Anti-globalism Action!

NHKスペシャル「変革の世紀① 国家を超える市民パワー〜国際政治に挑むNGO〜」
製作NHK 放送日02年4月14日

(これは、立命館大学学術公認サークル「国際問題研究会」の新入生歓迎企画<ビデオ・プロジェクト>の冊子を作成するために製作した論文です[山下]。)

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02 年、NHKは「変革の世紀」と題して、新しい時代の潮流を模索する特集を組んだ。その特集の第1回がこの「国家を超える市民パワー〜国際政治に挑むNGO〜」と題するものである。先進国や一部の官僚によって独占されている「国際政治」をラディカルに批判し、世界システムを「変革」させるだけの「パワー」を持った「市民」運動に焦点を当てたこの特集は、大きな反響を呼んだ。

ここ数年、サミットなど大きな国際会議が開かれるたびに、会場周辺を数万人の市民が取り囲む光景が見られるようになった。このビデオの中にも、WTOのシアトル閣僚会議(99年)が開かれている会場を、多くの市民が取り囲む光景が象徴的に映し出されている。

このような行動を取る人々の思想や行動を、マスコミは「反グローバリズム運動」(The Anti-Globalism Action)と称し、報道する。しかし、もちろん彼ら/彼女らはすべての「グローバリゼーション」(globalization=地球規模化)に反対しているわけではない。そのことはまさに「国家を超える」ネットワークを彼ら/彼女らが構築していることからも明らかである。結論を先取りして言えば、彼ら /彼女らはWTO世界貿易機関)といった国際機関が中心となって進める、「新自由主義的グローバリゼーション」に反対しているのである。では、WTOとは、新自由主義とは、グローバリゼーションとは何であろうか。

「GATT(関税及び貿易に関する一般協定)」の流れを引き継いで95年に設立されたWTOは、関税を限りなくゼロにし、諸々の規制(非関税障壁)をなくそうとする。そして、企業とその工業製品、あるいは農産物やサービス(ex.金融サービス)がグローバルな、つまり国境を越えた市場で「自由」に競争できるようにすることを主な目的にしている。


つまり、貿易や投資を「自由化」させ、水や医療など公共サービスから、動植物や人の遺伝子情報、先祖伝来の知恵まで、ありとあらゆるものを売買の対象とすれば、「世界の問題は解決できる」と考える【市場原理主義新自由主義】を、WTOはグローバルに展開させようとするのである。

GATTにおいてなされていた貿易交渉を継続・発展させるため、95年の設立以来WTOは閣僚会議を重ねてきた。しかし、99年のシアトルでの「第三回閣僚会議」だけは、それまでとは異なる様相を呈していた。この会議には、各国の閣僚だけではなく、世界中のNGO・NPO労働組合、社会活動家、環境活動家、アナーキスト、あるいはそのような既存の枠組みにカテゴライズ(類型化)することさえ出来ない「マルチチュードmultitude」たちが集まり、このWTOが推し進める「新自由主義的グローバリゼーション」に対して異議申し立てをおこなったのである。そしてそのダイナミズム溢れる様子は、このNHKの特集をご覧になれば、一目瞭然だろう。

カルチュラル・スタディーズ研究者の毛利嘉孝は、このシアトルにおける「闘争=空間の叛乱」は、1980年代の終わりごろに始まった「ACT UP(AIDS Coalition to Unleash Power;権力解放のためのエイズ連合)」や「リクレイム・ザ・ストリート(Reclaim the Street;道路を取り返せ)」、「クリティカル・マス」など、これまでの左翼運動の外側からやってきた雑多な「文化=政治運動」が結集した場であり、社会運動の「転回点」だったと論じている(『文化=政治』月曜社、2003)。

シアトルでこのような抗議行動を展開した人々は、その数10万人以上と言われているが、ではなぜ彼ら/彼女らはWTOに異議申し立てを行うのか。それは、WTOが「自由」といった美辞を用いて主張する「貿易・投資の自由化」、つまり上述した「新自由主義的グローバリゼーション」は、唯一の国際経済規範、いわゆる「グローバル・スタンダード」を世界の隅々まで押し付け、世界経済のあり方、さらには世界中の地域社会のあり方までをも規定するものだからである。そしてその目的は、ありとあらゆる地域社会に無規制の市場経済を持ち込み、先述したようにすべての物質や人間関係を「モノ」や「サービス」という形に「商品化」し、それを一つのグローバルな市場に統合することである。そしてその真意は、この唯一の国際経済規範を決定するもの――それをネグリ&ハートは <帝国>と名付けられた(A.ネグリ、M.ハート『<帝国>』以文社、2003)――が、世界中の資本・生産要素(原料、労働、情報など)・市場などに対する絶対的な支配を確立し、「剰余価値」(利潤)を一元的に「搾取」(収奪)することにあるのである。

さらに、01年には、「シアトルの闘争」(シアトルにおけるWTO閣僚会議決裂)においても中心的な役割を果たしたフランス発祥の国際NGO「ATTAC(Association for the Taxation of financial Transactions for the Aid of Citizens;市民を支援するために金融取引に課税を求めるアソシエーション)」を基軸として、ブラジルはポルトアレグレで、「世界社会フォーラム; World Social Forum(WSF)」なるものが開催されている。そこには、「もうひとつの世界は可能だ!;Another World is Possible!」を合言葉に、「新自由主義的グローバリゼーション」に対抗する世界中のNGOや労働組合などが結集した。その後、WSFは定期的に開催されるようになり、04年の1月にインドはムンバイで開催された「第四回WSF」は、10万人以上の人々を集めた。その一方で、03年9月にメキシコのカンクンで開かれた「WTO閣僚会議」も、先述した99年のシアトル閣僚会議に続いて、決裂に追い込まれている。

あのシアトルにおける画期的<闘争>から、早くも5年がたった。世界はもうすでに新たな運動の地平に立ち、「もう一つの世界;Another World」の模索を始めている。日本はこのまま新自由主義(ネオ・リベラリズム)に対抗する回路=言説体系を持たないまま、世界から孤立していくのだろうか。日本というナショナルな空間において「反グローバリズム」運動の実践と論理の構築・一般化を早めるのと同時に、アグレッシヴに「国家を超える」こと、そしてその両者を「宙吊り」に、あるいは「空転」させてしまわないかたちで「接続」することは、日本の社会運動圏の焦眉の課題であるとはいえないだろうか。(文責:山下亮輔)