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ドキドキ上海日記 RSSフィード

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【タイアップ】オペレーション ヘル アンド ヘブン 5月15日(金)〜31日(日)
何の前フリもなくこのお店の話題が出ることがあります。
ていうか、そればっかりです。

2016/09/21 (Wed)

『君の名は。』

新海誠監督というと昔『ほしのこえ』を観て正直あまり感心しなかったのでそれっきりだったのですが、先日、今回の映画の特番でTV放送した『秒速5センチメートル』を録画して観たら個人的に刺さったので、観てきましたよ。すごい評判ですね。平日夜だってのに俺の定位置・最前列中央の両隣も埋まってほぼ満席。なかなかないことだ。

俺は秒速5センチメートルの主人公である「昔のことをずーっと引きずったまま人生を棒に振りかけている男」にムチャクチャ感情移入したままの状態だったので(笑、今回終盤の展開に「秒速じゃん! 秒速のハッピーエンディングバージョンじゃん!!」てなった。俺たちは救われた。ありがとう新海監督ありがとう。三葉ちゃんかわいい。

『ゴールデンタイム』が『とらドラ』のテーマを発展させながら引き継ぎつつ前作のやり残しを拾い上げて描いたように、『イリヤ〜』の幻の最終章「南の島」を次回作『ミナミノミナミノ』が実現する(はずだった)ように、『秒速〜』は『君の名は。』によって救われたのだ。

それこそいつか見た夢のように、映画の原風景はどこか各作品で共通していて、ある部分で前作(ではないが)を克服したりしなかったりする、そういうタイプの作家なのであればやはりフィルモグラフィーを追って観るべきなのだろう。

でも俺個人の鑑賞体験としてはおそらく秒速→君の名はがピークになるだろうという気はする……。つか秒速を観たの本当につい最近なので、むしろこれ観るの早すぎたというか、もっとあの気分を引っぱってから観るべきだったな(笑。

2016/09/03 (Sat)

『アイアムアヒーロー』(映画のほう)

原作は未読。

ゾンビ映画ってほとんど観てないのでわからんのですが、感染したけど発症しきらず半分だけゾンビみたいな状態になるのって最近流行ってるというか当たり前なのかな。『がっこうぐらし』にも一人いたよね。このネタはいつ頃からあって最初にやったのは誰だろう、とジャンルを全然知らないのにそこが気になった。

『幽幻道士』で自爆して死んだメンバーがキョンシーとして仲間(?)に戻ってくる展開があったなあ、と思ったがそれは趣旨が違うし遡りすぎですね、たぶん。

『太陽』

原作が戯曲なんだそうで、元がどんな芝居だったかありありと目に浮かぶというか、それをそのまんま映画で見せられた感じ。

三谷幸喜の初期の映画にも顕著だったけど、舞台だからこそ成り立つノリをそのまま映画でやっちゃうと浮き上がること甚だしい。

決してつまらない映画ではないが、ジャパンの芝居っていまだにこんなノリなのか……というのを胸ヤケするほど味わってげんなりした。

なんか演技まで舞台ノリで、「感極まった人物が喚きながら覚束ない足どりでふらふらよろめいて歩き回る」みたいな舞台特有の(陳腐な)動きをそのままやってた。別に舞台役者を使ってるわけじゃなし、わざわざそういう演出をつけたのかしら。舞台じゃなくて普通にいわゆるダメな邦画の特徴でもあるのだろうか。

あとディストピアって、未来は本当にこうなっちゃうかもなぁという不安要素が現実にあるからこそ怖いのであって、ディストピア像は時代を反映するというか、「いや、こんな未来にはならないってことはもうハッキリわかったよね?」みたいな古くさいディストピア観を今やられると死ぬほど興醒める。現在恐るべき未来はもっと他にあるでしょうよ。俺がノイタミナの某近未来SF警察ものアニメを当時全力でdisったのも同じ理由である。別に古い作品に価値がないわけではないし、「時代を反映」とか自分で言ってても嘘くさくてイヤなんだけど、どういうわけかディストピア像が古いのだけは大嫌いなのだった(笑。

2016/08/19 (Fri)

『アクセル・ワールド INFINITE∞BURST』

まず言いたいんですけど新宿ピカデリー、予告篇長すぎね? いやピカデリーでもいつもはそれほど感じないが今回は常軌を逸していた。本編が短い映画だとチャンスとばかり予告の尺を長くとってたりするんだろうか。『真田十勇士』なんて中村勘九郎がナビする劇場専用の予告と通常の予告と二回流れたやないか。

