2011-10-02 『セカンドバージン』の舞台マレーシア
『セカンドバージン』の舞台マレーシア
『セカンドバージン』を観た。
もともとNHKでやっていたドラマであることは知っていて、何回か見たことはあった。でも登場人物の関係やストーリーを理解するほどしっかり見ていたわけではないので、劇場版を観たら話の展開が速いし登場人物の紹介はほとんどないしでやや戸惑った。でも、まあそれはそれ。作り手には悪いけれど、私はこの映画をドラマの部分は背景として見て、本来は背景であるマレーシアをメインに観たようなものなので、ドラマの部分については特にどうとも思わなかった。
では、マレーシアを観てどうだったのか。先に結論を言うと、マレーシア映画ファンならぜひ観た方がいい。うまく伝わるか自信がないけれど、『細い目』でジェイソンたちがいたイポーの路地裏と、『グブラ』で礼拝堂がある村の小道と、そしてウー・ミンジンの『水辺の物語』の魚工場がある川べりがそれぞれ出てきた。最近のマレーシア映画ファンはきっと懐かしいような気持ちになるはず。
もう少し目を凝らして見れば、アブラヤシ林の脇を歩く場面でホー・ユーハンの『レインドッグ』やバーナード・チョウリーの『グッバイ・ボーイズ』を思い浮かべるかもしれない。満月が出てくるのは『タレンタイム』。そして蝶は、ホー・ユーハンの『ミン』かな。
もちろん、気になるところがまったくないわけではない。というか、正直言うと気になってしょうがない部分もいくつかある。
看護師のリンはたぶんマレー人(あるいは少なくともムスリム)という設定で、だからスカーフを被っているんだろうけれど、前髪がスカーフから出ちゃってるよ!って声をかけたくなる。いやもちろんわかってやっているんだろうとは思う。ちゃんと前髪を隠してスカーフを被ったら「絵にかいたようなイスラム教徒」になってしまって、ドラマよりもそっちの方に観客の目が行ってしまうだろうから。
もう1つは、るいと少年の出会いのエピソード。ホテルをチェックアウトしたるいがタクシーに乗ろうとすると、子どもが寄ってきて勝手に荷物を運んでチップをもらう(しかも10リンギも!)という場面で、隣国ならともかくマレーシアであれはない。あのクラスのホテルで子どもがお客さんの荷物を勝手に持っていこうとしたらホテルの従業員に止められる。でもこれは、物質的に豊かではないけれど心は優しい東南アジアの人々(子どもたち)という「絵」がほしかったんだろう。その意味ではかなり成功していると思う。
「物質的には豊かでないけれど心はいい人たち」というメッセージは、『セカンドバージン』に繰り返し出てくる。わかりやすいのは、登場人物のうちマレーシア人で悪人はほとんどいないということ。行を拉致しようとして撃った2人組がちょっと怪しいのだけれどで、1人は広東語を話していたのでチャイニーズで、もしこれがマレーシア華人だとするとマレーシア人にも悪者がいたことになる(まさか華人はマレーシア人に含めないというひどい話ではあるまい)。でも、行は中国マフィアと関係して命を狙われていたそうなので、あれを中国人と見ればマレーシア人には悪者がいないということになる。いやまあ、あの二人組は絵に描いたような悪者なので例外扱いしてもいいと思うけど、そうすると「マレーシア人に悪者はいない」という図式が成り立つことになる。
別の例は、イスラム教徒たちの礼拝の場面。るいが水を汲みに行く泉がある廃墟のようなところは、後にイスラム教徒たちが礼拝する場所であることがわかる。廃墟のような、柱と壁の一部があるだけで、あとは何もない場所。そこで男たちが一心に礼拝している。「ぼろは着てても心は錦」というか、たとえ廃墟でも信仰心をもって礼拝しているということなんだろうけれど、実際のマレーシアだったら廃墟みたいにせずに改修するなりして礼拝の場所は整えるはず。シンガポールのチャイナタウンなどの観光地も、建物にきれいにペンキを塗ってピカピカにしてるでしょ。マレーシアの人たちは「古くなると味わいが増す」とは考えない。でもこれも、「物質的に豊かでなくても心は清廉」という絵になっている。
念のために書いておくが、現実のマレーシアと違う、だからけしからん、と言っているつもりはない。そういうマレーシア像を描くのはどのような背景があるのかに関心があるだけだ。だから、そういった「映画のウソ」も全部ひっくるめて、良くも悪くも今の日本社会がマレーシア(あるいは東南アジア)に抱いているイメージをきちんと映像にして見せてくれたところに『セカンドバージン』の価値があると思う。皮肉じゃなくてね。自然が力強く、美しく描かれているし。マレーシア紹介の授業で使いたいぐらい。でも、授業で使うにはエロいから無理だろな・・・。
