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2011-02-24

システムとは概念/『一目均衡表の研究』佐々木英信

    • システムとは概念

 一目均衡表は一目山人〈いちもくさんじん〉のペンネームで知られる細田悟一が創案したチャートで、既にグローバルスタンダートになった感がある。


 チャーチストは価格原理主義であり、「歴史は繰り返す」を金科玉条とし、愚かな人間を嘲笑するところに真骨頂がある。


 もちろんチャートに本質的な意味はない。マーケットに参加しているプレイヤーが意味を与えているだけだ。つまりチャートという価格変動の物語をどのように読むか、という心理戦が展開されているのだ。


 売買が一対の合意で形成されている以上、需給関係が存在するのは確かだ。値を下げようが上げようが、すべての取引は一対一の相対取引である。すなわち値幅はプレイヤーの心理情況を示している。


 最終的にこれを総合化してまず「相場の現在性」(相場が現在持っている力)を知りなさい、と説いておられる。


【『一目均衡表の研究』佐々木英信(投資レーダー、1996年)以下同】


 もっとも大事な考え方は、時間論にある。師が最も力説されているのは、【この時間こそが相場そのものである】という点にある。


 相場は時間との戦いである。時間的優位性に立った者だけが勝利を収める。その意味でマーケットは人生と似ている。人生もまた限りある時間との戦いであるからだ。


 問題は昨日までの値動きではなく、今この瞬間に相場がどちらを目指しているのかだ。ポジションの保有期間はキャッシュ比率で決まる。ポジションサイズを大きく取るか小さく取るかは、自分が望む利益率で変わってくる。マーケットを支配するのは欲望と計算だ。


 計算するには戦略が必要となる。孫子の兵法で説かれる「計篇」とはこの意味である。


 均衡表の哲学の中には、東洋、西洋の哲学が織りなされているが、中でも明確に打ち出されているのが仏教精神であろう。自力本願は、自助努力の精神がまずこれにあたる。


 これが本当に理解できれば、ポジションサイズは小さくなる。なぜなら少欲知足こそがブッダの教えだからだ。世界中の欲望を目の当たりにしながら、離れた位置から達観してみせるのが仏教の極意であろう。相場が大きく動こうが、膠着状態の揉み合いを続けようが冷静さが求められよう。


 確かに景気の「気」や投機の「機」は、仏教的世界観に近い意味が感じられる。さすれば、チャートの本質は欲望の変化相であり、これすなわち諸行無常と考えることも可能だ。


 相場とは予想するものではない、予測するものである、と明言されている。なぜなら、予め想うと思い込みが強くて、誤った判断をしていてもなかなか気づきにくい。これに対して予測は、足元の証拠をもとに今後の相場を予め測っておくことである。実際の相場が予測の範囲を超えた場合は、当初の論理が誤っていたことがハッキリする。どのように論理を変更するかも明確になる。したがって、相場は予測するものであって、予想するものではないとされている。


 予測とは「測る」こととの指摘が重い。しっかりとしたルールで測れば、物差しの誤りにも直ぐ気づくことができる。気分や雰囲気だけではあっと言う間に丸裸にされるのが相場の恐ろしいところだ。


 師の一目山人は、相場の研究をされるにあたって、洋の東西を問わずさまざまな哲学を学ばれている。その中からカント哲学を第一の論理、ヘーゲル哲学を第二の論理とし、東洋哲学から墨子老子荘子を、またインド論理学、さらに仏教論理学で最終段階に達したと書き記されている。京都学派の西田幾太郎哲学を信奉され、終生の師として仰がれたことにも触れられている。

 こうしたら哲学的な思索も優に数百ページにも及び、これだけで一冊の本となせるほどであったと述懐されている。


 値動きは人の気である。そうであれば、やはり人間心理を知らねばならない。チャートが一方に大きく動いた時、殆どのプレイヤーは腰が引けて、利を薄くしてしまう。欲望が大きければ大きいほど、恐怖もせり上がってくる。


