ジャカルタ深読み日記

2017-08-22 インドネシア映画『Turah』

インドネシア映画『Turah』

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インドネシアで劇場公開中のインドネシア映画『Turah』を観た。

『聖なる踊子』で助監督をつとめたウィスヌ(Wicaksono Wisnu Legowo)の長編初監督作。プロデューサーは『聖なる踊子』『黄金上秘聞』『チャドチャド 研修医のトホホ日記』などのイファ・イスファンシャー監督。

物語の舞台はウィスヌの出身地である中部ジャワ北海岸のテガル地方。テガル出身者やテガル方言に馴染んだ舞台俳優を集めて、ほぼ全編を通してセリフをジャワ語のテガル方言にした。インドネシア語で話すのは役人、警官、記者だけ。インドネシアの劇場での公開時はジャワ語のセリフにはすべてインドネシア語の字幕が付けられた。

キアロスタミ作品に強く影響を受けたウィスヌの最初の脚本はあまりに暗いからと受け入れられず、イファのアドバイスも受けて書き直していくうちに今回の脚本に落ち着いたのだとか。

インドネシアやシンガポールの映画祭でも受賞しており、日本でもいずれ何らかの形で公開されるのではないかと思う。雰囲気は東京国際映画祭があっている気がする。


舞台は中部ジャワのテガル地方のティラン(Tirang)村。海岸近くの洲で、電気も水道もない。熱を出した子どもが手遅れで死ぬことも珍しくない。数世帯の村人が暮らしており、地主のダルソから仕事をもらって日々の生活を送っている。

ダルソは、いつもにこにこ顔で家々をまわっては村人たちの様子を見て、「困ったことがあれば遠慮しないで何でも言ってくれよ」と声をかけるけれど、心の中では村人のことを何とも思っていない絵に描いたような悪徳地主。その手足となって現場で物事をまわしていくのがこれまた絵に描いたような腰巾着のパケル。でも村人は、日々の暮らしが大変だとは思いながらも、仕事をまわしてあれこれ世話を焼いてくれるダルソに感謝している。

生きてはいけるけれど先が見えない状況を何とかしたいと思いながらも、ジャダグとトゥラは対照的な考え形をする。ろくに仕事もせず酒を飲んだくれて妻から半ば愛想を尽かされているジャダグは、働いている自分たちはいつまでも貧しいままなのに元手を出すだけで実際に働いていないダルソばかり儲けているのはおかしいと言い、村人の前でダルソ批判演説をはじめる。自分にできる仕事をまじめに取り組んでいけばきっと問題は解決すると信じるトゥラは、対立は何も解決しないとジャダグを説得しようとする。

ジャダグの主張する内容がいかにも教条主義的で、これが植民地統治期の話だったら、トゥラのやり方では解決できない大きな悲劇が起きて、それをきっかけに人々がジャダグの考えでまとまって一致団結してダルソに対抗して、という筋書きが見えてきそうだが、舞台を現代に移すとそう簡単に物事は進まない。後半から結末にかけての展開をどう受け止めるのか、インドネシア人にもそうでない人にもいろいろと聞いてみたい。


劇中の表現に関連していくつか。

作品タイトル「Turah」は登場人物トゥラの名前と同じ。ジャワ語で「残りもの」という意味。どんな意味を込めたのかは監督に聞いてみたい。

ジャダグが酔ってダルソの悪口を話しているとき、左手をグーの形にして右手のパーでそれにふたをするような仕草をしていた。日本だと茶つぼの手遊びに出てくる仕草。マレーシアでは人前でやると白い目で見られる仕草で、マレーシアで茶つぼ茶々つぼをやると日本にはどうして子どもがそんな助平な手遊びをするのかと驚かれる。ジャダグはこの仕草をしているときにダルソがらみで下ネタを話しているので、インドネシア(ジャワ)でも同じような意味を持つのだろう。

ジャダグの部屋に置かれていて何度か映る看板にはインドネシア語で「みんなのために頑張ろう」のようなスローガンが書かれている。昔何かのキャンペーンで使われた看板の残りか。