それから、これは見ておかなければというのがポルトガル系の歌の場面。マレーシアにかつての入植者であるポルトガル系の子孫がいるということは知識としてはあるだろうが、実際に映像で描かれる機会はあまりない。イポーを舞台にして雰囲気はキリスト教系の病院でなぜかムスリムの看護師がいて、そこにポルトガル系の人々がいるとは。これは観ておかないと後悔する。
ところで、るいが水を汲みに行った廃墟はペラ州パパンにあるらしい。パパンと言えば、バーナード・チョウリ―のお祖父さんが豚肉の卸売りをしていた先がパパンだった。これは、バーナードの姉バーニスがチョウリー家の家系を描いた本「Growing up with Ghosts」に載っていた話。
表紙を開くと、インドの地図と中国の地図が描かれている。バーナードとバーニスの父はインドからマラヤにやってきた移民三世で、母は中国からマラヤにやってきた移民三世だった。それぞれインドと中国からどうやってマラヤに来て、そしてその三世どうしがどうやって出会ったかがドラマチックに書かれている。
バーナードの母親シウヨクは中国からの移民三世で、祖父がイポーに店を構えて近くのパパン集落などに豚肉を卸していた。
バーナードの父親は、シク教徒の家庭に生まれて、「シク教徒以外の女性と結婚するならお前を殺して自分も死ぬ」と父親に猛反対されたけれど、キリスト教に改宗してシウヨクと結婚した。改宗したときに名前をスリンダル・シンからバーナード・チョウリーに変えた。どうしてバーナードにしたのかには泣かせる話がある。そして、どうしてその息子が父親と同じ名前を名乗っているのかにもまた泣かせる話がある。
『セカンドバージン』とは直接の関係はないけれど、マレーシアの映画関係者は、イポーとかタイピンとかパパンとか、ペラ州に集中しているのはどうしてだろうか。(もう1つの集中はジョホール州のムアル。)
2011-10-01 ユナ「Penakut」
ユナ「Penakut」
Malaysia |
7月に入ったと思ったら、その日その日を暮しているうちに9月が終わってしまった。この間に、今となっては年に数日しかタイトルが中身を指さなくなったこのページの名実が合致する数少ない機会もあったけれど、それについて書きとめておく余裕もなく日々が過ぎていき、ようやく仕事上のカレンダーが実生活のカレンダーに追いついた。こんなときに東野圭吾の『マスカレード・ホテル』を読むと、本筋と全然関係ないところで総支配人の話に泣けてくる。
この2か月のできごとを思い出した順にダイジェスト版で書き留めておくことにしよう。
『細い目』のオーキッドことシャリファ・アマニが今一番おすすめのマレーシアの歌手ということで紹介してくれたのがユナ(Yuna)。デビュー時は「トゥドン(スカーフ)を被ってギターを弾く娘」と驚きで迎えられたらしい。この夏の私の仕事のお伴はユナちゃんのアルバム「Decorate」、特に「Penakut」だった。
Penakutは、歌詞は全部マレー語だけれど、文の構造や使っている単語は比較的簡単なので、マレー語の初学者でも十分に意味がわかるはず。念のために書いておくと、人称代名詞はどれも省略形が使われていて、自分のことはku、相手のことはkauとmu、そして第三者はnyaを使っている。はじめ聞いたときはkauもmuも同じ「あなた」で韻を揃えるために使い分けているのかなぐらいに思っていたのだけれど、何度か聞いているうちに、kauは歌っている人が想いを寄せている具体的な相手を指しているのに対して、muの方は一般的な「君」「あなた」なのだと気づいた。そう思って聞き直してみると、好きになった男性に別の女性がいたので自分は手を引くという最初の印象とはちょっと違う内容に聞こえてくる。タイトルの「Penakut」(怖がり)とはそういう意味かと。
ユナちゃんは別の曲では明らかに歌詞をインドネシア語にしているものもあって、もしかしたらインドネシア進出も狙っているのかもしれない。シティ・ヌルハリザに次いでインドネシアで一般のCD屋に並ぶマレーシア人歌手になるかも。