 結局のところ経済の本質は「自律」にあるのだろう。自己を律し、コントロールし、時に抑える。いかなる世界であろうと勝利の王道がここにある。


 チャートの宇宙にローソク足が描かれている。一目均衡表は宇宙に潜む重力を現しているかのように見える。あるいは光も届かぬダークマターを描き出したのかもしれない。

一目均衡表の研究

2010-08-17

国債とCDSの仕組み/『恐慌第2幕 世界は悪性インフレの地獄に堕ちる』朝倉慶


 経済や金融に関する本は圧倒的に悲観論が多い。ま、パスカルの賭けみたいなもので、外れたとしても損をする人はあまりいないところがミソ。しかしながら、子羊のような一般投資家はこの手の情報に翻弄され、マーケットの需給を支える羽目となる(笑)。


 やや粗製乱造気味の朝倉慶ではあるが、まだ一読の価値は残している。


 まずは各国の内需拡大政策から見てみよう――


 中国では、車やパソコンを買ってくれたら買い付け金の13%の補助金を出してくれるということです。ドイツでは車を買い替えた人には33万円近い補助が出ます。アメリカでは、消費者ローンや教育ローンを含むあらゆる資産担保保証券をFRBが買ってきています。日本政府もドイツや中国の政策が効果を出しているのをみて、これを真似する様です。中古車から省エネカーへの買い替えに最大25万、省エネ家電の購入に、「エコポイント」として買付代金の5〜10%を還元するという事です。要するに世界中で、何がなんでも消費しろ、というように常識外の政策を取っているのです。

 いわば、かつてのマクドナルドの半額セールみたいなものです。売れ行きを何とか伸ばそうとして、安売りを強行しているのです。これは単に需要の先取りにしかすぎず、永遠に続けられる政策ではありません。やがて、化けの皮が剥がれて大赤字になったマクドナルドのように、世界の消費はつるべ落としになっていくに違いありません。


【『恐慌第2幕 世界は悪性インフレの地獄に堕ちる』朝倉慶〈あさくら・けい〉(ゴマブックス、2009年)以下同】


「何がなんでも消費しろ」――ああ、そうだったのか。こうなるとまるで賭場の胴元みたいだな。政府って胴元だったのね。これぞ「ネズミ車式資本主義」。我々は死ぬまで走らされる。消費という大車輪の中で。


 そう考えると、昨今の消費税増税というテーマは、「お前ら国民に代わって、俺達胴元が金を使ってやるよ」という意味なのかもしれぬ。


 いずれにせよ、資本主義はそのギャンブル性によって行き詰まりを露呈しつつある。


 次に国債の説明――


 債権というものを少し簡単に説明してみます。債権は10年なら10年、金利が固定されるものです。たとえば、その時に発行される、10年もの国債の金利が2.5%であれば、その国債は10年にわたって2.5%の金利が取れることを保証しています。となると、その後に金利が3%のものが発行されたらどうなるか? それは2.5%を10年間続くのと違って3%という金利が高いものが10年保証されるわけですから、当然、金利の高い設定のほうが、価値が上がるわけです。そしてこれが、前に発行された10年もの債権(金利2.5%)の価値を減価させ、値段の急落となります。金利上昇による債権価格低下のメカニズムです。

 これがインフレ気味、ないしは国債の大量発行の供給に耐えきれず、仮に10%の国債が発行されるようになったらどうなるか? 新しい国債は10年間10%の金利が保証されるわけですから、だれも10年変わらず2.5%の金利などという債権は買わなくなってしまいます。これが2.5%の金利の国債価格の暴落を引き起こすわけです。そのような金利上昇が続いて起きていくと人々が予想するようになったらどうなるか? 誰も怖くて債権は買えなくなってしまい、国債は売れず、従来発行された国債は価格の暴落から、「がれきの山」になってしまいます。今発行されている国債など2ケタのインフレが起きれば、あっという間に半値以下、20%のインフレになれば、4分の1になってしまいます。


 これ、ちょっとわかりにくい。急落した国債はどこで売買されるんだ? 銀行間なのだろうか? それとも金利マーケットということか? 実際に現物を解約した場合、どの程度の手数料が発生するのかね?


