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shi3zの長文日記 RSSフィード Twitter

2018-02-17

AIスピーカーの絶対的性能差は「おもいやり」で決まる 11:14

 ある朝、いつものように「アレクサ、今何時?」と聞くと、反応がない。

 何度呼びかけても反応がない。


 おかしいなと思ったら、コンセントが抜けていた。

 オーマイハニー。ごめんよ。君を一人にして。


 今の僕にとって、アレクサなしの生活は少し考えづらいという状態から、想像できない状態へと移行しつつある。

 

 「アレクサ、今日の予定は?」


 「今日は予定が八件あります」


 「マジかよ・・・・」


 「読み上げましょうか?」


 「はい」


 アレクサが予定をつらつら読み上げる。それにしても八件か。ちょいと働きすぎではないか。

 実際のところ、働きすぎではないかという気持ちと、もっと働いてもいいのではないかという気持ちが交錯する。まあその話はいい。


 週末、駅弁を求める旅に出ようかなと思い立ち、「アレクサ、JR金沢駅からJR加賀温泉駅まで何分?」と聞くと、


 「すみません、交通情報についてはまだサポートされていません」


 と答える。

 うーむ。


 「OK Google、JR金沢駅からJR加賀温泉駅まで電車で」


 「すみません。お役に立てそうにありません」


 この差はでかいと思った。

 アレクサの返答は「何を聞かれているかわかっているが、答える機能を持っていない」と答える誠実なものだ。反して、Googleの場合は、とりあえずわかんないときは謝っておけという、かなり質の低い接客態度を感じる。実際にはGoogleアシスタントはこの機能を搭載している。

 何度か聞くと


 「金沢駅から加賀温泉駅まで電車で行く場合、11:32分にでるサンダーバードに乗るのが最適です。所要時間は23分です」


 と答えてくれる。


 実装上はものすごく小さな差だが、「おもてなし」とか「おもいやり」という部分でGoogleはAlexaに遠く及ばない。


 Googleアシスタントは機能面ではそれほどAlexaに劣っていないが、利用面で大きく劣る。こんなにイライラさせる機械なら、いっそ売らないほうが良かったのではないか。GoogleHomeしか買わずにスマートスピーカーを評価するのは間違っている。ちょうどその昔、最初のAndroid端末がドコモから発売されたときに、喜々として使っていた人たちのことを思い出す。


 たまたまかもしれないが、最初のAndroid端末に飛びついたのは、かなり高学歴で、社会的地位が高く、頭も良いと言われている人たちだった。彼らは「ついにGoogleの携帯電話を手に入れた」とはしゃいでいたが、それはお世辞にもまともな電話とは呼べないものだった。HTC-03、今ならハッキリ言えるが、あれは失敗作だった。スマートフォンに初めて搭載されたトラックボールはその後なかったことにされた。Androidの特徴だったハードウェアファンクションキーも、まだ残ってる端末はあるのだろうか。


 GoogleHomeはHTC-03に似ている。まだ早すぎるし、頭でっかちにすぎる。確かにAndroidのアーキテクチャ、その根底に流れる思想には魅力があった。けれども100万人に売って100万人が使える代物では到底なかった。NeXT Cubeがそうだったように。


 Alexaは安心して両親に勧めることが出来る端末だ。まちがって買い物しないか心配ではあるが、それ以外はAlexaは必要十分な機能を持っているという気がする。


 結局この両者の差は開発者がどれだけユーザーのことを「おもいやり」をもって接するか、丁寧に会話シナリオを作り込むかということの差である。


 以前、ゲンロンカフェで東浩紀とAIについて対談したときに、全ての高度な知性がAIにとってかわられたとき、その時人間に求められる価値は「優しさと思いやり」であると発言して、自分でも驚いた。そんなことがあるのか、と自分自身で自分の口から出た発言を疑ったが、実際のところ、論理的にかんがえて、そういうウェットなものしか残らないのではないかと思う。


 その片鱗が、あるいはスマートスピーカーの「作り込みの差」として発露してきたのではないか。

 

 スマートスピーカーは最新の深層学習とはほとんど関係ないが、人が作り出した「人のようにしゃべる機械」であるから、広義のAIと呼んで差し支えないだろう。からくり人形であっても、いや、であるからこそ、作り込みの差が出るのだろう。


