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2010-06-22

戦争で異形にされた人々/『戦争に反対する戦争』エルンスト・フリードリッヒ編


 第一次世界大戦の写真集である。粒子が粗(あら)くて見にくい。だからこそ我々は、異形と化した兵士を辛うじて見つめることが可能になる。彼等の顔は原型を思い描くことができないほどズタズタになり、窪み、一部を吹き飛ばされている。


 スーザン・ソンタグの『他者の苦痛へのまなざし』で紹介されていた一冊。エルンスト・フリードリッヒは敢えて兵士の凄惨な姿を紹介することで、戦争の実態を暴き出そうと試みた。


 写真は、その大部分が戦争場面、共同墓地、そして言語に絶する障害を蒙った兵士などを写し出したものである。それらはすべて、冷徹なカメラの目が捕えた冷酷な戦争の姿である。戦争とはいかに人間を狂気にさせるものであるか、戦争とはいかに多くの悲惨や苦しみそして個人・家庭・社会の崩壊を生み出すものであるか、戦争とは誰のために引き起こされ誰が犠牲になるのか、さらに、戦争が終わった後誰が楽をし誰が苦しむのか、などということを写真の一葉一葉は問いかけてくる。読者は時に、実に残酷な、思わず目を覆いたくなるような写真にも出会うことになろう。そんな時読者は、どうか、それを避けず勇気を持って直視していただきたい。なぜなら、それもまた戦争が生み出す避けがたい事実だからである。私たちは、「戦争を告発する最良の道は、戦争それ自体をもってすることである」というエルンスト・フリードリッヒの信念を共有するがゆえに、そして、「婦人の中にはこの写真を見て卒倒する者もあろう。しかし、どうせ卒倒するなら、この写真を見てする方が前線からの戦士電報を受けてするよりははるかによいのだ」というフリードリッヒの友人であり詩人であったクルト・ツコルスキーの言葉に励まされて、あえてそれらの写真を割愛しなかったのである。(「訳編者まえがき」坪井主税)


【『戦争に反対する戦争』エルンスト・フリードリッヒ編/坪井主税、ピーター・バン・デン・ダンジェン訳編(龍渓書舎、1988年)以下同】


 戦争が人間を狂気にするのではない。人間の狂気が戦争へと駆り立てるのだ。しかもその狂気は日常の中に潜んでいて、我々は疑似戦争行為としての競争に朝から晩まで身をやつしている。


 反戦・平和の声がどこか弱々しいのは現実を無視して理想を語っているためだろう。犠牲という結果に寄りかかり、戦争の原因を抉(えぐ)り取る気魄(きはく)を欠いている。人間は戦争が好きなのだ。そして他人を支配することや、外国人を差別することも。


 まず暴力を定義しよう。暴力とは「力が暴れる」状態と考えられる。つまり、ありとあらゆる力――財力、政治力、知力、魅力など――には「潜在的な暴力性」が秘められている。そしてその力が内外において均衡を欠いた瞬間に暴力は目に見える形となって現れる。相手を無力にしようとする暴力には大なり小なり殺意が存在する。暴力的衝動は相手をモノ化する。「内外において均衡を欠いた力が相手をモノ化する行為」――これを私は暴力と名づける。


 戦争は人間の業(ごう)が織り成すカーニバルである。政治レベルで争い、経済レベルで損得勘定を働かせ、メディアを通じて国民合意を形成する。嘘、デマ、インチキ、何でもありだ。国家的次元の欲望解放が戦争だ。だから戦争は必ず国民の熱狂によって幕を開ける。


 エルンスト・フリードリッヒは写真の合間を縫うようにして、プロパガンダ染みた言辞で読者を扇動する――


 本書を、戦争で利益をあげんとする者、戦争に寄生する者、戦争を挑発する者すべてに献ずる。本書はまた、すべての「国王」に、将軍に、大統領に、そして大臣に、ささげられる。神の御名を通し戦争兵器に祝福を与える聖職者には、戦争バイブルとして本書を献じたい。


 こうした手法に対してスーザン・ソンタグは様々な角度から吟味しているが、私は「あり」だと考える。国民が戦争へと駆り立てられる前に、多くの判断材料が与えられてしかるべきだと思うからだ。