 現在、国および地方の長期債務残高は835兆円となっている(リアルタイム財政赤字カウンター 10)。ここに異変が起これば、取り返しがつかなくなることは誰にでも理解できよう。壊れた一軒家は修復のしようもあるが、破壊した都市を直す手立てはない。


 続いてCDSの話――


 実はこれはCDSそのものが、商品として売買されたからなのです。たとえば自動車保険であれば、保険金を払う人と、保険を受ける保険会社だけの関係ですから、1億円の保険契約を、ある人がしたとすれば、その1億円だけが、動く金額です。ところがCDSの場合はこれを、相場として売買し始めたのです。

 ある人の保険会社の1億円の保険を例にとれば、その1億円の保証に対して、50万円だ100万だ、300万だ、という相場が限りなく形成されることによって、実際の保険金である1億円を通りこして、数10億円(ママ)の保険取引が行われたと考えればいいと思います。そうなると、実際の保険取引などとは関係なく、相場の勝ち負けが焦点となってくるわけです。


 資本主義のギャンブル性は金利とレバレッジにある。マネーは移動するだけで増殖を繰り返すのだ。金融マーケットは合法的なカジノと化している。胴元の連中は必死だ。世界中の大衆を巻き込むべく新たな商品開発に余念がない。ETFCFDがそれだ。


 一般投資家は長期投資でなければ勝ち目がないのだが、少々儲けるとレバレッジに目が眩(くら)んでしまう。気づいた時は丸裸ってわけだよ。


 経済はよく川の流れに例えられる。ダムが放水すれば、自ずから下流の水嵩は増す。つまり本来であれば金融政策で経済は活性化できるはずなのだ。そうなっていないということは、下流にダムがたくさんあるか、あるいは「放水は許さんぞ」という大国の意志が働いているとしか考えようがない。

恐慌第2幕

2010-06-29

CDSが爆発するのはこれから/『大恐慌入門 何が起こっているか? これからどうなるか? どう対応すべきか?』朝倉慶


 世界経済が不況に陥り大恐慌(1929年)へと転げ落ちた1920年代、ヨーロッパではファシズムが台頭した。オルテガが『大衆の反逆』(La rebelión de las masas)を著したのは1930年のこと。大衆(las masas)という心理的情況を「慢心しきったお坊ちゃん」に譬(たと)え、無責任な群衆心理を唾棄すべきものとして糾弾した。


「大衆」(マス)はマスメディアを介したマスコミニュケーションによって、より一層大衆化されているといってよい。なぜなら心理的情況は情報がつくり上げるものであるからだ。そして社会の至るところに溜まったストレスが「苛立(いらだ)ち」へと変換され、無責任な攻撃性が高まった時、時代はファシズムへと一気に傾斜する。


 21世紀となった今、世界経済は不況に喘ぎ、各国では保守主義、国粋主義がはびこりつつある。


 朝倉慶の名前は、クレジット・デフォルト・スワップ債に警鐘を鳴らす記事で初めて知った。

 CDSの危機を指摘する人はいたものの、具体的に論じた人を私は知らなかった。マネーの動きを知ることは、世界の仕組みを知ることでもある。金融マーケットには実体経済(ODA)の4倍以上の規模になっているといわれるが、レバレッジ(テコの原理)を利かせたギャンブルのような世界である。その実態はペーパーマネーという幻想によって築かれているに過ぎない。


 CDSとは一種の債務保証のようなものだ。これがデリバティブ(金融派生商品)として売買されるようになった。


 問題は図のように急拡大したCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)市場なのです。詳しくは後述しますが、CDSは金融商品の元金を保証する保険のようなものです。その想定元本は、現在でも5400兆円と世界のGDPに匹敵します。CDS市場には株式市場や債券市場、為替市場といって公の市場はありません。相対(あいたい)取引です。それゆえCDSの売り手、すなわち保険を引き受けたほうは、損害が出たら保証しなければならないわけですが、この売り手がそれに見合うだけの資金を持っているのか公開されていないのです。いわばいつパンクするかわからないわけです。


【『大恐慌入門 何が起こっているか? これからどうなるか? どう対応すべきか?』朝倉慶〈あさくら・けい〉(徳間書店、2008年)以下同】


 直訳すれば「信用(クレジット)、債務不履行(デフォルト)、交換(スワップ)」である。ま、早い話が企業の倒産を賭けの対象にしているようなものだ。今時の言葉であれば、さしずめ「企業賭博」といったところ。


