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2011-04-14

中国・江西省の女性、占星術信じて孫殺害


 中国江西(Jiangxi)省南昌(Nanchang)に住む女性が、生後3か月の孫を井戸に放り込んで殺害した。占星術で、この孫が家族に破滅をもたらすと予言されたことが殺害の動機だという。江西省の国営メディアが11日に伝えた。

 同メディアによると、女性は、息子の妻がこの男の子を身ごもった際、流産させようとして別の孫に腹部をたたくよう仕向けたりもしたという。

 女性は警察に対し、孫が1月に生まれた時に殺害を決め、今月6日、母親がトイレに行ったすきに井戸に放り込んだと供述した。

 女性は殺害後、2日間行方をくらましていたが、警察に発見され、逮捕に至った。

 中国はここ30年で急速な近代化を遂げた。だが、年配者や、江西省のように貧しい農村部の住人など、多くの人々がいまだに古説や迷信を信じている。


AFP 2011-04-13


 我々は政府・メディア・法律という名の迷信を信じている。

2011-03-22

体験は真実か?/『自己の変容 クリシュナムルティ対話録』クリシュナムルティ

    • 体験は真実か?

「計画停電だと? ふざけんじゃねーよ!」と声を大に叫んだところで、パソコンは立ち上がらないし、トイレの水も流れない(集合住宅のため水道ポンプも動かず)。東京電力は都心への電力供給は怠ることなく、八王子のような僻地(へきち)の電気は好き勝手な時間に停めるのだ。これぞ「電力のトリアージ」だ。一般住宅よりも企業や官庁を優先させるってわけだよ。戦時や有事は弱者から切り捨てられるってこったな。畜生、さっさと書いてしまおう。


 この世に生まれ落ちて、物心がついた時から我々は世界を感受する。生まれた時は皆、タブラ・ラサ(白紙状態)だ。多分。


 果たして自我はどのように形成されるのか? それは周囲からの情報と自分の反応が織りなす布だ。アメリカに生まれた子供は自由と民主主義を重んじ、中東に生まれた子供はムハンマドマホメット)を信じ、アッラーに祈りを捧げる。


 長ずるにつれ親と異なる価値観を持つケースもあるが、これは「情報の質」が促した変化と考えられる。先進国を見渡すと、民主主義・資本主義・自由・平等・博愛といった概念が「新たな宗教」として機能している。イラク戦争(2003年)は民主化を口実にイスラム教文化を破壊したと見ることができよう。つまり、宗教よりも民主主義が大義名分として世界に流通するという事実を示している。


「人間の脳は物語に支配されている」というのが私の持論である。我々はいかなる現象にも因果関係を求めてやまない。そして思考には起承転結という枠組みがはめられている。その物語の最たるものが宗教と科学であろう。宗教は精神宇宙の物語であり、科学は物理宇宙の物語である。


 世界は人生という時間軸に沿って展開される。私の心(精神)と肉体(物理)で感じたものが世界だ。それが世界のすべてだ。


 1963年(昭和38年)の6月、世界はまだ存在していなかった。なぜなら私が生まれていないからだ。世界は私と共にある。つまり世界とは「私」のことなのだ。「私」という時空間が世界の正体であろう。


 神はどこにいるのか? 神を信じる私の脳内に存在する。その意味で神は幻影であり、情報にすぎない。なぜなら神の座標を特定できる人が一人もいないからだ。いるんだったら連れて来いって話だわな。神よ、あんたが創造した世界にはあまりにも犠牲が多すぎる。


「私は神を信じるひとりです」。そう名乗った質問者に対してクリシュナムルティは語った──


 あなたは体験によって、自分の信じているものが真理であるという核心を得ようとしますが、信じること自体があなたの体験を条件づけてしまいます。信じているものの証明として体験が起こるのではなく、その信念が体系をつくり出してしまうのです。あなたの神への信仰が、あなたが「神」と呼ぶものの体験をもたらすのです。あなたはつねに、自分の信じるものしか体験できません。信念をもっているかぎり、あなたの体験は無意味なのです。キリスト教徒は聖母や天使やキリストを見、またヒンドゥー教徒は驚くべきほど数多くのよく似かよった神々を見ます。イスラム教徒も、仏教徒も、ユダヤ教徒も、共産主義者も同じです。信念が、それぞれが思い描くものの確証を条件づけるのです。重要なことはあなたが何を信じるかではなく、いったいなぜ信じるのかということだけです。あなたはなぜ信じるのでしょう。さまざまなことを信じるか信じないかによって、現実にあるものに何か違いが生じるでしょうか。事実は信じようと信じまいと、それに影響されません。ですから、「いったいなぜ何かを信じるのか」と問わなければなりません。信じることの根底には何があるのでしょう。それは恐怖、生の不確かさ──未知のものへの恐怖、つねに移り変わっていくこの世界に安定を見いだせないことへの恐怖でしょうか。それは関係の不安定さでしょうか。あるいは、広大な生に直面して、それを理解できないので、「信念」という隠れ家に自分を閉じ込めてしまうのでしょうか。