めんどくさいのでもうここからネタバレ無制限にします。

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2016/07/30 (Sat) 池波先生すみません

久しぶりに早稲田松竹からバルト9へのハシゴという無茶をやってしまった。

『マネー・ショート』

サブプライムローン崩壊の可能性(というか必然性)を事前に予測して儲けようとした投資家たちの話。

金融商品としての住宅ローン債がおかしいだけでなく市場そのものが正常に機能していないのでローンが焦げ付いても債権の格付けも価格も下がらないという、ゲーム全体がインチキだったことが判明して主人公の(予測は的中したにも関わらず)目論見が外れピンチに陥る展開は鮮やか。融通が利かず筋が通らないことは糾弾せずにはいられない性格のマーク・バウムもいい。この物語になくてはならないキャラだ。

もっと話の流れをちゃんと追ってみたいので原作も読んでみよう。

しかし毎度文句言ってるが『マネー・ショート』という邦題はいかがなものか。原題 "The Big Short" のショートは「空売り」の意味であってマネーショートじゃ意味不明じゃないの。マネー・ボールと同じ原作者で同じブラピ製作だから無理矢理マネーつながりにしたのか。アホか。

『スティーブ・ジョブズ』(2015年、ダニー・ボイル監督)

ジョブズってあんまり好きじゃなかったんですけど(Apple嫌いだし)、自分の中にある完璧なビジョンを実現するために一切妥協せず最終的に周りの人間全員とケンカ別れするというスタイルには非常に共感できた(笑。

一応この映画の原案ということにもなっている伝記も読んでみようっと(今更。

『シン・ゴジラ

「シン」てカタカナで書いちゃう相変わらずのセンスだけはどうしても好きになれない。

少なくとも最初のゴジラの設定は引き継いだ、'84年のゴジラに近いスタンスなのかと思っていたので完全リブートだったのにはちょっと驚いた。そのへんは東宝側の意向でもあるんだろうけど。

ゴジラの存在以外は荒唐無稽なものを極力排して現実的に描く。必然的にデキる若手政治家を中心とした政府の対応がメインの展開になる。ゴジラ映画の一つの理想型ではあるけど、庵野秀明がこれを作ってくるとは予想もしなかった。予備知識一切なかったので、いわばタランティーノ的な、過去のゴジラ映画へのオマージュを切り貼りして演出をカッチリ仕上げたみたいなやつかと漠然と考えていた。庵野監督は大人になったのだなあ……。

ただやっぱりポケモンじゃないんだから「進化」て言葉は使うのやめてほしかったよね。劇中でもあくまで一個体で云々みたいな補足はしてたけど、「変態」もしくは「(個体)発生」でいいじゃん。「マグマダイバー」でマグマという語用は正確ではないとツッコまれ「マグマって言わなきゃ普通の人はわからないよ」と一蹴した庵野イズムふたたびか。

それから作戦最終段階の特殊建機を使った凝固剤の経口投与、量を真面目に計算すると「流し込む」しかないってのはわかるんだが、画的にもあまりにも地味だったので、『〜ビオランテ』の権藤一佐とは言わないけどもう一つ何か派手なギミック的見せ場がほしかったかも。でもそれやると忽ちバカ映画に逆戻りしちゃうんだろうな。難しい。

あと、冒頭から海上で消息を絶った科学者が結局最後まで登場しないのはちょっとパトレイバーっぽいと思った(笑。

2016/06/25 (Sat) 早稲田松竹。

『オデッセイ』

もっと限られたリソースで爪に火を灯すように生き延びる話かと思ったら、前の計画で残していった探査機とか次の計画のための物資が先着してたのとかふんだんにあっていろいろ使って何とかする話だった。アメリカ的である。具体的にはジャガイモ栽培をもっと延々と試行錯誤する話がメインかと思ってた(笑。さすがサー・リドリー。

しかしオデッセイて何なのよ。『火星の人』とは言わずとも『マーシアン』でええやん。『ゼロ・グラビティ』よりはマシかもしれないけど脈絡がないという点ではこっちも酷いよなあ。

