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2016-12-24 書評 「富国と強兵」 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

「現代の経済学者の大半は貨幣が何なのかを知りません。」
そう断言されたら、誰しも「そんな馬鹿な」と思うことでしょう。

ところが中野剛志氏の近著、「富国と強兵」の冒頭の数章を読めば、現代の経済学者の大半が貨幣を間違って理解していること、更にはその間違った貨幣観から、日本をはじめ多くの国々で間違った政策を提言している現状にも納得されるのではないでしょうか。

早速引用します。

貨幣の起源
流派経済学貨幣観はその開祖たるアダム・スミス以来、金属主義の立場に立ち、物々交換の困難から貨幣が発生する起源を説明してきた。 この金属主義対立する学説が表券主義であるが、貨幣の起源に関心を寄せる歴史学者や社会人類学者の多くは、表券主義の方に与した。それは、物々交換から貨幣が発生したという歴史的事実を発見することができなかったからである。 それどころか、歴史研究によれば、「計算貨幣」や「信用」といった社会制度は、商品交換や金属貨幣の登場よりもはるか昔の古代バビロニア時代以前の文明において、すでに存在していたことがあきらかとなっている。*1

金属主義によれば、貨幣の価値は、貴金属によって裏付けられているはずである。しかし、たとえばイギリスでは、17世紀後半、摩損によって重量を大きく減らした銀貨が流通していたが、物価・地金相場為替相場にはまったく影響を与えなかった。また、イギリス政府は18世紀末から四半世紀の間、ポンドと金の兌換を停止していたが、ポンドが国際通貨としての地位を固めたのは、むしろこの時期であった。*2

経済とは、貨幣を中心とした社会現象である。経済というものは、貨幣の存在なくしては成り立たない。それにもかかわらず、主流派をなす新古典派経済理論は貨幣の本質やその起源について、根本的に間違った理解をしている。*3

まず歴史的経緯から、大変簡潔に主流派経済学貨幣観、「金属主義」の誤りが指摘されています。

なお、金属主義大辞林第三版によれば 
きんぞくしゅぎ【金属主義
貨幣の本質を素材である金属そのものの価値に求める学説
とされています。

それでは、中野氏は正しい貨幣の理解とは何と主張しているのでしょうか。

この金属主義対立する学説は、通貨の価値の根拠は、その発行主体、とりわけ国家主権の権力にあるとみなす「表券主義(cartalism)」である。表券主義者は、貨幣の歴史的な進化や使用において中心的な役割を果たしてきたのは市場ではなく、国家であるとする。
(中略)
もっとも、主流派経済学も、不換紙幣の出現により、金属主義を見直さざるを得なくなってきており、今日では表券主義を支持するようになっている。 この場合、主流派経済学は、国家権力によって強制通用力を与えられた「法貨(fiat money)」として表券貨幣を理解するのが一般的である。
(中略)
これに対して、L・ランダル・レイは、同じく表券主義に立脚しながら、国家が貨幣租税の支払い手段と定めている点が決定的に重要であるという説を唱えている。 彼の議論を要約すれば次のようになる。*4
(以下、大事な議論ですが、ここに書くには書評として重たすぎるので、中略。貨幣とは何かに興味がある方は、ぜひ「富国と強兵」を買って熟読ください)

レイは、貨幣とは負債であるという「信用貨幣論」と、貨幣の価値の源泉は国家権力にあるという「表券主義」を結合させたのである。 このような貨幣論を「国定信用貨幣論」(Credit and State Theories of Money)」と呼んでおこう。


「富国と強兵」では、中野氏は貨幣供給に関して巷間に流布している誤解にもきり込みます。

内生的貨幣供給理論
イングランド銀行季刊誌(2014年春号)は「現代経済における貨幣:入門」に続いて、「現代経済における貨幣の創造」という解説を掲載し、その中で、貨幣供給に関する通俗的な誤りを二つ指摘している。*5
 一つは、銀行は、民間主体が貯蓄するために設けた銀行預金を原資として、貸出しを行っているという見方である。
 しかし、この見方は、銀行が行っている融資活動の実態に合っていない。 現実の銀行による貸出しは、預金を元手に行っているのではない。たとえば、銀行が、借り手のA社の銀行口座に1,000万円を振り込むのは、手元にある1,000万円の現金をA社に渡すのではなく、単に、A社の銀行口座に1,000万円と記帳するだけである。 つまり、この銀行は、何もないところから、新たに1,000万円という預金通貨をつくりだしているのである。
 銀行は、預金という貨幣を元手に貸出を行うのではない。その逆に、貸出しによって預金という貨幣が創造されるのである。貨幣が先で信用取引が後なのではなく、信用取引が先で貨幣が後なのである。このことを理解していたジョセフ・アイロス・シュンペーターは「実際的にも分析的にも、信用の貨幣理論(money theory of credit)よりも貨幣の信用理論(credit theory of money)の方が恐らく好ましいだろう」といったが、確かに的を射ている。
銀行による貸出しは本源的預金による制約を受けずに、借り手の需要に応じて行うことが可能である。銀行は、企業家に対して、理論的にはいくらでも資金を貸出すことができるので、企業家は大規模な事業活動を展開し、技術や事業の革新(innovation)を実現することができる。シュンペーターにとって、この信用制度こそが、資本主義経済発展の中核に位置するものであった。
シュンペーターの指導を受けたミンスキーもまた、次のように述べている。

