のんびりライフの鳩日記

日常の、あれこれ感じたことなどをつづります。(不定期更新)

愛の献血物語

 ある休日。遅く起きて、朝食とも昼食ともいえない中途半端な時間に、戸棚にあった食べかけのスナックで空腹を満たす。
 それから、今日こそ読み終わらせようと図書館の本(もちろん、延滞中の)を持ってソファーに座る。けれど、2ページほどもページを繰ると、おなかの上に乗ってきた犬のぬくもりが全身に広がって、うとうとし始まる。
 いかんいかんと、頭を振って睡魔と闘うフリはしても、そもそも起きるつもりは最初からなくて、そのままソファーに倒れ込み、たっぷり2時間は惰眠をむさぼることになる。
 そして、その後もネットサーフィンして人の悪口に同調してストレス発散したり、食べた食器の片付けもせずさらに部屋を荒廃させたり、メリハリのないまま時は過ぎ、気づくと午後3時すぎ。

 時計を見た私の心は、怠惰で非生産的なふるまいへの罪悪感でいっぱいになる。
 このままだと、何の役立にも立たない、社会のごくつぶし人生になってしまう。
 そこで、私は、すっくと立ち上がる。顔を洗って、洋服を着替え、お財布と本を入れたバッグを持って家を出る。
 向かう先は、駅前の献血ルームだ。貴重な人生の一日を無駄にした分、せめて、何か善行で埋め合わせようという、浅はかな自己満足的作戦である。もし自分のパーツが役立つなら、髪や爪も含めてどしどし提供したいところだが、それは先方が遠慮するので、どうにか使ってもらえる血液を差し出すことにする。

 献血センターの入り口を一歩入ると、すぐさま奥のカウンターから笑顔で声をかけられる。この人たちは全てボランティアで、行いそのものが善意であるうえ、血液提供者への対応も丁寧かつフレンドリーなのだ。「良いことをする」という私の目的の100歩ぐらい先をいっている。
 そんなスタッフに導かれて、受付を済ませる。いくつかの質問に答え、お決まりの健康チェックを終えると、しばらく待ち時間がある。そこで、ドリンクの自動販売機のボタンを押して、ぬるめの緑茶を頂く。この自販機は、常にスタンバイ状態で、ボタンさえ押せば、好きなものを好きなだけ飲めるようになっている。さらに横には、おせんべいやクッキーなど小袋に入ったお菓子がふんだんに並べられており、これらはすべて、血液を提供してくれる人に向けた、日本赤十字社によるささやかなるおもてなし、なのだった。
 ドリンクを手に、空いている椅子を探して献血ルームを見渡すと、いつもながら中年以降の年齢の男性が多い。この平日の午後3時過ぎ、私と同じように紙コップとお菓子を前にした人々の多くは、少しよれたTシャツかなんかの普段着で、のんびりとマンガなんかを読んでいる。今日はたまたまお休みなのか、それとも、たまたま働くときもあるのか、毎回感じる謎である。

 そうして本を読みながらしばらくたつと、突然、手元のポケベルが振動しながら甲高い音を立てて鳴りだす。こういう音は、なぜか人を慌てさせるようにできている。私が焦って奥の部屋に向かって歩き出したそのとき、後ろから肩を軽く叩かれた。振り向くと、先ほど目視で確認していた“少しよれた普段着の中年男性”のうちの1人が、すぐ後ろに立っていた。
 「・・・さん?」
名前を呼び掛けられて気付いた。以前、私が幾つか請負の仕事をもらっていた会社で担当をしてくれていた佐藤さんだった。知り合いと思うとフィルターがかかるのか、そこまで気が抜けた服装でもなく、ちゃんとしたポロシャツとチノパンを穿いている。
 先入観で相手の素性を疑っていたことを心の中で詫びながら、まぁ、奇遇ですね、と返事をする。
 しかし、こういう特殊な場所で出合うというのは少し気恥ずかしい。しかもこちらは、怠惰で穢れた体を浄化するために来ているのだ。とっさによそゆきの声を出しながらも、いまひとつ外面を繕い尽くせていない自分を居心地悪く感じていた。
 よく来るんですか?と、私が間抜けな質問を投げかけた直後、奥の部屋からさらに私を探す声がした。佐藤さんは、軽くうなづいてみせると、なかで呼んでますね、とばかりに奥を指差す。私はあ、じゃぁ、と口の中で言いながら軽く会釈をして中に入っていった。