ところで、ユナちゃんのせいなのかわからないけれど、このところインドネシアやマレーシアで若い女性が山盛りにしたスカーフの被り方をしているのが目立った。断食月だったからいつもより念入りにおめかししているということかもしれないけれど、スカーフの新しい被り方が流行っているのかもしれない。というのも、インターネット上で若いマレー人女性がスカーフのクールな被り方を披露している動画がたくさんあるから。「cara pakai tudung」あたりで検索するとたくさん出てくる。マレーシア以外のムスリム女性もやっているようなので、もしかしたらユナちゃんとは直接関係ないかもしれないが、いずれにしろ、彼女たちがスカーフを自己アピールの手段として被っているということがよくわかって興味深い。
被り物の話を書いたのは『セカンドバージン』を観たから。それについては別の機会に。
2011-07-15 大阪のプラナカン料理店KENNYasia
大阪のプラナカン料理店KENNYasia
マレーシア映画文化ブックレットの「ヤスミン・アフマドの世界(3)」がようやくできた。
今回は『ムアラフ』と『ラブン』と関連作品をいくつか。これで「ヤスミン・アフマドの世界」は一応の完結となる。執筆者のみなさん、そしてこれまでブックレットを購入して支えてくださったみなさんに感謝。幸いにも明日からの都内でのヤスミン関係の会場に置かせていただけることになったので、見かけたらぜひ手に取ってご覧ください。
明日からユーロスペースでヤスミン・アフマド特集。ということで、それに先立って関西地方のヤスミン監督ゆかりの地の1つである大阪・心斎橋のマレーシア料理店「KENNYasia」を訪ねてみた。
KENNYasiaと言えばペナンのマレーシア料理の店だけれど、私はこの店をプラナカン料理店だと思っている。その理由はいくつかある。
まず、ケニーさん自身がババ・ニョニャの血統を引いていて、ニョニャ料理を出しているから。ペナン出身のケニーさんはおばあさんゆずりのニョニャ料理を作ってくれる。ニョニャ料理はプラナカン料理の一種なので、ケニーさんが出してくれるのはプラナカン料理だとも言える。これは、ジャンルとしてのプラナカン料理。
それはそうなんだけど、私がKENNYasiaをプラナカン料理店だと思うのはそれとは少し違う理由から。
例えば海南チキンライス。マレーシアの食事の定番のあれ。KENNYaisaにももちろんある。マレーシアで頼んだときに出てくるものを少しだけアレンジしている。ライスは長粒のコメではなく日本のコメにして、風味がよく出るようにちょっと工夫した炊き方をしている。もちろんチキンもやわらかくておいしいのだけれど、でもライスがKENNYasiaの海南チキンライスの肝だと言っていいほど。一口口に入れるだけで、暑いマレーシアのあの店やこの屋台で何度も食べた海南チキンライスのイメージがふわっと頭の中にわいてくる。
もし、「現地マレーシアのあの店で食べたあの味とまったく同じものが食べたい」と思ってKENNYasiaの海南チキンライスを頼んだら、おそらく「どこか違う」と思うだろう。日本のコメを使っているところがまず違うし、ほかにも違いを見つけられるかもしれない。でも、マレーシアから遠く離れた日本で普通に手に入る食材をなるべく使って、それでいて一口食べたら頭の中にマレーシアの屋台の海南チキンライスのイメージがぱっとひろがるような料理を作るのは並大抵のことではない。研究に研究を重ねてこの味に到達したのだろう。
ほかにカンコン・ブラチャンやペナン・ラクサもいただいたけれど、いずれも、一口食べるとマレーシアの情景が頭に思い浮かぶ仕上がりになっている。もちろんマレーシアで仕入れた食材や調味料を使っているということもあるだろうけれど、それを日本の食材とけんかしないように工夫に工夫を重ねているから、見かけだけでなく味や雰囲気が「本物」になる。
「本場」との違いに目を向けるのではなく、「現地」で手に入るものを使ってアレンジしながら本来の良さを損なわず、むしろ引き出しているというのは、プラナカンの発想に他ならない。
