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名もないテクノ手 このページをアンテナに追加 RSSフィード

EPUB版『InDesign者のための正規表現入門』

InDesignのTips一覧

2009-04-25

[]GNU GPL v3 逐条解説書(第1版)が公開されています。

IPA独立行政法人 情報処理推進機構GNU GPL v3の逐条解説書を公開しています。

ソフトウェアライセンシングとIPR関連情報 || OSS iPedia

GNU GPL v3と正文と対訳、パラグラフごとに丁寧な解説がされています。法務関係者だけでなく、実務プログラマにも有用な解説となっています。

GPLを「感染性がある」「しょせん商用には使えない」「FSFのグルがきらい」と(安易に)断じる向きもありますが、その理想は高く実際に多くのクリエーターにも支持されています。

わたしもいま読んでいる最中ですが、とてもためになります。ぜひおすすめ。

2008-10-26

[][]ライセンスについての模索

自分のよくわからないことについては、語るべきじゃないと思う。だから、ライセンスの話なんかするのはとても気が重い。わたしに興味がないばかりでなく、法律的な適任者でもない。だけど法律の方は、わたしのことを自動的に著作権者にしてくれている。そして、わたしが自分で作ったものに対して、あれこれ他人に指図できるのも著作権者の権利ということになっている。そんな名前も権利も欲しいとお願いしたことはないけれど。

ではなぜ、こんなエントリーを書いているのか? それは、わたしが公開したものを自由に使ってもらいたいと考えているからだ。もしあなたが、仕事でわたしのプログラムを使ってくれていて、それをほかの誰かにも使わせてあげたいときどうすればいいか?*1 もしあなたが、スクリプトを書いていて、わたしのコードの一部を使いたい時どうすればいいか? 実はわたしの方は一向に構わないんだけれど、なにかしらの基準がなければ、戸惑ってしまう人も多いだろう。著作権に関してせちがらい世の中だ*2。いつまでも無頓着ではいられない。いちいちお問い合わせをいただくのも忍びない。ここはひとつ、自分の立ち位置や考えを公にしてみようじゃないの。


そもそも、わたしが知的財産権や著作権についてもっと基本としたい考え方は、山形浩生さんの「新教養としてのパソコン入門 コンピュータのきもち」にある一文だ。

知的財産というものを考えるにあたって、絶対におさえておくべき基礎がある。それは、知的財産というのが基本は人類全体の財産だということだ。知的財産、つまり情報はいくらでもコピーできて、いろんな人が同時に使える。ぼくの知っていることをあなたに教えても、ぼくの知識は減らない。そしてぼくが知っていることをあなたに教えれば、あなたとぼくとが同時にその知識を使っていろんなものを生産できる。その知識を知っている人が多ければ多いほど、生産できるものは増える。

(中略)

ただし、もしそうやって何でも自由に配布していいことにすると、作るほうの人が苦労して新しい知的な財産を作らなくなるだろう、という心配がある。見返りがなければだれも新しい発明や、新しい小説や、新しい音楽や映画を作らないだろう。それではかえって困るので、一時的に限られた独占権を認めることで、発明家や開発者やアーティストたちにいろんなものをどんどん作ってもらおう。そのための独占権が、著作権というものだ。

    新教養としてのパソコン入門 コンピュータのきもち p.194-195より引用

同書では、写真を例に出してさらに論が進んでいくが、要するに自分は世界の創造主ではないってことだ。自分をとりまく世界のすべては、ほぼ他人によって作られている。自分自身の知識でさえ自分のものだと主張できないほどに。自分の創作物の中で、本当に純粋にオリジナルな部分など、砂浜の中の砂粒ほどのものだ。*3


はるか昔にはPDS([Public Domain Software)なんてライセンスが流行ったことがあった。しかし、ご存知のとおり日本の著作権法では、厳密には著作者人格権を放棄できない。それにまあ、いろいろと苦い経験などもあって、うかつにPDSなどと名乗るほど若くはなくなってしまった。

