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shi3zの長文日記 RSSフィード Twitter

2007-09-06 コスト優先でゲームを作るな

僕は最近はあんまり表だってやっていないとはいえ、ゲーム作りの仕事もしているのです。

で、ゲーム作りと言うことに関してなんですが、僕のようにかなりいい加減な経歴で、ドサクサに紛れてゲーム技術エヴァンジャライズとゲーム企画をやっていたという意味ではまあゲームについて語る資格なんてほんとはないんですけど、かれこれ足かけ10年以上はゲームと名の付く仕事に関わっていたので、やっぱりゲームのことになると多少考えることがあります。

いまミュンヘンの空港でパリ行きのルフトハンザの出発を待っています。

暇にあかせてオースチンに住んでる昔の同僚とMSNメッセをしたりして。オースチンは今午前10時。ミュンヘンは午後5時です。

いまはテキサスを中心にモバイルコンテンツのコンサルトをやっている彼なんかと話すと、アメリカの携帯ゲーム事情がかいま見えたりするのですが、数年前からアメリカでは携帯ゲームの調達価格は1000ドルから3000ドルと言われているのですよね。

1000ドル、つまり10万円ですよ。

10万円でゲーム一本って・・・そりゃアメリカで携帯ゲームが流行らないわけだよ。

なんでも、インドとか中国とかにアウトソーシングして、一番安い見積をだしたところから調達しているらしいです。

そもそもゲームを「調達」っていう表現が、もうなんていうか、凄まじいですよね。カルチャーギャップというか。

アメリカではゲーム市場(家庭用ですよ)がけっこう好調な時代だったので、なおのことそのギャップには仰け反りました。

それでも携帯ゲーム専業ベンチャーみたいな会社が自社ビルをカリフォルニアに建てちゃうくらいにはバブル状態だったのです。

なんでそんなビルが立つのかというと、コンテンツ収入かと思ったら、大半はベンチャーキャピタルからの投資と株式公開で得た上場益らしいんですよね。

アメリカの会社は日本よりも簡単に上場できてしまうので全く儲かってない会社が勢いとプレゼンだけで上場したり、巨額のお金を集めたりすることはよくあるのです。

それどころか、上場できなかった会社がベンチャーキャピタリスト(出資者)を相手取り、「おまえがもっと金を出さなかったから上場できなかったんだ!!」という、聞いただけでは理不尽としか思えないようなヤケクソな裁判を起こして、しかも勝訴してしまう例があるくらいです。

そういう、「携帯ゲームバブル」というのは日本よりもバブル度が凄まじくて、なにしろ本当に実態がないわけですからね。

それでそうした集めたお金の大半は、ゲーム開発にいくかと思いきや、なんと開発費でも宣伝費でもなく、有名人のライセンス料になったのです。

超有名スポーツ選手の名前がついているゲームが山ほど登場しました。

で、その有名スポーツ選手はタイトル画面に写真が出てくるだけ。

恐ろしい話ですよね。これって。

あとは超有名ゲームとか、超有名映画とかのタイトルだけ買う、というのもよくありました。

タイトルは有名ホラー映画なのに、ゲーム内容は三目並べとか。

なんでこの国の人たちがアタリショックを引き起こした*1のか、解ったような気がします。

しかし、ゲームというのはそもそも創作物で、コストを相見積している段階でなにか違うのです。

たとえば、これってマンガとか映画とかを相見積するのと同じですよね?

ドクタースランプあられちゃん」と、「リングにかけろ2」だったら、リンかけの方がコスト高かったと思いますけど、実際に爆発的に受けたのはアラレちゃんですよね。そしてアラレちゃんがなければドラゴンボールもドラゴンクエストもないわけです。

企画が決まっていて、制作コストだけを相見積するのなら、まだ理解できなくはないですよ(それでもだいぶ変だと思いますが)。

でも、企画はなんでもよくて、とにかくコストが低いところからゲームを調達して、あとは有名ブランドをくっつければ「大ヒット間違いなしゲーム」のできあがり、というインスタントな発想なのです。

