プーチンの評価

ぼく自身の、プーチンに対する評価が最も高かったのは2001年頃だ。

理由は主に二つある。一つは、チェチェン人たちの間に、武士道に近い「自らの敵を敬う」という文化があり、彼らの態度に影響されたこと。彼は彼の、おそらく私たちとは全く異なったモラル体系の中で、つまり、КГБという自由世界とは正反対の場所にある職場環境の中で培った自らの信念に基づいて仕事をしているのではないかと想像していた。

もう一つは、2000年に大統領選挙に初当選したばかりの頃のプーチンが口にしていた言葉が、「民主主義とは、法による独裁である」というもので、即ち、法の支配をロシアにもたらそうという努力をしているようすが見えたこと。

法の支配については、次第に、プーチン自身に本当はそんな意志が全くなかったであろうことが明らかになっていった。それを暴いたのは、ネムツォフであり、ナワリヌィだった。

プーチンは身内をして陽に陰に蓄財させており、地球上で最も資産の多い人間であることが今では明らかになっている。

プーチンにへつらうものはいかなる犯罪を犯そうと処罰されず、逆らうものはいかになにごともなく暮らそうと犯罪の汚名を着せられ、投獄されることが今では明らかになっている。

投獄ならまだマシというべきで、これまでどれほどの義人たちが暗殺されてきたことか。

前者の、「プーチンКГБなりにがんばってきた」的な想像は、いろいろ事実が明らかになるにつれ、変わっていった。

プーチン東ドイツКГБ職員としてのキャリアを積んだわけだが、はっきりいうとなんの修羅場も経験した形跡がない。その後、サンクトペテルブルクで公務員として働いたわけだが、КГБ時代のスキルとコネをいかしてサプチャーク市長の汚職を隠滅したぐらいが功績のようだ。そもそも、プーチンが下積みを経験した頃のКГБはすでに「落ち目」で、いかに不正をやって蓄財するか、不正蓄財する上司に取り入るかが出世の鍵という社会だ。つまり、プーチンは「汚職組織の申し子」というべき人間で、そもそも「法の支配」などというものとは根本的に相容れない。

そもそも、彼の顔や物腰を見れば、ジャイアンタイプでものび太くんタイプでも、もちろん出来杉くんタイプでもなく、明らかにスネ夫タイプではないか。

へつらい続けて出世して、最後にへつらったのがあのエリツィンだった、というだけの男なのだ。

頭のできについては、早いうちからプーチンが実はアホの子であることは分かっていた。それは彼の経済政策のひどさからだ。

ロシア、というか、ソ連は、自力で車も電車も飛行機も宇宙船も作れる技術大国であった。ただし、せっかく作ったハイテク製品を、西側世界に全く売ることができないというのが問題だった。

実用性はあるが、快適な使い勝手がないし、デザインが武骨である。ラストワンマイルの至らなさのせいで、世界の経済大国と肩を並べることができなかった。

そうであれば、プーチンが大統領に就任したとき、彼の使命は明らかであった。ゴルバチョフエリツィンが着手しながら未完に終わった仕事。つまり、西側に売れる製品を作れる国になること、だったのだ。

中国はそれを実現した。今や中国は世界の工場であるばかりでなく、世界の頭脳だ。中国がなければ世界はiPhoneも車も作れない。

なぜ、中国にできたことが、中国よりもポテンシャルの大きいはずのロシアにできなかったのか?

ひとえに、プーチンが頭悪すぎたからに尽きるのだ。

プーチンはロシアを、ソ連時代以上に、自力で何も作り出せない、資源だけに頼るモノカルチャー国家にしてしまった。

ロシアが世界に売るものは、石油、ガス、石炭、兵器、売春婦、麻薬、以上である。

そして、今回のウクライナ侵略で、彼が経済の頭がないだけでなく、КГБエージェントとして肝心の軍事についてもまた全くの無能であることが世界中に知れ渡ることとなった。

 

 

 

 

 

 

若者は海外に出た方がよい

専修大学武田徹先生のゼミに呼んでいただいて、学生たちとお話しする機会をいただいた。大学に呼ばれて講義する機会はたまにあるのだが、今日は講義のあとでお茶をいただきながら雑談していて、はっとしたことがあった。

みなさん、海外旅行をしたことがないし、海外に行こうと考えてみたこともないというのだ。数年前、コロナ禍以前であれば、学生たちは全体に貧しくなったり、海外旅行ブームが去ったとはいえ、ささやかな形でも、卒業前に海外に貧乏旅行を体験することぐらいは特別なことではなかったと思う。

福沢諭吉は25歳の時から三度の海外渡航を体験し、それによって視野を広げることに成功しているし、坂本龍馬もそうだ。新島襄にいたっては密出国で渡米している。

ぼく自身が学生だった1990年代は、高度経済成長が終わり、バブル経済の果てに日本が零落へ向かう直前の情勢だった。そんなタイミングであっても、海外を観ることの意義は大きかったと思う。

今は、本来、当時とは比べものにならぬくらいに、海外の実相を、観て、体験して、知っておくことが大事な時代ではないかと思う。なにしろ、日本は30年間まるで発展できておらず、その間、欧米も、アジアも、世界のほとんどの地域も大成長を遂げたのだ。私たちは取り残されてしまった。日本よりも海外の方が進んでいるときこそ、福沢や坂本や新島がそうしたように、進んだ世界の姿を目に焼き付けて、自分たちの現在位置と進むべき方角を確認する意味は大きい。

それがどうやら、コロナ対応のための鎖国体制と、その後の空前の円安や、経済の低迷によって、若者たちにとっては海外旅行とはよその世界の物語のように聞こえるようなのだ。

気の毒すぎる。そして私たち全体にとって大変な不利益だ。なんとかならないものか。

「月刊ムー」に売り込むネタ

1999年7の月、恐怖の大王、空より来たる

アンゴルモアの大王を復活し

マルスの前後に首尾よく支配するために。

 

1999年8月、プーチンは首相代行となってロシアの実権を握りました。

彼はかつてのモンゴル帝国の領土、すなわちユーラシアを支配したソ連を復活させんとし、軍事力、警察力、諜報機関(軍神マルス)を用いて首尾よく支配しようとします。

 

いける?どう?

