『綿矢りさのしくみ』-小谷野さんのパートについて
そして、
人気と話題の小谷野さんについて....
● 小谷野敦さん
うーん、小谷野さんの予備知識なし。この人の本を読んだこと無いけど、どーも読んだらボクに合いそうな主張だとゆー人がいます。ふーん。
これまた文体も内容も、ナイフで豆腐を切るようなスピードと軽さ?で魅力的。おかげで小谷野さんのスタンスや批評能力までそーゆー風に早く確実にわかっちゃう気もします。まずは感動する前に、読みやすくていいです、こーゆー文て。
クールな雰囲気かましながら自分語りビシバシなとこが小谷野さんの面白さかも、などと納得させてくれる、よく読むとお茶目なテキストが、魅力かも。
なワケで、と
P127) 文学は競馬や競輪ではないのだ。
だ・か・ら、売れるか売れないか、ブレイクするどーか、一般商品と同じようにチェックできないと、評論なんてゆーものの、価値はないでしょ?と思うんだけど。
資本主義の一般商品と同じではなく違うというなら、その違いを明らかにするのも論者の大切な仕事だし、それがプロの責任。文学が資本主義一般の商品と違うというなら、その理由を説明しなきゃいけないもの。
とゆーところがギモンとチュウモンを呈したいところですね。
そして小谷野さんの圧倒的にクールでカッコイイ分析が続きます。
「太陽の季節」「限りなく透明に近いブルー」「なんとなく、クリスタル」「日蝕」「挽歌」「海を感じる時」と受賞作などを列挙し、それと比べて以下のようにジャッジするとこが最高。これが小谷野さんによる第一の評価。
P127) 「蹴りたい背中」は、このいずれよりも上である。 特に、日本語が正しい。
そして第二の評価が以下。
P128) 第二に、運びに焦りがない。
さらに
P128) オーソドックスな手法だが、これもいい。 P129) 作者は、設定の凡庸さに慌てていない。
と物語の展開が時間軸に沿っていて、「ハツ」の立ち位置など、評論家などにコビず凡庸な構成を難なくこなしいく「自信」を高く評価してます。
あんまり書くとネタバレになるので、最後に2つ。
P140) どうも最近、文藝評論家の学力の低下が起きているというか、 バカが文藝評論家と名乗る時代になったようである。
気持ちイイのが、このジャッジ。
作家そのものは別として、何事においても評論とか批評というものの質やレベルは気になるもの。ただの論者の自己表現でしかないものが、何だか他者をジャッジしていい特権的なものを感じさせたりしたらムカつくかもしれないし。
最後に
P130) 決定的に分かりにくいのは、ハツの容貌である。
ハッとしたのがこの指摘、じゃないですか?
顔を不問にした物語....といったらレヴィナスから「文脈病」の斎藤環さん、ラカニアンではなくてもフォーカスすべき重要テーマ。「千と千尋の神隠し」の「カオナシ」だってズバリと取り上げた人はいないでしょ。
ZARD並のプロモーションにも匹敵するかもしれない「ハツの容貌」のナゾは、すでに多く語られすぎてる綿矢りささんのカワイサというあからさまな前提があってこその楽しいナゾでもあるもんね。