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2008-05-25

『ビヨンド・リスク 世界のクライマー17人が語る冒険の思想』ニコラス・オコネル


 タイトルは「リスクの向こう側」という意味か。既に引退した登山家も多いが、これっぽっちも老いを感じさせない。メラメラと燃え続ける何かがある。語られているのは「過去の物語」ではなく、まさに「思想」だ。


 世界屈指のクライマーのインタビュー集。それぞれの人物の事跡も紹介されている。何気なく語られる言葉は、いずれも味わい深いものだ。


 クライミングの真の技術とは生き延びることだ。それが最も難しくなるのは、従来行動の限度と考えられていたところまで到達してしまい、さらにもう一度踏み出そうとするときである。だれも行ったことのないところ、だれも行きたいと思わないところ――あるいは自分がしようとすることをだれも理解してくれなようなところへ乗り出すときである。そういった未知の領域では、感覚と経験は「踏みならされた」世界で得られるよりもはるかに強烈である。


ラインホルト・メスナー『生還――八千メートル峰全十四座』】


 良い岩壁の良いルートは芸術作品です。人生のようなものです。私たちは人生を送り、やがてその人生は消え失せますが、何かが残ります。残るのはルートです。

【ラインホルト・メスナー】


 ――隊長自ら手本を示したのですか。


 ああ、率先して手本を見せるのがいいと信じている。結果を出したければ、口だけじゃなくて自らやらなければいけない。ガッシャブルム4峰では8日間、ポーターより重い荷物を背負って毎日何往復もした。私が率先してやったので、隊員たちも同じようにやらざるを得なかった。ポーターにも他の連中にも良いお手本を示したというわけだ。

【リカルド・カシン】


 ――楽しみましたか


 楽しみましたよ。でも、7600メートルを越えるともう楽しんでなんかいられませんね。体力も元気も、低いところのようには保てないのです。3000〜4000メートルのアルプス登山のほうがずっと楽しい。ヨーロッパ・アルプスなら頂上に着いたら岩の上に寝ころがって昼寝することができますが、ヒマラヤではそんな話は聞いたことがない。すぐに下りてきてしまいます。長居しすぎたら下りてこられなくなることがわかっていますからね。

【エドマンド・ヒラリー卿】


 それにヘリコプターで救助してもらうわけにもいきません。ヘリコプターは最高の条件下でも5800メートルまでしか飛べないからです。

【クルト・ディームベルガー】


 ――ゆっくりしたペースですか。


 ええ、私はゆっくり歩きます。山岳ガイドの古い金言に、「ゆっくり行く者はしっかりと遠くまで行ける」というのがあります。とても古い諺で、子供のころに初めて聞きました。高所ではゆっくり行ったほうがいいと思います。私にはそれが向いている。

【クルト・ディームベルガー】


 ――ひとりで登るほうが好きでしたか。


 冒険家には孤独は本質的な条件だ。いつもひとりでやったわけではないけれど、山にしても世界をまわるにしても、なるべくひとりで行くのを好んだね。孤独の価値は大きい。感受性を鋭くし、感情を増幅させるからだ。

【ヴァルテル・ボナッティ】


ビヨンド・リスク―世界のクライマー17人が語る冒険の思想

2008-04-10

『長谷川恒男 虚空の登攀者』佐瀬稔


 書き出し部分が読みにくい。ワンセンテンスが長く、文章の行方がわからなくなる。リベラルな立場に固執してどっちつかずになるのが筑紫哲也だとすれば、客観を重視して不要な短所を盛り込んでしまうのが佐瀬稔だ。


 佐瀬のノンフィクションはクライマーとボクサーを取り上げたものが殆どである。両者に共通するのは徒手空拳で限界に向かって突き進む壮絶な生きざまだ。まるで、死を目指して全力疾走しているような姿だ。「ダラダラと長生きするぐらいなら、死を感じ、死と闘い、死を乗り越えて一瞬でも輝いてみせろよ」――そんな彼等の声が聞こえてくる。


 山男は不幸だ。彼等は生の緊張感を欠く下界では生きてゆけない。その一方で、世界の高峰を目指すとなれば、チーム内の政治に従わなければいけない。長谷川が天才クライマーの名をほしいままにしたのは、ヨーロッパ三大北壁(マッターホルン、アイガー、グランドジョラス)の冬季単独初登攀の成功によってであった。だが、8000m級となるとそうはいかない。


