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2010-04-22

数学者の名言/『新装版 数学・まだこんなことがわからない 難問から見た現代数学入門』吉永良正


 数学の未解決問題を初心者にわかりやすく解説した良書で、講談社出版文化賞を受賞したのも頷ける。数式を無視しても十分堪能できる。


 美という次元において、数学はもっとも宗教に近い学問であると私は思っている。また、数学が対象とする量、構造、空間も極めて哲学的な示唆に富んでいる。


 初めて知ったのだが完全数友愛数、はたまた婚約数というのがあるそうだよ。不思議な規則性、法則性が実に刺激的だ。


 そして本書の極めつけは数学者による名言の数々である。さすがに定理を追求する人々の言葉だけあって味わい深い。しかも簡潔だ。


「未解決問題があるかぎり、科学は生気に満ちている。問題の欠乏は科学の死を、すなわち独自の発展の停止を意味する」ヒルベルト


【『新装版 数学・まだこんなことがわからない 難問から見た現代数学入門』吉永良正(講談社ブルーバックス、2004年)】


 偉大な数学者ダーフィット・ヒルベルト(1862-1943)は、1900年にこう宣言しています。

「われわれは決して止むことのない呼び声を、われわれの内に聞く。ここに問題がある。その解答を求めよ。解決は、純粋理性によって得られる。なぜならば、数学には、無知であり続けることは存在しないからである」。


 結局、真にすぐれた問題とは、数学者がその解決に取り組むなかから、まったく新しい数学的【方法】と、新しい数学的【対象】とを必然的に産み出す問題であるといえるのです。つまり、数学者は一つの問題をとことんつきとめることで、数学的視野の拡大に到達するわけです。(中略)

 現代数学の巨人アンドレ・ヴェイユ(1906-98)が、『数学の将来』のなかで述べた次の言葉ほど、数学の発展のダイナミズムと、数学にとっての未解決問題のもつ意義とを、みごとに表現したものはない、と私は思っています。

「将来の大数学者は、過去においてもそうであったように、踏み固められた道を避けるであろう。彼らは、われわれが彼らに残す大きな問題を、われわれの想像の到達できない思いがけない近づき方で、まったく姿を変えて解くであろう」。


 数学を言語と考えるならば、数々の定理が将来どのように使われるかは誰にもわからない。

 森重文の言葉からは、数学世界の険しさがひしひしと伝わってくる──


「趣味は?」と聞かれた森(重文)は──数学者に向かって、随分、不可思議な質問をするインタビュアーもいるものだと、そのとき私は思ったのですが──、こう答えていました。

「無趣味に近いです。いったん問題を考え始めたら、他のことがまったく考えられなくなるから」。

 もう少し、森語録を拾っておきましょう。

「研究は主に自宅で深夜、家族が寝静まってからやります。途中で考えを中断されると、なかなか元に戻れませんから。朝7時までかかることもある生活が2〜3ヵ月続くと、堅気の生活に戻らなくてはと思います。時差に悩みますので」。

「数学には科学技術の基礎と、芸術という二面性があります。ぼくの数学の応用は見当がつかないが、芸術家の意識もない。せめて芸術家のような暮らしをしているといえばいいかな」。

「数学者としてやっていこうかと思ったのは最近。もう逃げようがない感じ。でもいいアイデアが浮かばなくなるんじゃないかなと、いつも不安ですね。漆芸をやっている知人が『苦しい、苦しい』っていうのがよくわかります」。

 とくに最後の発言など、私なんか心底感動してしまいました。天才にしてこれです。数学とは何と過酷な学問なのでしょうか。


 フィールズ賞が40歳以下の研究者を対象とするのも何となく納得がゆく。藤原正彦も『天才の栄光と挫折 数学者列伝』で、数学は若者の学問といわれており、集中力を持続させるだけの体力が求められると書いている。それが証拠に50歳以上の学者による大発見はほぼ皆無である、とも。


 それはきっと虫眼鏡で太陽の光を集めて鉄を溶かすような作業なのだろう。そういや、羽生善治も似たようなことを書いていたっけ──

 それにしても、ここ数年の数学本の賑わいぶりには目を瞠(みは)るものがある。

新装版 数学・まだこんなことがわからない (ブルーバックス)