ここはまあ、世界基準のGPLに準拠すべきか。たしかにGPLは優れたライセンスだけれど、コピーレフトを強制するのは申し訳ないような気がする。しかし、わたしが取り込んだコードがGPLならば、GPLを選択しなければならない場合もあるかもしれない。RubyPerlはそれぞれ、「Ruby License」「Artistic License」があり、GPLとのデュアルライセンスを採っている。これら独自のライセンスもすばらしいのだけれど、わたしが書くようなコードもどきには、ちょっと大袈裟な感じがしてしまう。

あと、ひとつだけ希望がある。それは、わたしのコードを改変して再配布する場合は、わたしのクレジットを外して欲しいのだ。わたしは、わたしの手を離れたコードがどのように使われようと関知しない。わたしの(拙い)コードを読み込んで使ってもらえたなら、嬉しいことだし、きっと既にその人のコードだろうから。しかし、現実的にクレジットの削除はされないだろう、おそらく良心によって。

たぶん、わたしの理想は「良識の範囲」で自由に使ってもらうことだろうと思う。プログラムを秘匿化して異なった名前で再配布すれば盗用だが、オリジナルの入手先を明示した上でコンサルタントすればビジネスになる。コードをろくろく読みもせずコピー&ペーストすれば剽窃だが、十分に読み込んでうまく取り入れられたらそれは学習なんだ。ただ、良識は明文化されなければあやふやな解釈を生むだけのような気かする。時代の価値観によっても大きく変わるかもしれない。


すこしばかり憂慮すべきこともある。近年、スクリプトと呼ばれる分野でもコードの秘匿化や、バイナリコードの生成技術の進歩がある。こうした技術は、コピーガードの最初の砦であるし顧客に対するビジネスにもなりうる。しかし、なんらかの悪意ある改変が行われた上で秘匿化され、再配布されたらどうか? たとえば、ネット上にあるプログラムに対して、ローカルの情報をPOSTされたら…。あるいは、なんらかのバグがデータを破壊するような挙動をしたとしても、プログラムを修正することもできないだろう。エンドユーザーが被害を被るような再配布は避けなければならない。スクリプトコードの秘匿化には同意しない。


ご意見などがありましたら、コメントをいただければ幸いです。


現時点での方針(2008-10-30追記)

わたしが守りたいのは、以下の3者の利益です。

  1. ツールとして使っていただいているエンドユーザの利益。
    • 対価の発生しないフリーウエアであること。利用には商用・非商用の区別なく制限がないこと。
    • 悪意あるバイナリが再配布されないこと。
  2. コードを書く人のために自由に使える利益
  3. わたしが不利益を被らない利益
    • 無保証であること。

であるならば、現時点でのライセンスは「GNU GPLv3」にするのが妥当だと考えます。GPLライセンスを選択する場合は、必ずその旨を明記しますので、尊重していただければと思います。

ただし、サブルーチンなどの部分的な引用については、学習と見なすのが適当だと考えます。厳密な線引きはしません。

以上、勝手ながらみなさまのご理解をいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。


参考

コモンズ

GNU Lesser General Public License

GNU GPLv3 日本語訳

rubyのライセンス

Artistic License

さまざまなライセンスとそれらについての解説

ソフトの配布とライセンス

*1:URLを教えてダウンロードしてもらえばいいんだけど^^

*2:高校生が文化祭で上演する戯曲に許可が必要だって? 孫世代まで生活が保証されないと創作意欲が湧かないって? 某TV局では、自社社屋に肖像権があるって主張してるって?

*3:プログラミング世界も例外じゃない。コンピュータは誰が作った? コンパイラは、アプリケーションは、開発環境は、エディタは誰が作った? あまたのプログラミング理論やテクニック、数学的に証明済みのアルゴリズムは? なにげなくIncludeしたそのライブラリは?