プラナカンと言えばババ・ニョニャだと思う人はまだまだ多いが、それはプラナカンの中でも一部の(しかし多数派の)人々のことにすぎない。プラナカン自体には中国系という意味はなく、インド系でもアラブ系でも西洋人でも日本人でもかまわなくて、外来の文化がマレー世界に及んで、現地の事情に合わせて自身を適応させていきながらも、完全に現地化するのではなく自分たちがもともと持っていたものの肝を引き出していっそう発展させていったものを指す。だから、プラナカン文化に関わるものは、たいてい外の世界にもある。そして、外の世界の人から見ると、「本場」のものとどこか違って見えたりする。現場にあるものを利用してより良いものを作る工夫を重ねていくのがプラナカン的なのだけれど、「本場」から出たことがない人にはその工夫の意味がわからないこともある。
装飾品でも料理でも言葉でも、発展のある時点で時間を止めて、その時点の状態をピン止め状態にして変えないように維持するというプラナカン文化の見方もあれば、その後もまわりの状況が変わっていくのに応じてどんどん姿を変えて行っていることこそがプラナカン文化だという見方もある。博物館の展示やショッピングになじむのは前者の方だろうから、プラナカンをプロモートするときに前者のイメージが前面に出されることが多いこと自体は理解できる。でも、それと別に、日々の営みの中でまわりの事情にあわせて自分を柔軟に変化させながらも自分のエッセンスは維持しているというプラナカン文化もある。その意味では、KENNYasiaの料理は後者、つまり「生きたプラナカン料理」にほかならない。
KENNYasiaがプラナカン的なのは、料理だけでなく、店自体がプラナカン的な空間になっているから。たとえば店の装飾。日本やマレーシアをはじめとするさまざまなアイテムが使われている。飛行機に乗るときに預ける手荷物につけるシールなども壁の装飾に使われている。ほとんどの人は飛行機を降りて荷物を取ったらゴミとして捨ててしまうけれど、それを装飾の味付けに使ってみる。だから、店に入っただけで旅行に来たような気分になる。しかもマレーシアの写真や広報資料がたくさん置かれている。マレーシアであり、日本であるとともに、そのあいだを行き来する「旅のあいだ」でもある空間。どこか1つの場所に縛られているわけではない、でも、そうかと言ってどこにも足場がないのではなく、マレーシアと日本にそれぞれ足場がある。こんな工夫もあって、KENNYasiaにはプラナカンらしさを感じてしまう。
ではなぜヤスミン監督に関係した「巡礼地」の1つなのか。店にはヤスミン作品のチラシがいっぱい貼られているし、ヤスミン監督が大阪を訪れたときにケニーさんと一緒に撮った写真も飾ってある。関西でヤスミン詣でをするならKENNYasiaを外すわけにはいかないだろう。
2011-06-28 大学院選びで金より大切なもの
大学院選びで金より大切なもの
研究 |
はじめにお断り。特定の大学・大学院やゼミを貶めたり称えたりするつもりではなく、一般論。また、文系・理系の違いや学問分野によっては以下の話が当てはまらないことも当然ある。ここで私が念頭に置いているのは地域研究。
最近、大学院の入試説明会で、受験生から「調査費はどれくらい出るのか」という質問が増えているそうだ。大学院に入っても現地調査や実験が十分にできなければ自分の研究が進まない。だから大学院が調査費を出してくれるかは大学院選びの重要な要素になる、ということらしい。
この考えには部分的に同意する。大学院生は研究するだけでなく生活費も稼がなければならず、生活費を稼ぐことで手いっぱいになると研究する時間が無くなってしまう。そのうえ調査費も自分で稼ぐとなったら負担はさらに大きくなる。地域研究では現地調査の渡航費と本代が主で、調査地によっては渡航費もそれほど高額にはならないが、生活費や調査費の捻出をあまり気にせずに研究に打ち込める環境が整うことはよいことだと思う。
でも、大学院選びをする人には、調査費よりももっともっと大切なことがあることも知ってほしい。それはゼミの枠を超えた議論だ。
極端な例として、いまここに、世界でも有数の教師陣が揃っているけれど、どの教師も同じ曜日の同じ時間帯にゼミを開講している大学院があったとしよう。その大学院にどんなに優れた研究者が集まっていたとしても、学生は在籍中に1人の先生にしかつけないことになる。
あるいは、そこまで極端ではない例として、教師が自分の指導する学生がよそのゼミや学会・研究会に参加して「他流試合」することをよく思っていない例を考えてみよう。この場合も、事実上、学生は在籍中に1人の先生にしかつけないことになる。