2009-04-03

数の概念/『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』チャールズ・サイフェ

「数を数える」営みが突然意識に立ち現れてくるテキスト――


 オオカミの骨は石器時代のスーパーコンピューターだった。ゴッグの先祖は2まで数えることすらできず、ゼロなど要らなかった。数学が生まれたときには、一つとたくさんを区別することしかできなかった。原始人は槍の穂先を一つもっているか、たくさんもっているかのどちらかだった。つぶしたトカゲを1匹食べたか、たくさん食べたかかのどちらかだった。一つとたくさん以外の数を表現するすべはなかった。やがて原始言語が発達して、一つ、二つ、たくさんを区別するようになり、ついには、一つ、二つ、三つ、たくさんを区別するようになったが、それより大きな数を指す言葉はなかった。今なお、このような欠陥を抱えている言語がある。ボリビアのシリオナ・インディオとブラジルのヤノアマ族は、3より大きな数を表す言葉をもっていない。その代わり、「たくさん」という意味の言葉を使う。

 数というものの性質のおかげで――数を足し合わせて、新たな数をつくりだすことができる――数体系は3で止まってしまうことはない。しばらくして、賢い人が数詞を並べて、新たな数をつくりはじめた。今日ブラジルのバカイリ族とボロロ族が用いている言語では、まさにこのように数がつくられている。この人々の数詞体系は、「1」、「2」、「2と1」、「2と2」、「2と2と1」というようになっている。2をひとかたまりにして数を数えるのだ。数学者はこれを二進法と呼ぶ。


【『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』チャールズ・サイフェ/林大訳(早川書房、2003年)】


 非常に考えさせられる文章だ。“概念”は多様化し複雑化する。これを進化というのだろう。現代では十進法が基本だが、時計は十二進法、デジタルは二進法と複数の概念を使用している。なんて器用なんだ。


 我々にピンと来る単位は国家予算の「兆」くらいまでだろう。日常で「京(けい)」以上の単位を使うことはない(それ以上は「日本の単位接頭語」を参照されよ)。


 ところが、科学の世界では天文学的数字が取り扱われる。例えば、素粒子の寿命は長短様々で、電子は「6.4×10の24乗」年以上で、タウ粒子は「290×10の-15乗」秒となっている(「高エネルギー加速器研究機構」による)。


 数の概念が多様化されると、人間の幸不幸も多様化されることだろう。あるいは複雑化か。膨大な数字のはざ間で我々は、幸福も不幸も感じ取れなくなっているような気がする。というよりも、平均からの乖離(かいり)という数学的概念でしか幸不幸を判断できなくなったところに、現代社会の不幸がある。マネーという得点で勝ち組・負け組に峻別されてしまう。


 結局のところ、「数の概念」は多量になっただけで、豊かになってはいないのだろう。これは使う側の問題だ。数に罪はない。

異端の数ゼロ―数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念 異端の数ゼロ――数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

(※左が単行本、右が文庫本)

2009-03-29

ソフィー・ジェルマン/『フェルマーの最終定理 ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』サイモン・シン

 ソフィー・ジェルマン(1776-1831)は女性数学者である。「アルキメデスの最期」を知り、数学を志した――


 当然ながら、ソフィー・ジェルマンを数学に駆りたてたのは、こういったたぐいの女性向けの本ではなかった。彼女の人生を変えたのは、ある日父親の蔵書を拾い読みしていたときにたまたま手に取った、ジャン・エヒエンヌ・モンテュクラの『数学史』だった。モンテュクラの語るアルキメデスの一生が彼女の心を捉えたのである。アルキメデスの発見をめぐる記述は文句なく興味深いものだったが、とくに彼女が引きつけられたのはアルキメデスの死に関する話だった。アルキメデスはその生涯をシラクサの地で数学を研究して過ごしたが、70代の終わりごろ、ローマ軍の侵略によってその平穏を破られてしまう。言い伝えによれば、砂地に書いた幾何学図形に夢中になっていたアルキメデスは、ローマ兵に声をかけられても返事をしなかった。そのために槍で突かれて死んでしまったというのである。

 殺されてしまうほど夢中になれるなんて、数学はこの世でいちばん魅力的な学問にちがいない、とジェルマンは考えた。彼女はすぐさま数論と微積分学の基礎を独習しはじめ、じきに夜中まで起きてオイラーやニュートンの仕事について学ぶようになった。


【『フェルマーの最終定理 ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』サイモン・シン青木薫訳(新潮社、2000年)以下同】


 やはり後世に名を残す人は発想が違う。着眼点の次元が凡人とは異なっている。


 フェルマーの最終定理は、ワイルズの独力で証明されたわけではなかった。最初にオイラーの右フックが顎(あご)をかすめた。次にソフィー・ジェルマンが左ジャブを繰り出す。それから、日本の志村五郎と谷山豊が別のグローブを用意した。そして、強烈な右ストレートを外したワイルズがアッパーカットでノックアウトしたのだ。勝者は“数学の血脈”であった。