お金がないという話になったときの「マルディヤのお金でも使うの?」というセリフは、テガル地方に昔マルディヤという富豪がいたという伝承があるためだとか。

最後にカメラが一瞬あらぬ方を向いて終わったように見えたのは、カメラを意識させることでこの作品を観ている自分を意識させるというような何かの演出

ほぼ全編のセリフをジャワ語にしたことについて、監督は「グローバル化への抵抗の試み」と言っている。世界的に英語偏重、インドネシア国内ではさらにインドネシア語重視となっていく状況に対して地元語の方言を使うことで一石を投じようという意味だとはわかるけれど、インドネシア人以外の観客にとってこの作品のセリフがインドネシア語なのかジャワ語なのかはほとんど関係ない(その違いがわからなくても作品の理解や評価が低くなるわけではない)はず。そうだとすると、このような作品の制作・上映が可能になったのはむしろグローバル化が進んだからだとも言えるのではなかろうか。

2017-08-21 インドネシア映画『Cek Toko Sebelah』

インドネシア映画『Cek Toko Sebelah』

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インドネシアで劇場公開中のインドネシア映画『The Underdogs』を観て、エルネストつながりということでDVDでインドネシア映画『Cek Toko Sebelah』を観た。

タイトルの「Cek Toko Sebelah」の文字通りの意味は「隣の店を確かめろ」(隣の店と比べてみろ)だろうけど、比喩的な表現なのでタイトルは『ライバル』あたりがよいのでは。


まずはあらすじを結末まで。

小さな雑貨屋を営む華人一家。母は亡くなっていて、店を切り盛りしているのは父。息子は2人。兄は売れない写真家。弟は大学を出て大企業で活躍するエリートで、近く出世してシンガポールに駐在の見込み。病気で倒れた父を見舞いに息子2人が駆け付けると、父は店を弟に継がせるという。長男として自分が継ぎたい兄も、世界に打って出ようとして小さな雑貨屋に関わる暇はない弟も、なぜ?と首をかしげる。とりあえずシンガポール駐在までの1か月間ということで弟が慣れない雑貨屋の経営に手を出す。自分が店を継ぎたいと思う兄と関係が悪くなり、兄は母の墓を何度も訪ねて墓碑で微笑む母の姿に自分の気持ちを打ち明ける。

弟が店を継ぎたくないことを知り、かといって兄に任せられないと思った父は、店を売ることにする。大切にしてきた店を手放した心労のあまりに再び倒れると、父の病室で出会った兄弟は店が売られたことを知り、弟が店を継ぐと決心して、兄弟で力を合わせて店を取り戻す。

店が戻ると、病室で兄弟がしていた話を聞いていた父は店を兄に任せると言い、兄は自分のカラーを入れて店の経営に乗り出し、弟はシンガポールに旅立つ。


この物語の最大の謎は、雑貨屋を継ぐのが嫌だった弟がどうして途中で店を継ぐと言い出したのか、そして兄に任せられないと言っていた父はなぜ最後に兄に店を任せたのか。

弟が店を継ぐと言ったのは、息子が家を継がなければならないという中華世界の縛りのためであり、父親の意に反することはしたくないから。一流大学を出て大企業で活躍するエリートビジネスマンでも父親の命令には逆らえない。インドネシア華人には大学を出て外資系の企業で十分働けそうな力があっても家業を継ぐために田舎に引っ込む人が現実に多い。

では父はなぜ兄に任せたのか。病室で兄が弟に話したのは、父と母が2人で始めた店を守りたいということだった。兄は行き詰まるたびに母の墓を訪ねて、亡き母にいろいろ相談していた。そのことを知った父が店を兄に任せたということは、店の経営について妻の意見を取り入れたということではないか。

シンガポールに行きたいという息子に対して、父は「私たちはこの土地で裸一貫から今の地位を作り上げてきた。なのになぜ外国に行く必要がある?」と叱る。その父を演じているのが『うちのおバカ社長』(My Stupid Boss)にも出ていたマレーシア華人のチュー・キンワーで、キンワーにとってインドネシアは外国だというのがおもしろい。(ただし妻がインドネシア人だという意味では完全な外国ではない。)

役者に関しては、『ビューティフルデイズ』(Ada apa dengan cinta)の1と2でカルメン役のアディニアが兄の恋人役で出ており、雑貨屋の従業員が「『ビューティフルデイズ』のカルメンに会いたいなあ」と言っていた。『ビューティフルデイズ』はいろんな映画に参照されている。


冒頭の『The Underdogs』は若者が音楽グループを作ってインターネット上で動画配信などによって人気を得ていき、カリスマグループと対立するけれど最後に和解するという話。カリスマグループは、『Cek Toko Sebelah』の監督・主演のエルネスト、ラップのYoung Lex、韓国出身のHan Yoo Raの3人組。ほかにも音楽業界で知られた人たちがたくさん出ているようだけれど、興味深いのは最後の和解の場面。

