サンシャワー展(2)

手間暇かけて作ったものを手間暇かけて選んで並べたのだから、個別の作品にも展示全体にもそれぞれ意味が宿っているはずで、それを考えるのが展示会に行く楽しみだ。サンシャワー展では、多少の土地勘があるマレーシア、シンガポールインドネシア、そしてフィリピンぐらいまでは自分なりに意味を見いだせたと思えるものもあったけれど、さっぱりわからないものもあった。それ以外の地域の作品はほとんどお手上げで、一通り説明してもらってから自分なりに何を感じるか考えてみたいと思った。
以下は、国立新美術館会場のみ、マレーシア、シンガポールインドネシアを中心に、作品ごとに感じたことのメモ。いずれも作り手や選んだ人の意図と無関係に私が感じたことなので誤解のないよう。


「どうやら3つの国家の統治は簡単にはいかなそうだ」と「マフィリンド」
2つともパンクロック・スゥラップの作品。イー・イランと同じくボルネオ島サバ州を拠点に活動している。
「どうやら3つの国家の統治は簡単にはいかなそうだ」は、マレーシア、フィリピン、インドネシアをあわせたマフィリンドの地図に(なぜかインドシナも入っているが)、マレー・インドネシア語で宗教、天然資源、教育、安全保障に関する4つのスローガンが書かれている。それぞれスローガンは立派だけれど、実際に現場で起こっていることはさまざまで、その様子が図像で描かれている。
こういう作品では、スローガンがあることがわかればよくてその中身はあまり重要ではないという意見もあるだろうけれど、私はこういう作品では4つのスローガンがそれぞれどんな意味か説明がほしいと思う。(映画の挿入歌の歌詞の意味を知りたくなるタイプ。それを字幕にするかどうかは別の話。)
左の方にいる頭に羽をつけた衣装はボルネオの先住民っぽい。右の方で両手を広げているのはサバの先住民の舞踊にも見えるけれど、サバだと男がこの被り物をすることはないのでちょっと違うか。中央の上の方の大きな魚を捕まえようとしている2本の手は誰の手なんだろうか。
「マフィリンド」は指導者の肖像で、後光が差すように言葉が並べられている。マレーシア(マラヤ)、フィリピン、インドネシアの3つの国の頭文字をつなげたマフィリンドにちなんで、肖像の上に書かれた言葉の頭文字をつなげると別の単語が浮き上がる仕掛けになっている。それらは理念としては素晴らしいが、その理念が現場でどんな形になっていくかはさまざまだというのが肖像の左右に並ぶ言葉で示されている。
グループ名のPangrok Sulapは聞いた通りカタカナにするとパンロック・スラップ。pangrokの方はパンク+ロックという意味からパンクロックとするのはわかるけど、sulapをスラップでもスーラップでもなくスゥラップにしているのは誰のどのようなこだわりなのだろうか。


「遺骨の墓地のモニュメント」と「声なき声」
「遺骨の墓地のモニュメント」はジャワ華人のFXハルソノの作品。インドネシアで「第二次警察行動」と呼ばれる1948〜49年のオランダの軍事作戦に伴って犠牲になったジャワ華人の弔い。この軍事作戦のきっかけの1つはインドネシア共和国政府とインドネシア共産党の対立で、この前後の混乱の中で共産党側の指導者は射殺され、共和国政府側のスカルノやハッタは逮捕された。
この作品と向き合うように壁に沿って置かれているのが「声なき声」。9つの指文字のパネルで、並べるとDEMOKRASI(民主主義)になる。自由が制限されていて声を上げることができない(だから音声ではなく指文字で表現する)。
この2つはそれぞれ独立した作品だけど、一緒に選ばれて互いに向き合うように並べられていることにはどのような意味が込められているのか。軍事作戦で犠牲になった華人を弔うことと、声を上げることができないこと。この2つを組み合わせると、1965年の9・30事件の後に共産主義者という疑いをかけられてたくさんの華人が犠牲になり、その大量虐殺は公式に誤りだったと認められていないためにいまだに公に話すことがはばかられるという状況が思い出される。
学生向けの課題風に言うならば、「遺骨の墓地のモニュメント」には何人分の遺骨があるか数えてみよう、そして50万人とも100万人とも言われる9・30事件後の犠牲者について「遺骨の墓地のモニュメント」と同じものを作るとしたらどれだけの広さが必要か計算してみよう、という感じになるだろうか。
9・30事件後の大量虐殺では殺した側と殺された側(の関係者)が今も同じ社会にいるために語りにくい。でもオランダの軍事作戦で犠牲になった華人の話なら国内で角が立たない。それを「声なき声」と組み合わせることで他の事件で犠牲になった華人同胞の追悼の意味も込められている。
直接表現できないことを間接的に表現しているという見方で見直してみると、サンシャワー展のほかの作品にも、表向きはそう説明されていなくても中華や華人をテーマにした作品がいくつもあるし、直接表現していなくても日本との関わりをテーマにした作品もいくつもある。作品を選んで見せ方を工夫した人たちの思いが伝わってくる気がする。


