2012-01-25
『トンデモ非常時デマ情報レスキュー』雑感
震災・非常時デマに学ぶ情報処理術
kensyouhanさんが、今週末に検証をアップするそうなので、簡単な雑感を書かせていただきます。
出版に先立ち発生した、今回の震災時の情報の混乱した状況を重く見て、特に情報選別がせまられる緊急時の対処を重要なポイントとして視野に入れ、緊急時の情報選別にスポットを当て、緊急時の情報への対処法を内容とする。緊急時の情報選別に関して、具体的には、震災時の情報の混乱を取り上げ、そのメカニズムとそのときの対処法を根本から解説する。
また、特に唐沢氏が長年テーマとしてきた、流言=デマにスポットをあてなぜこの時期に発生し、しかも、またたく間に大規模に広がり、しかも多くの信じてしまう人が出てしまったのか?
(これはもう震災の二次災害ともいうべき、情報災害となってしった)を具体例をあげて(もちろん唐沢氏=と学会お得意の「とんでも流言・デマ」を多数紹介します→すでに多数収集済。)詳しく解説。そして本書の真骨頂、緊急時の情報整理の考え方を伝授する。
駄目な作家の著作を出版するだけあって、同レベルの人間が本造りをしているようですね。
「緊急時の情報云々」って言葉をこれほど繰り返すということは、もはや強迫性障害の症状、よほど不安なんでしょうね、内容の薄さに。
結論を先に書いてしまうけど、唐沢俊一には意図したようなテーマで本を著すのは無理だ。
わたしも博報堂で何年か情報の危機管理業務に就いてきた。何十人もの専門家(弁護士、弁理士、知的財産管理技能士、一級建築士etc)が対応するような問題であって、古本の収集(読解は無理)程度の人間が、便乗して語れるようなものではない。書店にいけば、こうした分野の専門書はいくらでもある。ビジネス書を標榜しながら、奇矯な装丁と稚拙なイラストに逃げるようでは、スタートラインにすらついていないとしか言いようがない。
関東大震災時に「朝鮮人の暴動」というデマが広がり、多くの朝鮮人が虐殺されたという歴史的事実がある。そして、その流言飛語を検証する中から、その虐殺が意図された「謀略」だったという説までが出てきたのだ。
そうした一連の流れをもとに、今回の震災時に発現した流言飛語を検証し、それを謀略にまで敷衍して語る。また、それをビジネスの情報管理に役立てて――という目の付け所(多分、企画書には、そう書かれていたのだろう)は良かったのだが。
まず、唐沢には情報収集能力がない(新聞もとっていないようだし)。ネットの検索能力もはなはだ怪しい。そんな情報収集から「トンデモ」な流言飛語を見つけてきて、それを笑い飛ばす――というのは、これまでの「トンデモ本の世界」シリーズのやり方だが、そうしておけば、唐沢なりの震災本になっていたと思う。それを謀略に結び付けようとしても、なんせ唐沢が見つけてくるトンデモなものばかりなので、そこで語られている謀略もトンデモでしかない。それを笑わずに検証するのは、はっきりいって馬鹿みたいな作業だし、それを以ってビジネスに役立つものができるはずがないのは言うまでもない。
唐沢がもはや枯渇した(ネット社会では優位性を語れない)雑学に見切りをつけ、ビジネス書の執筆を目論むのは勝手だが、能力がないのだからできるはずもない。
文章を書く能力のない人間が、単なる憧れから文筆業を志し、ガセとパクリで駄本の山を築いたわけだが、そのやり方でビジネス書を出版していくのは不可能だ、としか言いようがない。
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2011-10-07
追悼文を書くということ
スティーヴ・ジョブズが亡くなった。
Macに対する想いを語り出したら、きりがない。夜、人気のないオフィスでMacを立ち上げて、あの起動音がぼわ〜ん! と響いたとき、いやが上にもやる気になったこともあれば、この音小さく出来ないのかなあとそっちに熱中して作業を忘れてしまったこともある(小さく出来なかった)。 わたしが使っていたのはもっぱら、「フォトショップ」と「イラストレーター」だったから、広告の仕事をやめた今は、blogに貼る写真の修正(ナンバープレート、電話番号の塗りつぶしが、ほとんど。まれに目線)ぐらいにしか使っていないけど。それから、Macを使っていて、ほんのちょっとの照れと、やはりほんのちょっとの誇らしさを感じたことなんか一度もないが、まあ、人それぞれなんだろう。
驚くべき早業で、唐沢俊一はスティーヴ・ジョブズの追討記事をアップした。
でも、それに関して、なにか具体的に述べる気はない。
常々考えていたことを、川本三郎さんが的確かつ簡潔に書いているのを見つけたので、引用させていただく。
追悼文を書くということ
この十月に作家の日野啓三さんが亡くなった(大腸がん)。私にとっては急死という印象だった。
その文学作品を親しく読んでいただけでなく、直接にも存じ上げていたので、喪失感が深い。