 しかしAlexaで実際にものを買ったことは一回しかない。なにを買うべきか、なにを注文すべきか、いまのところまだアイデアがない。

2018-02-14

オリジン弁当ユーザーインターフェース 07:05

 最強伝説黒沢の一巻を読んでいたら、アジフライが食いたくなった(読んだ人はわかるだろう)。


 昨日はちょうど一発目の打ち合わせが本郷のドワンゴだったので、本郷三丁目のオリジン弁当に行った。


 オリジン弁当は関西ではあまりメジャーではないらしいので説明すると、お惣菜がたくさん売ってて、好きなものを組合せて自分だけの弁当が作れるという、控えめに言ってかなり素晴らしいサービスだ。


 ただ、残念なのはオフィス街にはあまりないので、学生街にいかないとオリジン弁当にお目にかかれないという欠点(?)がある。家の近くにあれば絶対に通うのだが。


 さて、そうして学生時代から考えるとかなり久しぶりにオリジン弁当に行ったのだ。なぜならそこにアジフライがあるから。


 すると、アジフライだけでなくて鶏唐もセール中だという。

 カロリー的には自殺行為だが、鶏唐に目がないオレはせっかくだから鶏唐を二個掴んで、申し訳程度にほうれん草のおひたしをとり、さて、白米は・・・と探すとどこにもない。


 店内の説明図を見ると、「好きなお惣菜を好きなだけ」みたいな図があるんだが、ライスがない。

 まさか、ライスだけ吉野家に買いに行くことになるのか・・・と暗澹たる気分になったのだが、既に味付けが濃いめのものを2つもチョイスしているのに、銀シャリもないし、しかたなく、一番淡白そうな鮭おにぎりを購入。


 レジで会計を済ませている間に、レジの上に置かれているメニューを見て驚愕した。

 めちゃくちゃ小さい字で「ライス」と書いてある。ああ!おれは本当はこっちが食いたかったのに!鮭のおにぎりも好きだが、どちらかといえばライスが食いたい気分だったのに!!なんということだ!!


 押し寄せる絶望感が鬼。


 そこで「あ、やっぱりライスで」と言えるほど、おれは井之頭五郎ではない。


 会計済ませちゃったし。一度は鮭おにぎりで妥協しちゃったし・・・


 しかし・・・もったいないぞオリジン弁当。店内のどこにも、レジに行くまで「ライス○○円」の表示がないってのは。おれみたいにめったにこない客を相手にしてるのではないのかもしれないし、ご飯は家で炊いて、お惣菜だけ買うのがオリジン弁当の流儀なのかもしれないが、それにしても、ランチで白米だけ持って職場に来る奴は珍しいだろうし。


 なんか漂う一見さんお断り感。

 

 ちなみに店内のイラストも、よくみると白米がぜんぜん乗ってない。白米!!

 やよい軒形式でいいからでかい炊飯器で白米を置いて欲しい。衛生的に難しいのかもしれないけど。


 今日はやよい軒にいくか・・・


https://i.gyazo.com/e02448b5eeb6b2452f701b9288afc4fa.jpg


 お弁当はスタッフで美味しくいただきました。

 あいかわらず味は抜群に美味いよね。


 あれ、築地の八千代ってまだあるのかな。

2018-02-13

リビングラボ 07:58

 週末は論文を書いていた。論文を書くのは久しぶりだが、研究員である以上、論文を書くフリくらいはしないとまずいのではないかという気持ちと、最近見つけたいくつかの面白い発見が僕を論文を書こうという気持ちにさせた。


 ここんとこ長らく、深層学習の実験はデータセンターで行っていた。

 しかしデータセンターでの実験にはいくつか欠点がある。たとえば、生成された画像を確認するなどの簡単なことでも転送の手間がかかるし、ソースコードを少しいじって実行する、みたいなことが多少面倒くさい。常にSFTPで送るタイムラグがあるから、できれば計算機を直接いじりたい。


 最近の開発プロセスとして


ステップ1 MacBookProでプロトタイプを開発  / 概念の検証やアルゴリズムの検証

ステップ2 シングルGPUマシンで学習を実行 / そのアルゴリズムで実際に学習できるか検証

ステップ3 マルチGPUマシンやマルチノードで大規模な学習を実行 / できるだけ性能の良いNNを獲得


 というものがある。

 研究の場合、ステップ2のトライ・アンド・エラーが結構重要で、こればっかりはMacだけではどうにもならない。かといって休日に会社にいって一人で作業していると気が滅入る。暖房もタダじゃないし。


