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藤岡真blog

2010-07-18

唐沢なをきの時空超越

10:27

 学生が、そろって300,000円の買い物をする不思議

 昨日のエントリで、唐沢俊一の優雅な学生生活について書いたが、そのコメント欄で、KAGE さんが、からまんblogなをきよしこの記事を紹介してくれている。ちょっと気になる内容なので引用させていただく。

 からまんblog「なをさんのオタク性の核の一部」(よしこ)

  なをさん、高校生のころにソニーの家庭用ビデオデッキの広告を見て、

「これがあれば、カセットテープで録るテレビの音だけじゃなくて、絵も残して何度も見れる!」

 と、一目で買う決意をし、ビデオデッキ用貯金を始めたんだそうです。そのお金を貯めるために、ダンボールで専用貯金箱まで作ったそうだ(笑)。

 で、なをさんは節約してコツコツとお小遣いを貯め始めるわけでありますが……。

東京に出てきてからやっとデッキのお金が貯まったんだよ! 大学の1年目か2年目だなー」

 また、大学とか言ってる! なをさんが行ってたのは大学じゃなくて美術系の専門学校なんすが、その学校は変則的で3年制だったんすよ。それで家族がみんな大学、大学と呼んでたので、なをさんも大学とかよく言ってんすよね。最初、見栄はってんのかと思った。もしなをさんが会話中で「大学」って言ってたら、それは専門学校のことなんで脳内変換してやってくださいね。そういや変則的というと、オイラが行ってた専門学校も、半年ごとに進級試験があって、落第すると卒業が半年延びるというイヤな学校だったな。

 がそれたが、ともかく、30万貯めたなをさんはダンボールの貯金箱を持って新宿のさくらやに行って、ベータビデオのJ9を購入。配送してもらえばいいのに、わざわざ東中野の下宿まで電車で持ち帰ったんだそうです(笑)。

「だって、その夜、日曜洋画劇場で日本で初めて『サイレントランニング』を放送するっていうからさ! 配送とか待ってられなかったんだよ。J9は20kg くらいあって重かったけど、どうしても録画したかったんだよ!

 うーん。いい話だなあ。なをさんが大学(専門学校)に入学したのは1980年4月、1年か2年というと、厳密には1980年4月〜1982年3月ということになる。ここで注目したいのは、東中野の下宿」である。唐沢兄弟は阿佐ヶ谷の下宿で共同生活をしていたが、1981年2月〜4月に唐沢俊一は、阿佐ヶ谷の下宿から新宿区へ引っ越し、共同生活は終了したと考えていいだろう。つまり、なをさんがJ9を購入したのは、これ以降、1981年2月〜1982年3月。

 ところがである。日本で初めて『サイレントランニング』が日曜洋画劇場で放送されたのは、1979年のことなんである。

 うーん。なをさんの書き込みも見てみるか。

「家庭用ビデオデッキ、買う!絶対買う!!」と心に決めて、高校2年の頃から貯金してやっと買えたのが…上京して1年目だったか2年目だったか。

ベータマックスJ9。

昨日、奥さんがブログにその辺のこと書いたの、ボーっと読んでたら懐かしくって、棚の奥に押し込まれてたビデオテープ引っ張りだしてみました。

生まれて初めて録画したテレビ番組は日曜洋画劇場の『サイレントランニング』だったんですが。

これ、みなさん経験あると思いますけど……当時は録画用のテープが高価だったんで、うしろの余った部分がもったいなくって、いろいろ細かい番組、録りまくってるんですねー。

『サイレント〜』のうしろには、NHKでやった『林家彦六ショー』なんか録ってる。彦六師匠のステテコ踊りが入ってるはずだ、これ。未来少年コナン(再放送)のうしろに「お笑いスター誕生」が。『デスレース2000年』のうしろには『今夜は最高!』の藤村有弘の回が。そのうしろに『闘魂!アントニオ猪木の名勝負人生』なんてのが入ってるし。なんだ、名勝負人生って。

 写真上左をクリックすると拡大されるので確認出来るが、確かに『サイレントランニング』と書かれている。しかし、1979年にオンエアされた番組を、1980年に発売されたデッキで収録することは不可能だ。

 不可解。

 ところで、昨日も触れた唐沢兄の言葉。

唐沢●あの頃、新宿に住友ビルか三井ビルの地下に輸入ビデオ屋さんがあったんです。 でも、見るだけ。デッキを持ってないから。で、スターウォーズ』のありとあらゆるものを買い集めることに狂った時期があったんですよ。そんときに弟と話したのは、 「ビデオを手にいれたらグッズ集めるのは止めような」って。

