午前中、デイサービス

○6時半起床。食事をすませて、通所準備、そして「終活のための研究的総括」執筆
○粋生倶楽部増尾通所リハビリ。いつもと変わらず。皆さん、お元気です。
セガン1843年論文翻訳 第24章 結語 承前
ある時には、その声は尖がった音、しゃがれた音、あるいは、がくんがくんとした音に変調し、ある時は聞き取りにくく、聞くのも嫌なほどの構音になる。前者の場合にせよ後者の場合にせよ、声と構音のこの変調はしばしば重複する。話しことばは初歩的で完全に理解できない形でしか発声されない。あるいは、それは唇音節や舌音節あるいはその他の音節を確かな発音をするのに、ただ無能であるだけである。以上が白痴症 の生理的特徴である。
 知能に関わってみるならば、白痴には、注意力が食欲を充たすためにしか向けられない。その概念や観念はどちらもほとんど無い。彼らには、怠けることに従うことが秩序であり、それはよく発達している。場所や人、数の記憶は、同じ理由で際立っている。また音楽の記憶はすでに述べたような理由で際立っている。
 道徳性については、白痴は、その脆弱な知性が彼に許してしまう自己保存欲を、しっかりと感じている。白痴は喜んで壊すし、盗み、隠し、そしてお金が好きである。しかし彼は甘えん坊であるか(1)情愛が深いか、寡黙か陽気か、はにかみやか遊び好きか、内気か活動的か、安全か危険か。他の子どもと同じように、その気質による。白痴が他の子どもと違うところは、けっして何かしようとは思わないことであり、否定的意志を持ち、積極的意志を持たないことである。
 和らげるべきあるいは消滅させるべき障害がその点にある。適切に指導された、いわゆる体操によって、筋肉組織は丈夫になる。機械的刺激によって四肢や胴、顔の随意筋肉が訓練される。ダンベルやバランス棒によって、体の両側の力が均等になり、そのことによって静止でも歩行でも、均衡が生まれる、等々。感覚体操によって、患者は、自分自身や外部現象と正確かつ早くコミュニケーションを取るようになる。さらに、概念の学習によって知的生活の素地を与えるし、概念は具体的な観念に導く。話し方、書き方、読み方によって、患者を抽象の領域に誘い、数字や道徳性が彼が仲間と打ち立てなければならない関係性の感情を彼に与えることになる。
(1)こうした区別と本文で次に続くことは、多かれ少なかれ、患者の自発性を示すということで、重要である。
○終活のための研究的総括その9 (19世紀初頭を旅する その3 編)
 普通のアパルトマン・イムーブル(共同住宅建築物)の共同入り口の横に金色に光る小さなプレートがあり、ARCHIVES SE L'AP-HPとある。日本語に訳せば「福祉・医療古文書館」となるだろう。こういうの、わが日本にあるのかなあ。
 案内も何もない。恐る恐る狭い通路を通りすぐにぶつかる階段を上って両開きのドアを開けて、おずおず、ボンジュール…。あの時の未知の世界への不安感からくるドキドキはそう味わいたいものではない。
 閲覧室のような空間とカウンター。閲覧席には一人、分厚い書類の束をめくって情報をパソコンに入力しているのだろうか。カウンターにいた40ほどの男性が目線をこちらによこし、何やら語り掛けてくる。難聴者のぼくは、相当はっきりした発音と音量でないと、聞き取れない。通訳さんの出番だ。
 「児童病院入退院死亡者の調査か?ネッカー(児童病院名)から電話で調査依頼が来てる。日本人がそっちに行くから協力頼む、と。」「そうです。それとエドゥアール・セガンに関する史料を探しています。」「ネッカーの方は創設以来の児童名簿、入・退院・死亡者別でマイクロフィルム化されているから、今準備するから、自分で検索して。セガンの方は、まあ絶望的だと思った方がいいよ。ただ、セガンが関係していればの話だが、審議録があるから、それで見つけなさい。何年ごろ?ナポレオンの前?後?」
 「ナポレオン云々」の問いはひっかけであることはすぐにわかった。第1帝政時と第2帝政時とでは、医療・福祉に関する行政組織が違う。それをちゃんと知ってるか?という問いかけである。ぼくはバッグの中から帯同していった分厚い「救済院総評議会コード集」(1816年版、略称)を取り出し、「このコードに従っていた時代です。1830年代後半から1840年代前半。」と答えた。係員がウインクしながらカウンターから姿を消した。
 「閲覧用のテーブルの所にいて。今、そこに関係資料を運ぶから。ただし、フラッシュを炊かないこと、三脚を使わないこと、ぼくの目の中に入らない姿で撮影すること、要するに、ぼくが知らなかったことにするだけだから、その点心得て。」
 こうして、セガン史料と初めてアイマミエルことができたのだった。
 ドキドキドキドキドキ・・・・。1週間、この心音を聞き続けた。