以前、日野啓三さんのお父様が亡くなられた時に、日野さんが「なんだか頭の上がなくなって寒くなってしまった」といわれたことを思い出す。
いま日野さんの死に接してみると、まさに頭の上が急に寒くなった気がする。
日野さんが亡くなられたのは十月十四日だが、その夜に通信社の人から訃報を聞いた。
そして追悼文の依頼を受けた。〆切りは翌日だという。追悼文という性格上、仕方がない。
書くことを引き受け、原稿用紙に向かったが、なかなか筆が進まない。
悲しみが深かったからという以上に、なんというか、昨日まで生きておられた人のことを、今日はもう死者として追悼する。そのあわただしさにとまどってしまったのである。
外国の映画監督やスターが亡くなった時に追悼文を書くことがある。その場合は、個人的に知っているわけではなく、はじめから遠い存在だから心乱れることなく追悼文を書くことが出来る。
しかし、個人的に接しその人となりにも惹かれていた場合、昨日亡くなったばかりでもう追悼文を書かなければならないというのはつらい。
一日がかりでなんとか文章を書き上げたもののどこか気がとがめる。
葬儀の時、遺影に手を合わせながら、すみませんとお詫びした。
バッハの宗教曲「マタイ受難曲」を聞きに行った。その荘厳な演奏に厳粛な気持ちになった。
と、演奏が終わり、指揮者が指揮棒をおろしたとたんに、会場から「ブラボー」の声があがった。
大江さんはそのなんとも素速い観客の反応に違和感を覚えたという。
訃報を聴いてすぐに追悼文を書く。それは宗教音楽の演奏が終わったとたんに「ブラボー」というのに似ている。
いまだに日野さんに申訳ない気がしてならない。
(「サンケイ新聞」2002年11月9日 なお引用は「旅先でビール」潮出版社から)
わたしの想いを、わたしより遥かに優れた感性で語っている。これ以上言うことはない。そして、これを以て、以後、唐沢の追討記事を検証することもおしまいにする。言いたいことは上の文章に総て書かれているから。
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2011-09-18
莫迦 ミュンスターベルヒ
タイトルには特に意味はありません。大馬鹿野郎なんて言葉ではもう表現できない状態なんでね。
※今回のエントリ、表題作のネタばらしをしないことには、唐沢の酷さが検証できないので、ネタばらしの内容になっています。お読みになる方は、心置きください。
『レベッカ』のときにも指摘しましたが、唐沢という人間は映画を見ても、そのストーリーが理解出来ない程度の知能しか持ち合わせていないようです。
故都筑道夫はミステリ評論家としても一家を成した方でしたが、都筑が最も評価したのは、ミスディレクションでありました。ミスディレクションとは、作中人物が作中人物に仕掛けるトリックではなくて、作者が読者に仕掛けるトリックのことをいいます。釣糸や針金を使った密室トリック、氷のナイフ、岩塩の弾丸のような物理トリックをはじめ、時刻表によるアリバイトリック、変装、一人二役といったトリックは、すべて作中人物(多くは犯人)が作中人物(被害者、探偵)に仕掛けるトリックです。一方、作者が読者に仕掛けるトリックの代表的なものは、叙述トリックで、クリスティの『アクロイド殺人事件』や拙作『六色金神殺人事件』なんかがそれにあたります。
唐沢俊一という無能な人間は、このミステリの基本中の基本である「ミスディレクション」も知らずに、今回も、上から目線で滅茶苦茶なことを書き散らしています。
『狼男』映画の本家、ユニバーサルの作品。
ロンドンの名家、アレンビー家の娘であるフェリスは、許嫁のバリーとの結婚を目前に控え、幸せいっぱいの日々を送っていた。しかし、巷ではロンドン公園での殺人が新聞をにぎわせ、その犯人は狼の姿をした女だという噂が立っていた。フェリスは新聞でその記事を読んで不安に襲われる。このところ、不自然な眠りを繰り返していた彼女は、目をさましたとき、覚えのない血や泥が手足についているのを不審がっていたのだ。そして、フェリスは、叔母から恐ろしい話を聞く。このアレンビー家には、代々、血筋の者が狼に変身するという呪いがかけられているというのだ……。
主演のジューン・ロックハートはテレビの人気番組『宇宙家族ロビンソン』(1965〜68)で、美人のママ、モーリン・ロビンソンを演じて有名。その前には、同じくテレビの人気番組『ラッシー』(1958〜64)で、ラッシーの飼い主ティミー少年の母親を演じて、これまた有名。つまり、アメリカ人にとっての“理想のお母さん”女優と言える。
http://www.nndb.com/people/012/000022943/
そしてその婚約者を演じるドン・ポーターはこれまたアメリカで大人気だったテレビ『ギジェットは15才』(1965)で、やんちゃな少女・ギジェットの、男やもめのお父さんを演じて、これまたまたアメリカでは理想のお父さんとして知られている。一方で映画ではロバート・レッドフォードの『候補者ビル・マッケイ』(1972)の対立候補などの、旧世代の代表という憎まれ役も演じているが、それもお父さん像のひとつのバリエーションだろう。