志水●まさか、あんなに何種類も同じ映画のビデオが出ようとは(笑)。

唐沢●それでなんとかビデオを手に入れたんだけど、それを見るにはビデオデッキを買わなきゃならないわけですよね。さんざん苦労して買いましたですよ。ソニーJ9!  ベータですね。

 唐沢兄弟はスターウォーズ』のありとあらゆるものを買い集めることに狂った時期があったのかね。昨日も書いたけど、おれが当時手に入れたβ版『スターウォーズ』輸入版・字幕無しは45,000円だった。この兄弟は学生の分際で、そんなものを狂ったように買い漁り、兄弟そろって300,000円のビデオデッキを手に入れたのか。一体、どのくらい仕送りしてもらってたんだろうね。そして、

昔、阿佐ヶ谷に住んでいたんですよ。新宿のヨドバシとかサクラヤで買えばいいのにね、秋葉原の方が安いっていうんで、秋葉原まで行って、担いで帰ってきたんですよ。 翌日、無茶苦茶筋肉痛になりましたけどね。

 兄弟そろって、同じことをしたというのかね。

 不可解。

 

猫遊軒猫八猫遊軒猫八 2010/07/18 11:11 専門学校を大学と呼んでいたとう唐沢家の内情が垣間見えて興味深いですね。

藤岡真藤岡真 2010/07/18 11:31 >猫遊軒猫八さん
 それを、しれっと書くよしこさんもイイですね。

トンデモブラウトンデモブラウ 2010/07/18 13:06 「日本で初めて放映」の部分が誤りなんでしょう。
記憶違いですね、きっと。
日本で初めて放映されて時に観て、これは録っておかないとと思ったんでしょう。
だってテープも高価だし。

で、おっさんの方が記憶障害というのを差し引いても、弟のパクリでしょうね。
なんでそんなすぐにバレる嘘を…
病的すぐる。

金平糖金平糖 2010/07/18 14:09 専門学校を大学と呼ぶ件に関しては
確認したわけではないですが、「準学士」が取得できる専門学校だったのではないかと思います。
短大卒の資格が得られると言うことで選択したのであれば
専門学校を大学と呼ぶのはまあ、わからなくもないかなと
「職業能力開発短期大学校」とかなら普通に「大学」と呼びますしね。

私の周りでも「準学士」の資格がある、「専門学校」を卒業したと言うと
うそをついている、経歴査証をしていると勘違いされるため
説明するのが面倒になって「大学」と言うようになった人がいます。
まあ、基本的には「学校」とだけ言って「専門学校」と言わないようにしてるようですが
「準学士」の扱いが微妙すぎるのが問題なんだと思います。

まあ、ただの推測ですが
あと家族が「大学」と呼ぶのは贔屓目というかよく見せたいというか
問題あるきもしますけどね。

SawaharaSawahara 2010/07/18 14:58 やっぱり新宿で買ったんですな。阿佐ヶ谷乃至東中野から買いに出るならそうだろうよ。
ほんとに大丈夫か? 俊一。

KAGEKAGE 2010/07/18 15:17 うーん、なをさんのは年月を勘違いしてるのか、やはりトンデモブラウさん指摘の通り、「日本で初めて放映」を間違って覚えてるのか。どっちにしろいつかはともかく、お小遣い貯めてやっと買って嬉しかったのは事実なんでしょう。
デッキ大事に取ってあるくらいですもん、思い入れが本物だとは思います。
一方、兄は小遣い貯めたのかバイトしたのかよくわからないけど(どっちも無いでしょうが)、「苦労した」とだけ。そしてなをさんは「サイレントランニングが録画したかったから持ち帰った」、兄は何のために担いで帰って行ったの?
お兄さんも当事のデッキとかテープとか写真載せたり、初めて録画した番組とか書けばいいのに。
おかげで兄の方に不可解さがどうしても増す訳で。

藤岡真藤岡真 2010/07/18 16:31 >トンデモブラウさん
 収録したテープが残っているのですから、『サイレントランニング』を録ったのは間違いない。となれば日本最初のオンエアではなかったのでしょうね。日曜洋画では再放送されていないでしょうし、淀川長治が出ているか否かで分かりそうなもんなんですが。

>金平糖さん
 多摩美大の専門学校ですから、昔でいう「専門部」みたいなもんでしょう。早稲田卒という知名人の多くは「専門部」卒だったことを考えたら、とやかくいうことでもないと思います。手塚治虫の阪大医学部卒みたいなもんで。