 献血用のベッド椅子は、とてもすわり心地良くできている。堅すぎもせず柔らかすぎもせず、とくに座っているという感覚もなく、ゆったりと身を横たえることができる。看護師さんがその人の好みの角度で上体を起こせるようリクライニングを調節してくれ、下半身がうっ血しないよう、膝も少し高めにあげてくれる。さらにおなかの上に本を読みやすいようクッションを乗せれば準備万端。ここから成分献血を終えるまでの40分近く、全く身動きしないまま過ごすことになる。
 担当の看護師さんが、改めて挨拶をしてきた。まだ若く、献血ルームに着任して間もないのか、ぎこちないぐらいの丁寧すぎる敬語でしゃべりながら、慎重に準備を進めていく。
「針を刺すとき、大変申し訳ありませんが、ちょっとちくっとします。痛すぎたら言ってください。」
 はい、大丈夫ですよ。献血針は、ふつうの注射器より断然太いし、それだけガッツリ痛いのは承知の上ですから、謝らなくてもいいんですよ、と心の中で思いながら、笑顔で「はい」とだけ返す。とはいえ、針を刺されても不思議とほとんど痛くない看護師さんというのも実際いるにはいるのだ。ベテランらしい看護師さんで、なんと素晴らしいスキルかと思い、全然痛くないです!と感動して伝えたら、「たまたまですかね〜」と、あっさり受け流された。ベテランともなると注射を痛くなくできたぐらいのことも、なんということはないらしい。その日の若い看護師さんの注射は、しっかりと痛かったが。
 それからは、私の腕が冷えていたらしく、使い捨てカイロを持ってきて握らせてくれたり、暖かい飲み物を飲まれますか?と言って、お茶まで持ってきてくれた。順調に採血が進んでいるかをチェックしながら、痛みがないか、気分が悪くないかなど、あれこれ気遣ってくれる、この時間が私は好きだ。
 ただベッドに寝ているだけで誰かの役に立とうという、かなりゆるい善意ではあるけれど、そのささやかな善意が、温かみのある丁重さで受け入れられる。生きている人間であれば必ずその内に宿している温かな血液がある、その一点において誰もが平等であり、尊い存在として大切に扱われうる。そして、私は、新鮮な血液を差し出すという犠牲的な行為によって、どこかでいつのまにか犯している自分の罪を、帳消しにしてもらえるような気がする。何かの免罪符を手に入れらたような不思議な安堵感に包まれる。
 ここは、生きている者すべてが、仕事の有無も、性格の良し悪しも、能力の高低も、社会的ポジションも経済状況も、何もかも超えて、ただ同胞のために赤い血を流す行為のもとに尊ばれ、許される場所なのだ。

 「どこか痛いとか、しびれる感じとかありませんか?」
 先ほどの若い看護師さんが再びやってきて、私の顔を覗き込んだ。私の採血バッグに黄色い液体が順調に溜まっているのを確認し、ほっとしたようにうなづくと、私のそばから離れていった。向かった先をみると、採血ベッドの上で腕にチューブがつながった状態で熱心に本を読む佐藤さんがいた。
 今日は平日だけれど、仕事はないのかな?そう考えた瞬間、彼は半年ほど前に会社を辞めていたことを思い出した。詳細は分からない。けれど、体調を崩して退社したとのことだった。最後にあった時、
「昔は教材開発をやっていたんですけどね、いまの営業の仕事はあまり性に合わないかな」
と、細身の体で力なく笑っていた。
 思えば、さっき聞いた声は、昔よりずっと太く強く響いていた。穏やかな表情のせいか、手に持った紙コップとおせんべいが似合っていたようにも思う。

 いつもより少し早目に、私の採血が終わった。そのあとは、再度血圧を測る。血を取られた後に血圧が下がったり、軽い立ちくらみが起きたりするのは良くあることだ。実際それでベッドから解放されなかったことが以前はあったけれど、今日は、すぐにその場を離れられた。
 部屋を出るとき、ちらっと佐藤さんのほうを見てみた。さっきと変わらない姿勢で、静かに本を読んでいた。

 献血は、私にとっての1つの浄化のようなものだと思ってきた。自分が何の価値もない人間のように感じたとき、なにがしかの役に立つことで自分が許されるための。
 けれど、本当は許される必要などなかった。ただ温かい血を流すことで、自分のなかを巡っている温かな生きている尊い存在が思い出せる。もともと持っている、同胞同士の忘れていた絆が、自分の身のうちを流れているのだから。