 コンビで壁にアタックする様子が興味深い。怒りと嫉妬がないまぜになりながら、互いを罵り合う。山に友情はなかった。ひょっとすると、日本人の自我の弱さが露呈しているのかも知れない。


 アルピニストの一歩一歩と我々の一歩一歩の違いは何だろうか。明らかなのは、誰でも歩けるような道を進む限り、生は輝かないということだ。


 本書と『狼は帰らず アルピニスト・森田勝の生と死』を読んだ上で、『神々の山嶺』を読むことをお勧めしたい。

長谷川恒男 虚空の登攀者 (中公文庫)

2007-12-18

『僕の名前は。 アルピニスト野口健の青春』一志治夫

    • 『僕の名前は。 アルピニスト野口健の青春』一志治夫

 一志治夫の作品は初めてだが、実に読みやすい文章だ。内容はというと、全く期待外れだった(笑)。それでも一読の価値あり。


 手のつけられない暴れん坊とか、何を考えているのかわからない軽度発達障害タイプのお子さんをお持ちの方には、強く薦めておこう。


 引っ越しや、両親の離婚などが少年の自我を引き裂く様が丁寧に描かれている。人間とはまことに厄介な動物である。「人間らしさ」をインストールしなければ、人間にはなれないのだ。アマラとカマラという姉弟は狼に育てられた結果、人間性を完全に喪失していた。弟のカマラは保護されて間もなく死亡したが、姉のカマラは涙一つこぼさなかったという。


 現在の野口氏からは想像できない悲惨な少年時代を過ごしている。途中経過で人間を評価することが、どれほど誤っているかを教えてくれる。紆余曲折を経たとしても、人は目標を見つけた途端、生き生きと輝き出すのだから不思議だ。


僕の名前は。―アルピニスト野口健の青春

2001-08-13

『そして謎は残った 伝説の登山家マロリー発見記』ヨッヘン・ヘムレブ、エリック・R・サイモンスン、ラリー・A・ジョンソン


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【亡くなる4年前の写真。34歳】


 このあどけない風貌の男の内側で、修羅の炎が燃え盛っていた。


 副題は「伝説の登山家マロリー発見記」。著者に名を連ねるのはヨッヘン・ヘムレブ、ラリー・A・ジョンソン、エリック・R・サイモンスン。この3人がエヴェレストに登り、マロリーを発見したチームの主要人物。


 ニュース性が高い内容だけに、やや面白みに欠けるのは仕方がないだろう。夢枕獏の『神々の山嶺』(集英社)を読んだ方であれば、手に取らざるを得なくなるはずだ。表紙に配された2枚の写真。マロリーの肖像とエヴェレストにしがみつくような姿勢で真っ白な彫像を思わせる遺体。巻頭の写真をよくよく見ると、地面の傾斜角度は、ほぼ45度。右足首があらぬ方向を向き、完全に折れてしまっている。


各章の頭にマロリーの言葉が掲げられている――


 打ち負かされて降りてくる自分の姿など、とても想像できない……


 それがどんなに私の心をとらえているか、とうてい説明しきれない……


 大胆な想像力で夢に描いたものより遥か高みの空に、エヴェレストの山頂が現われた


 もう一度、そしてこれが最後――そういう覚悟で、私たちはロンブク氷河を上へ上へ前進していく。待っているものは勝利か、それとも決定的敗北か


 マロリーの人とナリが窺えて興味深い。


 エヴェレストの山頂がエドマンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイによって制覇されたのは1953年5月。これに先立つこと約30年、1924年にジョージ・マロリーは山頂近くでその姿を確認されたまま行方不明となった。当時の写真を見て驚かされるのはその服装である。ツイード・ジャケットにゲートルを巻いた程度の軽装で、現在であれば、富士山にも登れないような格好をしているのだ。世界で最も天に近い地を踏んでみせる!――男達の顔はそんな不敵な匂いを放っている。


「マロリーは登頂に成功したのか否か?」という最大の関心事には、遺体があった位置などから、かなり真実性を帯びた推測がなされている。これは読んでのお楽しみ。


「なぜ、山に登るのか?」

「そこに山があるからだ」


 実はこれ、意訳。正確にはこうだ。


「なぜ、エヴェレストに登るのか?」(記者からのしつこい質問)