 このような法を、国王に、大統領に、将軍に、そして、戦争賛美の記事を書きたてる新聞記者に適合させて次のような法を作るというのが私の方法である。

「国民をして戦争に徴する者、国民に大量殺人行為をなさしめる者は、兵士となった者の苦しみを購うべく、自らの命と財産を賭すべし。国民をして軍旗の下に駆り立てる王は、自ら旗手となるべし。一兵卒が食する物なく飢えたる時は、王はまた兵卒と共に物乞いに歩くべし。国民の賤家が戦火で焼かれたる時は、宮殿にも城にも火を放ち炎上させるべし。そして就中、前線の露と消えし一個の国民の命を購うべく、一人の王または一人の大臣が祖国のために「名誉の死」を遂げて安らかに葬られるべし。戦争を扇動した新聞記者については、10人一束にして、一兵士の命を購うべく、人質として拘留されるべし。」


「政治家は国民の下僕である」というのは嘘だ。「政治家は国民を戦場へ送り出す人々」なのだから。新聞記者はこれに与(くみ)する連中だ。社会の木鐸(ぼくたく)であることをやめて、政府のスポークスマンやメッセンジャー、あるいは太鼓持ちに成り下がることは決して珍しくない。


 いつの時代も戦争の最大の被害者は女性である。その女性に向かってエルンスト・フリードリッヒは断固として戦争を回避する具体的な行動を呼び掛ける――


「否(ノウ)」――この言葉を絶えず唱えよう。そして、唱えたとおり実践せよ。そうすれば、すべての戦争は遂行不可能になるであろう。全世界のすべての資本、すべての王、すべての大統領は、全世界の全国民が蜂起して「否(ノウ)」を叫んだ時、一体何ができるのか。

 そして汝ら女性たちよ。万一汝の夫が心弱い時、夫に代って汝自身がこの仕事を遂行せよ。夫との愛の絆は軍隊の命令よりも強いことを立証せよ。夫を前線に行かせてはならない。夫のライフルを花で飾ってはならない。夫の首にしっかりと手をまわせ。出発の命令が下っても、夫を行かせてはならない。すべての鉄道を破壊せよ。そして、身を投げて列車の前に立ちはだかれ。女性たちよ、汝の夫が心弱き時、これらを実行せよ。全世界の母たちよ、団結せよ!


 力なき者が「ノー!」と叫ぶ時、時代の歯車は回り始める。その叫び声こそが時代の軋(きし)む音なのだ。バスの運転手から白人に座席を譲るよう促されたローザ・パークスも「ノー!」と答えた。ここからバスボイコット運動が燎原の火の如く広がり、黒人の公民権運動へと発展した。ネルソン・マンデラアパルトヘイト(人種隔離政策)に対して1962年から1990年まで「ノー!」と叫び続けた。インドにおいてはアンベードカルカースト制度に「ノー!」を叩きつけた。


 時代の悪を炙(あぶ)り出すのはかくの如き反逆者であった。彼等は自らの危険を顧みることなく、自分よりも大きいもののために闘った。


 エルンスト・フリードリッヒも間違いなく反逆者の一人だ。

戦争に反対する戦争

2010-04-27

戦争と写真/『他者の苦痛へのまなざし』スーザン・ソンタグ


 スーザン・ソンタグの本を初めて読んだ。凄い。柔軟さとしなやかさが強さであることを示している。当初、「鞭のようだ」と思った。が、それは正確ではない。衣(ころも)のように包み込み、水のごとく浸透する、と言うべきか。


 彼女は揺らぐ。バランスをとるために。だからソンタグは初めから「揺れる」ことを恐れるところがない。人の意志決定を司(つかさど)っているのは、脳内の電気信号の揺らぎであるとされる。

 ソンタグは判断を下す前に思考を振り子みたいに揺らしている。意図的に。その振幅が思考に余裕を生み、豊かさを醸(かも)し出す。


 本書は戦争と写真に関する考察である。暴力とメディアと言い換えてもよいだろう。


 スペイン内戦(1936-39年)は現代的な意味で目撃された(「取材された」)最初の戦争であった。


【『他者の苦痛へのまなざし』スーザン・ソンタグ/北條文緒訳(みすず書房、2003年)以下同】


 報道された戦争は「翻訳された戦争」である。戦争の情報化が始まった。情報は常に加工される。ある時は国威発揚のために、別の際には敵を撹乱(かくらん)させる目的で嘘が盛り込まれる。