カリスマグループの1人が事故で大怪我して救急搬送され、輸血が必要だと知ると、若者グループが自分たちのファンに輸血を呼び掛ける。エルネストたちが病院に駆けつけると自分たちと敵対するグループを支持しているはずの人たちが大勢輸血に来ていた。驚いたエルネストに対して「みんな同じ血を分け合ったインドネシア人じゃないか」(ちょっと意訳)と言って輸血に向かう。

エルネストはコメディ映画の監督をして自分で主演する人で、作品は、どこからどう見ても華人にしか見えない自分の顔をそのまま使って自虐的な華人ネタが多い。だから、劇中でこの顔を見れば、インドネシア人だけど原住民系とは心理的に別扱いされている少数派の華人という目で見ることになる。そのエルネストに対して原住民系の登場人物に「みんな同じ血を分け合ったインドネシア人じゃないか」と言わせている。「血」というのは輸血だからという状況を作っておいて、それをちょっとだけ飛躍させてインドネシア人としての血統の話を織り込んでいる。

2017-08-20 インド洋津波から12年のアチェ

インド洋津波から12年のアチェ

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数か月ぶりのアチェ訪問。前回の滞在は会議ばかりで街に出る時間があまりとれなかったけれど、今回は短い滞在ながらも郊外を含めて外に出かける時間が少し取れた。

2004年12月のインド洋津波から13年目を迎えようとしているバンダ・アチェでは、津波の被害と復興の経験を世界の人たちと共有することで将来の津波犠牲者を減らそうという動きと、12年以上前に起こった津波で犠牲になった人たちを弔い、親しい人を失った人たちの心の痛みが癒えるのを支えようとする動きと、アチェ内外のいろいろなものを柔軟に組み合わせて利用することで津波後の新しいアチェ社会を作ろうとする動きのそれぞれが見られた。


津波を記録して伝える

津波後に作られて一般の観光客向けに公開されているバンダ・アチェ市内の施設の津波博物館、電力船、ボートハウスなどのうち、電力船は公園化がさらに進んでいた。船の内部に入れるようになり、内部には津波関係の展示が置かれていた。津波博物館にも頑張ってもらいたいけれど、こちらの方がメインになりつつある感じ。

ボートハウスは相変わらず。しばらく前に来訪者に通し番号付きの参観証明書を発行していたけれど、バンダ・アチェの市長がかわって発行しなくなったとか。


津波の犠牲者を弔う

インド洋津波ではアチェ州だけで死者・行方不明者あわせて約14万3000人の犠牲が出たため、1人1人の身元を確認して個別に埋葬する余裕がなく、犠牲者の遺体は市内10か所の集団埋葬地に埋葬された。自分の近親者や友人・知人がどの埋葬地に埋葬されたかわからないけれど、きっと誰かが見つけてくれてどこかの集団埋葬地に埋葬されているはずだと思い、毎年12月26日に最寄りの集団埋葬地を訪れて祈りを捧げるという習慣ができてきた。

このように遺体なしで弔わなければならないという状況を受け入れた上で、それでもなんとかして近親者の遺体を見つけて個別に弔いたいと思っている人たちもいる。津波から10年以上が経った今でも、ときどき津波犠牲者の遺体が見つかったというニュースが報じられる。先月も、任務中に津波に襲われた警察機動隊員の遺体が12年ぶりに発見されて身元が判明したらしい。集団埋葬地の碑に彫られた埋葬者の数が修正されていた。


津波後のアチェ

バンダ・アチェ市内のアチェ州立博物館(津波博物館ではなくて歴史博物館の方)の前の歩道に、約300メートルにわたって黄色い視覚障害者誘導用ブロック点字ブロック)が置かれていた。これは日本を訪れたシアクアラ大学の学生の発案で導入されたもの。

Arthikaはアチェ内陸部ガヨの出身。父親の影響で小さい頃からメカが好きで、将来は日本でロボット開発の研究をしたいと思い、女の子なのにロボットが好きなんてとまわりに不思議がられていたという。

津波後の調査をしていた京大チームが仮設住宅で1組の被災者夫妻に出会い、聞き取りの過程でその夫妻の実家があるガヨを訪ねたとき、親戚の孫娘として紹介されたのがArthikaだった。