地球からの情報伝達手段が「静止画カメラを向ける角度の操作」しかない状況で、カメラの向きに16進数を割り当ててASCIIコードで通信するくだりなど、これは『ゼロ・グラビティ』もそうだったけどあちらの宇宙関連映画はハイリテラシーな描写を平気でやるよなあ、とそこが羨ましい。こっちは原作小説がそうなってるからだろうけど。

そしてこれもゼロ・グラビティと同じだがまた中国が助けてくれる展開なのね。ジャパンが景気よかった頃はすげえ嫌われてたのに(向こうが貿易赤字だったからだが)、チャイナ市場が活況→映画の内容もチャイナ市場向けに媚びる→チャイナのイメージアップ、ってなるのなんか納得いかねえ。こういう映画の影響力って結構バカにならないと思うんだよなー。

『ザ・ウォーク』

1974年にWTCのツインタワーの間を綱渡りで横断した男の実話。ロバート・ゼメキス監督。

主役なんか見たことあると思ったらインセプションとかダークナイトライジングに出てた奴(Joseph Gordon-Levitt)だった。髪染めてたから気づかなかった。あんまり主役張るような顔してないなと思ってたし(失礼。

「手に汗を握る」という言葉がありますけど、観てて気づいたら手のひらにすごい汗かいてた。映画観てこんななったの初めてですわ。俺は自分で思ってる以上に高所恐怖症なんだと思う。3Dで観なくてよかった(笑。 予告篇ではワイヤーの上で片足を踏み外しそうになるシーンをフィーチャーしてたけど、それよりワイヤー張ったり準備してる場面がやばい。しかも手伝ってる仲間が高所恐怖症という。

元の話は何となくは知ってたけど、全高400メートル超のビルの屋上間、40メートル以上ある距離にワイヤーを張り渡して渡るという計画を、完全に無許可、非合法で数人の同志だけで一夜にしてゲリラ的に実行したということは知らなかった。本人は"coup"(クーデター)と称してるがムチャクチャである。

あと、そんなことやってのける人間の心理が所詮常人に理解できるはずはないのだが、一番ありえないと思ったのは、一度完全に渡り切ってからもう一度綱渡りで戻る(!)というところ。こっちは手が汗だらけになってるのに「もうやめて!!」って言いたくなったわ(笑。しかもその場で思いついたみたいなノリでやってるし。まあ邪魔が入れば即失敗という計画だから最初から往復まで考えてたなんてことはありえないにしろ、一度渡り切って、そこでやり切った感とか安堵とかそういう心理はないのか? たとえば世界記録の更新を狙うみたいな気持ちで片道より往復ならもっとすごいと思ったとか、そういう感じでもないし、「恐怖心はなかった」とか本には書いてるかもしれないけど、いや言うても実際はあるでしょ? とどうしても思ってしまうのだが、一度ツインタワー間を渡り切るという偉業を達成した直後にもう一度渡る! これを実際にやってるわけだから、ああこいつはホントに恐怖とか何もなくて全くそんなのとは無関係な境地にいるんだなという何よりも雄弁な証明になっている。そこが一番すごいと思った。本人が書いた原作本も読もうっと。

随所でロバート・ゼメキスっぽいなーと感じたけど単に音楽がアラン・シルヴェストリだったからかもしれない(笑。

2016/06/18 (Sat)

吾峠呼世晴『鬼滅の刃』(週刊少年ジャンプ)

すごく面白いんだけど、何がどうして面白いのか?と訊かれると説明が難しい、と感じる。読めばわかる、と言ってしまえばそれまでだけど。

ストーリーを一言でいうと、人を食う「鬼」と、それを退治する「鬼殺の剣士」の話。「鬼」がちょっと吸血鬼風の設定になってるくらいで、ごくオーソドックスな伝奇ものである。

絵は下手ではないけど、少なくともジャンプマンガの系譜の上では全く位置づけのできない独特の絵柄だし、となればあとは「物凄くハッタリが強い」というのがジャンプで成功するマンガのセオリーだが、それにもいまひとつ当てはまらない。少なくとも車田正美イズムとは逆の方向性だ。