 リスクを引き受ける機関投資家にはプレミアム(保証料)が入ってくるという仕組みだ。景気がよければ企業の倒産リスクは殆どないわけだから、その儲けたるや想像も及ばない。


 2007年7月末、金融マーケットをサブプライム・ショックが襲った。これは低所得者(サブプライム)の住宅ローンをMBSCDOと証券化したもので、要は幕の内弁当の中に腐りかけたおかず(サブプライム証券)を忍ばせていたという話だ。これによって世界金融危機の幕は切って落とされた。


 今回の全米の住宅バブルは、日本の比ではありません。その上昇期間、さらにはそれに絡んで数々の金融商品が作られ、サブプライムローンですら、その一つに過ぎないのです。【73年間にわたって上がってきて、2006年に天井を打ったこのバブルの崩壊は、まだ序章段階にしかすぎません。今後数十年にわたって下がり続けるのは必至なのです】。バブル崩壊の歴史を見れば、疑問の余地のないところです。


 住宅バブルが続いているうちは、転売を繰り返すだけで儲けることが可能だった。ところが信用収縮(クレジット・クランチ)が始まると債務不履行の連鎖が生じる。


 おわかりだろうか? アメリカが生んだ金融工学は結局、取引(売買)を可能にするためにありとあらゆるものを証券化してしまったのだ。一世を風靡(ふうび)したアメリカの投資銀行はその後、殆ど倒産した。


 2008年9月、今度はリーマン・ショックが襲いかかった。投資銀行の名門リーマン・ブラザースが破綻したのだ。なぜベア・スターンズには公的資金が注入された(同年3月)のに、リーマンは見放されたのだろうか? ここに本書の白眉がある。


 朝倉によれば、アメリカ政府が公的資金を注入している企業の全てがCDSを抱えているというのだ。つまり破綻すれば、企業が保有しているCDSが明らかとなり、CDS市場が暴落してしまう。CDSは金融界の大量破壊兵器なのだ。一つの地雷を踏んでしまえば、あっという間に世界は焼け野原と化す。経済用語の「信用」とは「インチキ」の異名である。


 債券の信用度が低下すると、自動的に商品(コモディティ)の価値が上がる。マネーは先物市場に集まる。こうしたこを予測して世界の資源マーケットでは群雄割拠の様相を呈しているそうだ――


 さらにこの間(9.11テロの翌年である2002年から2008年まで)、争いの元となるべき資源の寡占化を着々と進め、水、穀物、石油、石炭、鉄鋼石をはじめ、主要資源の権益はしっかりと押さえられました。鉄鋼生産に不可欠な代表的な資源である鉄鉱石を例にとると、現在ブラジルのヴァーレが39.6%、英国と豪州のリオ・ティントが24.4%、同じく英豪のBHPビリトンが14.2%、と3社で8割を握っています。ビリトンがリオ・ティントに買収交渉をかけていましたが、世界経済の減速もあってか、中止になりました。しかし、このような買収交渉や合併は日本国内では独禁法違反で考えられませんが、世界規模では堂々と行われているのですから、どうにもなりません。ますます希少化する資源は全く手の届かないところへ行ってしまっています。そうは言ってもわれわれは買うしかなく、売る側はいつでも買い手を窮地に陥れることができるのです。まさに首根っこをつかまれたとはこのことです。


 経済大国となった中国は既にアフリカへ莫大な投資をしている。それに比べて日本の政治レベルは小学生並みで、何の手立ても講じていない。バブル崩壊後は骨抜きとなった感が強い。


 世界の商品先物相場は1730年の大阪堂島米会所から始まった。先物取引とは生産者を守るためのものである。


 例えば数年前に原油高騰で漁船が漁に出られない事態が生じた。この場合、漁師組合などで資金を募り、先物相場で原油を買えばいいのだ。原油相場が下がれば損失となるが、その分は漁でヘッジできる。


 資本主義経済が続く限り、大衆消費社会は維持される。消費者を保護するためにも、ありとあらゆる商品の先物相場を設けるべきだ。そうしておかないと、国民の資産は金融機関を経由して荒れ狂う世界マーケットの海へ流出してしまうだろう。

大恐慌入門 何が起こっているか? これからどうなるか? どう対応すべきか?