貨幣がユニークなのは、それが銀行による融資活動の中で創造され、銀行が保有する負債証明書の約定が履行されると破壊される点にある。貨幣はビジネスの通常の過程の中で創造され、破壊されるのだから、その発行額は金融需要に応じたものとなる。銀行が重要なのは貸し手の制約にとらわれずに活動するからにほかならない。 銀行は、資金を貸すのに、元手に資金をもっている必要がないのである。この銀行の弾力性は、長期間にわたって資金を必要とする事業が、そのような資金を必要なだけ入手できるということを意味する。*6

更に、もうひとつの通俗的な誤解についても。

さて、イングランド銀行の解説が貨幣供給を巡る通俗的な誤解として指摘するもう一つの例は、中央銀行が、ベースマネー(現金通貨と準備預金の合計)の量を操作し、経済における融資や預金の量を決定しているという見解である。
この見方によれば、中央銀行ベースマネーの供給が、ある銀行の本源的預金となり、それが貸し出されることよって、銀行システム全体で乗数倍の貸出・預金を形成することになる、いわゆる「貨幣乗数理論」である。この見方が正しければ、銀行による貸出し制約しているのはベースマネーであるから、中央銀行ベースマネーの量を操作することで、貨幣供給の量を操作することができるということになる。
 しかし既に述べたように、銀行は、ベースマネーを貸し出すわけではない。銀行による貸出しは、借り手の預金口座への記帳によって行われるに過ぎないのである。従って、銀行の貸出し(すなわち預金通貨の創出)は、ベースマネーの量に制約されてはいない。もちろん、銀行は貸出しを増やせばそれに応じた準備預金も増やさなければならないので、準備調達の価格(すなわち金利)を調節すれば、銀行の融資活動に影響を及ぼし、貨幣供給を調節することができる。それゆえ、今日の中央銀行は伝統的に、ベースマネーの量ではなく、金利操作を金融政策の主たる政策目標としてきたのである。*7

(中略)
驚くべきことに、経済学の標準的な教科書の中には、イングランド銀行が初学者向けの解説で説いている現実の貨幣供給のプロセスをまったく逆立ちさせたことが書かれており、それが一般に流布しているのである。いわば、現代の天文学の教科書が、天動説を教えているようなものであろう。*8


日本人の著書で、これほど貨幣の本質に踏み込んで、主流派経済学の誤り、およびベースマネー供給を手段とするリフレ政策の誤りをきちんと指摘した本を私は知りません。

そしてこの後も、

−タドリー・ディラードは新古典派経済学の想定(理論の中に、現実の貨幣が存在しない)を「物々交換幻想」とよんだ。
−「アダムの罪」を「ドグマ」にまで仕立てたのがジャン・パティスト・セイだとタドリーはいう。
貨幣中立性、セイの法則はともに、「物々交換幻想」から導かれているもの。
−これらが、リカード、ジョン・スチュワート・ミルら古典派、さらにジェヴォンズメンガーワルラス新古典派にも継承された。
−中でもワルラス経済全体の需要が供給と均衡するという「一般均衡理論」の体系を確立し、新古典派経済学を主流派に押し上げる上で大きな貢献を果たした。
−主流派経済学は、いまなおワルラスが確立した一般均衡から出発して、分析を精緻化したり拡張させたりしているのである。*9 

と、現実の貨幣とは異なる、物々交換の幻想から出発した、古典派、新古典派、更には現代における主流派経済学が俎上にのぼり批判されています。

特に、現代の主流派経済学については、

流派経済学は、日常的な意味における時間の概念や(シェイブテイル注:確率分布では表せないタイプの)「不確実性」を無視することによって、経済現象数理モデルで表現することに成功した。主流派経済学は、分析手法数学化したことによって、数学的な分析こそが厳密な科学という通俗的な科学観に強く訴えかけ、それによって、社会科学の中でも特に大きな影響力を持つに至ったのである。
しかし、不確実性を排除することは、貨幣存在意義を排除することである。ワルラス一般均衡理論で不確実性を排除した時、そこから貨幣も蒸発した。
流派経済学経済モデルが大前提とする「一般均衡理論」が想定するのは、貨幣が存在しない世界なのである。

と、その理論の中に貨幣が存在せず、まったくもって現実の経済から乖離した代物として、厳しく批判されています。

これらの明晰な記述が、20章近くにも及ぶ「富国と強兵」の1章の中の一部に書かれているのですから、恐れ入ります。

 実は、本書の主題は、主流派経済学の根本的誤りを糺すことにはなく、これら正しい貨幣認識に基づく経済学と、厚みのある地政学とが交わるところに、新たな学問、「地政経済学」という視点があり、この視点から世界を俯瞰するとまったく新たなビジョンが生まれるというところにあります。

