シェイブテイル日記2

シェイブテイル日記をこちらに引っ越しました。

利他を知る人は幸せ

今日は趣向を変えまして、自分の日記として普段思っていることを少々。

先日、ノーベル賞の授賞式があり、今年のノーベル平和賞はマララ・ユスフザイさん(17歳)が受賞しました。

受賞前後での彼女の発言です。

One child, one teacher, one pen and one book can change the world.
Education is the only solution. Education First.
1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペン、それで世界を変えられます。教育こそがただ一つの解決策です。エデュケーション・ファースト(教育を第一に)。
        マララさんのノーベル平和賞受賞スピーチ

So here I stand… one girl among many.
そして、私はここに立っています。
傷ついた数多くの人たちのなかの、一人の少女です。

I speak – not for myself, but for all girls and boys.
私は訴えます。自分自身のためではありません。
すべての少年少女のためにです。

I remember that there was a boy in our school who was asked by a journalist,
“Why are the Taliban against education?”
He answered very simply. By pointing to his book he said,
“A Talib doesn’t know what is written inside this book.”
私たちの学校にいた少年に、あるジャーナリストが
こんなことを尋ねていたのを覚えています。
「なぜタリバンは教育に反対しているの?」。
彼は自分の本を指さしながら、とてもシンプルに答えました。
タリバンはこの本の中に書かれていることがわからないからだよ」

So let us wage a global struggle against illiteracy, poverty and terrorism and let us pick up our books and pens. They are our most powerful weapons.
無学、貧困、そしてテロリズムと闘いましょう。本を手に取り、ペンを握りましょう。それが私たちにとってもっとも強力な武器なのです。
   マララさんの国連演説スピーチ

17歳で偉いものですね。 
自分など忘れ、全ての少年少女、あるいは自分を傷つけたタリバンのためにさえ訴えています。 

話している内容から明らかに自分よりも皆が大切という気持ちにあふれた人であると分かります。

マズローの欲求5+1段階

この図でいえば、マララさんの欲求は第6段階にあると言えるでしょう。
欲求が第6段階にあるといえども、マララさんは第1段階の欲求に従い、食べるでしょうし、第2段階の欲求に従い、命の危険がある母国パキスタンを離れ英国に亡命しています。

要するに第6段階の欲求といえども第1〜第5段階の欲求から離れるわけではなく、単にその比率が小さくなっていくものだと思います。

それは、衣食足りている我々現代日本人では、江戸期以前の日本や現代後進国に暮らす人々よりも第1、第2の欲求に対する関心が薄れているのと同様なことでしょう。

第6段階の欲求についてわざわざパキスタン出身の少女について語らずとも、現代日本でも周囲の人々のために働いている人は多数います。 

もっと卑近なところでは我が子を思う親心は殆ど利他の欲求と言っても良いでしょう。 そう考えると、我々人間が連綿と親から子へと命のリレーをしていることから考えて、利他の欲求というものも、人間なら誰しも潜在下には本能的に持っているのではないのでしょうか。

この利他の欲求は、年齢とともに高まる人と、一生無縁と言っても過言ではない人はいるでしょう。

ただ、もしも人が第5の欲求、自己実現までしか知らずに一生を終えたとしたら、その人が生涯に何億、いや何兆円稼いだとしても、その人が死んだ後には墓石しか残らないような気がします。

利他の欲求の最も初歩は例えば挨拶ですね。 挨拶すれば相手も返してくれる。
ついで掃除。 トイレ掃除なんてはじめは嫌なものだと思いますが、皆が喜んでくれるならと思うと嫌ではなくなるのが不思議です。 更には「あ、このウ◯コのこびりつきは☓☓君のものかもしれないな。彼も苦労してるしなぁ…。」なんてことを思いながら素手にもった雑巾でウ◯コを拭き取ったりします。

家族以外も使うトイレ掃除を素手雑巾でこなせる位になると、何か視界が拓けてきます。

あぁ、自分が生きているのは自分が努力しているからなんてあまり関係ないな。 自分を産んだ親や先祖達、あるいは同時代を生きているが自分の食べる食べ物を作ったり運んだり売ったりしてくれる人々がいるから自分はこうしてブログなんぞを書いていられるんだねぇ、てなもんです。

第6段階の頂点にはお釈迦様(実在の人物)らがいるのでしょうし、冒頭のマララさんも私なんかよりはるかにお釈迦様側を前に歩いているのは分かります。

ただ、自分も第5段階までの欲求に押し込められずに、利他の欲求の入り口あたりに居られるのは嬉しい限りです。

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