メモ

アフガニスタン侵攻ではソ連兵死者1.4万人に対してムジャヒディン死者6.1万人。侵攻された側が4.3倍殺されている。
チェチェン戦争ではロシア兵:チェチェン独立派の死者数は1.3万人:3.1万人と2.3倍。
今時ウクライナ侵略ではロシア兵:ウクライナ兵の死者はどうやら約4:1で逆。侵攻側がボコボコにやられている。

カサンドラ

ギリシャ神話のトロイの王女カサンドラの逸話そのものだと感じる。ぼくも、他のチェチェンをみた誰もが知っていた。こうなることを予期していた。

「これこそプーチンのやり方だ。議会の証言で上院議員から "ヴラド・ピューティン "についてどう思うかと聞かれたことがあります。私は、彼は冷酷な殺人者であり、彼が権力の座に長くとどまればとどまるほど、世界にとってより危険な存在になるだろうと答えました。上院議員はにやにや笑って、私の意見は「過激すぎる」と言った。2007年のことです」

Voice of Americaのチェルケス人記者ファティマ・ティルスさんのTwitterより

しかし、誰も信じてくれなかった。知っていたのだから食い止められたはずだと悔いるばかりで、結局食い止められなかった。

蛮行はこれからも続く。プーチンが死ぬまで。

運命

2019年2月に旅券を馬鹿外務省に奪われて、どこにも行けなくなったと思ったら、コロナ禍でみんなが同じ状況に陥ったんだよな。それから、2000年代にプーチンに敵視されるようになって、やつが生きてる限りロシアを再訪できなくなったなあと思ってたら、自由世界のみんながたぶんプーチンをぶっ殺すまで行けなくなった。
もともと、プーチンより長生きすればいいだけのことだと思っていたんだけど、すぐにぶっ殺されてロシア世界(ルスキーミール)は根本的に変わるだろう。
馬鹿外務省の命運ももうすぐ尽きる。どちらにせよ、オレさまの天下がやってくるのだ。ざまあみやがれい。

プーチンの弱点

プーチンは虚偽と暴力とテロのプロだが、弱点がある。

彼には経済が分からない。

プーチンがロシアの実権を握ってから23年になる。23年もの時間があったにも関わらず、プーチンはロシアに経済的な基礎体力を付けさせるという仕事を一切してこなかった。

ロシアは、たまたま原油天然ガスが高値のときだけ経済成長し、それがなくなれば歯止めもなく転落してゆく。サウジやイラン以下のモノカルチャー経済で成り立っている。人口は1億4千万もいながら、経済規模は韓国よりも小さく、民衆は貧しい。

一方の中国は、世界の工場であり、世界第二位の経済大国であり、世界のどの国も中国なしにやってゆくことが難しい。

プーチンが権力を握る前、中国はロシアのコピー製品の軍需品を作っているだけの力のない国だった。共産主義体制を続けて来た二つの国は、この23年間で全く別の道を辿った。

23年前から今に至るまで、ロシアは少なくとも、なんでも自前で作れる、運用できる国だ。宇宙ロケットから乗用車、航空機、電化製品、電子機器、すべてロシア製のものがある。性能も、しばしば米国製や日本製、欧州製を部分的に上回る。ただ、それを世界に売ることができない。

ロシアの粗製コピー品を作っているだけだった中国は、今では欧米や日本の製品の部品製造を担い、独自の製品をさらに安価に作って、世界の経済を支配するまでになった。

プーチンエリツィンから権力を移譲されたとき、本来目指すべきだったことは、今の中国の姿だっただろう。

しかし、彼は経済が全く分からなかった。自国の経済を発展させ、回してゆくためには、国民の経済活動を自由にし、世界と一体化させる必要がある。そのためには最低限、移動を自由にしなければならない。プーチンはそれが恐かった。彼は暴力と虚偽しか知らなかったからだ。

ロシアを自由旅行したことがある人はよくご存じだろう。あの国のビザのルールや、都市ごとに義務付けられるレギストラーツィヤ(所在登録)の制度について。つまり、移動の自由がないのだ。外国人どころか、自国民すら、「国内パスポート」を所持させられ、同様にレギストラーツィヤを強制される。

そんなところで、メルセデスAppleMicrosoftが現地企業と協力してよい仕事ができるだろうか?もちろん、ロシアにもメルセデスAppleMicrosoftはある。しかし、ロシアでただ商品を売っているだけだ。ロシアで作って世界に売ることはしようとしていない。

エリツィンはそれを試みていた。完遂できずに病に倒れたが、彼の治世のロシアで、日本のいすゞ自動車や他の企業が、現地企業と協力して、ソ連時代の機能しない非効率なシステムの効率化と近代化に取り組んでいたことを知っている。世界の他の企業も、大なり小なり、同じような努力を続けていた。

プーチンはそれを継承しなかった。改革は止まった。

もし、エリツィンの改革を継承発展して23年も続けていれば、今頃ロシアは中国どころでない世界経済の中心となっていたであろうと思う。

ロシア人はもっと豊かで自由で幸福な生活を享受していただろうにと思う。