 我々は正確な情報を求めている。そこには、正確な情報さえわかれば正当な判断ができるという勝手な思い込みが存在する。見事な欺瞞だ。


 そして戦争の犠牲者の写真はそれ自体でひとつのレトリックなのだ。写真は繰り返し立ち現われる。写真は単純化する。写真は扇動する。写真はコンセンサスという幻覚を創りだす。


 ごらんなさい、と写真は言う。【こんな】ふうなのですよ。戦争とはこういうことを【する】のですよ。それに【あの】写真の、ああいうことも、あれも戦争がすることです。戦争は引き裂き、引きちぎる。戦争は抉りとる。戦争は焼き、解体し、【滅ぼし尽くす】。


 写真は主張する。「これは嘘偽りのない事実だぞ!」と。写真は見る者の視点をカメラの位置に閉じ込める。首を動かすことは不可能だ。そして瞬間の中に記憶が固定される。


 遺体が映っていれば、彼あるいは彼女の来し方と、【あったはずの】行く末とに我々は思いを馳せ、写真には映っていない殺人者の存在を強烈に意識する。遺体は「自分」と化す。このような所業が許されていいはずがない。死は憎悪を掻(か)き立てる。


 ところが殺された者が大量殺戮者であれば、我々は溜飲(りゅういん)を下げる。いや、「殺し足りない」と思うほどだ。「寸刻みで切ってやりゃいいんだよ」とまで思う。「物語としての遺体」。


 それとは対照的に、一方の側には正義、他方には抑圧と不正があり、ゆえに戦闘は続けられねばならない、と信じる者にとって重要なのは、まさに誰によって誰が殺されるかということである。イスラエルのユダヤ人にとって、イェルサレム都心のスバロ・ピザ・レストランへの襲撃で、ばらばらにされた子どもの遺体の写真は、何よりもまずパレスチナの自爆者によって殺されたユダヤ人の子どもの写真である。パレスチナ人にとって、ガザ付近で戦車に轢き殺された子どもの写真は、何よりもまずイスラエルの兵器によって殺害されたパレスチナの子どもの写真である。戦闘者にとっては、誰かということがすべてである。したがってすべての写真には、キャプションによる説明、あるいはキャプションによる偽装工作が求められる。近年のバルカン半島でのセルビア人とクロアチア人の戦闘では、村の爆撃で殺された子どもたちの同じ写真が、セルビア人、クロアチア人双方で宣伝活動のために流布された。キャプションさえ変えれば、子どもたちの死は繰り返し利用できるのである。


 つまり、同じ写真であっても意味を変換することが可能なのだ。ポジとネガは善悪となって反転する。善悪は交互に点滅する。戦時中の価値観はいつだって政治に支配されている。善悪を判断するのは政治家だ。


 一般の言語は、ゴヤの作品のような手作りの図像と写真との違いを、芸術家は絵を「メイクし」(作り)、写真家は写真を「テイクする」(撮る)という月並みな言い方で説明する。だが写真の映像は、それが一つの痕跡である(雑多な写真的痕跡からなる構成物ではなく)かぎりにおいて、単に事件を透明に反映したものではない。それは常に誰かが選びとった映像である。写真を撮ることは枠をつけること、枠をつけることは排除することである。さらに写真をいじることは、デジタル写真術と写真店による修正のずっと前からおこなわれており、写真が偽りの映像を作ることは常に可能だった。


 しかし、である。戦争の全てをあらゆる角度から撮影した膨大な写真があったとしても、見る人の意図は恣意的(しいてき)な物語を作り上げることだろう。結局、皆が皆自分の都合に合わせて情報を取捨選択している。


