介護施設について思うところ

○7時起床。1回目覚め。ただし、4時過ぎには目が覚め、そのままグダグダと布団の中。体調は悪くはない。血圧も脈拍も元の数値に戻っている。
○雨はほんの少し落ちている状態なので、トドちゃんとのランチタイム決行。今日は下総中山の成田屋さんでうな重。トドちゃんが、しみじみと、「姫様がおいしいと言っていたわねえ。」と。そんな回顧話もあったけれど、トドちゃんのロスでの「軽微」な失敗話も聞かせていただきました。外出ついでに、中山でハサミも買い、東武船橋駅で年賀状の補充もでき、新柏東武ストアーでコピー用紙の購入をした。
介護施設の在り方ってどうあるべきなのだろうか。等と、柄にもなく考えている昨今。
 退院した時は要介護1. ケアマネージャーさんが「適しているであろう」通所施設のあれこれの情報を運んでくださり、「ご自分の目で実際に確かめて」施設選びをするようにと、助言を下さった。医師から勧められて実施する「お散歩」の時、コースを同一にせず、あれこれの通所施設を外から覗き見して、ここでどう過ごすことになるのだろうかと、想像を巡らせた。
 結局1年間かかっても、自身が、心身を預けてかつ活発に活動できる〔つまり、同化できる〕、と思える光景とは出会わなかった。何よりも食事光景で、男性諸氏が黙々と下を向いて箸を動かしている光景が、たまらなくつらく思えた。
 翌年〔つまり今年〕は要支援2に「格上げ」。ケアマネージャーさんが新しい情報を運んでくださった。食事や入浴の無い施設をその情報からピックアップし、さらに主として身体機能訓練を組み込んでいる施設のあれこれを見比べたが、どうにも納得がいかない。今年も、家族やケアマネージャーさんの好意を無にするのかなあ、と思いながら、しかし、自分自身が身体的自立することが何よりも優先されるべきだと考えていたこともあり、その点では我を通すことにした。もともと運動嫌い、他人様に体に触れられるモミ療治などもってのほか、という人間が、身体的自立をしたいという一点で、世界観を大転回するのだ。
 ・・すると、まだ開いていない通所施設のいわば「内覧会」の案内が目に触れた。ケアマネージャーさんに「ここ、見学に行ってみたいです。」 驚いたように目をまん丸にされたが、さっそく連絡を入れてくださり、内覧会参加となった。その施設が今通っているところ。心身のケアのための旅に出て2回お休みした以外は皆勤である。
 「楽しいですか?」
 そういう問いとは違うところに心身を置いているという自覚があるので、お答えはできない。もちろん、面白くなければ、さっさとやめているはず。じゃあ、どういう問いがふさわしいのだろう。それを考えている、今である。

通所リハビリで元気取り戻した

○7時半起床。とにかく体を休めようと、無理やり布団の中にいた。
○昨日の尋常ならざる体の具合が今日どう形に出るか心配だったが、正常値とは言えないものの、脈拍も血圧も生活行動をするには妨げにならないほどだったので、通所リハビリに出かけた。
○きょう午前は通所リハビリ。相も変わらず、コーヒー淹れのリハビリ作業から始まりました。スタッフさんが飲む人の数だけカップを用意してくださる。カップにそそぎ終わると「コーヒーが入りました。お飲みになる方はどうぞご自分で(自分の席まで)お運びください。」と、やや大きめの声でご案内。コーヒーが出来上がるころ、クライアントそれぞれの活動の1コースが終わっている。
 で、ただお一人だけが、コーヒーカップを手にする。あとの方は席に座って、所在なさげ。お一人は新聞を手にし、紙面をなぞるようにしているが、目線がちらちらとコーヒーの方へ。ようするに、ご自身の判断でご自身の行動でコーヒーを飲むことに、躊躇しておられるわけだ。
 スタッフさんたちに勧められて、うれしそうな笑顔を見せてくださる。じゃあ自分でコップを取りに行くかというと、そうではない方ばかり。運ばせる。そこまで身体状況がお悪い方はいらっしゃらないのだが。だって、トイレは杖無しでお一人でいかれるのだから。
 それぞれのお方の現役時代の行動が想像されて、なかなか愉快。あくまでも自分の判断であることを控え、勧められてやっと手にする。コーヒーを淹れ始めてもう5か月にもなろうというのに。まあ、この1か月うちぐらいの入所者もいらっしゃるけれど。
 「自己判断を前に出す」ことは「はしたない」という自己規制が真底染みついた世代なんだなあ。