ただ、その内容にまで踏み込むのはとてもこの簡単なブログの記述では間に合いそうもありません。

この本は、現在の経済や政治について、いろいろな見解を持つ人々に、ぜひ一度は手にとっていただきたい名著です。

富国と強兵

富国と強兵

*1:「富国と強兵」p061

*2:同書 p062

*3:同書 p063

*4:同書 p060

*5:Michel McLeay, Amar Randia and Ryland Thomas, 'Money Creation in the Modern Economiy' Quarterly Bulletin, 2014b, Q1, Bank of England, pp14-27

*6:「富国と強兵」p067

*7:同書 p069

*8:同書 p070

*9:同書 p074

こ↑こ↓こ↑こ↓ 2016/12/24 13:10 面白そうな本だけどすごい難しそうですね

shavetail1shavetail1 2016/12/24 13:14 おっしゃるとおりです。 色々と背景知識がないといきなり読めない部分が多いですね。 第一章に限っても結構なので、ぜひ一般向けに仕立て直した本をみたいところです。

田中リンクス田中リンクス 2017/01/04 14:51 僕も買いましたよ!
三橋さんの本も買って読んだんですけど、より専門チックな中野さんのも読んどかなきゃと。
貨幣とは債務のことである、信用創造とは債務の拡大のことである、預金と現金の違い、日銀当座預金と貸し出しの関係性、金属主義の弊害、現実を見ない主流派経済学、債務を減らして経済成長することなどあり得ない、ぼんやりと捉えていた貨幣や経済に対する理解が一気に深まる本ですよね。
まあでも、マクロ経済にあまり関心がない一般層には敷居が高いのかも。そういう意味では三橋さんの本の方が取っつきやすいかもですね。
三橋さんの主義主張の賛否は置いといて、小難しい理論を分かりやすくて説明する能力は、僕は単純に凄いなと思います。友達に勧めるなら「富国と強兵」ではなく、「日本人が本当は知らないお金の話」を僕は選ぶでしょう。

せいせい 2017/01/04 20:59 昔「金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った 」とか「エンデの遺言」などを読んでお金の本質について考えさせられた事がありましたけれども、経済の専門用語が飛び交うような本格的な書作ではないので、そういう見方もある程度でした。直感的にピンとくるのは何故かこの手の裏話的解説ばかりだったので助かります

こ↑こ↓こ↑こ↓ 2017/01/06 20:55 関係ない話で申し訳ないんですが通貨発行益ってこれは毎年あるものと見て正しいのですかね もう一つはニュースでみずほ総合研究所が大型減税を安倍政権が取り入れるようなことが報道されていますが法人税がメインと考えたほうがよさそうですかね

GokaiGokai 2017/02/08 18:54 >さて、イングランド銀行の解説が貨幣供給を巡る通俗的な誤解として指摘するもう一つの例は、中央銀行が、ベースマネー(現金通貨と準備預金の合計)の量を操作し、経済における融資や預金の量を決定しているという見解である。

・私は中野剛氏が間違っていると思います。
・民間銀行は無からお金を貸し出している拙は安倍よしひろ氏の信用創造の説明2と同じものですが、民銀は提供可能なMBの量の範囲内で貸し出ししているに過ぎず、無いものを貸し出しているわけではありませんね。それゆえに日銀の意向は民銀にとってとても大きく、経済への日銀の金融調節はとても大きな影響を与えます。

通りすがり通りすがり 2017/04/08 11:44 今のところ、自分が必要な知識だと思っているもの:

?簿記の仕訳、そこから貸借対照表、損益計算書がある程度作成できる知識があること。

?建部論文で、銀行簿記、中央銀行簿記の仕訳を知ること。

?準備預金の後積みを知ること。

?日銀の金融調節、および、補完貸付制度等を知ること。

?ポール・デヴィッドソンの『ケインズ経済学の再生』で、「貨幣の非中立性」を知ること。

知識を得るときの態度について必要なもの:

?自分が今まさに完全に間違っている可能性を認めること。

?しっかり自分の考え、言うこと、書くことの裏付けとなる文献をちゃんと探すこと。どこそこのネットに書いてあった、などは文献にはならない。翻訳でも同様。

?分からないことは分からない、知らないことは知らない、と認めること(例:私は簿記の仕訳が出来ません。私は高等数学が分からないので経済学の論文が読めません。私は日銀の金融調節なる言葉は知りません等)。

shavetail1shavetail1 2017/04/08 22:29 通りすがりさま

コメントありがとうございます。
学問に対して真摯な姿勢ですね。頭が下がります。
私もそうありたいと思いつつも、なかなかそこまでの心境に到達できていません。

通りすがり通りすがり 2017/04/09 00:04 私は学問なんてやってません。ただの素人の政治経済オタクなだけです。多くのネット上の「論客」たちは、自分たちが匿名の、たんなるド素人の、政治オタクだということをわかってないんじゃないかと思うことがあります。