大学では土木工学を学ぶ道に進み、2015年には在デンパサール日本領事館のエッセイコンテストで優勝して日本への往復航空券を手にして東京京都を訪れた。日本で見た歩道の点字ブロックをアチェにも導入できないかと研究したところ、その研究が目に留まって試験的に導入されることになった。

そこですごいのが導入場所をどう決めたか。実際に使ってもらえるようにとまず盲学校周辺を選んだ。試験的な導入だし予算の制約もあるのですべての道に点字ブロックを作ることはできないし、アチェではまだ点字ブロックの意味が十分に知られていないからということで、まず点字ブロックの意味を知ってもらうために重要な場所と考えて、州知事公邸に近くて州内外からの訪問者も多いアチェ州立博物館の前を選んだという。未確認だけど点字ブロックの設置はアチェの州法にも盛り込まれたそうで、Arthikaはこれから人々の認知が高まっていけばと話している。

彼女は今年シアクアラ大学を卒業して、日本の大学で勉強が続けられることを希望して日本語の勉強を続けている。

子どものころにロボットの漫画やアニメを見て日本に興味をもって、日本のアニメやドラマや映画で日本語を勉強して、機会を捉えて日本を訪れて、そうやって自分のキャリアに繋げていくとともに出身地の暮らしの改善を目指す思いを両立させるということが、夢物語ではなく一歩ずつ実現していく様子をこの数年来見せてもらっている。


話はかわるけれど、シアクアラ大学と日本との関連でもう1つ。

バンダ・アチェ市内の川向うにあるシアクアラ大学構内のたこ焼き屋さん「はな」。はじめたこ焼き屋と聞いたときには移動式の屋台で焼いているのかなぐらいに思っていたけれど、行ってみてびっくり。広い敷地のあちこちの木陰にテーブルと椅子が置いてあって、お客は思い思いのテーブルについてたこ焼きを食べたりコーヒーを飲んだりしながらくつろいでいる。庭が広いので一度に数十人は入れる規模で、それでも訪れた日は満席だった。その9割ぐらいが女性客。男性客は最近増えてきた方だとか。

木陰が多いので隣のテーブルの様子が見えるようで見えない雰囲気や、従業員を女性だけにしていることもあって、女子学生たちの隠れ家的な場所になっている様子。制服を着た女性たちがきびきび仕事をしており、たこ焼きをひっくり返す姿やお好み焼きマヨネーズを振る姿が堂に入っている。


ついでに。

スマトラ沖地震・津波(インド洋津波)から10年間の様子を日本語で読むならこの本を。

被災地に寄り添う社会調査

同じ内容をさらに少し詳しく読むにはこの本も。

災害復興で内戦を乗り越える スマトラ島沖地震・津波とアチェ紛争

2017-08-16 インドネシア映画『Rafathar』

インドネシア映画『Rafathar』

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インドネシアで劇場公開中の映画『Rafathar』を観た。超能力を持ったスーパー赤ちゃんを誘拐しようとした2人組がさんざんな目に遭うコメディ。

タイトルのラファタル(Rafathar)は主役の赤ちゃんの役名で、それを演じた赤ちゃんの本名でもある。両親は役者で、父は誘拐犯役、母は刑事役で2人ともこの映画に出ている。生まれてきたラファタルがあまりにもかわいかったので『コミック8』や『ワルコップ』の制作陣と組んでラファタルを主役にした映画を作ったということか。

劇中で、ラファタルは赤ちゃんだけど実はインドネシアの研究所が極秘裏に開発した超兵器で、金属製のものを念力で自在に動かすことができる。研究所はラファタルを外国に売って儲けようとするが、開発に関わった博士が最後に思いとどまってラファタルを研究所から連れ去る。逃げ切れなくなってある夫婦の家の前にラファタルを置いたところ、それを見つけた夫婦は子どもがいなかったこともあってラファタルを養子に採ることに。それを知った研究所が闇組織にラファタルを取り戻すよう頼み、さえない2人組が誘拐を命じられる。ラファタルは赤ちゃんなので自分の身に何が起こっているかわからず、たぶんただ楽しんでいるだけだと思うが、フォークやナイフを投げつけたり自分が乗ったスーパーの買い物を走らせたりして、誘拐犯がてんやわんやの目に遭う。

ラファタルを養子に採った夫婦はマレーシア人という設定。妻ミラ役のNur Fazuraはマレーシアの女優で、劇中でもマレーシアのアスワラ芸術学院出身の女優で結婚して最近ドラマに出なくなったという設定。夫ボンダン(PondanではなくBondan)役のArie Untungはインドネシアの俳優だけど、劇中ではマラヤ大学出身。もしかしてマレーシア人の主夫という設定?