ゲームを作る側の人たちが、なんで自分たちのことを口酸っぱくして「クリエイター」と名乗るのか、解ったような気がしました。

そう言わないと、ゲームが工業製品化してしまうのです。


当然ながら、ゲームは工業製品ではありません。創作物です。

ゲームでは、世界観、物語といった映画やマンガと共通する創作要素以外にも「ゲーム性」という明文化の難しい要素があります。

「このゲームはおもしろいですよ」ということを言葉で説明するのは基本的に不可能です。

もしできるとすれば、「この人が作ったゲームはおもしろいですよ」ということだけです*2

あの時代にスーパーマリオの企画書を見て、「これは絶対おもしろい」と思える人がいたとすれば宮本茂氏だけだと思います。

それに、企画書がどんなにおもしろそうでも、実際にできあがるゲームはめちゃくちゃつまらない、なんていうこともよくあるのがこの世界です。

逆に企画書がどんなにつまらなそうでも、やってみたら無茶苦茶おもしろい、というのもこの世界です。

テトリスが登場する前に、その企画書を見たら100人中100人が企画会議で否決しそうです。あれはよくもわるくも共産圏でつくられた奇跡のような個人作品なのです。


要するに、ゲームで商売をしたければ、まずコストではなくて作品を見ろ、ということです。さらにいえば人を見ろ、ということです。

「10万円の予算で作れるゲーム」を探すのではなく、「10万円の予算で面白いことをしてくれそうな人」を探すべきなのです(たぶん日本には居ませんが)。

悪いことに、コンピュータゲームをつくるプログラマは、プログラムを書くという点ではいわゆるシステム開発会社と変わりません。

システム開発会社の場合、誰が開発してもだいたい同じものができあがると思われがち*3なので、相見積もりになります。

相見積もりで勝つほどにコストを下げて、なおかつヒットするゲームを作るのはまず無理です。

というか、そのくらいの工夫が出来る人だったら、そもそも誰か他人のためにゲームを作ったりしないはずです。


ゲームをビジネスとして10年やってきて、最近ようやく理解したことがあります。

それはゲームビジネスとは、投資事業であるということです。

ゲームがヒットするかどうかは、結局のところ誰にもわかりません。

いくらの投資に対してどのくらいのリワードがあるか、確率論でしかわかりません。

市場の活気、子どもたちの懐具合、ハードの売れ行き、発売直前までわからないライバルの存在、開発途中の路線変更によるゲームシステムの破綻などなど、無数の要素がからみあい、複雑系を成しています。どのゲームが売れるか予想するのは天気予報のようなものです。

ビジネスは確率論ではありません。ビジネスとは、資本を確実に増やすための施策全てです。どんな場合でも、資本は確実に増えなければいけません。そうしなければ給料が払えず、銀行へ利子が払えず、株価は下がる一方になるからです。

確率論が支配する世界で確実性のあるビジネスをする方法はひとつだけです。

それは、できるだけ大量の資本を投下して、できるだけ沢山のゲームを作り、全体として利益を出す確率を上げること。

これはベンチャーキャピタリストや投資銀行がやっているビジネスと何ら代わりがありません。

だからひとつのヒット作品に拘らず、様々なジャンルを出し続けている会社が安定して儲かっています*4

ゲームといえどビジネスとして捉えるとき、誰しも予算の話を抜きには語れません。

しかし、ゲーム開発の予算はあくまで「賭け金」です。賭け金というのはコストカットできません。

もの凄い細部でコスト削減することはあり得ますが、その過程で作る人まで変わってしまったらそれはもう別のゲームです。

よくあるのが、ゲーム制作途中で責任者または企画者が逃げ出してしまい、ゲーム性が定まらず迷走して、それを外からきた別の企画者が企画を再度まとめあげ、ゴールまでもっていく、というパターンです。これで売れたゲームは殆どありません。ゲームは創作物であり、誰かの魂が思いっきりこもっていなければならないからです。

魂のないゲームなど、ユーザは評価しません。

映画でいえば、監督が途中で逃げ出して、見ず知らずの人に替わるようなものです。

他人が途中までつくった作品を引き継いで完成させるのはとても難しいですし、それができるくらいの技量のあるゲームディレクターは、そもそも売れっ子で忙しいのでそんな仕事を引き受けたりしません*5