 記憶することは以前にもまして、物語を呼び起こすことではなく、ある映像を呼び出すことになっている。


 我々は映像によって「物語を紡(つむ)ぐ自由」すら奪われてしまったのだ。私の常識や価値観は、メディアへの迎合と反発の間にしか築かれない。


 これは五感の中で視覚情報が圧倒的な情報量を占めていることとも関係しているのだろう。我々はあらゆるものを「見た目」で判断する。中身を問うのはその後の話である。


 視覚情報は欲望を喚起する。男性がグラマーな女性を好むのは、遺伝子を残しやすいためといわれる。とすると遺伝的優位性は目に見える形を成していることになる。


 人は視覚に捉われ、翻弄され、判断を誤る。


 他者の苦痛へのまなざしが主題であるかぎり、「われわれ」ということばは自明のものとして使われてはならない。


 我々は「我々」という言葉を使うことで、「私」を大きく見せようと目論む。私が「我々」と言う時、私は「スタンダード」(標準)となっている。政治的メッセージは必ず「我々」を多用する。「我々以外は敵だ」と言わんばかりに。


 写真を見た瞬間、我々はそこに意味を読み取ろうとする。我々は「わからない」ことに耐えられない。見るという行為が、胸倉をつかんで関係性を強要する。意味がわからなければ、観察者は部外者となってしまう。


「見る」ことは「見えなくなる」ことでもある。見えている物の裏側や、自分の背後は決して見えないのだから。とすると、「わかる」ことは「わからなくなる」でもあるのだ。


 苦しみを容認せず、苦しみに抵抗することは、何を意味するのか。


 写真は見る者をして傍観者に仕立てる。ギャラリーは野次馬と化し、覗き見に加担させられる。ジョルジュ・バタイユ著『エロスの涙』で紹介されている中国の残酷な写真について触れている。私はバタイユの感覚が全く理解できない。

 かくも残忍極まりない処刑が中国では春秋時代(紀元前770-紀元前403年)から清朝(1644-1912年)に至るまで行われてきた。バタイユはこの写真に魅せられ、手元から離すことがなかったという。「お前が同じ目に遭ったらどうなんだ?」と言いたくなる。


 サブリミナル効果が示すように、生と死(セックスと暴力)は人間を刺激してやまない。格闘技が我々を熱狂させるのは、勝者が生を敗者が死を体現しているからだ。


 残念ながら惨殺された遺体の写真は暴力的衝動を引き出す。人間の良心は「殺す者」への共感を拒む。一歩誤ると暴力への渇望すら生みかねない。


 メディア情報が席捲する時代にあって、我々に必要なのは静かに「瞑目(めいもく)する」ことではあるまいか。そんな気がしてならない。

他者の苦痛へのまなざし エロスの涙 (ちくま学芸文庫)

2010-04-09

アフガニスタンの砂漠を緑に変えた男/『医者、用水路を拓く アフガンの大地から世界の虚構に挑む』中村哲

 アフガニスタンの歴史は文字通り戦乱の歴史である。紀元前6世紀にはペルシャ帝国に組み込まれ、紀元前4世紀にはアレクサンドロス大王に支配された。19世紀には「グレートゲームの舞台」と称されていた。それは血塗られた抵抗の歴史といってもいいだろう。今も尚アフガニスタンの農民は銃を扱っている。


 2001年、アメリカ同時多発テロ事件の首謀者と目されたアル・カイダの引き渡しを拒んだタリバン政権に対し、アメリカの主導で武力を行使した。これがアフガニスタン紛争である。


 中村は医師として1984年からアフガニスタンで働いていた。元々はハンセン病の治療に当たっていた。それが、どうして用水路をつくることになったのか? 戦争の爆撃によってアフガニスタンの大地は砂漠化が進んでいた。当然のように水は乏しくなる。しかもこの国の大半は山岳地帯である。飢えた子供達は、汚水を飲んで赤痢にかかり、脱水症状を起こして次々と死んでいった。十分な食糧と清潔な飲料水さえあれば、多くの病気は防ぐことのできるものであった。


 これは他の国にしても同様で、平均寿命が延びているのは医学の進歩によるものと思い込んでいる人が多いが、実際は衛生面の向上が最大の要因となっている。


 中村は現地の動向を知る人物として国会にも招かれた。この発言から中村の気概が十分伝わってくる──


 私は証人として述べた。

「こうして、不確かな情報に基づいて、軍隊が日本から送られるとなれば、住民は軍服を着た集団を見て異様に感ずるでありましょう」

「よって自衛隊派遣は有害無益、飢餓状態の解消こそが最大の問題であります」

 この発言で議場騒然となった。私の真向かいに座っていた鈴木宗男氏らの議員が、野次を飛ばし、嘲笑や罵声をあびせた。司会役をしていた自民党の亀井(善)代議士が、発言の取り消しを要求した。あたかも自衛隊派遣が自明の方針で、「証人喚問」はただの儀式であるかのようであった。(中略)

