魯迅謀殺説

魯迅が日本人医師の医療過誤により死んだとの説があるらしい。
「わが父魯迅
周 海嬰(訳:岸田登美子 瀬川千秋 樋口裕子)集英社発行日:2003年5月7日
http://www.kcc.zaq.ne.jp/tosihiro/book-03.html#wagatiti-rojinn
 その根拠として、
①著者のおじが1949年7月に魯迅の妻許広平に宛てた手紙の中での指摘
「すでに上海では須藤医師に謀殺されたとか、誤診をされたのではないかと、
疑う人がいました。義姉はさんはたしか、老医師の治療経過報告書の記載が
実際の治療と異なるとおっしゃっていましたが、これも疑惑のひとつです。」
P80
②建人おじによれば、アグネス・スメドレーの紹介で米国人の肺の専門家に
診察をしてもらい、結核性胸膜炎だがすぐに肋膜の水を抜けば10年は大丈夫と
いう結果だったにもかかわらず、「しかし須藤医師はこの診察を否定し、
彼がようやくその病名を認めて水を抜いたのは、それからひと月以上も
経ってからのことである。」
魯迅の死後須藤医師は治療過程や使用薬品などの報告書を書いているが、
著者によれば、許広平は実際の診療内容と食い違いがあり、肋膜に水が
たまっていると診断した時期をわざと繰り上げていた、とよく話題にしていた。
魯迅を訪日治療するべく招待する企てが日本からあったが、魯迅が拒否した。
また、病状が悪化した時、魯迅は一刻も早くフランス租界へ越したがっていた。
(許夫人回想録では、日中間で開戦となることを予想し、日本租界からフランス
租界へ越そうとした。)
魯迅の死後、著者が病気になった時に、内山完造先生に相談したところ、
「もう須藤医師には頼まない方がいい」とまるで第二の被害者を出しては
いけない、といっているようだった、とおじが主張していた。
 
この本の解説で三宝政美淑徳大学が著者の誤りを指摘し、「魯迅の臨終時の
病状や、その病状に際してとった医師としての須藤氏の対応については、本書
にも登場する医師でありかつ魯迅研究家でもある泉彪之助氏がすでの渾身の
力をこめて考察されており、疑問の余地すらないと筆者には思われる。しかるに
今になってもまだ「謎を解いて欲しい」とする著者の真意ははかりかねる。」と
している。


泉彪之助は福井県立大学名誉教授で藤野厳九郎の研究者、医学史の
論文が多い。
http://www.city.awara.lg.jp/page/soumu/hujinotosyo.html
http://sc.chat-shuffle.net/human/id:2182749