まず自分自身が成長


 ひとくちに「対話」といっても、この言葉の中には、指導という味も、訓練、教授、養護ということも含まれています。信の経歴等から、そこの先輩、後輩という関係があるのは当然ですか、あくまでも、私達は、御本尊のもとに平等であるという自覚に立って、一人一人と対等に通ずるわけです。
 したがって、幹部は、どんなことでも聞き、話し、また教えてあげなくてはならない。この場合、自分は役職が上で、相手は下だなどという考えが微塵もあってはなりません。
 それどころか、、まず自分自身が、相手より余計に題目を上げ、御書を読み、機関誌を読んでいく求道が大切となってくる。
日に日に成長している人は、いろいろな人との対話や座談会を通して、随分、自分のわからない質問や批判に接し、そのつど真剣に題目を唱え、御書を読み、先輩に聞いて進歩しております。

【在京大ブロック長会 1968-4-20 信濃町・東京文化会館


成長ってなんでしょう。
人間的成長とは、自由に責任を持つということではないかと考えます。
軍国主義の時代、もっとも不自由をかせられ、投獄の憂き目を見た先人の方々は、そんな中でという自由を勝ち取っていかれました。
共産的なであれ、その他のであれ、囚われの身でありながら、最後まで戦われた方々は(哲学)の自由を勝ち取った勇者であるといます。
わが創価の師匠たる初代、第二代会長。
牧口先生は牢死、戸田先生は生きながら牢獄を出られたものの、極度の栄養失調と事の破綻という現実に直面されました。

師の危機的状況を全魂をこめ我が身を犠牲にし、無実の罪を一身にかぶられたのが、池田先生なのです。
あるメンバーは学び実践していくしかない。


創価の哲学は「師弟」が根本なのです。
昔も今も池田先生は身をもって、そのことを示されています。
哲学不在の世の中。
一歩でも師のに続くことのできる自分でありたい。
組織の奴隷になることなかれです。
信仰を根本に、自立の信仰者であれ!


どんなことでも言い合える組織構築に全力をそそいでいこう。
創価の先輩方々に、学ぶべし、続くべし。
創価指導主義者であれ!
師弟不二に連なる自覚を持て!