「サイチョウと宣教師」と「ボルネオ」。
制作時期が違いながらもよく似た構図の2つの作品。作家のアグス・スワゲはジャワ出身のインドネシア在住で、描いているのはボルネオ。インドネシア側の言い方のカリマンタンではなくボルネオにしているのは、マレーシア側の言い方にしたということではなく、マレーシアやインドネシアという国ができる前を意識しているからだろうか。
イチョウは、デイン・サイード監督の映画『インターチェンジ』にも出てくるように、ボルネオの先住民の間で特別な意味を持つ鳥だ。神さまと言ったら言い過ぎだけど、神聖性に通じる鳥。「サイチョウと宣教師」と「ボルネオ」に出てくるのは頭がサイチョウで首から下が人間で、神(自然)と人間が混然一体となった存在。これをとりあえずサイチョウ人間と呼ぶことにしよう。
「サイチョウと宣教師」では、西洋人の宣教師がボルネオに来たことでサイチョウ人間の体の中が晒されている。科学(医学)によって体のパーツが1つ1つ分解されて仕組みが明らかにされることで、「神と人間は1つ」と唱えるサイチョウ人間は神聖性を失っていく。かわりに神聖性を引き受けるのは、頭に輪をつけて羽が生えた宣教師が紹介する新しい神さまなのだろう。
「ボルネオ」では、サイチョウ人間は体の中が晒されるのではなく、体の各部にボルネオのエスニック集団名が書かれている。それまで自他の区別を固定的に認識していなかったボルネオの人々が、西洋の博物学や人類学に基づいて言葉や衣装や習慣で分類され、それぞれエスニック集団として固定されて集団名が付けられていく。「ボルネオ(の人々)は1つ」と唱えるサイチョウ人間に対して、外から来た指は、お前たちはそれぞれ異なるエスニック集団だと教え、ボルネオの人々を分断していく。
西洋の科学は対象をバラバラに切り分けてパーツごとに理解することで対象を理解し管理しようとした。それによって神と人の一体性もボルネオという一体性も失われた。分けることでわかるようになる一方で、分けることで失われるものもある。


「プリブミ・プリブミ」
少数派の華人が多数派のプリブミ(原住民)に襲われた1998年のジャカルタ暴動の2か月後、オランダ生まれジョグジャカルタ在住のメラ・ヤルスマがジョグジャカルタの路上でパフォーマンスを行ったときの記録映像。中華料理の食材として知られるけれど非華人は食べる習慣がないカエルをメラたちがスケキヨ風の唐揚げにして非華人にもふるまい、プリブミ(現地生まれ)って何なのかと問いかける。
ある土地を訪れて、そこの多数派は食べる習慣がないけれど少数派や外来者が食べるものを路上で調理してふるまい、食べながら一緒に考えるという実践があることは他の場所でも聞いたことがある。この作品がそれらと一味違う印象を与えるのは、オランダ人の外貌を持つ作者が最後に「オランダ統治時代には華人も教育を受けられた」(なのに独立後に華人は差別されている)と言っていること。この一言でカエルの味がわからなくなった。