学生を指導する教師の立場としては、その方が楽かもしれない。他のゼミや学会・研究会で自分と違う考え方を吹き込まれてしまったら、その学生を指導するのに余計な手間がかかると考えるかもしれないためだ。学生の立場でも、先生方や先輩方からそれぞれ違うアドバイスをもらったら、いったいどれに従えばいいのか迷うかもしれない。そう考えると、短期間に修士や博士の学位を取るためには、外部の声を遮断して教師と学生の二人三脚で走り抜けるのがいいという考え方もあるかもしれない。
でも、教師と同じく考える学生を作るのが大学院の目的ではないし、その学生は独り立ちした後で教師が守ってくれない状態で自分1人でやっていかなければならない。そう考えると、とにかくノイズを遮断して学位取得まで一直線で走り抜けるという臨み方がその学生の長い研究者人生にとってプラスに働くのかどうかは怪しくなってくる。
これをもうちょっと極端にすると、学生時代に大学院のゼミで学ぶべきことは研究内容そのものではなく、他人に多少厳しく批判されても自分の主張を論理的に説明できる精神的な強さだという言い方になる。これは私が大学院に入ったときに先生から聞いた言葉だ。それは程度の問題かもしれないが、いずれにしろ、教師と学生が一対一の関係を結ぶのではなく、なるべく多くの先生や先輩や研究仲間と研究上の議論ができる場と雰囲気があることは、学生が研究者として成長するうえでとても大切なものだ。
1人の先生に囲い込まれている(1つの大学院に囲い込まれている)学生と、いろいろなゼミや研究会に出入りして議論にさらされている学生とでは、質疑応答の様子がまるで違うという印象がある。調査費がたくさんあるけれどゼミの枠を超えた議論が多くない大学院の学生は、いろいろ調査をして詳細なデータは持っているし、学会発表などでのプレゼンテーションのスタイルも洗練されているけれど、発表内容と質疑応答を見ていると、そこで発表されたものが手持ちのすべてで、その奥に広がりがあると感じさせてくれないという印象を受けることがある。
ここまでは研究遂行能力に関連する話だが、それだけではない。学生が研究者になってキャリアを重ねていくうえでは、修士論文や博士論文の執筆や、学会での研究発表、ポスドクとしての研究生活、プロジェクトへの参加などなどといろいろなことを経験する。その多くの場面で重要なのは教師との関係ではなく同世代の研究仲間との関係だ。一歩先の経験をもとに助言してもらったり、悩みや迷いを聞いてもらったり、いっしょに企画を練ったりする仲間が必要だが、教師と学生が一対一の関係を結ぶ場では学生どうしの横のつながりが作られにくい傾向がある。
調査費は大切だ。ないよりもある方がいいし、あるなら多い方がいい。でも、研究者になる修業の大切な時期にたった1人の教師に囲い込まれて過ごすのは、その後の長い研究者人生を考えると大きな損失だと思う。大学院選びは慎重にした方がいい。調査費の額だけでなく、研究者としての修業に関わる部分、具体的にはゼミを超えた議論の場がどれだけ得られるかを、教師と学生のそれぞれに聞いてみるのもいい。
もしすでにどこかの大学院に所属している学生で、万一自分の所属している大学院で複数のゼミに参加することができないようなことがあれば、授業料を払っている学生の権利として大学側に状況改善を求めることをお勧めする。それはあなた1人だけの問題ではなく、その大学院でこれから学ぶ人たちの人生を救うことにもつながるはずだ。
もちろん、この方法は、とにかくあまり悩まないで学位をとりたいという学生にはあまり向いていないかもしれない。いろいろな人からさまざまなアドバイスを聞いてしまえば、どれに従えばいいのかわからずに混乱するからだ。でも、単に大学教員という地位がほしいのではなく研究者になりたいのであれば、そういった混乱を経験したうえで自分なりの立場を作っていかなければならない。その困難を乗り切るのは最終的には自分1人で行うしかないが、一緒に考えてくれるのは教師ではなく同世代の研究仲間だ。調査費に目がくらんで大切な研究仲間を切り捨てることのないよう、大学院選びは慎重に。
2011-06-24 ヤスミン監督シンポ&上映会
ヤスミン監督シンポ&上映会
ヤスミン・アフマド監督が亡くなって2年になる。東京では「ヤスミンの世界−ヤスミン・アフマド監督レトロスペクティヴ」がある。
ヤスミンの世界?ヤスミン・アフマド監督レトロスペクティヴ 7/16(土)からユーロスペースで開催します!|ニュース|コミュニティシネマセンター