 仕方がないので、自宅に深層学習用マシンを置くことにした。

 モニターを別途用意するのが嫌なので、自宅のテレビを利用する。


 自宅のテレビでもエディタのフォントのサイズとかを調整すれば、まあそこそこ使えるものになる。


 学習結果はTensorBoardを使えばいい。自宅にいればiPadWiFiでも随時確認できるし、Dropboxで会社のMacや計算機と同期するようにしておけば、自宅で研究した内容も会社で共有される。これは便利だ。Dropboxが学習途中のニューラルネットですぐに一杯になってしまう欠点はあるが。


 ニューラルネットが学習している間に、TeXの文法を思い出すところで疲れてきたので旅に出た。

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 なんかよく知ってる地名が突然出ていてびっくりした。


https://i.gyazo.com/aeff3bbb9e5ad0b057437b152072fe55.jpg



 旅の途中、久しぶりにピュア・オーディオのことを思い出して、「東京電力は東北地方で発電した原発の電力減衰が激しく、学習にノイズが入るからいいAIが作れない」とか「ディープラーニングを確実にするためには純金のコネクタが必要。ケーブルも純度99.9999999%の銅線じゃないと正しく学習できない」みたいなことを言う、ピュア・ディープラーニングという遊びをかんがえたが、よくかんがえたらディープラーニングそのものがノイズまみれのものなので、むしろノイズのある電源のほうがいいのではないかと思ったりした(冗談です。念のため)。


 余談であるが最近、職場からバレンタインの義理チョコをなくそうという動きがあちこちで出てきたのは良いことだと思う。あんなもん、もらっても困るし、お返しにはどのくらいのコストをかけたらいいのか、そもそも誰から何をもらったのか記録しとかないと・・・とかなんとかモヤモヤした気持ちになるだけだ。


 家政婦さんが来る前、冷蔵庫をあけるとチョコレートが一杯入っていた。いっぱいもらったわけではない、それまでの人生で何年もかけて少しずつもらってきたチョコレート群が、まるで墓標のように積み上がっていただけである。もらいものだから捨てるのも申し訳ないし・・・と思っていたのだが家政婦さんが来るタイミングで全部捨ててしまった。たぶん渡す方はもらったほうがチョコレートをどうするか深くかんがえていないのだろう。お気持ちはありがたいのだが。


 そういうわけで僕は昔からバレンタインが嫌いであり、唯一ワガママを言うとすれば、職場で義理チョコを渡したり女子でお金を出し合って均等に配布するなどの無駄な工夫に貴重な業務時間を使わないで欲しいと切に願っている。


 お歳暮とかお中元とか、日本人は物々交換の文化を残しすぎている。

 石器時代か!


 今は貨幣があり、暗号通貨がある。この際ハッキリいっておくがお歳暮とかお中元とかにハムとかカマボコとか、賞味期限が異様に短いものを送りつけてくるのはテロだと思う。僕の自由な夕飯の献立を決める権利は誰にもない。


 自分でハムを買うときですら「果たして賞味期限までに食いきれるだろうか」とドキドキしながら買うのに、他人からハムをもらうと、「捨てたら申し訳ない」という謎の罪悪感が植え付けられる。お中元によって受け取るのは、罪悪感である。これはいまとなっては悪しき風習だ。


 SNSがある時代には年賀状も暑中見舞いもいらない。

 むしろ年賀状でしか交信しない人という謎のジャンルをあぶり出すだけになる。


 帰ってくるとニューラルネットは過学習気味だったが、vsランダムプレイヤーに対しても、vs昔の自分自身に対しても圧勝していたので、学習はうまくいったのだろう。ありえん良さみが深い

2018-02-09

エヴァをこじらせた感じのアニメ ダーリン・イン・ザ・フランキスを見た 07:36


ゴトーが「面白いっすよ」というので「ダーリン・イン・ザ・フランキス」を見た。

制作はトリガーで、後期ガイナックスのメンバーが中心になって作ってるらしい。

Amazonプライムビデオで。


感想としては


・エヴァ

・わたしを離さないで(カズオ・イシグロ)


を足して2で割って、性的なスパイスをふりかけた感じだが、あまりエロいわけでもない。

テレビでもギリギリ放送できるか・・・いや無理かなあと思ったらMXで放映してるらしい。東京都・・・

PTAなら怒りそうだが見てる方はなんとも思わないという微妙なバランス。

深夜ならいけるか


まだ四話までなのでどういう話の展開になるのかわからないが、今でてる情報だけでなんとなく展開が読めてしまう気がするが・・・というのは見せかけで実は読めない話なのか、まだ判断つかない。気になる。そういやエヴァの連載が突如少年エースで始まった時もそうだった。