女優ミラが養子を採るのでテレビの取材を受けて、記者が「旦那さんに子どもを作る能力がないから・・・?」と尋ねかけたところでミラが慌てて遮るように「これをきっかけにこの子の弟や妹が授かると思っていますわ」と答える。結婚したら赤ちゃんを授かって当然という社会的圧力が根強いことを示しているのか、そういう圧力はいかがなものかという考え方が出てきていることを示しているのか、この部分だけではわからないけれどメモしておこう。

ファズラはマレーシアの『ゴールと口紅』で有名になり、インドネシアでは『ワルコップDKI』の1の終わりの部分にちょっとだけ出ていた。『ワルコップDKI』の2の予告編ではファズラの出番が多い感じだったので、マレーシアの独立記念日にあわせてインドネシアで劇場公開される(というわけではなくてたまたまだろうが)『ワルコップDKI』の2も楽しみだ。

あはまどあはまど 2017/08/18 10:14 この作品は見てませんが、マレーシアの俳優が出ていたんですね。軽いコメディのようですし、ちょっと興味が沸いてきました。
ところで、去年公開された映画My Stupid Boss は舞台もマレーシアで、ほぼ合作と言っていいと思うのですが、ご覧になられてますか?エスニックジョークもそこそこあってなかなか面白い映画でした。

setiabudisetiabudi 2017/08/20 17:02 『うちのおバカ社長』の邦題で大阪アジアン映画祭でも上映していましたね。私はマレーシアと日本で観ました。コメディーとしても面白い映画ですが、その裏でマレーシア語とインドネシア語で違う意味を持つ単語をうまく使っているのが印象的でした。象徴的なのは冒頭近くの「butuh orang」というセリフで、インドネシアではごく普通の表現ですが、マレーシアでは放送禁止用語リストの上から2番目に載るぐらいの言葉です。マレーシアの劇場ではこのセリフが出たときに客席が一瞬凍っていました。言語や文化に共通性が高いインドネシアとマレーシアで合作することで互いの国の検閲や制約を乗り越えようとする工夫がいろいろな形で試みられていて、そのいくつかが映画表現上エスニックジョークという形を取ったのだと思っています。

2017-08-15 インドネシア映画『Banda』

インドネシア映画『Banda』

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インドネシア映画『Banda: The Dark Forgotten Trail』を観た。マルク(モルッカ)諸島のバンダ島についてのドキュメンタリー

前半は、スペインポルトガルの世界分割の話から香料の話へ。

後半はそこに住んでいた人たちの話。オランダ植民地期の1920年代以降、植民地政府は独立運動に関わった民族主義指導者たちをバンダに流刑にした。指導者たちがバンダで日々どのような暮らしをしていたかが紹介される。印象に残った話はハッタのものが多い。ハッタは時間にとても正確だったので夕方ハッタが仕事を終えて帰るところを見ると5時になったとみんな知ったとか、ボートの側面にインドネシアを象徴する赤と白の色を塗ってオランダ人に怒られたハッタが、海に浮かべたとき海の青い色とあわさって赤白青のオランダの国旗になるように塗ったと言い逃れた話だとか、半ば都市伝説っぽいものも含めていろいろ紹介される。

ときどきインタビューも出てくるけれど、ほぼ全編、レザ・ラハディアンのナレーション付きでバンダの美しい風景をたくさん見せてくれる。

結びはハイリル・アンワルの詩。マルク諸島ゆかりの詩で、いくつもの言語に訳されて欧米でもよく知られている詩だとか。かつて世界と直接つながっていたバンダを再び世界と直接結びつけたいという思いが感じられる。

インドネシア各地からさまざまな人々が集まってきたため東インドネシアで住民構成が真に多民族的になっているのはバンダだけだという。観光開発は歓迎するけれど第二のバリにはしたくないという期待で締めくくられる。

エンドロールには参考文献として学術書が何冊も挙げられていて、学会発表プレゼンを全部映像でしたような雰囲気があっておもしろい。史実を踏まえた作りだが、現地で暮らす人たちの中には好ましくない描かれ方だと思うところもあるようで、アンボンの劇場で上映されたときには内容に抗議する人もいたらしい。ただしそれ以外の場所で特に抗議があったということはないようだ。