ぼく自身が梅雨入りだ

○去年の今日6月3日の撮影写真を見て、びっくりした。ユリの花が見事に開いているのに、今年は固く結んだまま。アケビの実も青いのがいくつも付いているのに今年は見つけられない、ムラサキツユクサも見つけられない。気温が高まるのが遅いということか。
○昨日からおびただしい鼻水。これじゃ、何もできない。まあ、ゆっくり休みましょう。
○って、いつも休んでるよなあ。
○でも、ゴロゴロって、いろいろ時の過ごし方の思いつきを産み出してくれ、それでとても面白いことの着想を得ることもあるから、面白いんだな。
 サン・シモン主義哲学のテクニカル・タームのおさらいをしようと、布団に横たわりながら、サン・シモン教義書(1831年版)を読んでいて、はっとした。それは、éducation spécialという用語が目に入ったからだ。それに対応する概念はéducation géneralle。前者の訳語は「特殊教育」、後者の訳語は「一般教育」。白痴教育の世界でいうと、前者の概念使用者にヴォアザンがいる。1830年頃、その必要を唱え、実際に教育施設を創設した、と。先行研究もそれっきりで論述を終えており、我が津曲大先生は、何を根拠にしたのか、「成功しなかった」旨を書いておられる。肝心要のどのような教育目的でどのような教育内容がなされたのか、ヴォアザン自身も書いている様子はない。気にはなっていたけれど、一歩も進まない状態に陥っていた。
 鼻をぐずぐず言わせながら、教義書の該当する箇所をぱらぱらめくっていると、どう考えても、職業教育のことではないか!つまり、この時代、教育といえば、古典的教養を身につけることが主目的で、職業的知識や技能は職業現場における徒弟制の下で行われていた。サン・シモン主義はそうした主知主義教養主義的な教育のみにとどまらず、職業実用の教養や技術をすべての子どもに教える必要があると考えたわけだ!!これは後年(1871年)のパリ・コミューン下の教育政策・教育制度構想に具体的に生きている!!
 そうか。我が国でいう「特殊教育」は「特別なニーズを持った子どもに教育をすること」と理解され、明治の頃は、天才教育と障害児に対する教育のことと理解され、今日では後者にのみあてはめて考えている。セガンの時代もその意識で「特殊教育」を捉えていたから、分からなかったのだ。「職業教育」をイメージすれば、ものごとはすっきりする。
○ハナのすまし顔ーカイコ・モティの版画を画面に入れ込みました

○2階に人間は誰もいないのに…―どんちゃん騒ぎでもしてるのかしらね、猫たち。

セガン1843年論文第3章第2節要旨 入力
 セガンの白痴教育のキーワードとなるl'éducation positive が登場する。「実証的教育・訓練」とするか。positifはサン・シモン主義哲学の中で頻繁に使われていることを無視し得ないだろう。S先生は首を傾げておられたが。「積極的教育」とすべきだと考えられたのだろうか。「積極的教育」では意味内容が分からない。哲学史、経済学史の中で使われてきた「実証」ならば説明が付く。