 つまらない論議だと思った。「デモクラシー」とはこの程度のもので、所詮、コップの中の嵐なのだ。しかし、コップの中の嵐といえども、それが一国民の命運を左右するのであるから、空恐ろしい話だとも思った。百年の大計などないのだ。実のある政治指導者なら、「有害無益」の理由をもっと尋ねるべきであった。

 それに、「証言取消し要求」など、偽証ならともかく、理屈の上でもあり得ないことである。悲憤を抑えて私は述べた。

「自衛隊は(『自衛』のための武装隊ではなく)侵略軍と取られるでしょう」(野次あり)「人の話を静かに聞いていただきたい。どんなに言い張っても、現地の英字紙にはジャパニーズ・アーミーだと書いてある。憲法の枠内だの何だのというのは内輪の論議であって、米国同盟軍としかとられない。罪のない者を巻き添えにして政治目的を達するのがテロリズムと言うならば、報復爆撃も同じレベルの蛮行である」(野次と罵声あり)


【『医者、用水路を拓く アフガンの大地から世界の虚構に挑む』中村哲〈なかむら・てつ〉(石風社、2007年)以下同】


 私が道産子ということもあって鈴木宗男には好意を抱いてきたのだが、大幅な減点をせざるを得ない。この部分だけ読んでも、国会の証人喚問や参考人招致にはさほど意味がないことが理解できよう。所詮、駆け引きの道具でしかないのだ。


 中村は実務家である。伊勢崎賢治と同じ匂いを放っている。自分達にできることとできないことを見極め、やると決めたらどこまでも進んでゆく実行力に満ちている。


 2000年の時点で飲料用井戸は既に1600本も掘っていた。だが今度の計画は上流の川から用水路を引き込み、大地を緑に変えるという壮大な計画であった。長さは何と13kmである。しかも戦乱が続く中でこれをやり遂げようというのだ。2002年1月までに、ペシャワール会の呼び掛けで6億円の寄付金が集まった。


 厚い岩盤が行く手を阻む。部族間の紛争も絶えなかった。罵声を浴び、石を投げられてもあきらめなかった。日本にいる我が子には死が迫っていたが、それでも尚一歩も退かなかった。


 現にアフガン戦争中、前線でわが身をさらして弾除けになり、私を守ろうとした部下たちを知っている。人は犠牲の意義を感ずると、自分の生命さえ捧げることもあるのだ。更に、私の10歳の次男が悪性の脳腫瘍にかかり、死期が近かった。2回の手術に耐え、「あと1年以内」と言われていたのである。左手の麻痺以外は精神的に正常で、少しでも遊びに連れて行き、楽しい思いをさせたかった。だが、この大混乱の中、どうしても時間を割いてやることができない。可愛い盛りである。親の情としては、「代りに命をくれてやっても──」とさえ思う。この思いはアフガニスタンでも米国でも同じはずだ。それは論理を超えた自然の衝動に近いものである。旱魃と空襲で命の危機にさらされる子供たちを思えば、他人事と感ぜられなかった。


 何という男だろう。国会で中村に野次を飛ばした政治家どもとは、明らかに人間としての格が違う。中村の子はその後亡くなる。犠牲にしたものが大きければ大きいほど、アフガニスタンの民に寄せる思いは強靭なものとなった。


 襲い掛かる万難を退けて、大いなる用水路が遂に完成する。それを伝え聞いた人々がこの地に次々と戻ってきた。乾ききった砂漠に緑が戻ってきた──


 これほどの大仕事は、やはり初めてであった。

 雲ひとつない天空から灼熱の太陽が容赦なく照りつけ、辺りは乾ききっていた。そこに激しいせせらぎの音がこだまして、勢いよく水が注ぎ込む。

 これが命の源だ。例によって早くも駆けつけるのは、トンボと子供たちである。水のにおいを本能的にかぎつけるのか、トンボの編隊が出現したかと思うと、子供たちが寄ってきて水溜りを泳ぎ始める。水がめを頭に載せた主婦が立ち止まり、岩陰にかがんで水を汲む。この2年間、水路の先端が延びる度に目にした光景だが、今回は事のほか、強烈な印象を以って胸に迫るものがあった。