http://en.wikipedia.org/wiki/Gidget_%28TV_series%29
だからこの『謎の狼女』は、その後の二人を知っている身として見ると、お父さんとお母さんの若き日のロマンス、みたいなエピソードに見えて、どうしてもくすぐったくなるのを押さえ切れない。と、いうか、この二人のラブシーンのギコチなさに、ああ、この二人、どちらもその後ロマンチックな役でなく、お父さんお母さん役で人気を得るに至ったのも当然だな、という思いにかられてしまう。二人とも決してダイコンではないのであるが、それ、役者にはニンというものがあるのである。
とはいえ、この作品の評判が悪いのは二人のせいではない。看板に偽りありというか、タイトルにある狼女が×××××、ただの××××のための×××であった、という拍子抜けのオチである、というところにある。タイトルに期待して映画館に足を運んだ観客が不満をもらすのも無理はない。
だが、と、いうことは裏を返せば、心理サスペンスとしてはなかなかよく出来ているわけで、自分は呪いをかけられて、自分の知らないうちに殺人を犯しているのではないか、と恐怖し、パニックに陥る女性の心理を丁寧に描いている。ジューン・ロックハートの、ちょっと神経症的な大きな目がその不安をよく表している。
併映用の、61分という短いランニングの作品でなく、90分以上かけてじっくりとそこらへんを描き、この作品では早々と殺されてしまう、おとぼけキャラクターだが実はやり手、というレイサム刑事(ロイド・コリガン)にきちんと事件を解決させ、ドン・ポーターにもっと見せ場を作れば、サスペンス・ミステリの佳作になり得たかもしれない、と思うと非常に残念。なにしろ、ヒーローたるドン・ポーターが婚約者の危難にすわと駆けつけたときには、すでに真犯人は
「××に××で××で×××××××いた」(ネタバレは下に)
のである。
1946年、長かった大戦が終わり、東西対立による緊張が世界を覆うまでの束の間の平和な時代。これはそんなのんびりとした時代の狭間に生れた、のんびりとした怪奇テイストミステリ映画なのである。
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「勝手に転んで死んでしまっていた」
まず、本題に入る前に、得意技時空の歪みを指摘しておきましょう。
唐沢は主役の二人、ジューン・ロックハートとドン・ポーターがそろって、理想のお母さん女優、お父さん俳優であることを指摘し、
この二人のラブシーンのギコチなさに、ああ、この二人、どちらもその後ロマンチックな役でなく、お父さんお母さん役で人気を得るに至ったのも当然だな、という思いにかられてしまう。二人とも決してダイコンではないのであるが、それ、役者にはニンというものがあるのである。
“ニン”とは「任」と書いて、歌舞伎の言葉、「中村勘太郎の亀姫は任じゃないなあ」なんて使い方をします。つまり、役者が演じる役に合っているかという言葉ですね。ニンというものがあるじゃあ、なんだか分からない。いやそれより何より、二人が理想の父母役を演じる二十年前の映画なんだから、ニンもへったくれもないでしょうっての。若い頃にはぎこちないカップルを演じた俳優が、その後に理想の父母役を演じられるのは、演技力の問題ですね。
さて本題です。
ネタばらしするまでもなく、この映画のメインのプロットには、皆さんお気付きなんじゃないかしら。夜な夜な起こる不気味な殺人、それは呪われた血のせいで、無意識の内に自分が――そう信じたヒロインが徐々に精神を病んでいく。しかし、実際には――というのはよくある話だけど、これは作中人物が作中人物に仕掛けたトリック。そして、タイトルを『謎の狼女』としたのも、ミステリの一つの手法、すなわち「ミスディレクション」なんでありますね。観客はタイトルから推して、呪いによる『謎の狼女』の犯行だと思って見ていたら――というのが真相だった、ああ、すっかり騙されたという仕掛けです。だから、看板に偽りありというか、タイトルにある狼女が×××××、ただの××××のための×××であった、という拍子抜けのオチであるというのは、そのトリックの本質が全く理解できていない上に、あっさりネタばらしまでしているという、二重に馬鹿な文章なのです。
しかも、最後に、引っ張って「勝手に転んで死んでしまっていた」とネタばらしをしたつもりらしいが、これまた間抜けな話、そんなもんはネタバレでもなんでもありません。
そして、本質とは全く関係ないことだが、1945年2月のアメリカのルーズベルト、ソ連のスターリン、イギリスのチャーチル三者によるヤルタ会談から、冷戦は既に始まっています。
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※下の「洲さん」へのコメント。
☓ ノモンハン事変
です。ごめんなさい。
栃尾ジョー