「そこに、それ(人類未踏の最高峰)があるからだ」


 この名言を吐いた男の亡き骸は、発見されるまでの75年間にわたって、山頂を目指していた姿だ。最後の最後まで戦い続けた男の執念は、死にゆくその瞬間まで絶対にあきらめようとしなかった。エヴェレスト北面8160mで彼は死後も戦い続けていたのだ。滑落姿勢を保ち、エヴェレストの大地に指の爪を立てたままで――。「生きるとはこういうことだ! 私を見よ!」。マロリーの死に様は、生ある全ての人の背筋を正さずにはおかない。この姿を一度(ひとたび)見れば、誰もが生き方を変えざるを得なくなるはずだ。


 それは単なる遺体ではなく、不屈の魂そのものだった。マロリーの精神は、エヴェレストの山頂よりも遥かな高みから、山男たちを見守っていることだろう。

そして謎は残った―伝説の登山家マロリー発見記


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2001-07-27

標高8848mに解き放つ男の本能/『神々の山嶺』夢枕獏


 再読。読了後、眠ること出来ず――。


 極限を生きる充実、徒手空拳で大自然の拒絶をはねのける闘争、それ自体が純粋な目的と化す劇(ドラマ)――男達はなぜ山頂を目指すのか。


 カメラマンの深町誠がネパールの首都カトマンドゥの、とある店で1台の古ぼけたカメラを見つける。「これはマロリー卿のカメラではないのか?」。このカメラを巡って物語りの縦糸が編まれる。マロリーは1924年、山頂近くの8600mで姿を消したまま行方不明となった登山家である。「なぜ、山に登るのか?」と訊ねられ、「そこにそれがあるからさ(そこに山があるからだ)」と答えたのは余りにも有名。彼が残した最大の謎は、山頂に辿り着いたのかどうかという一点であった。カメラに収められたフィルムが回収されれば、その謎が解けるのだ。本書の初出は1994年7月から1997年6月に亘って『小説すばる』に連載。不思議なことに約2年後の1999年5月1日、マロリーの遺体は75星霜を経てアメリカ捜索隊によって発見された。


 前半では、杳(よう)として行方をくらませた伝説のクライマー・羽生丈二(はぶじょうじ)の過去に迫り、後半において、羽生が単独でエヴェレスト未踏ルートへ挑む様が描かれる。横糸を紡ぐのは、羽生と深町との絆。何と言っても羽生のパーソナリティが秀逸。山に対するどうしようもない思い、やむにやまれぬ情念が、人の歩んだルートを拒絶する。困難また困難を選ぶ生き方が、周囲との摩擦を必然的に生んでしまう。それでも尚、彼は山へ向かう。取りつかれたように山頂を目指す。


 日本で羽生が所属していた青嵐山岳会がヒマラヤ遠征を行うことになった。若き羽生は資金を用意できず不参加。荒れた彼が思い立ったのは冬の鬼スラだった。鬼でも攀(のぼ)れない鬼殺しのスラブ。谷川岳の難所中の難所のスラブ。羽生は井上にザイルを組もうと呼び掛ける。「おれは死にたくない」と井上がきっぱりと断る。


 羽生は身悶えし、涙をこぼした。

「おまえ、何のために生きてるんだ」(中略)

「山へ行くためじゃないのか。山へ行かないのなら、死んだも同じだ。ここにいて、死んだように生きてるくらいなら、山に行って雪崩で死んだほうがましだ――」


 羽生の“鬼スラ神話”が生まれた。彼の名は登山界で一気に知られるようになる。しかし、誰にも心を開かず、心無い言葉でパートナーを平然と傷つける羽生と、ザイルを組もうとする人間はいなくなった。


 一旦、ネパールから帰国した深町は羽生の過去を調べる。羽生はモンブラン北東に位置するグランドジョラスの登頂に失敗。50mを落下。全身打撲、右腕・左足骨折、肋骨3本骨折。そこから彼は片腕だけで脱出を遂げる。羽生の再びの神話は世界に名を知らしめた。


 グランドジョラスでの羽生の手記があるという噂を耳にした深町は、それを預かっているという岸涼子と会う。涼子の兄・文太郎は羽生と組んで滑落死している。一部では羽生がザイルを切ったというまことしやかな風聞が流れた。