 自分の人生が、すべてこのために準備されていたのだ。

 水遊びする群の中に、10歳前後、どこかで見た懐かしい背格好の子がいる。あり得ないとは知りつつも、4年前に夭逝した次男ではないかと、幾度も確かめた。


 夭逝(ようせい)した子供もきっと快哉(かいさい)を叫んだに違いない。偉大な事業というものは、必ず偉大な人物によって成されるのだ。


 本書は用水路が完成したところで終わっている。しかしその後、ペシャワール会の伊藤和也が何者かの手によって殺害された。中村は自分以外の日本人スタッフを全員帰国させた。彼は今日も険しい道を一人歩んでいるに違いない。

医者、用水路を拓く―アフガンの大地から世界の虚構に挑む


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2009-10-25

米兵は拷問、惨殺、虐殺の限りを尽くした/『人間の崩壊 ベトナム米兵の証言』マーク・レーン


 ベトナムにおける米軍の残虐非道ぶりが、米兵の口から証言されている。かすかに残っていた良心が罪の意識を呼び覚ましたのだろう。だが、どれほど真摯に語ったところで、犯罪をおかした側の言葉は羽根のように軽い。これは、野田正彰著『戦争と罪責』(岩波書店、1998年)でも同様だ。同じ目に遭わずして、彼等の犯した罪が帳消しになることはないだろう。


 軍事行動の要は効率である。少し前までは市民であった人々を短期間で殺人マシーンに仕立てなくてはならない。ひとたび命令が下れば水火も辞せず進軍し、躊躇(ためら)うことなく銃を撃ち、ナイフを突き立てる兵士が求められる。


 そして戦争には捕虜がつきものだ。当然ではあるが、兵士は尋問テクニックを学ぶ。尋問の目的が情報収集にある以上、ありとあらゆる手段を講じて捕虜の口を割らせることになる。人間と人間とが殺し合う戦場において、国際人道法ジュネーヴ条約などがブレーキになることはあり得ない。


 アメリカ軍による尋問は凄惨を極めた――


リチャード・ダウ


問 尋問を見たことがあるか?


答 見た。私がつかまえて、連行した何人かの捕虜について行なわれたものだ。おそらく25回ないし30回の尋問を目撃している。


問 その模様を話してもらえるか?


答 そう、私は少年をつかまえた――17歳ぐらいだったろう。私はその子の脚を射ち、相手は倒れた。彼は武装していた。私は武器を取りあげ、応急手当をして看護用ヘリコプターを呼び、中隊の司令部に連行した。彼に手当てを施すと、われわれは尋問した。


問 尋問に立ち会ったのか?


答 立ち会った。ずっと見ていた。ベトナム人の尋問官が話しはじめた。少年は腿に傷を受けていて、その部分を縫合され、輸血されていた。尋問の途中で、私は尋問官が手をのばして相手の脚の包帯をはぎとり、銃床でそこをなぐり、また血をふき出させるのを見た。少年は多量に出血した。すると、しゃべればまた包帯を巻いてやると言われた。少年はしゃべろうとしなかった。そこで尋問官は銃剣を取り、銃弾がつくった足(ママ)の傷を切りひらいて大きくした。それでもまだお手やわらかな方だった。彼らはさらに相手を責めつけて、ついに殺してしまった。


問 どんなふうに殺したのか?


答 拷問して。


問 どんなふうに拷問したのか?


答 指を切り取ったのだ――一度に関節ひとつずつだ。さらに相手にナイフを突き立て、血を吹き出させた。


問 どこに?


答 相手の顔、腹、手、脚、胸に突き刺して血だらけにした。


問 どのくらいそれはつづいたのか?