「ミスディレクション」を理解出来ない唐沢なら、殺人ではあったが犯罪ではなかったポーの「モルグ街の殺人」や、
中心となるはずの事件と思ったら全然そんなことはなかった乱歩の「二銭銅貨」も拍子抜けのオチだと言い出すのでしょう。
藤岡真
>栃尾ジョーさん
これで芦辺拓さんのミステリを云々するのですから、図々しいというか、馬鹿には怖いものはないというか。
洲
チャーチルの「鉄のカーテン」発言が46年の3月のことですから
この映画は46年の1月に公開されたものなのですね。
冷戦の突端は朝鮮戦争だと思っていた人間に偉そうなことはいえませんが
なぜ、どうでも良いところで進んで自爆をしたがるのか…。
藤岡真
>洲さん
終戦の翌年。連合国は勝利に酔っていたよい時代だったと書きたかったんでしょうねえ。そんな自爆する必要ないのに。冷戦がなければノモンハン事変も、原爆投下もなかったのかも知れないのに。とにかく、唐沢の一語一句は無知と誤謬に塗れています。
栃尾ジョー
>藤岡真さん
>冷戦がなければノモンハン事変も、
ノモンハン事変じゃなくて、ソ連軍の満州、樺太、千島への侵攻ですよ。
2011-09-16
しくじり行為
1966年、中央公論は『世界の名著』全66巻の、第一回配本フロイト『精神分析学入門』を刊行した。因みに第一回配本はもう一冊有り、ニーチェの『ツァラトゥストラ、悲劇の誕生』だった。話題の全集ということもあり、この2冊はベストセラーになった。世界広しといえども、『ツァラトゥストラ』がベストセラーになった国なんか、日本だけだろうなあ。
因みにツァラトゥストラは拝火教の始祖。世界史では普通「ゾロアスター」と英語表記される。『ゾロアスターはかく語りき』じゃあ、あんまり有難味がない。
閑話休題。←(「それはさておき」と読んでね)
その『精神分析学入門』の中で一番面白かったのは(15歳のおれも買った)、「夢の判断」だったが、分かり易かったのは「しくじり行為」だった。現在、抗精神病薬や認知行動療法の発達で、フロイトが提唱した精神分析学は衰亡の一途をたどっているが、まあ「しくじり行為」くらいなら罪もない。この説を簡潔にまとめているサイトがあるので、引用させてもらう。
物忘れ、言い間違い、書き間違い、或いは行動の間違いなど、一見偶発的な行為において、無意識的には、忘れたり、間違ってしまった方を望んでいることがしばしばある。すなわち、無意識的な力は、正常な日常生活においても、「うっかりしたはずみ」を利用して現れる。無意識の存在と、その広汎な影響力、そして何気ない行為にも十分意味が有り得ることを、フロイトはこの事実から強調した。
例えば「集合場所を間違えてイベントに参加できなかった」のは無意識の内に「参加したくない」と思っていたから、といった理屈である。なんとなく納得できるよね。「死者を追討する」とか。
さて、まめに更新される唐沢のサイトだが、今回は友人の芦辺拓氏の新刊『黄金夢幻城殺人事件』を紹介している。
2009年6月、あぁルナティックシアター本公演『黄金夢幻城殺人事件』は、プロデューサーを務める私の推輓で、本格ミステリ作家・芦辺拓氏に原作をお願いした。芦辺氏なら絶対、こういうことが好きで飛びついてきてくれるはず、というヨミであったが狙いたがわず(笑)、芦辺氏が次々に提示してくれらアイデアはさすが、奇想に満ちていて、“舞台ならでは”のお約束を逆手にとったトリックをふんだんに使ったものだったが、残念ながら小劇場の限界もあり、ボツになったアイデアもいっぱいあった。冒頭の時代劇から幕をあける、というのもそのひとつで、時代劇をやるとなるとカツラから衣装から刀から全てをレンタルせざるを得ず、それだけで公演費用を上回ってしまう。そこで苦肉の策で、少年剣士というのを少年探偵に変えて、探偵と怪人のアクションに変更。半ズボン姿の少年探偵、スバルくんが誕生した。決めゼリフも稽古場でみんなでああでもないこうでもない、とやって、結果、
「僕のコルトが火を吹くぞ!」
に決定。演じた佐藤歩の演技とも相まって、何とかキャラクターとして成立して、ホッとしたものだ。ところが、この、たった数分の出演の少年探偵スバルが、アンケートで大人気を取った。半ズボンキャラの強さ、いや、女性が男性、それも美少年を演じるという、演劇における性の超越性の伝統の強みなのかもしれない。このキャラにもっともハマったのは原作者の芦辺氏その人であり、ついに原作者自ら、スバルを主人公にした作品を書き下ろしてしまった。それがこの『黄金夢幻城殺人事件』。そんな複雑な出自の探偵を主人公にするくらいだから、本作も遊び心に充ち満ちた、いや、ちょっと充ち満ちすぎているんじゃないかと心配になるくらい、さまざまな仕掛けのほどこされた愉快な一冊である。冒頭に(今度こそ)置かれた時代劇や、昭和初期の少年探偵ものを思わせる文体の楽しさ。いや、そればかりではない。木菟蔵、陀羅助などという山賊のネーミングは馬琴の『八犬伝』を思わせるし、怪しげな呪文の中で、イスパニアやボルトガルなどのカタカナ語に傍線が付されているのは明治の翻訳小説調。ここには作者・芦辺拓が、かつて読み耽り、酩酊したであろう小説群が作者の血となり肉となって、再び活字化されて紙上に再現されているのである。いつものことながら芦辺作品は短編集のその収録順序にまでトリックが仕掛けられているので、巻頭から順に読んでいくことをオススメするが、あぁルナ関係者なら待ち切れずに後ろから読んでしまうかもしれない。ラストに置かれた『「黄金夢幻城殺人事件」殺人事件』は、橋沢進一はじめ佐々木輝之、NC赤英、萩原幹大、菊田貴公、大村琴重、そして岡田竜二らルナのメンバー、佐藤歩、中村公平、鈴木希依子、渡辺克己らゲスト陣までが全員本人として登場する、現実とフィクションが交錯する大異色作である。
