テクノライズ 第21話「ENCEPHALOPATHY」

「人ハ皆、己自身ガ震エタツガ如キ怪物ヲ飼ツテイル」ではじまるナレーションが秀逸。地上波放送時に飛ばされた地上編も含めたこの作品のあらすじとテーマが凝縮されていて見通しが一気に開ける感じ。ここまで言葉による説明を極力廃していたのに、ここにきてナレーションを使うのは反則な気もするけど、正直初見のときは、これを聞くまで面白いけどよくわからんというのがあったので、最終回を前に分かりやすくしてくれたのかなと。淡々とした語り口とノイズを乗せる処理も効果的でした。
ずっと憧れていたというクラースの住人を皆殺しにして果てるシンジ、街の声を届けてくれた蘭の望みをかなえ自らも命を落とす大西と主要な人物たちが次々と退場して物語は一気に収束へ。シンジが大西と袂を分かつところは、かつて秘書から「大西になりたいんでしょ」と看破されていたことを考えると感慨深い場面。カメラがトンネルを後ろ向きに移動してきて、バイクに乗ったシンジが画面に入ったところでスローモーションになるカットが決まっておりました。
蘭を地上に連れて行きたい、とはじめて自発的に他人のために何かをしたいと望む櫟士の言葉も蘭には届かず、ただ幻を追いかけるだけという。物語を彩ってきた登場人物たちが消え、荒れ果てた街で、最後の希望である蘭を彼は救うことが出来るのか?という一点に物語の焦点が絞られたわけですが・・・

テクノライズ 第22話「MYTH」

流9州が滅びの都となった経緯を記録映画風に見せるのはカッコいい演出。でも、出来れば一話くらい使って最終決戦の様子を見たかった気もするわけで、終盤の密度の高い展開が気持ちよくもあるんだけれど、一方でじっくり見せて欲しいところも駆け足になっちゃったかなと。序盤の遅々とした展開を考えると構成がマズかったのかとか、全22話という中途半端な話数になったことが関係してるのかとか、いろいろ事情がありそうですが。
櫟士が暴徒に囲まれて絶体絶命というところで、テクノライズユニットが動き出すのは、なかなかにいい場面。ドクが緊急用の機能を組み込んでおいてくれたということなんだろうけど、第二の母と呼ばれた彼女の櫟士に対する想いみたいなのが感じられましたよ。
「オレは変わったか?」と蘭の幻に問いかけ、暴力を振るうことにためらいながらも蘭の元へと向かう櫟士が切なく、やっと、たどり着いた先で見たものは体を改造され、物言わぬ姿になった彼女という・・・。
地上の人間は静かに滅亡の時を待ち、地下の人間は狂気に囚われて滅び、助けたい願った少女は廃人となって主人公自身ものたれ死ぬという救いも何もない終わり方なのに、爽やかな余韻を残すのが不思議。狂犬と呼ばれた主人公が、人との関わりを経て人間らしさを得て、最後までそれを失わなずに自分の意思を貫いたことが、それを生んでいるのかなと。最後の場面に流れる歌が美しく、満ち足りた表情で横たわる櫟士の姿がいつまでも心に残りました。

テクノライズ 全話を通して

とにかくワケワカラン、というのが初期の数話の印象。でも吉井さんが暴れはじめてから、しり上がりに盛り上がってきて振り返ってみれば、そのワケのわからないところも重要な伏線だったことに気付くという。断片的な描写を積み重ねて、物語を組み立てていくのが見事で、はじめは全く共感できない主人公に対し、最後には思いっきり入れ込んじゃったりして、”化ける”というのはこういうことなのかと実感しましたよ。
作画は全体的に動かなかったけど、レイアウトやカット割の巧みさで上手くカバーしていた感じ。音楽的にはOPをはじめテクノが非常に効果的に使われていて、ラストシーンでここぞとばかりにかかる石田燿子が歌うウェットな曲が感動的でした。
こんな名作が人知れず埋もれているのが、実にもったいないんだけれど、でもはじめの頃のとっつきにくさを考えると無理もないのかも知れず。AT-Xでの再放送を期に再評価されるのを願いたいところ。

シムーン 第23話「永遠の少女」

「シヴュラとして祈ることにやっと意味を見出せたのに」というロードレのセリフがあるように、戦争が終わって再び迷走するコール・テンペストの面々といったところ。
積極的に近づいてくるネヴィリルから逃げたり、フロエのキス云々の話で赤くなったりと乙女チックなアーエルが可愛かったですよ。これからのことで皆が不安を感じてる中で、一人で別のことで悩んでるのはさすが空気を読まない子といったところですが。
シャワー室でのパライエッタとアルティの会話やそこに黙って入ってくるカイム、兵士たちの姿を見て罪の意識に駆られるロードレをさりげなくフォローするヴューラ、嶺国の巫女に祝福を与えるネヴィリルといった描写が印象的。パラ様はネヴィリル祝福を受け、嶺国の巫女と同じように許しを請うことで、気持ち吹っ切るつもりだったんでしょうか。
性別化されないことについてオナシアの話を聞くのは、シヴュラであれば泉に行かなくていいとか言ってたアーエルの役目のような気がするんだけど、コール・デクストラにいて、たくさんの仲間の死を見てきたであろうオナシアが、同じような立場のユンに真相を語るのもアリなのかなと。デクストラといえばドミ姐がいたところなわけで、過去にいった彼女が・・・などという妄想も拡がるわけですが、先の読めないこのアニメのことだからどうなることやら。