答 約3時間。最後に少年は気を失った。意識を取り戻させることはできなかった。尋問官はピストルを引き抜き、彼の顔を射った。彼が死ぬと、連中はその鼠蹊部を切り取った――つまり去勢したのだ――そしてその部分を口に縫いあわせた。そのあと死体をその村の真中に立てて、掲示をぶら下げた。だれでも手を触れる者はこれと同じ扱いを受ける、と。だれも触ろうとはしなかった。女にもまったく同じやり方をするんだ。


問 それを目撃したことはあるか?


答 ある。われわれはサイゴンへ出かけていってビールを飲んでいた。仲間の一人はバーの上の部屋に売春婦をつれこんだ。するとその男が悲鳴をあげた。彼はその小娘から剃刀の刃で切りつけられたのだ。われわれは憲兵を呼んで、彼を病院に運んだ。女はその場から手近の軍事施設に連行した。女をつれていくと、そこで彼女は縛りあげられ、股からのどまで真一文字に切り裂かれた。連中は女をたちまち殺してしまった。


問 きみはそれを見たのか?


答 この目で見た。


問 そのほかに婦人を虐待した例を見たか?


答 そう、見た――だが、話して良い気持のものではな。できれば話したくないのだが、それに、こういうことことはご婦人の前で口にするわけにはいかない。


問 あなたがたお二人はこの場をはずして、しばらくわれわれ二人だけにしておいてくれないだろうか?

 で、どんなことを見たのか?


答 一人の若い娘がつかまったのを見た。彼女はベトコンのシンパだと言われていた。その娘をつかまえて連行したのは韓国軍だった。尋問しても、彼女は口を割らなかった。すると連中は娘の衣服をすべてはぎ取り、きつく縛りあげた。そして、その大隊の全員がかわるがわる彼女を犯した。やがて娘は、もうがまんできないからしゃべると言った。すると連中は彼女の性器を、その辺にあった針金で縫いあわせた。さらに鉄の鉤を頭に突き刺して、宙づりにした。そして、その一団の指揮官の中尉が、長いサーベルをふるって頭と胴体を切り離した。ほかに、一人の女が赤熱した銃剣を性器にぐさりと深く突き立てられるのも見た。


問 だれがそれをやったのか?


答 われわれがやった。


問 アメリカ兵が?


答 そうだ。


問 何人ぐらいのアメリカ兵がそれに加わったのか?


答 7人。


問 その娘は何者だったのか?


答 ベトナム人の村長の娘で、ベトコンのシンパだった。われわれが彼女を裸にし、縛りあげ、銃剣を火で熱して、その乳房を刺し、陰部にも突き立てたのだ。


問 彼女は死んだか?


答 すぐには死ななかった。われわれの中の一人が、自分の長靴から革の靴ひもをとり、それを水で濡らすと、彼女の首のまわりにまきつけた。そして娘をつるして太陽にさらした。生皮は乾くにつれて収縮する。それで彼女は徐々にくびれて死んだ。


【『人間の崩壊 ベトナム米兵の証言』マーク・レーン/鈴木主税〈すずき・ちから〉訳(合同出版、1971年)】


 国家が意図的に殺人マシーンを作り上げてしまったのだから、アメリカ国内で猟奇殺人があるのも致し方ないだろう。殺し屋達が帰国後、まともな人生を歩めるはずもない。


 まして、軍によって精神までコントロールされてしまった彼等に対して、米国民は冷ややかな態度で応じた。ベトナム戦争をテーマにした映画作品も多いが、単なるガス抜きに終わってしまっているような印象も受ける。


 ベトナムの地において米兵の多くは既に人間ではなくなっていた。彼等は権力者の意思によって動かされる手足と化していた。命令系統が「殺せ」と指示すれば、彼等はゲームを楽しむように殺戮に興じた。


 兵士が語る過去には自戒が込められていた。反省と懺悔もあった。だが、そのアメリカが今もなお戦争を推進している。イラクを攻める際には「大量破壊兵器を保有している可能性がある」ことを口実にしたが、実際には存在しなかった。そもそも、大量破壊兵器を保有しているのはアメリカに他ならない。アメリカよ、自分を攻撃したらどうなんだ?