「ま、時計してないけどね」
のギャグが活字となって残るとは、亡きNCも思いもしなかったことだろう。この本を手にとる人で、ルナティックシアターを実際に知っている人というのは1%にも満たないと思うが、それでも敢てこんなお遊びをやってくださった芦辺さん、そして芦辺さんにここまで遊ばせてくださった原書房には、この芝居のプロデューサーとして深く御礼を申上げなくてはならない。で、感謝の上で、これはプロデューサーとしてではなく、”役者として(かりだされ、ではあったが)舞台に上がった者“のプライドとして、訂正一ヶ所。冒頭で少年探偵スバルを黄金夢幻城へと導くこがね道人の声を演じたのを、作中では橋沢進一と書いてあるが、あれは私がやったんであります(笑)。それにしても、この作品に登場する劇団員のうち、NCは作者あとがきにもあるようにそれからわずか半年ほど後に死去し、萩原幹大、松下あゆみ、吉澤純子もさまざまな事情で劇団を去っている。舞台は一期一会というが、あの時のメンバーは、もう二度と一堂に会することはない。こうやって活字にとどめてくれたことで、その思い出が永久に残ることは返す返すも嬉しいことである。
ありがとうございました。
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分かりもしないくせに、難しい言葉を使って恥を書くというのはいつものパターンだが、プロデューサーを務める私の推輓で、本格ミステリ作家・芦辺拓氏に原作をお願いしたというのもまた、もの凄く無礼な文章だな。推輓というのは「推薦して引き上げる」という意味だぞ。例えば、P&Gがバレて仕事がなくなり、困窮の極みだった唐沢を「と学会」つながりで、皆神龍太郎が公私混同で朝日新聞の自分の担当欄に推輓してやるとか。
こんな書き方では、売れない作家芦辺拓を自分の劇団の座付き作家にして救ってやったみたいじゃないか。
あ。
これって、もしかして「しくじり行為」?
唐沢は本気で売れない作家芦辺拓を自分の劇団の座付き作家にして救ってやったと思っているのではないのか。そう考えると、こういうことが好きで飛びついてきてくれるはず、というヨミであったが狙いたがわず(笑)の(笑)の意味もよく分かる。少年探偵スバルを自著『スコ怖スポット・東京日帰り旅行ガイド』で随分酷い扱いをしていたが、それも、推輓した作家のキャラだと考えての上のことなら納得が行く(理不尽だが)。
さらに、すでに2ちゃんねるでも指摘されているが(後追いばかりでごめんね)、返す返すもという言葉のおかしさの問題だ。
好意的に考えるなら、「返す返す」を「重ね重ね」ととって「その思い出が永久に残ることに返す返す嬉しさを感じる」くらいにしておけば、まあ、意味的にはおかしくはない。しかし、返す返すもと表記した場合、もうこれは「過ぎた事を強く悔やむさま」という意味にしかとれないのだ。恐らく、唐沢は自分がプロデュースした芝居の出演俳優(女優?)が複数去ってしまったことが悔しくて悔しくてたまらないので、「返す返すも残念でならない」と思っているんだろう。これもまた見事な「しくじり行為」であります。
これまでも、唐沢の「ちょっとした言葉遣いの間違い」「漢字表記の間違い」「ミスタッチ」なんかあげ足取りするのは卑劣だのみっともないだのほざいてきた奴がいるが、「ちょっとした間違い」には大きな意味があるんだよ。
もっと勉強しなさい。
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阿ーん
気になる点が一つあるのですが、「スコ怖」の「すばる」がこの舞台の「スバル」ならば、唐沢氏はルナと芦辺拓氏の両方に許可を取ったのかという事です。たとえ1%しか知らなくても、既存のものを使用しているのだから挨拶くらいはすると思うのですが…唐沢氏だからなぁ。
藤岡真
>阿ーんさん
常識的には…そうなんでしょうが、なんか原作は少年剣士だったのに、自分のアイデアで少年探偵にして評判をとったという書き方ですからねえ。
SY1698
この日記については一瞬自分も言及しようかと考えていたのですが(「追討」でもなしにいきなりこれがアップされた理由がよくわからない)、それにしても無礼な文章ですね。芦辺拓氏と喧嘩でもしたのか、もしくは「あぁルナ」との実質的な手切れとか(邪推)。
?