終日在宅 体調不良

○7時起床。だが、3時に目が覚めてから寝付けなかった。
○年賀状に印刷を始める。
○「残業するから。母は遅番。一人で食事してね。」
「了解です。」
さあて、今夜はどんな料理を作り、食べようか。

冷蔵庫を開けると、鶏手羽中その他がある。今日は鶏の味が恋しい気分。40年ほど前の「ヒモ」時代だったころを思い出した。今日はうまく調理できるかな。

手羽中をフライパンに転がし中火でゆっくりあぶる。程よく火が通ったころに白と青の境界線部位の葱をそこに放り込む。味付けは親子丼を意識している。牡蠣だし醤油、砂糖少々。シンプルが一番の味付を、搔き卵に。それを鶏手羽中と葱の上にかけ、火を弱め、蓋をして、しばし香りを楽しむ。

アツアツのご飯の上にのせて、いただきまーす。
「ヒモ」時代をとっくに過ぎたと思い込んでいるが、どっこい今また、「ヒモ」生活に戻っております。楽しいっすね。

終日在宅。住所録作成。

○7時起床。今日はゴミ出しが無い。夜中の目覚め1回。ただし、左脚がしばしば〔ノビをし終わるとほとんどの確率で)けいれんを起こす。痛くはないが不快。
○寒さで足が動きにくいし、上がりにくいので、つま先をつっかけて転びそうになる朝だけど、久しぶりに街に出て「お買い物」。
 パンを自分でピックアップして、店の奥にあるテーブル〔椅子付き)で食することができる。杖突で運ぶのはちょっと困難。で、店の人に運んでもらえませんか、と依頼した。「セルフサービスをお願いしてます。」 あきらめてレジテーブルにピックアップのパンを置いたまま、その場を立ち去った。
 量販店で買い物をした。電気製品が混じっている。レジ係が何やらしゃべっているが聞き取れない。声が小さいのと早口とのせいだ。「年を取ると早口に耳が追い付かないので、もう少しゆっくり大きめの声でお願いします」と頼んだけれど、聞く耳を持たなかった。購入をあきらめた。
 その他、色々。
 病持ちの、身体不具合の、高齢者には、とても冷たい師走の空気だった。今日の「お散歩」は、学生たちによく<言い聞かされた>、「世の中、そんなに甘くない。厳しい中で生き抜かないと敗者になる!」を痛感した半日だった。
 右手で杖、左手は痛めているので自由が利かない。その手にものを持って移動する、そして足も不自由、転ぶ確率が高い。荷物が散乱する、騒ぎになる。そういう可能性が通常よりも高いから、お願いするんだけど、そこまでは計算しないようだな。「寄るな、触るな、近づくな。」ってか。
 はいはい。

街に出てお買い物

○7時起床。昨夜は一度も起きなかった。さわやかな寝ざめ。
○資源ゴミ出し。今日は軽かった。
○柏に出て、プリンターインキやらソフトのアクセスやらの買い物。アクセスの使い勝手まだわからない。
○帰宅後はのんびり。いかんなぁ。

住所録作成作業継続

○6時半起床。昨日と同じく4度の目覚め。寒いわけではない。精神不安定。
○資源ゴミ出し。一度、左脚が突っかかって転びそうになった。脚がまだ上がりきらないんだなあ。寒さの中でその傾向はまだまだ続く。気を付けよう。
○先日お会いした三重の田中さんから野辺野神社のお守りが送られてきた。
○住所録作成作業、遅々として進まず。一気にガーッと行きたいんだけどなあ。やらなきゃ、行かないわな。
○2005年ごろに訳したユゴーの詩が出てきた。ギリシャ神話の登場文化が数多く、よくわかっていなかったんだな。それにかかわっていたとは露知らず、ギュスタヴ・モローの絵画と重なるのだ。こんな詩だ。当時書いた若干の解説も含めて。
○ 私の前に絶えず汝はなぜ現われるのだ。
おお、我が子ども時代と我が喜びの日々よ。
ほとんど消えかかっている我が心に汝は何を蘇らせるのか。
おお、はるか記憶の彼方の輝かしい幼き頃よ。