【『自己の変容 クリシュナムルティ対話録』クリシュナムルティ/松本恵一訳(めるくまーる、1992年)】


 ぐうの音も出ない。信念がフィルターと化している事実を断言している。つまり、人は自分が信じるものしか受け容れないのだ。


 既に何度も書いている通り、私は祟(たた)りを信じない。突然我が家を訪れた人が「先祖の祟りが感じられます。霊を鎮(しず)めるためにはこの印鑑と壷を購入することです!」と断言しても何とも思わない(笑)。「その先祖の名前を言ってみろ」「先祖の現住所はどこなんだ?」「こっちは祟りに引きずられるような弱い生き方はしてないがな」とすかさず応答する。


 ところがご先祖信仰を鵜呑みにする人であれば、「詳しい話をお聞かせ願えませんか? ここのところ家族の怪我が多いものですから……」なあんてことになりかねない。「──というわけで奥様、印鑑と壷はセット価格で200万円になります。エエ、もちろんお支払いは現金でもクレジットでも構いませんよ」ってな具合だ(笑)。


 物語は共有される。夏の夜に稲川淳二のライブへ足を運ぶのは「怪談」という物語を共有するためだ。


 クリシュナムルティは特定の神や特定の教団を否定することで、万人に具わる宗教性を開花させようとしている。集団が織りなす布教は必ずプロパガンダとなる。そして集団は信仰を帰属意識へと貶(おとし)める。所属が人間を断片化する。


 過去に自分が感じたことは事実である。だが真実ではない。なぜなら経験は必ず「解釈される」からだ。否、目の前の事実すら我々は解釈することなしに受け取ることはできない。すなわち世界とは解釈であり、言葉とは翻訳の異名なのだ。


 一切の主義を捨てた地平にありのままの人間が見えてくる。彼は国家にすら所属していない。彼の名をジッドゥ・クリシュナムルティという。

自己の変容 新装版 自己の変容 クリシュナムルティ対話録

(※左が新装版、右が旧版)

ルワンダの歴史


 ルワンダの歴史は危険なものである。すべての歴史がそうであるように、ルワンダ史は権力をめぐる争いの連続であり、そして権力とは自分の物語を他者の現実に押しつける能力でもある――たとえ物語が、しばしば、その血で書かれたものであったとしても。


【『ジェノサイドの丘』フィリップ・ゴーレイヴィッチ柳下毅一郎〈やなした・きいちろう〉訳(WAVE出版、2003年)】

ジェノサイドの丘〈新装版〉―ルワンダ虐殺の隠された真実

2011-02-08

人を許すってどういうことですか?

 絶対に許してはいけない。許せば、過去のいじめが正当化されるためだ。経済的視点で考えてみよう。いじめと謝罪の需給関係が成立するなら、先に謝罪すれば後でいじめてもいいことになってしまう。何にも増して致命的なのは、許すことで人生の物語性が平板になることだ。いじめられた時の苦悩が、謝罪を受け容れる寛容な態度で相殺できる人は、生きる態度が受け身にならざるを得ない。

2010-11-30

ヒトは「代理」を創案する動物=シンボルの発生

 抽象とはなにか。それは頭の中の出来事である。頭の中の出来事というのは、感情を別にすれば、つまりはつじつま合わせである。要するに頭の中でどこかつじつまが合わない。そこで頭の外に墓が発生するわけだが、どこのつじつまが合わないかと言えば、それは昨日まで元気で生きていた人間が今日は死んでしまってどこにも居ない、そこであろう。だから墓というものを作って、なんとかつじつまを合わせる。本人は確かに死んでもういないのだが、墓があるではないか、墓が、と。臨終に居あわせ損ねたものの、故人とは縁のあった人が尋ねて来て、尋ねる人はすでに死んだと始めて聞かされた時、物語ではかならず故人の墓を訪れる約束になっている。さもないとどうも話の落ち着きが悪い。その意味では、墓は本人の代理であり、ヒトとはこうした「代理」を創案する動物である。それを私は一般にシンボルと呼ぶ。


【『カミとヒトの解剖学』養老孟司〈ようろう・たけし〉(法蔵館、1992年/ちくま学芸文庫、2002年)】

カミとヒトの解剖学 カミとヒトの解剖学 (ちくま学芸文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2010-11-03

過度な偶像化


 一瞬の出来事が、人を永遠に変えることがある。

 それでもリンカーン・ライムは信じている。そういった出来事を過度に偶像化すると、その出来事にいよいよ力を与えることになる。悪を勝たせることにつながる。


【『ウォッチメイカー』ジェフリー・ディーヴァー/池田真紀子訳(文藝春秋、2007年)】

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