なるほど、唐沢俊一が悪文の中に無意識の本音を白状しているというのには大いに納得がいきます。
まさか小銭をせびっての紹介では…?とハラハラしました。
?
連投すみません。
しくじり行為、といえばこの作者さんはきっと自著に唐沢俊一の名前を書きたくなかったのですね。忌み嫌われてることに気づかず親切に指摘してるあたり唐沢さんは鷹揚で前向きに明るい方なのかもしれないですね。
藤岡真
>SY1698さん
正式な書評じゃないんですから、自分語りしようが勝手ですが、これは酷い。上から目線で手柄話。この文章の無礼さに気がつかない(気がついてる?)のが唐沢の凄いところです。
>?さん
品性下劣なために、なにを書いてもそれが出てしまうんでしょう。これが本心から感謝を示した文章だったとしたら、ホンマのアホです(アホですが)。
栃尾ジョー
>藤岡真さん
>これまでも、唐沢の「ちょっとした言葉遣いの間違い」「漢字表記の間違い」「ミスタッチ」なんかあげ足取りするのは卑劣だのみっともないだのほざいてきた奴がいるが、「ちょっとした間違い」には大きな意味があるんだよ。
東北薬科大学の指導教官もそう思っていたでしょうね。
クスリの効能を間違える、クスリのラベルを読み間違える、それを些細と思う人間が薬剤師になったら大変です。
藤岡真
>栃尾ジョーさん
理系のセンス皆無。青学では全く講義に出ていない。こんなやつが本当に薬大に入学(編入)できたのでしょうか? こっちこそ、詐称のような気がして。
2011-09-13
崩壊寸前
あいかわらず、「わしは止まると死ぬんじゃ」状態でサイトをアップし続けておるな。静観しとこうかとも思ったけどあんまり酷いんで、ちょっとつついておくか。
戦争映画大好きな人たちにとってロバートソンは『魚雷艇109』(1963)でケネディ大統領の若き日を演じた人、あるいは“裏ばなし『史上最大の作戦』”とも言うべき(実際、イリナ・デミック、レッド・バトンズなど『史上〜』と俳優がかなりダブる)『渚のい』(1965)のバクスター軍装を演じた人、であるのだが、SF大好きな人たちにとっては、上記チャーリー、そして『アウターリミッツ』の記念すべき第一話『宇宙人現る』(1963)の主人公を演じた人物、なのである。
「戦争映画大好きな人たち」とか「SF大好きな人たち」とか、どこのお国訛りか知らないが、おれみたいな箱根以北の人間には鳥肌がたつような気味悪い言葉だ。それにしても、『渚のい』たあなんだよ。『ナは渚のナ』なら、ブラッドベリのパチモンだけどさ。『渚のたたかい』だろ。でもって、バクスター軍装を演じたのか。この日記、もはやmixiにもアップしていないのかな。一時はいい目を見させてもらった取り巻きさんたち、一言注意してやったら――凄え嫌がらせで返されそうだな。
なあ、唐沢、「戦争映画大好きな人たち」とって、クリフ・ロバートソンといったら、ロバート・アルドリッチ監督の『燃える戦場』じゃないのかね。この映画のロケ中に、アカデミー賞受賞の報を聞き、共演の高倉健と喜び合ったなんて話があったよなあ。
12日にアップされたこの追討と柳家さん助の追討は、ともに恐ろしくやる気がない。
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※『渚のい』は『渚のたたかい』に訂正されました。サイトの文章を訂正したのは初めてなんじゃないでしょうか。どうせなら「軍装」も直せばいいのに。
阿ーん
>『スパイダーマン』(2002)だったが、ロバートソン演じるベンおじさんは、死ぬ間際に、甥のピーターに、与えられた力の正しい使い方、力を持った者の責任を説いてカッコよく逝く。
えーと、あの場面をどう見たら「カッコよく逝く」なんだ…?
金を強奪した人間に、行き当たりばったりで殺されたのがカッコイイのか?
「まごごろを君に」に対しても、あきらかに「エヴァ」からの後での言いがかりの臭いがプンプンしてるし「軍曹」すら正しく打てない人間に語る資格なしです。小学生ならしょうがないけど。
削除されたエントリー見てないので、再アップ楽しみにしています。
?
