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shengの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-06-23

1人の酒、99人の水

たしか有名な昔話か民話にあった話ですが。

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ある村祭りで、みんなで酒を飲むために、村人全員が少しずつ酒を買って持ち寄ることになった。村人のある一人は「自分一人くらい水を混ぜても、誰も気づくまい」と思いつき、酒を買わずに、容器には代わりに水を詰めて持っていくことにした。

いざ宴会の席で、持ち寄った酒を集めた樽を開き、酒を杯に配ってみると水の味しかしない。つまり水である。「自分一人くらいなら」と村人全員が考えたので、酒を集めるはずが、水しか集まらなかった、という話。

私がその村人の一人だったら、私はちゃんと酒を持っていったと思う。それは善意・誠意でもなんでもなくて、私はあまり周囲の状況を読まないマイペース人間なので、「自分がそうしたければそうする」ことが多い。つまり逆もあるわけで、みんなしてるのにしないってこともある。

そういう感じで私は仕事や生活上のことで、ちょうどこの酒の話のように、自分一人が決められたルールを遵守することがある。先日その理屈を説明したところ、同僚に言われました。

「自分一人がやってればそれでいいってのは、ただの自己満足じゃない。だって周囲に影響を及ぼすわけじゃないし、誰かを同調させる説得力がないもの」


まったくそのとおりで、たとえば99人の水の中に、1人が酒を入れても、圧倒的多数の水にかき消されて結局味は水のままなのだ。

たとえそれが本当に善意や誠意でとった行動でも、実際に酒の味となって表れない限り、だれもその善意に気づかないし、あるいは気づいてもらえたとしても、実効性は何もない。その善行で満たされるのは自分の気持ちだけ=自己満足なのだ。

では自分一人で完結させず、周りに協力を呼びかけてみることにする。これで、ちゃんと酒を持ってくる人が10人に増えたとしよう。それでも90人はまだ水を持ってくる。9:1、少しは酒の香りが混じるかもしれないが、ほとんど水の味しかしないだろう。これが20人、30人に増えたとしても、大差はない。圧倒的に水で薄められた酒に変わりはない。どうしても必要なのは過半数だ。


だが、過半数を超えてしばらくすると、今度は雪崩のように途端に、数字はほぼ100人に急増するんじゃないかと思う。

「みんながやってないから、私もやらなくていいよね」と言う考え方は、実は「みんながやってるから、私もやる」と同じである。趨勢になびく。だから「やっている人」の数が閾値に達した途端、数値は急激に逆転するはず。

そして酒を持ってくる人が100人に近づくと、こう考える人が出てくる。

「みんながやってくれるから、私一人くらいやらなくてもいいよね」

1人、2人なら問題はない。圧倒的多数の酒にかき消されて、味はほとんど酒のままだから。なので、この1人2人は許容できそうだ。許容したいところなんだけど、でもその1人2人を見て、こう言う人たちが増える。

「あの人たちがやらなくていいのなら、私もやらない」


「みんながやってないから、私もやらなくていいよね」

「みんながやるから、私一人くらいやらなくてもいいよね」

「あの人たちがやらなくていいのなら、私もやらない」


こう言った循環をどこかで絶ち切ることができるか? 

まず、人の振り見て我が振りを決めようとするから、こう言うことが起きる。良きにつけ悪しきにつけ、自分がしようと思うならすればいいし、しない理屈があるならしなければいい。でも、そうすると「99人の水の中に、1人の酒を入れる」ような、実に効果のない行為が起こり得る。それに周囲の傾向を読むって言うのは、社会的動物である人間の習性だしなあ。

(初出:2006.11.9.Thu)

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