2010-03-21

投資家とは失望した投機家のことだ/『投機学入門 不滅の相場常勝哲学』山崎和邦


「投資は投機に非ず」──こんな言葉を聞いたり見たりすることは多い。株式投資であれば「長期間にわたってその企業を支え、育てるのが投資である」なんて話だ。


 馬鹿も休み休みに言いやがれって話だわな。そもそも企業を支える義務が一般投資家にあるわけがない。株式を発行する意味は資金調達に他ならない。「銀行の金利は高いんで、あんた貸して(=出資して)くれない?」というだけのことだ。


 例えば私があなたに「100万円貸してくれよ。1年後には50万円にして返すからさ」と言ったら、果たして貸そうとするだろうか? 貸すわけがない。


 本質的には投資も投機も同じ行為であり、リスクをとってリターンを得ようとする営みだ。生命保険を考えるとわかりやすい。生命保険は、65歳までに「自分が病気になる」あるいは「自分が死ぬ」ことに賭けているのだ。


 また、自動車を運転することだってリスクは伴う。交通事故というリスクをとって、短時間で到着するというリターンを得ているのだ。車の場合は高リスクのため、保険加入が義務づけられている。保険料を考えると二重のリスクをとっているといってよい。


 こうした経済概念は結構大切で、実際に投資をしてみると損得は別にしても、明らかにリスクマネジメント思考が身につく。


「投機」という言葉はもともと禅語からきたもので、文字どおり「機」に投ずるということだ。機とは勝機、商機、妙機などというときの、あるチャンスのことで、投ずるとは情熱的・意欲的な能動的行動である。これに対して「投資」とはすなわち資金を投入するということであり、当然、投機と同じくチャンスを見るわけだから、両者に本質的な違いはない。


【『投機学入門 不滅の相場常勝哲学』山崎和邦(『投機学入門 市場経済の「偶然」と「必然」を計算する』ダイヤモンド社、2000年/講談社+α文庫、2007年)以下同】


 山崎はやや強引な表現をしているが、「機」とは機会であり時機のことである。仏教用語の場合は「機根」(きこん)のことで、教えを受け容れる素養を意味する。


 もっとも、こういうケースがよくある。投機のつもりで資金投入したが、チャンスを誤ったので、投じたお金はそのままにしておいて次のチャンスを待ち伏せするため結果的に長期にわたる、というような場合である。この場合、投機家変じて投資家となったわけだ。だから私は「投資家とは失望した投機家のことだ」と言っている。


 これは名言だ。損をしこたま抱えて、切るに切れなくなってしまった一般投資家を見事に嘲(あざけ)り笑っている。


 本書は投資手法については何ひとつ書かれていないが、マーケットの概念をわかりやすく教えている。


 ケインズというイギリス人については、ほとんどの人が大経済学者としてだけのイメージを持っているであろうが、彼は母校ケンブリッジ大学の資金運用を担当していて、株式投機でそのお金を11倍に増やした。しかも世界恐慌の長期低迷相場のなかにおいてだ。そう、彼は株式投機で大もうけしようとして、あの壮大な経済学の体系を構築したのである。またおそらく経済学者としてしか知られていないリカードも株式市場で大成功した。


 これは日本の学者やアナリストを挑発した件(くだり)である。実践の伴わない理論にはキャラメルほどの価値もない。


 投機で儲ける人は、ひと口に言って本当の意味での教養人である。ここで言う教養とは日常生活や人生のあり方に対する真摯な態度であり、ある目的のために必要ならば禁欲もし、怠惰や放漫を抑え、自分を律して行動を効率化していく生活態度だ。


 教養人とは、「感情をコントロールできる人物」という意味合いであろう。儲けては胸を反(そ)らせ、損をするたびに肩を落としているような人は、マーケットから弾き飛ばされてしまう。大体、勝ち続けている人は5%と言われる世界なのだ。