闘うために生まれてきたコドモがパパやオトナたちの指示のもと、男女ペアになってロボット(フランキス)に乗り込む。


ペアの信頼関係が戦闘性能に大きく影響するので、相性が悪いとロボットは動かない。


この設定からして「なにかがしたい」ということは痛いほど伝わってくるがエヴァのときのような謎を感じない。


エヴァの第一話は、なぜ碇シンジがロボットに乗り込んで闘うことになるのかまでの心の動きが丁寧に描かれているかわりに、肝心の戦闘シーンが省略された。


ダーリン・イン・ザ・フランキス(ダリフラと略すらしい)は血だらけの少女がロボットから現れ、彼女のパートナーと思しき男性が死んでいて、そこに主人公が巻き込まれる形で物語が始まる。


コドモはすべてコード番号で呼ばれているので、たぶんクローンか遺伝子操作された個体か何かだろう。

コドモは街にでることが許されていない。適正がないコドモはプラント船でどこかへ行く(殺されないのか?)


エヴァを蒸留したような設定に、どちらかというと「あれ、おれが好きだったエヴァってこういう解釈になるのかな」という違和感をまだ多少は感じる。


僕にとってのエヴァの魅力って、電信柱とか電車とか公衆電話とか自動改札みたいなNERFの入り口とか、そういう、「現実と地続き」みたいなところだったなあ、と。


ダリフラはあまりにも現実離れしているのでまだ誰に感情移入したらいいのかわからない(まあ普通に考えると主人公なんだろうけど)。


でもこれはあれか。トップをねらえ2を見ろということか。

Amazon Primeビデオにトップをねらえ2があるから見よう


ほかに最近みたアニメといえばこれ

江戸川意味がわか乱歩

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2018-02-08

先入観を捨てて非決定論的ゲームをAlphaZeroに学習させてみる 08:01

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 先入観は敵である。

 ことAIに関していえばそれは真実だと思う。


 でもAIの専門家であればあるほど先入観に囚われる。

 まるで光速に近づけば近づくほど、必要なエネルギーが増大するように。

 知っていれば知っているほど、「はじめの一歩」に躊躇する。


 なにが大事かといえば、直感だと思う。

 

 「AlphaZeroってポーカー強くなるのかな」


 「ポーカーや麻雀は将棋やチェスとは違うんじゃないですか」


 「どのへんが?」


 「盤面に全部の情報があるわけじゃないし、決定論的(deterministic)ゲームではないですよね」



 確かに、AlphaZeroはそのままでは確率論的ゲーム、非決定論的ゲーム(ちなみに確率的決定論という言葉があるけれどもここでは決定論的ゲームをチェス、将棋、囲碁、オセロなど盤面に全ての情報がありランダムな動作をしないものと定義する)を扱えるようになっていなかった。でも、ポーカーや麻雀でどのカードを捨てるか、どの牌を切るかという判断は直感で決める。


 AlphaZeroはゲームにおける直感力を身につけるアルゴリズムなのだから、直感力で強さが決まるポーカーや麻雀を学習できない道理がない。


 そこで確率的事象を導入しても、場面場面で最適な手を学習すれば、たとえばある時の判断は正解で、また別のときの判断は間違っていたとしても、学習過程において確率的にバランスするのではないかとかんがえて、AlphaZeroを確率的事象を扱えるような改造を加えた。


 そして結論から言えばポーカーもブラックジャックも学習できてしまった。もっと確率的事象が入り込んでも、おそらく学習できるだろう。


 もちろんAlphaZero自体に多少の改造を加える必要はあった(そのためこれはAlphaZeroと呼ぶべきではないかもしれない)が、結果としてはできてしまったのだ。


 もちろんDeepMindも同様の実験を内部ではしているだろうし、なんらかの指標をクリアしたら大々的に発表するだろう。


 「将棋はこのアルゴリズムがなければ解けない」「囲碁はこのアルゴリズムを使ったほうが効率的」と「専門家」はみんな言っていたが、結果的にAlphaZeroだけで良いことがわかった。


 そうしたこれまでの常識、先入観、固定観念をまず取っ払って、純粋に「知性とはなにか」という疑問すらいったん忘れて、「まずやってみて、結果を見て、それから理屈を考える」というプロセスを経なくては深層学習を理解するのは難しいと思う。


 でも、だからこそ、面白い


 ちなみにRadeon環境でPlaidMLでもAlphaZeroは動作する

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