 ソフィー・ジェルマンが生きた時代は、まだまだ女性が差別されていた。女性に学問は不要と考えられていた。女性は大学に入ることも認められていなかった。それでも彼女は独り学び続けた。


 ソフィー・ジェルマンは意を決してガウスに手紙を出した。しかし、女性であることを告げることができなかった。そこで「オーギュスト・アントワーヌ・ルブラン」という男性の名前で送ることにした。驚くべきことにガウスから返信が来た。こうして文通が始まった。


 ここで歴史の歯車が大きく動いた。ナポレオン率いるフランス軍がガウスのいるドイツに侵攻したのだ――


 もしもナポレオンがいなかったら、ジェルマンの功績は永遠に謎のル・ブラン氏(ジェルマンの偽名)のものとなっていたかもしれない。1806年、ナポレオンはプロイセンを侵略し、フランス軍はドイツの都市を、一つ、また一つと攻略していた。アルキメデスに降りかかった運命が、彼女のもう一人のヒーローであるガウスの命をも奪うのではないかと危惧したジェルマンは、進軍中のフランス軍指揮官であるジョゼフ・マリー・ペルネティ将軍という友人に手紙を書き送り、ガウスの身の安全を保障してくれるよう頼んだ。将軍はその言葉にしたがって、このドイツ人数学者に特別な計らいをすると、「あなたが命拾いをしたのはマドモアゼル・ジェルマンのおかげです」と告げたのだった。ガウスは感謝しながらも非常に驚いた。ソフィー・ジェルマンなどという名前は聞いたことがなかったからである。

 ゲームは終わった。ジェルマンは次の手紙で不本意ながらも正体を明かした。ところがガウスは、騙されたことに腹を立てるどころか、喜びに満ちた返信をしたためたのである。


 さながら劇の如し。ソフィー・ジェルマンはガウスの命を救っただけではなかった。すべての女性に学問の扉を開いたのだ。偽名という小さな嘘がなければ、ガウスも返事を認(したた)めなかったかもしれない。


 フェルマーの最終定理は、数学の歴史に数々のドラマを誕生させた。「問題とはかくあるべし」とフェルマーの笑う声が聞こえてきそうだ。

フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2009-02-22

G・H・ハーディはラマヌジャンを警戒した/『無限の天才 夭逝の数学者・ラマヌジャン』ロバート・カニーゲル


 ハーディは当代きっての数学者であった。しかし、このケンブリッジ大学教授ですら、ラマヌジャンの数学理論を「狂人のたわごと」程度にしか思っていなかった。ハーディ以外の数学者にもラマヌジャンは手紙を出していたが、誰一人としてまともに扱おうとする者はいなかった。そう。ラマヌジャンの頭脳は桁外れだった。


 賢明な警戒だった――溝は確かに深かったのだから。ハーディにすれば、ラマヌジャンの送りつけてきた定理の山はまるで異郷の森であった。ひとつひとつ木であることはわかるのだが、あまりに珍種なのでどこか他処の星からやってきたもののように思われたのだ。彼をまず驚かせたのはラマヌジャンの定理の奇抜さであって、その輝かしさではない。「このインド人は一種の狂人なのだろうか?」。友人のスノウによると、ハーディにとって、見知らぬ人から奇想天外の原稿を送りつけられるのは日常茶飯事だった。大ピラミッドの預言の謎解きをしたとか、大シオンの啓示の意味がわかったとか、シェークスピア劇にベーコンが挿入した秘密の暗号を解読したとか……


【『無限の天才 夭逝の数学者・ラマヌジャン』ロバート・カニーゲル/田中靖夫訳(工作舎、1994年)以下同】


 ハーディは、同僚のリトルウッドの手を借り何日もかけてラマヌジャンの数式の確認作業に取り組んだ。

「お初にお目にかかったこれらの定理が最高クラスの数学者にしか創造しえないことは一目瞭然だった」。そして、ハーディ流の典雅な言い廻しでこう付け加えている。「これらの定理は正真正銘のものに違いない。もしそうでないとすれば、一体誰がそれを捏造(ねつぞう)するだけの想像力をもっているというのか」。


 こうして、インド国内では理解されることのなかったラマヌジャンに、世界の扉が開(あ)けられた。後年ハーディは語った。「私の生涯最大の業績は、ラマヌジャンを発見したことだった」と。だが、そうではなかった――


