毅然たる創価の女性の怒り


いついつも、創価の母たちは、紛然たる「三障四魔」の来襲も、陰険な「三類の強敵」の迫害も、皆「風の前の塵」と振り払って、正しき師弟の大道を真っ直ぐに歩みぬいてこられた。
昭和32年の7。「大阪事件」のあの時、獄中の私の無事を祈り続けてくれた“常勝関西の母”は誓った。
「戦いは、絶対に勝たな、あきまへん。断じて負けたらあかん。と。
昭和45年。会長就任10周年のあの時、四面楚歌のごとき非中傷の烈風の中で、ある母は毅然として言った。
「御書の仰せの通りに生きるならば、があるのは当然です」と。
さらに嵐の昭和54年。
第3代会長を辞任したあの時、老いたる四国の母は、「悔しい。悔しい」と訴えながら、遺言のごとく家族に語った。
「正義は、必ずはっきりしますよ。大聖人の時代でも、反逆の五老僧が出たじゃないか。それに踊らされるのは、信がないんだよ」
臆病な幹部たちが、反逆者の謀略に惑わされ、学会精神を失っていったあの時――。
私の姿を見つけ、誰憚ることなく「先生!先生!」とを上げて、涙を流して駆け寄ってこられたのは、幼子を連れた、いじらしい大東京の母たちであった。
こうした正義の女たちの、怒りの叫びは、枚挙に暇がない。
創価の師弟の勝利は、婦人部の勝利なのだ。
だらしない幹部たちは、戦う師匠を護らなかった。ヤキモチ焼きの男幹部たちの、あまりにも情けない姿を、婦人部、女子部の方々は、今でも笑っている。
私たちは、広宣流布をしているのだ。師弟が一体になって進まなければ、日蓮大聖人に申しわけない。学会は師弟が大事である。どんなことがあっても師匠を守る――牧口先生戸田先生、そして私は、そうやって広布に生きてきた。
この広布の大道を教える人がいなくなれば、次の世代の学会はめちゃくちゃになる。私はそれが配である。
戸田先生牧口先生の遺志の実現のため、私と妻は命をかけて、真っ直ぐに進んできた。一番正しい道であったと確信する。それゆえに一番、大変な迫害にも遭った。
私は、「師匠が迫害されて何もできない弟子など、いないほうがいい」とって戦ってきた。
戸田先生は私と妻に、お前たち二人がいるから、私はどれだけ非されても安だよ、と言ってくださった。
師のおかげで偉くなりながら、師を護らない。かえって、師を左右し、陥れようとする。そうした所は、三代の師弟が積み重ねてきた行動の正反対である。皆さんは、絶対にそうなってはならない。

【婦人部最高協議会 2008-3-7付 聖教新聞


師弟を生命に刻め!深く強く刻み込め!

私の使命は、今いる場所で、最高の組織を築き上げることだ。
臆することなく前進していきたい。