1話目を読んだ時点の感想。

これだろうか。ストーリーの進行するペースがジャンプ的でない、というか週刊連載っぽくない。

第1話は、町へ炭を売りに出ていた主人公の少年・炭治郎が山中の家に帰ってくると家族が惨殺されており、唯一息があった妹(禰豆子)の意識が戻ると凶暴化して「鬼」に変貌する、そこに(炭治郎の家族を殺した鬼を追ってきた)鬼狩りの剣士が登場して、鬼になった妹を殺そうとする。妹を守って抵抗する炭治郎が勝てないと判断するや自分が斬られてから相手を倒そうとした覚悟と判断力、そして鬼になった禰豆子が兄を守ろうとするのを見て、剣士(義勇)は鱗滝という老人を訪ねるようにと言って去る。ここまで。

つまり第1話には、本来の敵である鬼が登場していない(鬼と化した禰豆子はいるけど)。

第2話、第3話ではいよいよ鬼と遭遇し、首を飛ばしても死なない、通常の武器では殺せない、太陽光で消滅するなどの描写があって、師匠である鱗滝が登場する。ここまで、第1話では斬られそうになった妹に覆い被さって庇い殺さないでくれと土下座して頼む炭治郎に義勇は「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」と一喝する。鱗滝は鬼にとどめを刺すのを躊躇する炭治郎を見て「この子はダメだ」「思いやりが強すぎて決断できない」と評価。また「どうしたらとどめを刺せますか?」という質問には「人に聞くな。自分の頭で考えられないのか」と返し、「妹が人を喰ったときお前はどうする」という問いかけに絶句して答えられない炭治郎を「判断が遅い」と叱る。ここまで鬼狩りの二人は全て判断力、覚悟の強さという面で炭治郎の資質を試しているわけだ。

第4話、第5話は、鬼殺の剣士の「育手」である鱗滝の指導によって炭治郎が徹底的に体術と剣術を叩き込まれる修行編。全てを教えたという鱗滝からの最後の試練として「岩を斬る」課題を与えられた炭治郎が半年に渡って一人悩む、そのくだりは、鱗滝のかつての弟子、錆兎と真菰(実は既に鬼に殺されている)との戦いとして描かれ、本格的な剣豪小説のような趣がある。

政府非公認の私的に組織された鬼狩りの剣士の集団「鬼殺隊」という設定もここで説明がある。最近多いなんちゃって時代劇風ファンタジーではなく明確に大正時代として描いてるのもいい。ある意味で地味といっていいくらい地に足の着いた部分と、デティールを積み上げる物語の強さ、そのバランスが絶妙だ。

鬼になってしまった(ただし人食い衝動は抑えられている)妹がヒロインで戦いにおけるパートナーでもあり、だから主人公の目的は復讐よりも「妹を人間に戻す」が第一というのも筋が通っている。

あと、連載前のタイトル候補が「〜カグツチ」だったり、家業が木炭売りで額に赤く火傷の跡(?)があり名前が「竈門炭治郎」など、主人公のキャラクターは明らかに「火」のイメージなのに、使う剣術が「水」をイメージした型なのは少し面白い。さらに使い手によって色が変わるという鬼斬りの剣「日輪刀」は炭治郎の手で「漆黒」に変化し、鱗滝らは「黒は珍しい」ので、数が少なすぎて特性が不明、とコメント。このへんの設定は何らかの形で今後活きてくるのだろう。

ちなみに1巻は鬼殺隊の正式な入隊試験で実際に鬼と戦う「最終選別」のクライマックスまでで、炭治郎が鬼殺の剣士になるのは2巻以降になる。

2016/06/08 (Wed)

『ストレイト・アウタ・コンプトン』

早稲田松竹にて。

イーストウッド監督の『ジャージー・ボーイズ』を思わせる、というかだいたい同じ話だった。

でもジャンルがギャングスタラップなので画面の熱量が全然違いますね。菊地成孔が「日本に足りないのは暴動」とか言ってる意味がすこしわかった気がしたよ(笑。

記録映像も使ったロス暴動のシーンがあったからですけど。

今週『クリード』やってるの忘れてて週末に観そこねたから急遽行ったんですけど平日の早稲田松竹は空いてていいすね。

なぜか最終回の終了後にレディオヘッドのPVを上映してた。監督ポール・トーマス・アンダーソンだって。

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なぜなのか。

2016/06/04 (Sat)