人間の崩壊―ベトナム米兵の証言 (1971年)

2009-06-16

米軍による原爆投下は人体実験だった/『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人

    • 米軍による原爆投下は人体実験だった

 またしてもベッチーである。これは傑作。最近の量産ぶりは玉石混淆だが、本書は一つの集大成ともいえる。それほど完成度が高い。各章の意図が明確で、薀蓄(うんちく)に傾きがちな悪癖が影を潜めている。装丁もグッド。


 苫米地の胡散臭さは、天才にありがちな「ま、わかる奴だけわかればいいや」という手抜きに起因している。穿(うが)った見方をすれば、「トンデモ本と思わせておけば好都合」という魂胆さえ見え隠れしている。


 例えば、スピリチュアル系の内容だと仏教の造詣が求められるし、本書であれば経済の仕組みに関する基礎知識が不可欠だ。私が読んできた限りでは、苫米地英人が単なる思いつきで、いい加減なことを書いた形跡はない。凄いことをさらりと書いておきながら、知を統合させる方向へリードしているように感ずる。


 本書は初の経済モノ。資本主義経済という名のもとで、どのように大掛かりな洗脳が行われ、国民が目隠しをされているかを暴き出している。イントロは、原爆投下にまつわる洗脳だ――


 原爆投下の理由について、新型爆弾である原爆を当初、米国の原爆を開発した科学者たちは、呉などの軍港の、それも沖合いに投下するという説明を受けていました。それを、当時の米国軍部は原爆の威力を測定する意味合いで、都市部に落とすことに変えました。人体実験を目的として日本に落としたと言えます。このことは、残された米軍の資料など、さまざまな証拠から明らかになっています。

 ところが日本人の多くは、「第二次世界大戦を早く終らせるために、アメリカは日本に原爆を投下せざるをえなかった」と教育され、いまだにそう思い込んでいます。

 実際、昭和20年の東京大空襲など、一連の空爆による日本全土焼き払い作戦のときから、米軍部は日本に戦争遂行能力がないことをはっきり知っていました。日本全土を焼き払うこと自体、すでに人体実験です。一般市民が無差別に死んでいくなかで、戦争の恐怖がどのように天皇を頂点にした国家を変えていくのか、研究していたのだと私は見ています。

 そして、その次に原爆投下です。敗戦前の少なくとも半年の間、日本人は国ごと一部の米国人の実験用モルモットとして、やりたい放題に殺されたというのが歴史の事実です。


【『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人(ビジネス社、2008年)】


 私もそのように思い込んでいた。日本軍に侵略されたアジア諸国の国民から見れば、原爆投下は正当化されるのかも知れない。はたまた、ソ連軍の参戦によって米軍は終戦を早めることを余儀なくされた、と。


 真珠湾攻撃の宣戦布告が遅れたとはいえ、アメリカ側は事前に知っていたという記録もある。とすれば、アメリカが第二次大戦後の世界における主導権を握るためにも、でかい花火を打ち上げる必要があったのだろう。


 その結果、広島では14万人が、長崎では7万4000人が、東京は106回の爆撃を受け、3月10日だけで8万4000人が殺された。

 ここで重要なことは戦時中の日本がどのような状況であったのかということである。稀代の悪法である治安維持法や不敬罪によって、警察や憲兵が威張り散らしていたことは容易に想像がつく。夫や子供を戦地へ送り出した妻や母達は気丈に耐えるしかなかったことだろう。そこへコーンパイプをくわえたマッカーサーがやってきたのだ。チョコレートを持った米兵も。終戦(本当は敗戦)と同時に、灯火管制が布かれていた日本に電灯が煌々(こうこう)と灯(とも)った。


 ってことはだよ、ひょっとしたら安堵に胸を撫で下ろした国民の方が多かったかも知れぬ。そして、そこにこそ洗脳の余地(=「情報の空白部分」)が形成されたのだろう。マッカーサーは日本に自由を与えた。そして、自由になった日本国民は知らぬ間にアメリカが誘導する方向へ歩を進めた。


 原爆慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と記されている。過ちを犯したのはアメリカであったにもかかわらずだ。日本人は何でも水に流してチャラにするのだった。で、天皇の戦争責任もアメリカの原爆の責任も不問に付されるってわけだ。


 大き過ぎる問題は国民の目に映らない。群盲象を撫でる状況となる。苫米地英人は一冊の書物に心血を注ぎ、象の姿を皆に見せようと試みたのである。ここには眼を開かせるだけの力が、確かにある。

洗脳支配ー日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて