなかった。チャーチルは何が何でもアメリカを戦争に引きずり込む必要があった。


 更に日本軍の真珠湾攻撃をいち早く知ったチャーチルが、ルーズベルトに情報提供した可能性もあるという。


 脚本:チャーチル、主役:イントレピッド、脇役筆頭:ルーズベルト、ってわけだ。


 しかしこの関係はルーズベルトの死によって終わりを告げる。第二次大戦はチャーチルの思惑通りに運んだが、ドイツの戦後処理についてはアメリカの親ドイツ派エリートが牛耳った。資本主義においては「儲ける」ことが正義なのだ。


 驚くなかれ。戦争に勝利したアメリカはドイツから技術や人を盗み取って、戦後の発展を遂げたという。技術者の戦争犯罪は不問に付した。


 世界の歴史は複雑そうに見えて、実は単純な原理で動いているのかもしれない。

文庫 アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか (草思社文庫)

2010-05-08

経済侵略の尖兵/『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス

 戦争の形は軍事に限らない。経済的に、学術的に、文化的に、心理的に行われているのだ。戦争の本質は「システマティックな侵略」にある。


 エコノミック・ヒットマンという職業があるそうだ。ヒットマンとはご存じのように「狙撃手=殺し屋」を意味する言葉だ。つまり他国の経済を狙い撃ちすることを目的としている。ジョン・パーキンスはエコノミック・ヒットマンであった。彼は悔恨の中から本書を執筆し、自らの体験を赤裸々に綴っている。


 エコノミック・ヒットマン(EHM)とは、世界中の国々を騙して莫大な金をかすめとる、きわめて高収入の職業だ。彼らは世界銀行や米国国際開発庁(USAID)など国際「援助」組織の資金を、巨大企業の金庫や、天然資源の利権を牛耳っている富裕な一族の懐(ふところ)へと注ぎこむ。その道具に使われるのは、不正な財務収支報告書や、選挙の裏工作、賄賂、脅し、女、そして殺人だ。彼らは帝国の成立とともに古代から暗躍していたが、グローバル化が進む現代では、その存在は質量ともに驚くべき次元に達している。

 かつて私は、そうしたEHMのひとりだった。


 1982年、私は当時執筆していた『エコノミック・ヒットマンの良心』(Conscience of an Economic Hit Man)と題した本の冒頭に書いた。その本は、エクアドルの大統領だったハイメ・ロルドスと、パナマの指導者だったオマール・トリホスに捧げるつもりだった。コンサルティング会社のエコノミストだった私は、顧客である二人を尊敬していたし、同じ精神を持つ人間だと感じてもいた。二人は1981年にあいついで飛行機の墜落で死亡した。彼らの死は事故ではない。世界帝国建設を目標とする大企業や、政府、金融機関上層部と手を組むことを拒んだがために暗殺されたのだ。私たちEHMがロルドスやトリホスのとりこみに失敗したために、つねに背後に控えている別種のヒットマン、つまりCIA御用達のジャッカルたちが介入したのだ。


【『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス/古草秀子〈ふるくさ・ひでこ〉訳(東洋経済新報社、2007年)】


 白羽の矢が立てられる国は石油などの天然資源が豊富な発展途上国である。ここにIMFや世界銀行などから資金が流れる仕組みをつくった上で、開発援助という名目のもとにアメリカ企業が参入する手筈を整える。実際のマネーはアメリカ国内の金融機関同士で完結する。種を明かしてしまえば、懐(ふところ)から鳩を出すよりも簡単な話だ。


 西水美恵子の著作を読んだ人は必ず本書を読むべきだ。

 彼女が何も知らなかったのか、あるいは知っていながら広告塔を買って出たのかそれはわからない。だが本書を読めば、西水が描いたのは世界銀行のわずかに残された美しい部分であることがわかる。大体、「世界」だとか「国際」と名のつく団体は、おしなべて先進国の論理で運営されているものだ。


 私はジョン・パーキンスが嫌いだ。この人物は吉川三国志の劉備(りゅうび)と同じ匂いがする。弱さを肯定する延長線上に善良さを置いている節がある。「告白すれば罪が赦(ゆる)される」というキリスト教的な欺瞞を感じてならない。だから文章もそこそこ巧みで読ませる内容にはなっているものの、底の浅さが目につく。煩悶(はんもん)、懊悩(おうのう)、格闘が足りないのだろう。私を魅了するだけの人間的な輝きが全く感じられなかった。


 大体最初に告白本を出版しようとした際に、様々な圧力を掛けられたにもかかわらず、その後はテレビにまで出演しているのもおかしな話だ。彼の話が正真正銘の事実であるなら、とっくに消されているのではあるまいか。「よもや、エコノミック・ヒットマンとして新しいステージの仕事をしているんじゃないだろうな」と疑いたくもなる。


 暴力は様々な形で存在する。世界中の貧困が放置されているのも暴力の一つの形に他ならない。多様な暴力の形態を知るために広く読まれるべき一冊である。読み物としては文句なしに面白い。


 尚、既に紹介したが、ジョン・パーキンスは『Zeitgeist Addendum/ツァイトガイスト・アデンダム』にも登場している。

エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ

2010-04-09

アフガニスタンの砂漠を緑に変えた男/『医者、用水路を拓く アフガンの大地から世界の虚構に挑む』中村哲

 アフガニスタンの歴史は文字通り戦乱の歴史である。紀元前6世紀にはペルシャ帝国に組み込まれ、紀元前4世紀にはアレクサンドロス大王に支配された。19世紀には「グレートゲームの舞台」と称されていた。それは血塗られた抵抗の歴史といってもいいだろう。今も尚アフガニスタンの農民は銃を扱っている。


 2001年、アメリカ同時多発テロ事件の首謀者と目されたアル・カイダの引き渡しを拒んだタリバン政権に対し、アメリカの主導で武力を行使した。これがアフガニスタン紛争である。


 中村は医師として1984年からアフガニスタンで働いていた。元々はハンセン病の治療に当たっていた。それが、どうして用水路をつくることになったのか? 戦争の爆撃によってアフガニスタンの大地は砂漠化が進んでいた。当然のように水は乏しくなる。しかもこの国の大半は山岳地帯である。飢えた子供達は、汚水を飲んで赤痢にかかり、脱水症状を起こして次々と死んでいった。十分な食糧と清潔な飲料水さえあれば、多くの病気は防ぐことのできるものであった。


 これは他の国にしても同様で、平均寿命が延びているのは医学の進歩によるものと思い込んでいる人が多いが、実際は衛生面の向上が最大の要因となっている。


 中村は現地の動向を知る人物として国会にも招かれた。この発言から中村の気概が十分伝わってくる──


 私は証人として述べた。

「こうして、不確かな情報に基づいて、軍隊が日本から送られるとなれば、住民は軍服を着た集団を見て異様に感ずるでありましょう」

「よって自衛隊派遣は有害無益、飢餓状態の解消こそが最大の問題であります」

 この発言で議場騒然となった。私の真向かいに座っていた鈴木宗男氏らの議員が、野次を飛ばし、嘲笑や罵声をあびせた。司会役をしていた自民党の亀井(善)代議士が、発言の取り消しを要求した。あたかも自衛隊派遣が自明の方針で、「証人喚問」はただの儀式であるかのようであった。(中略)

 つまらない論議だと思った。「デモクラシー」とはこの程度のもので、所詮、コップの中の嵐なのだ。しかし、コップの中の嵐といえども、それが一国民の命運を左右するのであるから、空恐ろしい話だとも思った。百年の大計などないのだ。実のある政治指導者なら、「有害無益」の理由をもっと尋ねるべきであった。

 それに、「証言取消し要求」など、偽証ならともかく、理屈の上でもあり得ないことである。悲憤を抑えて私は述べた。

「自衛隊は(『自衛』のための武装隊ではなく)侵略軍と取られるでしょう」(野次あり)「人の話を静かに聞いていただきたい。どんなに言い張っても、現地の英字紙にはジャパニーズ・アーミーだと書いてある。憲法の枠内だの何だのというのは内輪の論議であって、米国同盟軍としかとられない。罪のない者を巻き添えにして政治目的を達するのがテロリズムと言うならば、報復爆撃も同じレベルの蛮行である」(野次と罵声あり)


【『医者、用水路を拓く アフガンの大地から世界の虚構に挑む』中村哲〈なかむら・てつ〉(石風社、2007年)以下同】


 私が道産子ということもあって鈴木宗男には好意を抱いてきたのだが、大幅な減点をせざるを得ない。この部分だけ読んでも、国会の証人喚問や参考人招致にはさほど意味がないことが理解できよう。所詮、駆け引きの道具でしかないのだ。


 中村は実務家である。伊勢崎賢治と同じ匂いを放っている。自分達にできることとできないことを見極め、やると決めたらどこまでも進んでゆく実行力に満ちている。


 2000年の時点で飲料用井戸は既に1600本も掘っていた。だが今度の計画は上流の川から用水路を引き込み、大地を緑に変えるという壮大な計画であった。長さは何と13kmである。しかも戦乱が続く中でこれをやり遂げようというのだ。2002年1月までに、ペシャワール会の呼び掛けで6億円の寄付金が集まった。


 厚い岩盤が行く手を阻む。部族間の紛争も絶えなかった。罵声を浴び、石を投げられてもあきらめなかった。日本にいる我が子には死が迫っていたが、それでも尚一歩も退かなかった。


 現にアフガン戦争中、前線でわが身をさらして弾除けになり、私を守ろうとした部下たちを知っている。人は犠牲の意義を感ずると、自分の生命さえ捧げることもあるのだ。更に、私の10歳の次男が悪性の脳腫瘍にかかり、死期が近かった。2回の手術に耐え、「あと1年以内」と言われていたのである。左手の麻痺以外は精神的に正常で、少しでも遊びに連れて行き、楽しい思いをさせたかった。だが、この大混乱の中、どうしても時間を割いてやることができない。可愛い盛りである。親の情としては、「代りに命をくれてやっても──」とさえ思う。この思いはアフガニスタンでも米国でも同じはずだ。それは論理を超えた自然の衝動に近いものである。旱魃と空襲で命の危機にさらされる子供たちを思えば、他人事と感ぜられなかった。


 何という男だろう。国会で中村に野次を飛ばした政治家どもとは、明らかに人間としての格が違う。中村の子はその後亡くなる。犠牲にしたものが大きければ大きいほど、アフガニスタンの民に寄せる思いは強靭なものとなった。


 襲い掛かる万難を退けて、大いなる用水路が遂に完成する。それを伝え聞いた人々がこの地に次々と戻ってきた。乾ききった砂漠に緑が戻ってきた──


 これほどの大仕事は、やはり初めてであった。

 雲ひとつない天空から灼熱の太陽が容赦なく照りつけ、辺りは乾ききっていた。そこに激しいせせらぎの音がこだまして、勢いよく水が注ぎ込む。

 これが命の源だ。例によって早くも駆けつけるのは、トンボと子供たちである。水のにおいを本能的にかぎつけるのか、トンボの編隊が出現したかと思うと、子供たちが寄ってきて水溜りを泳ぎ始める。水がめを頭に載せた主婦が立ち止まり、岩陰にかがんで水を汲む。この2年間、水路の先端が延びる度に目にした光景だが、今回は事のほか、強烈な印象を以って胸に迫るものがあった。

 自分の人生が、すべてこのために準備されていたのだ。

 水遊びする群の中に、10歳前後、どこかで見た懐かしい背格好の子がいる。あり得ないとは知りつつも、4年前に夭逝した次男ではないかと、幾度も確かめた。


 夭逝(ようせい)した子供もきっと快哉(かいさい)を叫んだに違いない。偉大な事業というものは、必ず偉大な人物によって成されるのだ。


 本書は用水路が完成したところで終わっている。しかしその後、ペシャワール会の伊藤和也が何者かの手によって殺害された。中村は自分以外の日本人スタッフを全員帰国させた。彼は今日も険しい道を一人歩んでいるに違いない。

医者、用水路を拓く―アフガンの大地から世界の虚構に挑む


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