STROLL AND ROLL TOUR 渋谷 TSUTAYA O-EAST

なんかしばらくライブというとこの界隈ばっか行ってる気がする……。

今回のベーシストは有江嘉典。鈴木淳が脱けてもう一年以上経つのね。と、思ってたらアンコールでサプライズ的に初代ベーシスト上田ケンジが登場。アルバムで弾いた2曲と『サリバンになりたい』をやった。あれは第一期の曲だったのか。

ダブルアンコールは『Poison Rock'n'roll』。最近また良さがわかってきて、さらに好きになった曲なので嬉しかった。

2016/03/05 (Sat)

『KING OF PRISM by PrettyRhythm』

http://kinpri.com

実は2回観た。

俺が劇場で複数回観た映画はたぶん10本もないのでキンプリはかなり上位に入ることになってしまうw

というのも、「何の予備知識もなしに観たほうがよい」と先輩女子に言われて観たのだが、それはプリティーリズム自体を全く知らない人が観た場合のインパクトを最大にするための助言であって、プリリズを踏まえて観るのであればその限りではなかった。

一回目は平日の24:50からの回を突発的に観たのだが、「涼野ユウ」が最初に登場するシーンで彼は「ゼウス」(!)と名乗ってるので、いとちゃんの弟だということに俺は不覚にも気づかなかったんですよ。前作レギュラーの近親者だったキャラがプレーヤーになって登場してくる、個人的にはこれぞ続編(スピンオフ)の醍醐味!と感じる部分なので、それに気づかなかったのは悔しかった。ちょっとでも前情報が入ってればこのキャラがいることを知らなかったはずはない。俺はどちらかというと知った上で最初からちゃんと観たかった。というのが2回目を観た主な理由である。あと、終電まで仕事した後に観たから眠くて内容があまり頭に入ってない部分があったというのも正直ある。

上記の通り俺は前作にあたるプリティーリズム・レインボーライブ(以下RL) 本編のその後、具体的にはコウジといとの仲はどうなった? て部分が主に見たかったのだが、結論からいうとRLのメインキャラ女子は(ジュネ様を除き)作中には直接姿を見せない。作中の報道や広告媒体という形で「活躍している」という現状が示されるのみ。あとはRLの回想としてプリズムショーの映像が使われていた。

RLから引き続き登場して然るべき彼女らの不在にはいくつか理由が考えられる。

すでにプリティーリズムの後継作品である『プリパラ』が展開中なので、それと競合しないことが至上命題だったこと。なので女児向け要素は慎重に排除され、結果的にエクストリーム腐女子向け作品になった。

また、今回の劇場版はコウジが去って Over The Rainbow が活動休止し、エーデルローズの主力が次の世代へ引き継がれる話であり、RLの後日談というよりは次作キンプリへの繋ぎの意味が強かった。実際、プリズムショーはガッツリ見せる代わりにストーリーはダイジェスト風でパイロット版的な構成ともいえるし、次回予告まであって思いっきり引きで終わっている。

それから、BL作品においてヒロインの存在自体が嫌われるという事実もあるのだろう。

俺には腐女子の知り合いは多いし、TVアニメの範囲ではBLジャンルも乙女ゲー原作のもだいたい観るようにしてるので、「理解してる」とは決して思わないし口が裂けても言わないが、ある程度の素養は身についてしまった、と思う。

たとえば太刀花ユキノジョウの「歌舞伎の女形」というキャラは今や女性向けハーレム作品では大抵一人くらいいる定番といっていい存在で、古典芸能の権威と伝統ある世界で生きるスキルと社会的ステータス、家柄がよく古いしきたりの厳しい家庭、なのに本人はプリズムショーという新しい何かをやりたいという問題があったりして、もちろんルックスもよく、さらに女装もあるという、一粒で何度もおいしい設定なのである。たぶん。快感フレーズにいた気がするのでそのへんが元祖なのだろうか。男性向けのヒロインにたとえると何だろう、お嬢様キャラとアイドルやってるクラスメートを足して2で割らない感じか。違う気もする。閑話休題。

ヒロイン不在の演出方針は徹底していて、「ときめきサイクリング」のシーンでも相手役の女の子の顔が見えずセリフは字幕というバーチャルデート(笑)みたいな演出になっていたが、ヒロの相手は赤いロングヘアでべるっぽいしコウジの相手は紫のショートカットでいとっぽい。ではカヅキの相手はどうなるんだ!?と思ったら亜麻色のロングヘアだったので、わかなじゃなくてあんなのか!? と、RL勢はそういう部分が一番気になってるはずなのである(笑。

