雲の向こう、約束の場所上映会

先日行われた雲の向こう上映会の感想とレビューを載せておきます。

 今回の上映会の題材は「雲の向こう、約束の場所」であり、テーマは平行世界であった。しかし平行世界とはいっても各世界の差異といったものが特に出てくるわけではない。閉鎖空間的な役割や脅威として扱われるのみだ。また作中では平行世界は宇宙の夢とも言われていた。
 作中では佐由理に平行世界の情報が流れ込んでおり、その情報の膨大さ故に佐由理は眠り続けている(佐由理が目覚めれば行き場を失った平行世界の情報による世界の書き換え、侵食が行われる)とされていた。だが実は世界の意識主体は佐由理であり、世界自体が佐由理の見ていた夢だったのではないだろうか。目覚めとともに夢は消える、故に塔の活性化と空間侵食は連動していた、ある意味独我論的である。ここにおいては目が覚めれば瞬時に消滅するのではないかという可能性は考えないものとする。「ユニオンの塔」と佐由理とのリンクは何故起きたのかという疑問も残るが、設計者が彼女の祖父だからと考えるのが妥当だろう。いまいち説明不足のように感じても深く追求するのは野暮というものだ。

また浩紀と佐由理が「(佐由理のいた誰もいない世界が)より現実的に感じる」などと言っていたように次第にあちら側の世界(ここでも世界の意識主体は佐由理だが、先と違い世界は佐由理の夢なのではなく、主体たる佐由理が世界を構築していると考える。前文と連続しているように見えて、微妙に解釈が変わっていて申し訳ない。)がメインの世界になりつつあったのではないだろうか。自分は見ている最中に、最後はあちらの世界に現行世界は書き換えられ、浩紀との二人の世界化、もしくは拓也をも呑み込んだヴェラシーラを作っていた頃の変わることなき幸福な世界化という展開になるのではないかとも考えていたわけだが。その場合ヴェラシーラが完成して塔まで行けたらどうなってしまうのだろう。

 ラストで佐由理が目覚めるシーンについて。「忘れちゃった」と泣きじゃくる佐由理と「目覚めて良かった」と喜ぶ浩紀。この浩紀の言葉や場面からして、忘れてしまってもこうして目覚められたのだからこれからまた一緒に歩いて行くことができる、                                                               (あちらの世界での繋がりほどではないものの)二人の仲はまた進行するのではないかといった良い展開や救済の予感があるも、結局は(浩紀が一人で歩き、佐由理の幻影を見る)冒頭に繋がり、おそらくは結ばれずに終わってしまうのだからなんとも悲しいことである。佐由理が廃駅から塔を眺めるシーンとラストの塔の爆破の描写がほぼ同じことと、その後の「私たち前にも」という佐由理の発言、この両者からして、もしかしたら佐由理の(目覚めて忘れてしまった)未練が(あの気持ちを忘れない、そして結ばれる可能性を求めて)(塔とのリンクと眠りから始まる)平行世界を生み出し、結末の変わらない悲劇(?)が繰り返されているのかもしれない。そう考えても面白いだろう、さらに悲惨な話ではあるが。この解釈ならば平行世界設定にも多少の意味は見出せる。

こちらはSF的感想というよりも表現についての話になるのだが、拓也と浩紀の再会後の廃車庫(ヴェラシーラ製作場所)でのシーン、「世界を救うか、佐由理を救うか」という問いかけ、ならびにおそらく作中唯一の拓也の喫煙について。この場面で佐由理との約束を重視する子供っぽい浩紀と現実的で大人びた拓也との対比が成されているのは明らかである。しかし喫煙の描写は余計だったのではないかと思う。作中で喫煙がここだけでしかも唐突に行われたこと自体不自然であり、また先の台詞と相まってただ単に(真っ直ぐな浩紀を前に)気取っているように見えてしまい、描写が軽くなってしまっているように感じる。もっともこの点を批難するのには高校三年生(18)の喫煙というものに(年齢的には良いとしても)嫌悪感を抱くというきわめて個人的な理由もあるのだが。

作中にあった平行世界を覗いて重大な意思決定等に役立てるという考えも興味深い。だがこれは思考やらを放棄することに繋がる恐れもある。(そんなことを偉そうに言う自分もこれを書いている最中や課題作成中に、過程やらをすっ飛ばして完成品や結論にさっさと至りたいと何度も思ったものだが。)それに頼り過ぎては、いつしか平行世界を覗いたとしても答えも見つからなくなり(思考放棄の末とその影響。だが一方で同じ選択が同じ結果となりうるのか、平行世界は自分で考えることを続けているのではないか等の疑問もあるのだが)、自ら考えることすら忘れた世界、というより人間は破滅を待つのみとなるだろう。たとえ答えが示され続けたとしても考えることをやめた人間に意味はあるのだろうか。また、思考の放棄に至らなくとも、実用するとなれば様々な問題が付きまとうだろう。おそらくは正しい判断(何をもって正しい、正義とするかについての問題はここでは無視しよう)のできる大国(もちろん作中のユニオンや現実の某大国は論外である)による独占が一番の解決法であろうが。もっとも自分としては自由意思や決定による分岐の存在は疑わしいと考えているのだが。

この作品は見ている最中にはSF的に考えるべきことが少なかったのが残念であり、平行世界関係も活かしきれず、(先には野暮とは書いたものの)やはり説明不足ではあるが、話はそこそこに面白いので未見の人は一度見てみるといいだろう。あくまで娯楽作品ということで。 

(松崎)