そういうわけで僕は5年前にその話しを聞いて「この国でゲームを作っていたらいろいろな意味で行き詰まってしまう」と思い、急遽帰国を心に決めたのでした。

戻ってきて作ったのが「銀河七海物語」と「メルルーの秘宝」です。

銀河七海物語は、いまだから言いますが、メルルーの犠牲になってしまったプロジェクトでした。

本来、メルルーの秘宝(のもとになる企画)は、銀河七海物語より半年も前に完成・リリースする予定だったのですが、クライアントの吸収合併やらそのどさくさやらで宙ぶらりんになり、その結果、リリース日だけは共同事業として進めていた韓国の会社との間で死守せざるを得なかった銀河七海物語に費やすリソースが削られてしまい、結果的にできあがったものはひどいバグを沢山抱えていました。当初の企画の1/3以下しか実装ができず、携帯電話ゲームにはよくあることですが、リリースしながら開発を続行したものの、開発者が何人もノイローゼ状態になってしまうような有様で、それでも赤字を垂れ流し続けながら未だに全機能が完成しないまま三年が経過してしまった、という状態です。さすがに今は大半の機能は入りましたが*6、当時はもうそれ以外のことで忙殺されてしまい、完璧に無理でした。会社が潰れてしまってはもともこもないし、あまりに酷いバグが多くてユーザ様が離れていってしまって収入が減り、他の仕事をせざるを得ないし*7、というジレンマに悩み続け、とにかく自分の実力不足を思い知る経験でした。今思えば、よく無一文・無収入でやっていて借金もしないで会社が維持できたものです*8


その後、とにかく同時に二つ以上のオリジナルゲーム開発の仕事は引き受けない、というポリシーでいままでやっています。

だから会社に人数が多い割には新規ゲーム開発のプロジェクトは常に一本しか走っていないのです。

七海とメルルーは、どちらも携帯電話の限界に挑戦するようなつもりで作り、幸いどちらも商売としてはギリギリのところで成立しました。

やっぱりゲームというのは、一度作ったら最後まで面倒みなければならないし、逆にいえばそのくらい全身全霊を傾けて作らなければ、作るだけでもう自分がイヤになってしまいます。

どんなゲームでも、何ヶ月も作っていると、その途中で「これってそんなに面白くないんじゃないの?」と思うことがあります。「実はとんでもなくつまんないゲームなんじゃないの?」とか。

そうなってしまったときに、「そんなことはない、これは絶対面白いゲームにできるんだ」と思い続けなければ面白いゲームは作れないと思いますし、世界で一人くらいは絶対に面白くなることを信じていないとやっぱり最後の最後でくじけます。

ゲーム作りは誰にとっても、自分の大切な人生の時間を賭し、恋人との逢瀬も家族との会話もありとあらゆる誘惑もふりほどいて、何ヶ月も何年もの間、没頭し、悩み続け、考え続けないといけない、まさに命を削って紡ぎ出す仕事なのです。

そんな仕事を、相見積もりでコスト優先でやるなんて、正気の沙汰ではありません。

というか、その発想では永久にいいものにたどり着くことはできません。

 「ゲームは映画と同じような総合創作物である」

アメリカ市場はいつになったらこの当たり前のことを理解するのでしょうか。

映画をつくるのに、予算を値切ることはあっても、安い予算を提示した監督を使う、なんて聞いたこともありません。

面白い映画を撮りたかったら有望と思われる監督に

 「1000万ドルあったらどんな映画がとれる?」

と聞くだけで良いのです。

ハリウッドは映画の企画や脚本の公募はしますが、その脚本に「制作費30億ドル」なんて注釈が書いてあるとは思えません。

ゲームも映画も企画ありきなんだから、まず企画を選ぶところからするべきだと思うのです。

全く逆の話をしますが、とはいえゲームなり映画なりをつくるときに、「予算は考えないで、とにかく最高のものを考えろ」というリクエストも困ります。これは制作経験のないプロデューサーが良く言う台詞のひとつです。

なぜなら実際に予算を考えなくて良いものなんてないからです。

ゲームクリエイターにそんなことを言ったら、「実際の町並みを出来る限りリアルに再現して、その中でクラス人々は実際に生活していて、あらゆる人に話しかけ、あらゆる建物という建物に入ることができるゲーム」などと言い出しかねません*9

だから必ず予算はあるはずで、現実的な予算を示すべきです。

予算は収益予想で決定されます。

「少なくとも2億円の売上が見込めるから、1億円かけよう」というような発想です。

売上が全く見込めないのなら、そんなものは作るべきではありません。プラットフォーム選定かビジネスモデル、もしくはその両方が間違っています。

市場によって「見える売上見込み」というのは決まっています。

だからどの市場にどのくらいの予算ボリュームで出すのかある程度決めてしまってから、「2000万円の予算でできれば1億は稼ぎたい」というように具体的な予算と目標を提示してやれば、クリエイターはその予算を最大限活用しようと考えます。