上記ときめきサイクリングも「公道での二人乗りはやめよう」みたいな交通安全啓蒙ビデオみたいなオチで締めてたし、キンプリ本編は自宅での食事シーンなどプライベートも見せているようでいて実は「アイドル(プリズムスター)として見せていい表の顔」の部分だけで構成されたフィルムなのだと考えるとしっくりくる。この映画そのものが彼らのアイドルとしての出演作品なのだ、と、あえて強調する必要もないがメタ的に観ると面白いということ。

その分、インタビューでは少し隙を見せたりしている。

コウジが作曲の際に気をつけている事は……? 劇場アニメ『KING OF PRISM』連続キャラインタビュー:神浜コウジ

http://www.animate.tv/news/details.php?id=1449148393

コウジ:そうですね。背は高め、髪の長さは昔はショートカットだったんですけど、そのあとはロングになって、また最近短めになってウェーブをかけた感じの子が好きです。性格は一見クールなんですけど、実は心の奥底に熱いものを持っていて、家族思いで、本当は優しい、そんな子が好きです。えっ!?あ、いや!誰か特定の子のことを言っているわけではありませんよ!

クールで少し生意気な最年少キャラクター! 劇場アニメ『KING OF PRISM』連続新キャラインタビュー:涼野ユウ

http://www.animate.tv/news/details.php?id=1451334899

ユウ君は本編(キンプリの)では姉のことを「姉ちゃん」と言ってるのにインタビューでは「姉貴」と言うてるのも味わい深いですね。

まあ本編公開前の記事なので必然的に前作のネタが多くなったのもあるだろうけど、本編のオフィシャルな性格に対して周辺情報でいろいろ補完している構造は面白い。

話は戻って、RLの終盤でいととコウジは完全に相思相愛だったし、それが今回全く出てこないのはもう別れちゃったの? それならそれで理解はできるのだが、と思うと上記インタビューにある通りそういうわけでもない。涼野ユウの存在がRLと繋がるフックになっている。

にしても出国するコウジとの別れのシーンにすらいとの影も形もないのはどうなんだと思うが、まあこれはプリズムショー中の演出という描写なのであくまでイメージの話ではあるものの、象徴的にもアメリカへ発つコウジをいとが見送る描写がないのはプリリズ的に考えて異様ではある。かろうじてユウが「姉ちゃんを置いていきやがって」というようなセリフでその存在を主張している、このへんがギリギリの妥協点だったのだろうか。

やっと今回のキングオブプリズムそのものの話をすると、コウジはもともとバンドマンだし作曲担当のギタリストってポジションだから、Over The Rainbow 的にはやはりヒロがセンターでコウジはシブく脇を固めるほうがいいんではないのかなあと思った。カヅキはそもそもキャラ的にオバレにフィットしてないと思う(※個人の見解です)。ストリート系なのに、という大和アレクサンダー寄りの視点なのかもしれない(違。

そもそもヒロは改心したとはいえ敵役というよりは完全に悪役のダーティーなイメージが脱けないから普通にアイドルやってるといまだに違和感がある(笑。 もっと言えば、プリティーリズムRL本編で一年かけて失脚させた法月仁が、父親の理事長が亡くなったらまた復活して元の位置に収まってるとか、エーデルローズ財団のガバナンスは一体どうなってるのかと言いたくなる。あと氷室主宰体制のエーデルローズはあの事業規模でなんで百何十億も負債を抱えちゃったの。聖は「自分は指導者には向いてないのか」とか言うてたけどそれより経営者としての能力が問題だよ!

明らかにRLのジュネにあたるキャラ如月ルヰが法月のシュワルツローズ側にいたり、意識的にRLを反復してるのもあるんだろうけど。でも予告ではルヰとシンが「時空を超えた再会」とか言うてて乙女ゲー的要素も入れてきたか? と思ったらそれどころか法月がジュネも取り返そうとしてたりして、そこはもう蒸し返さなくていいよ!と思った。

それにしても、プリティーリズム自体がオーロラドリーム、ディアマイフューチャーを経てレインボーライブと三期にわたり、最初はスケートをベースにしていた「プリズムショー」にもいろんな要素が追加され描写はどんどん派手になっていったわけで、その流れをすっ飛ばしていきなりキンプリで表現がインフレし切った最新形のプリズムショーを見たら度肝を抜かれるのも当然であろう。しかも前述の通り「アメリカへ去るコウジとの別れ」自体がプリズムショー中の演出として描かれるなど、イメージの奔流のような展開に新規の観客が圧倒されるのも無理はない。何も知らずに観たほうがよいというのは、その意味で正しかった。