タレンタイムに始まりタレンタイムに終わる。「優しさの遺産」。
さて、京都では、各方面のご協力のおかげで、オーキッドことシャリファ・アマニ(以下敬称略)を迎えてシンポジウム&上映会を開くことになった。詳細は下のリンク先で。
シャリファ・アマニは、改めて言うまでもないが、『細い目』にはじまるオーキッドの物語でオーキッドを演じてヤスミン作品に欠かせない存在となった女優だ。ヤスミン監督の次回作となるはずだった『ワスレナグサ』では、オーキッドの母親イノムの少女時代の役で出演する予定だった。その後、シャリファ・アマニは映画や舞台やテレビに出演する一方で、自らが監督する作品『サンカル』を撮った。
『サンカル』は「HerStory」プロジェクトの5つの作品の1つ。「HerStory」というのは、「history」(歴史)は常に「his-story」つまり「男たちの物語」だったという考えのもと、「女たちの物語」を描こうとするもので、マレーシアの女性監督や女優がそれぞれ監督する5つの短編を製作したもの。タレンタイムの母親役の女優さんの監督作品もある。
この5作品のうちシャリファ・アマニが監督したのが『サンカル』(Sangkar)という作品。シャリファ・アマニ演じるヤスミンという女性とその家族や友達が描かれている作品だけれど、なぜか私のまわりでは男性と女性で物語の受け取り方が違う。7月のシンポジウムで観られるようにと日本語字幕を入れていて、マレーシア社会に馴染みがない人が観てもわかるように部分的に意訳したりしているのだけれど、それで意味が通じるかまわりの人たちに観てもらったところ、男性と女性で物語の捉え方がはっきりと分かれてしまう。「History」と「Herstory」なんてただの言葉遊びかと思っていたけれど、けっこう意味がある違いだったりするのかも。それはともかく、『サンカル』は事前情報を手に入れないでまず1回観てもらうのがよいと思うので、内容に関わることはここでは書かない。
そのかわりに役者について少し。シャリファ・アマニの妹たち(『ムクシン』のヤスミンと『ムアラフ』のロハナ)がシャリファ・アマニ演じるヤスミンの学校の友だちとして登場する。そしてヤスミンの母親を演じているのはシャリファ・アマニたちの実際のお母さん。彼女たちのお父さんは直接は出てこないけれど、劇中でヤスミンの名前がヤスミン・ラシドとなっており、シャリファ・アマニたちのお父さんの名前であるラシドが出てくる。
ヤスミンの友人のお父さん役は、ペトロナス社の2005年の独立記念日のテレビCMで子どもたちに「歩みは後ろ向きではなく前向きに」と教えている義足のおじさん。
登場人物ではないが、エンディングの「Hapus」という歌は、Bedroom Sanctuaryの「I Can't Draw, So I Sing」というアルバムの1曲。
このシンポジウムは、「HerStoryプロジェクト」の作品の1つである『サンカル』を観て女性の目から見たマレーシア社会について考えるという目的があるが、それとともに、シャリファ・アマニと杉野希妃(こちらも敬称略)の2人が舞台に並ぶ貴重な機会でもある。
この2人は、ヤスミン監督の次回作だった『ワスレナグサ』で共演するはずだった。残念ながら共演はかなわず、その後はそれぞれ女優としてキャリアを重ねるとともに、どちらも映画製作にも携わるようになったという共通点を持っている。杉野希妃はプロデューサーとして『歓待』や『マジック&ロス』などの作品をプロデュースし、シャリファ・アマニは監督として『サンカル』を撮った。女優から映画製作者へと歩みを進めていった2人に、ヤスミン監督の影響などを聞いてみたい。
(なお、シャリファ・アマニは今回の来日で東京に行く予定はない。京都でのシンポジウム以外では関西の映画館でトークショーがあるかも。)
ヤスミン監督と言えば、マレーシア映画文化研究会で作っているマレーシア映画ブックレットの次号はヤスミン(3)の『ムアラフ』『ラブン』の号。7月半ばにはできる予定なので、うまくいけば7月末の都内の関連イベントで置かせてもらえるかも。そうでなければ京都のシンポジウムの会場で。
本当にそうですね。イポー等ぺラ州にはいい意味での田舎くささ、があるのでしょうか。
全編を通じて、緑みどりしたマレーシアの片田舎の風景と、看護師リンの澄んだ瞳&水の番人のオッチャン役が印象に残りました。