 もちろん、「投資をしない」という選択肢もある。ただ、この場合は金融機関に預金として貯えることで、「投資する機会」を銀行に譲っていることになる。つまり車を自分で運転するか、タクシーやバスのように他人に運転してもらうかという違いでしかない。


 いずれにせよ、マネーは動いている。じっとしていることがない。高いところから低いところへ、そしてある時は逆流し、ある時は鉄砲水のように荒れ狂う。こうしたマネーの流れを実感するだけでも、政治や経済に対する視点がガラリと変わる。


 まったくの素人であれば、ETF(上場投資信託)から勉強するのがいいだろう。固い手法としては日経平均などのインデックスを定期的に買い続けるのが好ましい。世界の資本主義経済が破綻しない限り、一定期間を経れば必ず利益が出る。ま、「資本主義経済に賭ける」ような手法だ。

投機学入門―市場経済の「偶然」と「必然」を計算する 投機学入門――不滅の相場常勝哲学 (講談社プラスアルファ文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2009-12-15

負け組投資家に共通する心理/『マーケットの魔術師 米トップトレーダーが語る成功の秘訣』ジャック・D・シュワッガー


 既に古典となった感のあるトレーダーの教科書。名立たるビッグプレイヤーのインタビュー集である。シュワッガーの投げ掛ける具体的な質問が、彼等の相場哲学を巧みに引き出している。読むのは二度目だが、わかりやすい言葉の奥に光を湛(たた)えた鉱物が隠されている。ヒントが答えとなり、答えがヒントに転じる。相場師が真実を語ることは少ない。そもそも魔術師に種明かしを期待する方がどうかしている。


Q●それらの要因を考慮した上で、儲けることのできないトレーダーにはどんな特徴があるのでしょう。


Dr.バン・K・タープ●儲けることのできないトレーダーは、次に述べるようないろいろな側面を持っています。非常に強い緊張を強いられておりリラックスできない、悲観的な人生観を持っていていつも最悪の事態を想定してしまう、心の中にたくさんの矛盾を持っている、物事がうまくいかなくなったときに他人のせいにするなどといったものです。そのような人は何事においても優柔油断であり、常に周りの行動に左右されてしまうのです。また、彼らは計画的ではありませんし、忍耐強くもありません。すぐに行動しようとしてしまいます。しかし、儲けることのできないトレーダーの多くが、今述べたような悪い面を全て持っているわけではありません。一部分を持っているに過ぎないのです。


【『マーケットの魔術師 米トップトレーダーが語る成功の秘訣』ジャック・D・シュワッガー/横山直樹訳(パンローリング、2001年)】


 バン・K・タープは投資家の心理マネジメントを生業(なりわい)とする人物である。マーケットは万人の欲望が剥(む)き出しになっている世界である。過酷なまでに平等な世界は厳しい損益でもって評価される。そこでは1円の誤魔化しもインチキも通用しない。リスクをコントロールできなければ、含み益はあっという間にマイナスとなり、損切り・追証という仕打ちが待っている。


 建玉・決済の判断はいつだって微妙にして繊細なものだ。一瞬の心の揺れ――そこに投資家の人生が凝縮されている。過去の僥倖(ぎょうこう)にしがみつき、心の中で「たられば」を繰り返し、自分に自分で言いわけをしながら損に損を重ねているのが一般投資家の実態であろう。これをタープは「緊張と矛盾の露呈」と指摘している。つまり、ストレスと嘘があるわけだ。


 しかしながら、タープの心理的アプローチそのものが「投影」を前提としており、科学的な根拠や因果関係を証明しているわけではない。かようなタイプが多いという程度の話だ。


 何かを鵜呑みにする人はコントロールされやすい人物である。タープの発言はひょっとするとポジショントークかもしれない(笑)。「だからあなたは、私にカウンセリングを受けるべきなのだ」と。


 情報は「使う」ものだ。情報が教条と化す時、一般投資家はマーケットから弾き飛ばされることだろう。自ら学ぶことなくして、この世界で幸福を勝ち取ることはできない。

マーケットの魔術師 − 米トップトレーダーが語る成功の秘訣