 この手記が凄い。以下――


 左へゆくのは、おれのルートじゃない。それは他人がやったルートをなぞるだけの行為だ。まだ、誰もやってない直登のルートこそが、おれのルートなのだ。この岩壁におれが刻みつけることのできるものなのだ。


 人間の身体能力が破壊され、幻聴・幻覚が死への甘い誘惑を奏でる――


 ああ。

 岸のやつだ。

 きしのやつが、そこにぶらさがって、おれを見ている。

 あのときのかっこう。

 だいたいこつが、むねまでもぐりこんでいて、くしゃくしゃになってちみどろのかお。

 でも、わらっている。

 おいでおいでをしている。

 きしよ。

 きしよう。

 おれも、いきたいけどな。

 そこへいってやりたいけどな。

 まだ、ジョラスをのぼっているとちゅうなんだ。

 さいごまでやらせてくれ。


 この後、羽生は25mの登攀を単独でやってのけ、3000mを越える冬山で二夜に亘ってビヴァーグし、救助される。


 その羽生も五十に手が届こうとしていた。だが――


 まだ、収まっていない。

 登っても登っても、まだ、猛るものが心の裡(うち)にある。

 鬼が、心に棲んでいる。

 その鬼が、まだだといっている。


 標高8000mを超えると酸素は地上の3分の1。その過酷さは、眼底出血を催し、肺には水が溜まるほどだという。更に脳細胞をも破壊して脳浮腫に至る。ここまでくると幻聴・幻覚と現実との見境がつかなくなる。そして大気はマイナス40℃。なぜ、人間を拒絶するこのような場所を目指すのか。苦しむことがわかっていながら、どうして再び男達は山へ向かうのか。メモ帳の表紙を破り、鉛筆を短くして、フォークの柄をも切り詰め、トイレットペーパーの芯を抜いてまでして、彼等は体内から発した水分がテント内に凍りつくほどの死地へと赴く。


 羽生はマロリーの言葉を否定する――


 そこに山があるからじゃない。ここに、おれがいるからだ。


 山に登ることが生きることだった。彼等は地上での安穏を拒否する人間だった。日なたぼっこは彼等にとっては死そのもだった。山でしか生きられない男達。山に登ることは彼等の命に宿ったどうすることもできない業(ごう)だった。


 以下はエヴェレストでの羽生の手記――


 やすむときは死ぬときだ。

 生きているあいだはやすまない。

 やすまない。

 おれが、おれにやくそくできるただひとつのこと。

 やすまない。

 あしが動かなければ手であるけ。

 てがうごかなければゆびでゆけ。

 ゆびがうごかなければ歯でゆきをかみながらあるけ。

 歯もだめになったら、目であるけ。

 目でゆけ。

 目でゆくんだ。

 めでにらみながらあるけ。

(中略)

 もう、ほんとうにこんかぎりあるこうとしてもうだめだったらほんとうにだめだったらほんとうにもううごけなくなってうごけなくなったら――

 思え。

 ありったけのこころでおもえ。


 この一念心が羽生の生命(いのち)だった。我が身がどうなろうとも、彼の心は既に如何なる険難の嶺をも制覇していた。強靭なる一念は崇高な祈りに等しく、その烈々たる心が難局へと彼を駆り立てていたのだ。“波浪は障害にあうごとに、その頑固の度を増す”という。羽生の生命の中に猛る波浪が、ぬるま湯につかったような生き方を断固として許さなかったのだ。彼は“壮絶”を生きた――。「そこに山があるからじゃない。ここに、おれがいるからだ」。この言葉が呼び覚ますのは「我思う、ゆえに我あり」との実存である。羽生にとっては、山こそが思想であり、哲学であり、そこにしか真実はなかった。


 小説とはいえ、安易な言葉を綴るのがはばかられる。本物の厳しさが沈黙を強いる。目指すべき頂上に歩を運ぶこと以外に人生はあり得ない。そして、地獄の苦しみを経たものでなければ、理解しようのない何かが、あの最高峰に存在しているのだろう。

追記


 本書の内容はその大半を、『狼は帰らず アルピニスト・森田勝の生と死』(佐瀬稔著、山と渓谷社)に依っている。批判する向きも多いが、読み物としてはこちらの方がずっと面白い。パクリと悪口を言うよりも、大半が事実に支えられている小説として読むべきだろう。


 2004-07-23

神々の山嶺〈上〉 神々の山嶺〈下〉