東郷健と向坂逸郎

東郷健が4月1日に死去。79歳。
向坂逸郎のウイキぺディアの項に、生前の彼との間にあった
次のエピソードが書かれている。
東郷健との対談(『週刊ポスト』1978年新年号)で、向坂は
「ソヴィエト社会主義社会になれば、お前の病気(オカマ)は
治ってしまう」「こんな変な人間を連れて来るなら、もう
小学館の取材には一切応じない」等の暴言を吐き、激怒した
東郷は中座した[3]。関西学院大学で池内信行の薫陶を受けた
東郷曰く、自らは百坪超の豪邸に住まい、都心のアパート家賃の
相場さえ知らない向坂は、全くブルジョアにしか見えなかったという。」
「2002年、東郷の半生記『常識を超えて−オカマの道、七〇年』
ポット出版)出版記念パーティーの席上、社民党総合企画室長(当時)
保坂展人は、党を代表して向坂の発言を取り消し、謝罪した。
また社会主義協会も、論文『セクシュアルマイノリティと人権』
(宮崎留美子)を機関誌『社会主義』同年9月号に掲載し、向坂の
差別発言を自己批判している。」