 ラマヌジャンの真価を見抜く人物がインドにいなかったのも別段驚きではない。最上級の数学教育を受けたハーディは当時イギリス最高の数学者であり、最新の数学思想にも目を配り、しかもラマヌジャンが開拓した分野は彼の専門領域だった。その彼でさえラマヌジャンの定理に接するや、「このようなものは一度もみたことがない」と当惑したのだから。ラマヌジャンの研究を理解できず、自らの判断に自信がもてなかったのはインドの人たちばかりではない。ハーディとて同じなのだ。実のところ、今日彼の名誉とされているのはラマヌジャンの天分を見抜いたことではない。懐疑主義という己の壁を自ら打ち崩したことなのである。


 数学という知の系譜が出会うべくして、二人を邂逅させたのだ。いつの時代も、運命という偶然の底に流れる血脈がつながった時、人類史は大きく様相を変えてきた。


 数学がラマヌジャンを世界の檜(ひのき)舞台へ引き上げた。そして、ラマヌジャンは不遇の中で死を迎えることになる。何という運命の悪戯(いたずら)か。天才数学者の悲しい人生。この落差がラマヌジャンの存在を一層際立たせている。

無限の天才―夭逝の数学者・ラマヌジャン

2009-02-04

ゼロをめぐる衝突は、哲学、科学、数学、宗教の土台を揺るがす争いだった/『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』チャールズ・サイフェ

 表紙の色がよくない。これだけで売れ行きが悪くなっていることだろう。広く読まれるべき作品であるにもかかわらず。頭からケツに至るまでゼロについての話である。


 こんな損害をもたらすことのできる数は他にない。(※軍艦)ヨークタウンを襲ったようなコンピューターの故障はゼロのもつ力のほんの一端でしかない。さまざまな文化がゼロに対して身構え、さまざまな哲学がゼロの影響のもとで崩れさった。ゼロは他の数と違うからだ。ゼロは、言語に絶するもの、無限なるものを垣間見させてくれる。だからこそ、恐れられ、嫌われてきた――また、禁止されてきたのだ。

 本書は、ゼロの物語である。ゼロが古代に生まれ、東洋で成長し、ヨーロッパで受け入れられるために苦闘して、西洋で台頭し、現代物理学にとって常なる脅威となるまでの物語だ。ゼロを理解しようとし、この神秘的な数の意味をめぐって争った人々――学者と神秘主義者、科学者と聖職者――の物語である。西洋世界が、東洋からきたある概念から身を守ろうと(時として暴力的に)試み、失敗した物語だ。そして、一見無害に見える数が突きつけるパラドクスに、20世紀最高の知性さえうろたえ、科学的思考の枠組みが崩壊しそうになったという歴史である。

 ゼロが強力なのは、無限と双子の兄弟だからだ。二つは対等にして正反対、陰と陽である。等しく逆説的で厄介だ。科学と宗教で最大の問題は、無と永遠、空虚と無限なるもの、ゼロと無限大をめぐるものである。ゼロをめぐる衝突は、哲学、科学、数学、宗教の土台を揺るがす争いだった。あらゆる革命の根底にゼロ――そして無限大――が横たわっていた。

 ゼロは東洋と西洋との争いの核心にあった。ゼロは宗教と科学の闘いの中心にあった。ゼロは自然の言葉、数学でもっとも重要な道具となった。そして、物理学でもっとも深刻な問題――ブラックホールの暗黒のコアとビッグバンのまばゆい閃光――はゼロを打ち負かす闘いなのだ。

 だが、ゼロは、その歴史を通じて、排斥され追放されながらも、それに立ち向かうものを常に打ち負かしてきた。人間は力ずくでゼロを自らの哲学に適合させることはできなかった。かえって、ゼロは宇宙に対する――そして神に対する――人類の見方を形づくってきたのだ。


【『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』チャールズ・サイフェ/林大訳(早川書房、2003年)】


 結局、キリスト教と仏教という思想的バックボーンが明暗を分けたといってよい。キリスト教(ギリシアを中心とした西洋)は神以外の無限を嫌ってゼロを否定し、仏教(インド)はゼロを空の概念から止揚した。ゼロは教義を揺るがす代物だった。ちなみに、マイナスもインドで誕生したそうだよ。西洋はこれも拒絶。


 こなれた文章で一気に読ませる。最近読んだ数学本の中ではぴか一。ゼロは無であり、無限だった。量子論の世界でも元始の宇宙における真空は、物質と反物質が充満していた状態と考えられている。つまり、プラスマイナスゼロというわけ。

異端の数ゼロ―数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念 異端の数ゼロ――数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

(※左が単行本、右が文庫本)