以下はまた違う話。

プリティーリズム・レインボーライブは、女子プリズムスターの成長物語を軸に、まず主人公サイドの「ハッピーレイン」の3人と対になる「ベルローズ」の3人が悪役に近い存在として登場し、良きライバルになるまでをじっくり描き、三対のデュオも組み、また問題のイケメン3人との恋愛模様もガッツリ描かれ、そこでも恋敵になったりするし、イケメン同士の確執もあり、それぞれ家族の問題も抱えてたり、りんねとジュネは本来この世界に一人のはずのプリズムワールドからの使者なのにイレギュラーな事態でカチ合っちゃってたり、そのジュネは聖主宰とデキちゃっててスキャンダルになって記者会見を開いた挙句辞任したりするし、作品上の悪役は興業としてのプリズムショーの負の側面として描かれるエーデルローズ主宰法月仁なんだけど聖とDJクーとは前世代のプリズムスターとして過去の因縁があったり、もうメチャクチャ複雑な構造のストーリーを一年間50話かけて展開するわけです。大河ドラマです。その一部が文字通りスピンオフしたのがキングオブプリズムですが、元のRLにこれだけ立体的な構造があったからこそ成り立っているといえる。

何が言いたいのかというと、たとえば新シリーズ『プリパラ』と比べると、恋愛要素がないのは企画段階での違いだから措くとして、主役側3人+ライバル3人+1人(りんね/ファルル)という構成は同じだけどわりとあっさりライバルに収まるし6人合同ユニットなんかも簡単に成立し、そしたらまた新キャラ出して次のシリーズへ突入、みたいな感じで奥行きがないんですよ。今どきは2クールのアニメですら1クールずつ分割して製作してたりして、最初から長いシリーズを前提に展開できるアニメって貴重なんだから、そういう企画ではもっと全体を見据えたスケールの大きい構成を考えてほしい。その意味で「親子三代記」構成を打ち出したガンダムAGEには当初期待したのだが……(言うまでもなくガンダムも今や貴重なビッグバリューIPである) 。その点、スポンサー都合による打ち切りの心配がない(?)NHKなどに頑張って欲しいのだが、長尺をキッチリ使って物語を描ききったのは『電脳コイル』あたりが最後ではないか。最近は長期連載中の少年マンガ原作などが多いし、NHKがそんな守りに入ってどうするんだよ! と言いたい。もっと頑張れ。超がんばれ。

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2016/02/06 (Sat)

『ガールズ&パンツァー 劇場版』

やっと観た。

アンツィオ戦までを観た段階で改めて歴代の対戦相手を見ると、他チームのキャラ立ちっぷりに比べてサンダースの影がやや薄いことは否めず川澄綾子ファンの俺は残念に思っていたのだが、今回はそのバランスをとるかのように再フィーチャーされていた。実際それを意識してやってるのだろう。おケイさんが中隊長まで務めるのは正直意外だった。まあ、もともと車輌が一番多いチームを率いているからという理由はつく。

ストーリー的には、廃校問題をまた蒸し返すのはどうかと思ったが、そもそも最初から疑問だった部分、まだ生徒が在籍してる学校を大人の都合で潰したりしたら世間が黙っちゃいないだろうという点も含めていろんな手を尽くして政治的に話を覆す流れが描かれてたのはよかった。

あとは継続高校の謎の存在感(笑。スナフキンでくるとは思わなかった。ミカって名前もなにげにフィンランド名やね。ミカ・ハッキネンとか。

音響も、砲撃音が腹に響く感じでよかったです。アンツィオ戦OVAの上映も同じバルト9で観てたが、その時は感じなかった気がする。そういえばそのアンツィオ戦を一緒に観たねろ画伯に連れてかれた一昨年の大洗あんこう祭りで訪れた見覚えのある場所で戦ってるシーンがあって「!」てなった。発砲禁止区域のあたりとか。

ていうか今回も同じ回をねろさんが一緒に観てたことが後で判明。どんだけ!

いい映画だった。あと一回は観たい。