こんな小学生いたらきっと中学進学出来ないですよ。
書く必要が無く、書けばこうして間違いを指摘され、書き手の浅薄さを笑われるというのに、それでも書き続ける「理由」に興味があります。
藤岡真
>阿ーんさん
>30年ほど前、SFファンたちが集ると3回に1回くらいの割合で
>出るのが
>「しかし『まごころを君に』ってダサいタイトルだよなあ」
>という話題だった。
『まごころを君に』は1968年の映画。30年前は1981年、そのころ13年前の映画の邦題が、そんなに話題になったんですかね。柳家さん助の追討だと、30年前は末広亭に入り浸りだったとか。なんで、30年前なんだろう。
>?さん
能力もないけど、書かないで済めば書きたくないくらい、唐沢は執筆が嫌いなんだそうです。でも、他にはなにも出来ないし、追討記事が溜まれば、本に出来ると思ってるんでしょう。
西川P太郎
さきほど、氏のHPを見たんですが、
>『渚のい』(1965)のバクスター軍装
が、
>『渚のたたかい』(1965)のバクスター軍装
に修整されていました。
なのに、
>軍装
のまま。
とほほです。
なんか、トンデモというより、トホホの世界です。
かなしぃなぁ、かつての愛読者としては。
藤岡真
>西川P太郎さん
『渚のい』はあまりといえばあまりな間違い。直さざるを得なかったのでしょう。でも「軍装」まで直すと、ここで指摘されたからと言われそうなんでわざと直さないってことなんでしょうね。まあ、間違いの一つや二つ、P&Gの達人ですから。
西川P太郎
>でも「軍装」まで直すと、ここで指摘されたからと言われそうなんでわざと直さないってことなんでしょうね。
だといいんですが。
純粋に、○ケが進んでいたとしたら、、、、、
悲しいです。
藤岡真
>西川P太郎さん
「軍装」を直したら「チャーリー」も「チャーリイ」に直さなければならないし、そうしたら他のエントリもとなって、きりがなくなるからなのでは。『渚のい』は酷すぎるんで…。
西川P太郎
なるほど、そうですね。
そう考えれば、筋が通ります。
今までのなさり方から危惧しておりましたが、
まだそれだけ知恵が回っていることを期待しています。
藤岡真
>西川P太郎さん
まあ、そんなところを取り繕って済む問題ではないんですけどね。
ラーオ
>「まごころを君に」
20年くらい前というなら1989年に「アルジャーノンに花束を」の改訂版が出ていますから、そのときに映画も注目したというのはありましたけど30年ほど前というんですからなんでしょうか…。
それにしても、このときのカバーイラストを担当したのが大矢ちき(「おおやちき」名義だったかも)で、少女漫画を語るとき彼女抜きにはできないほどの存在なんですけどテンテーはもちろん知っておいでですよね…ええ、たぶん。
藤岡真
>ラーオさん
最初は10歳の時(1968年)に「ださい邦題だな」とあきれた話にしてたんだけど、「ださい」という言葉がいつごろから使われ始めたかが分からない(最も早い説でも70年代に入ってから)ので、30年前にしたのでは。原作は間違いなく読んでいないでしょう。唐沢はあんなに字がいっぱい書いてある本は読めませんから。

検証班さんところでも紹介されていますがジョブズさんにしても兄弟でえらく違っているのが・・・
こうもてきぱきと追討を出すところ見ると、世間に名を残した人早く死ねと願っているんでしょうか、唐沢(兄)は。
自分はまだ生きて居るんだぞ、貴様には勝ったんだとアピールしているのでしょうか??
それとも、自分ももうすぐあの世にいくから焦っているのか?
故人を悼む気がないのに、しかも仕事として頼まれたわけでなく文章を書き散らしていくのはもう止めにして欲しいです。
当人にとってはこれが生きている証かもしれませんが。
ジョブズのこともMacのことも、何も知らず思い入れもない…ということは指摘され尽くされきたので、もう、そこを突っ込むのはやめました。ネットの皆さんも、もう、呆れて放棄したと思います。
僕はマックには縁遠いのですが、偉大なピクサーの創始者の一人としての個人に哀悼の意を表したいと思います。
>以後、唐沢の追討記事を検証することもおしまいにする。
藤岡さんも、検証班さん同様に唐沢検証の終局に近づいておられるのでしょうか?