おお!私が幸せだったこと!私が無邪気だったこと!
教室には、オーク材の椅子ひとつ、すり減って、艶があって、ピカピカしていた、
テーブルひとつ、勉強机ひとつ、重い黒のインク壺ひとつ、
ランプ一つ、夜の星の下に育った貧しい姉妹が、
おごそかにそしてそっと、私をもてなしてくれた。我が師は、
司祭であった。私が師にお話をするたびに、
穏やかでうっとりする口調で、暖かいまなざしで、
学者の如く純朴で、子どもの如くいたずらっぽく、
師は私を抱きしめ、こう言った、たっぷりと誉めてくれるために。:
「まだ9歳だというのに、この子はタキトゥスを説明してる。」
ああ!神に召されてしまった才気の人、ウジェーヌ の傍で、
私は隠れるようにして勉強をしていた。−それから、そうそう、考えていた、
文を綴っている間に、−間違いなど気にせず、しかしとりとめもなく、
作文でいっぱい、破格な語法をまき散らしながら、
予期せぬ感覚の著者たちにでっち上げて、
かがめた背中、ラテン語の韻律辞典に触れんばかりの胸、−
子どもの心はどんな時でも起きているから、私は、
私の耳のすぐ傍で、ぼんやりと聞いていた、
饒舌で、すっかり馴染んだ、ギリシャ語とラテン語を、
インクで書きなぐり、そして初心者のように楽しく、
鳥が地面に降りてさえずるように、
重い辞書の黒い1ページの中に、
逃げるミツバチの羽音以上の二つの騒音、
夜のため息以上に押さえつけた息吹、
それらが、時々、銅の留め金を掛けさせる、
ちょっとばかり古い本のページの虜となって!
課題をこなし、若い鹿のように軽快に、
私たちは広い庭を走り抜け、
同時に、ちぐはぐなことばをたくさん投げながら。
私は、バタバタと、兄たちを追いかけた;
澄み切った星が輝き、
ミツバチが静かな空気の中を飛び、
二羽の小夜啼き鳥が、暗闇で啼き、
自然にくまなく、音楽を教えていた、
同時に、おしゃべりな子どもが、驚くようなしぐさで、
至るところで、無邪気で大胆な遊びを始め、
そこら中、生き生きとした輝きで歓喜の声を挙げた、
三本の紐で結わえられた本を、私は腕に抱えていた、
ホラティウスと饗宴、ウェルギリウスと森林、
オリンポスの神々、テゼウス、エルキュール、そしてお前、ケレス、
残酷なユノ、レルネと燃えるヒュドラ
そして岩山ネメアの大量のライオン。

しかし、母のところに戻った時には、大抵、
母は、暖かいまなざしで、子どもをからかった、
私は不機嫌になり癇癪を起こし、
私はごちゃごちゃにした、樹齢何百年を経たイチイの近くの、
私が上手にこしらえた小さな庭を、
大きなイヌが、通りすがり、完全に荒らしてしまった;
私の畑の鳥かごが開いてしまい、
そして私の鳥が小さな森の方へ飛んでいった、
そして、うれしそうに、花から花へと飛んでいた
はるか彼方の自由を求めて、−さもないと捕獲者が、
空へ、と!私は駆けつける、顔を赤くして、無我夢中に、急いで、
呪いながら、大きなイヌを、へまな庭師を、
そしてムカツク鳥を、そしてその出来損ないの罠を、
狂ったように!−目でわが母は私を慰めてくれた。

 ☆この詩は、フォイヨンティンヌ通りに居住した前半期(1809年から1811年。7歳から9歳。)の思い出を歌ったもの。兄弟3人がラテン語を習いに行った場面に始まる(ラテン語を教えたのは「ラリヴィエール」という名の司祭だったとか)。そこでギリシャ神話を学習し、思い付くままのお話を綴り、それをネタにして、兄弟の空想物語が展開される。次兄のウジェーヌは、とりわけ、その話しが上手だった。学習後の帰路に通り過ぎるフォイヨンティンヌの旧女子修道院の広大な庭の様々なものを神話の主人公たちに見立ててはしゃぎ廻る。それを、帰宅後母に語ると、母は茶々を入れる。幼いヴィクトールは癇癪を起こして、自分で作ったお気に入りの『庭』を壊してしまう。通りすがりのイヌまでそれに加担する。あろうことか、イヌは『庭』の畑の鳥かごを壊してしまい、鳥は逃げていった。はじめのうちはあっちこっちを飛んでいた鳥も、やがては空の彼方に姿を隠す。ヴィクトール少年は、それを無我夢中で追いかけたのだが・・・。見守っていた母親がヴィクトールを慰めた。

君は緑のフォイヨンティンヌを覚えているだろう、
そして、庭園の大きな並木道を。我ら子どもの声が、
我ら澄んだ小鳥の囀りが、
並木道を伝って、塀壁の片隅にまで、水汲み場にまで、
鳥の巣にまで、そして柏のくぼみにまで、届いた、
たくさんの素敵なこだま。
(1837年)