>Sawaharaさん
>新宿のヨドバシとかサクラヤで買えばいいのに
 なんてわざわざ書いて、上手い嘘をついた気になっている、馬鹿です。
 

>KAGE さん
 唐沢俊一の駄目駄目なところは、本当であれ嘘であれ、具体的な感動が描けないというところでしょうね。消防のころ作文の成績は最低で、でも教師の指導なんか聞きもしなかったんだと思います。

ertitertit 2010/07/18 19:16 ぐぐってたらこんなサイトがありました。

http://www.geocities.jp/dayfornight0418/toybox/unknown/unknown81.html
>サイレント・ランニング Silent Running
>(1972年・アメリカ)
>監督:ダグラス・トランブル
>出演:ブルース・ダーン、クリフ・ポッツ
>テレビ朝日 1981年4月11日

当時何度くらい放映されてたのか分からないので他にもあるのかもしれませんが
時期は一致しますね。

ハヤタ隊員ハヤタ隊員 2010/07/18 19:55 ertitさんに先に見つけられてしまった!

林家彦六ショーは1981年4月29日だそうなんで、時期的にはぴったりですね。

O.L.H.O.L.H. 2010/07/18 20:11  なをさんがかつて東中野に住んでいて、そして自身は現在新中野在住、それでいて中野富士見町を「ベッドタウン」と言ってしまう俊一の地理の疎さ、言葉の知らなさにも軽くめまいがしました。
http://www.tobunken.com/diary/diary20090507113940.html

KoichiYasuokaKoichiYasuoka 2010/07/18 21:50 私が縮刷版をチェックしてる間にertitさんが見つけてるー。『サイレント・ランニング』ですけど、1979年5月13日(日)21:00テレビ朝日系列の日曜洋画劇場で放送されたあと、1981年4月11日(土)24:00テレビ朝日の深夜映画枠で再放送されたみたいです。再放送があるのを知って、土曜の昼にビデオデッキを買いに出かけたんでしょうかね。

藤岡真藤岡真 2010/07/18 22:08 >ertitさん
 1981年4月11日は土曜日なので、なをさんの勘違いかしら。でも時系列的には合っていますね。

藤岡真藤岡真 2010/07/18 22:09 >ハヤタ隊員さん
 林家彦六ショーのオンエア年月日が分かったので、信憑性が増しますね。

藤岡真藤岡真 2010/07/18 22:11 >O.L.H.さん
 いつまでたっても、オノボリさん。

藤岡真藤岡真 2010/07/18 22:13 >KoichiYasuoka さん
 皆様のご協力で、日時が特定できました。これで、唐沢兄の阿佐ヶ谷・秋葉原買い物記は、なをさんからのパクリとして認定していいと思います。

topiesotopieso 2010/07/18 22:53 僕は77年に東京に出てきたのですが、すぐ秋葉原に行って14型TV買って持って帰りましたよ。重かった。その頃まだ新宿にカメラ系量販店は進出してなくて、有名だったのは安売りの「城南電気」。現金をいつも鞄に詰めて商売する名物爺さんが社長でした(何回か襲われたらしい)。

汁恭子汁恭子 2010/07/18 22:53 唐沢って片足が不自由なはずなのに「ビデオデッキを担いで帰ってきた」と書ける所がスゴいです。
あと思い出したことですが以前山形浩生裁判の話に出ていた『オルタカルチャー日本版』の編集長、上田高史って元『宝島30』の編集長で
(休刊後メディアワークスに移籍。現在は「橘玲」の名で金儲けの本を執筆)
90年代の別冊宝島で唐沢が文章を書いてた本の奥付を見ると上田の名前があることが多い、つまり
唐沢のあの文は無関係を装った身内の援護射撃の可能性が高いわけです。
当時の『宝島30』って唐沢や山形のように実績もないのに自分は勝ち組みたいなことを言いたがる人間を好んで使ってましたね。
ホモが好きだったんでしょうか。(決め付けはいかんよ。決め付けは)

altnkaltnk 2010/07/18 23:11 "日本で初めて『サイレントランニング』を放送する"っていうのがよしこさんの伝聞ですから割り引いても、"サイレント-"を録画する為に背負って帰ったというのがリアルですね。わたしも裏ビあわわ。

藤岡真藤岡真 2010/07/19 06:41 >topiesoさん
>「城南電気」
 ランボルギーニに乗ってましたね。浜ちゃんにいじられまっくっていました。

>汁恭子さん
>実績もないのに自分は勝ち組

 民事で敗訴して、謝罪文を掲載させられたところも同じです。

>altnkさん
 なんとなく全体が見えてきたので、もう一回整理してみます。
>裏ビデオ
 ビデオデッキの普及は裏ビデオが大分貢献したとか。『洗濯屋ケンちゃん』という大ヒット作もありました。