唐沢に対する、見事な論破が後少しかと思うと、少し寂しいです。
故人です。
すいません。
批判されても馬鹿にされても、無視されるよりはずっとマシだ。というのが唐沢のスタンスです。コピペで追討すりゃあ突っ込まれるだろう。ほら釣れた。馬鹿が喜ぶだけの検証は時間の無駄だと思います。この期に及んでなお「唐沢先生の本は面白い」なんて言ってるのは真性の馬鹿ですし。まあ、馬鹿なP&Gと馬鹿なファンは、仲良く肥溜めの中でつるんでいれば良かろうかと。
故人を悼む気持ちについてこれ以上の言葉はないと思いました。同時に、唐沢俊一に読ませても真意は届かないだろうとも。
検証班さんの検証が終焉し、藤岡さんの突っ込みもなしとなればネットの片隅でぶつぶつくだらない文句を吐き出すだけの人になるのでしょけれど。
でも本当の終わりは2chスレが無くなり、一行さんの検証も無くなったときでしょうか。
それにしても、文章を書くのが嫌いならもう一文字も書かなければいいのに。だらだらと駄文を垂れ流しているところに嫌らしい自己顕示欲が垣間見えて本当に気持ち悪いです。この気持ち悪いのを読んでの検証作業、頭が下がります。ありがとうございました。
私も以前からにしむらさんと同様のことを思っていたクチです。
用いる労力ほどに報われない、馬鹿の「追討」の検証の苦労には心よりお見舞いを申し上げます。
理想を言えば、「せーの」であらゆる検証サイトが終了することでしょうね。忘れられることが唐沢には一番応えるはず。
>Sawaharaさん
相手は死んでいるのだから、追討し放題ってことですかね。だったら、死亡記事を片端から検証するんじゃなくて、歴史上の偉人を追討すりゃあいいと思うんですがねえ。唐沢の文章の検証は便所の検証みたいです。「ウンコがはみ出している」「流し忘れ」「紙が切れてる」。気持ちが悪くなってきます。
だから「と学会」の平会員に降格するか、脱退してくれればそれでいいと思うのです。
藤岡さんの今までの検証は、書籍という形で残ることを希望します。
自分は「林檎」には「宗教」的な側面があることのみを書いたので、それを指摘する資格があるかわかりませんが、唐沢俊一の「肉を食べなかった男」というタイトルと、「ビーガンの人生を選んだ(それが本当に氏にとって致命な習慣であったとして)」という表現には、ベジタリアンを腐したいという意図がありありです。「次の転生まで」というのにもかなりの悪意を感じました。
とはいえ、唐沢俊一の「亡父を素で追討する」裏モノ日記を拝読されたら、それ以上の検証をする気も失せます...。(素でこういうことを書ける人間なのだと気づいたら、あげつらう価値すらないではないですか)
唐沢俊一は、現在、本来の「と学会」の活動(その是非はともかく)は全くやっていません。だから、「と学会員」の看板は下ろすべきでしょう。しかし、その看板自体すでに錆び付いて、全く儲けに結びつかないものになっていますが。
>SY1698さん
馬鹿なくせに生意気な子供が、知ったかぶりしている。ついに、それを越えることが出来なかった人間なんでしょう。「大人」としての行動も思考も感情も能力も全く持ち合わせていない人間ですから。
唐沢さんのかつての知人の中にはベジタリアンの人がいまして、その人を唐沢さんが嫌っていたことは、少なくとも共通の知人であれば薄々感じていたことだと思います。今回の追悼文にもその影響があるかと。
現在もベジタリアンであるその人は、唐沢さんから悪意をぶつけられているように見えることも何度かありましたが、一切やり返すことなく、現在は仕事も好調、連載をいくつも持ち、家族にも人間関係にも恵まれているので、神様っているのかもしれないとつくづく思います。
今回の追悼文で唐沢さんは相当数のマックユーザーを敵に回したと思いますが、追悼文を利用して悪意をぶつけた、その対象であるかもしれないその人は、おそらく当の追悼を読んでもいないでしょう。
こういうことを繰り返して、いらざる敵を増やしてきたのかもしれないな、と思いました。
今回の追討は検証にも値しない紙くずです。ベジタリアンについても、スティーヴ・ジョブズについても、浅薄な知識しか持ち合わせていないのが丸分かりです。しかし、こう毎回毎回酷いと、指摘する気も萎えてしまいます。いくらなんでもねえ。
追討記事は、「イベント」なんですよね。
本来の英語の用法とも思えないんです。
英語のeventなら出来事ということですから、まぁ分からなくもない(とはいえ妥当とも思えませんが)、
だけど、日本語の「イベント」っていうのは、弔事ではなく、慶事ですよね。
なんか、その辺りからして、非常に不敬といいますか、なんといいましょうか。
というか、あの文章をまとめて出版しようとご本人が思うのは良い事ですが、
それを出版できると思っている編集者と出版社があるのかと思うと。
なんともはや、です。
散々言われてきたことですが、唐沢には自分で日記をアップする能力がありません(mixiの日記を業者に依頼してアップしています)。そのくらい、ネットやサイトに疎い人間ですから、新たな追討のページを作る程度のことも出来ないんでしょう。いや、普通なら業者に頼むはずですがね。しかし、そんな奴がMacで何してたんだろう。
追討本はこれまでは同人誌(『Bの墓碑銘』)として通販(&コミケで販売)してきましたが、今回は一般書のように予告していましたが、出る様子はありませんね。