注意点として、予算を提示するときに絶対にやってはいけないパターンがあります。

それは

 「1000万で好きなものをつくってくれ」

というものです。

これは似ている話ですが、ぜんぜん違います。

こう言われると、二種類の反応があります。

 ・「わかりました!素晴らしくやりがいのある仕事ですね」 (と言いつつ完全に趣味丸出しの個人作品をつくる)

 ・「わかりました!素晴らしくやりがいのある仕事ですね」 (と言いつつ100万円で適当なものをつくる)

どんなに間違っても「好きなもの」を作らせてはいけません。

前者のパターンの方がまだ見込みがあります。これは職人気質のクリエイターの反応です。

後者のパターンは最悪のようですが、ビジネスマンとしては、安く仕入れて高く売るのは当然の市場原理です。こんなオファーを出す方がどうかしています。

こんなむちゃくちゃな話はないだろうって?

いやいや、実は意外とよくある話なのです。

プロデューサーが会社からのミッションとして「今年は少なくとも10本の新作ゲームを総額1億円で作れ*10」というものをもっていて、全部が全部面倒見切れない場合に出てくる発言だったりとか、その他いろいろな事情によってこういうケースは存在します。

もちろん発注側はこんなオファをしてはいけませんし、受注側もこんなオファを受けるべきではありません。

道義上の問題以上に、クライアントが不幸になるような取引をすると必ず自分にしっぺ返しが戻ってくるからです*11

つまり僕が考える最良のゲーム発注というのは

 ・予算と目標値、目標プラットフォームを提示する

 ・なんらかの形で20%以下*12のロイヤリティ*13を受け取る

という条件を満たすものです。ただし例外もあります。

高度な技術は必要とされるが、クリエイティブな部分は外部に委託されている場合です。

つまり完全に制作だけを請け負う、という場合(移植なども含む)です。この場合はコストの相見積もりもあってしかるべき*14です。

ピープルウェアを読んでいたら、「生産性を製品開発にかかった直接的コスト(調達コスト)と製品の利益の割合で出すと、会社全体としてのコストパフォーマンスは(離職率があがるなどして)却って低くなる*15」とか「日本の会社では品質の向上が生産コストをさげることが一般に広く信じられている*16」とか書いてあって

 「そうか、アメリカ人にとってゲーム開発も、生産性などという基準で計られるのか!」

と驚いたのでこのようなエントリを書くことを思いつきました。

アメリカでも、家庭用ゲーム機やPCゲーム機市場では、誰も生産性なんか計算していないと思いますが(投資パフォーマンスの測定はあるかもしれませんけど)、それは会社が正常に儲かっているからで、もともと実入りがほとんどないアメリカのモバイルゲーム業界では、そういう発想がそもそもないのかもしれませんね。

*1:まあアタリショックの原因については粗製濫造以外にも諸説ありますが

*2:これも現在のように複雑化・大規模化してしまったゲームの世界では、誰が本当にその成功要因なのか正確に分析するのは不可能になってきています

*3:これも無知からくる大いなる誤解なのですが

*4:もちろん例外もありますが、ヒット作が少なく、バリエーションも少ない会社はだいぶ淘汰されました

*5:Madビデオの作者のように、ごく希に素人に近くてもとんでもない才能を持った人は居ますが、現在のようなチーム制のゲーム開発の場合、リーダーがいきなり変わってうまくいくことはまずありません

*6:本当は昨年の秋にリリースした船団機能なんかは、3年前にプログラムの半分くらいはできていたのですが

*7:当初の予定より開発期間が大幅に伸びても、そのぶんまでお金をくれる会社はほとんどありません。伸びた分の給料などは全部持ち出しです。6ヶ月の予定が3年に伸びたのですから、小さい会社といえど僕らが持ち出しせざるを得なかった金額は数千万円に上ります

*8:要するに他の仕事を死ぬほどやったわけですが

*9:そういう方もいらっしゃいましたね。凄くいいチャレンジだと思いますが、普通に考えて普通の会社が出せるお金の限度を超えています

*10:投資事業のミッションとしてはありそうです

*11:情けは人のためならず

*12:20%以上のロイヤリティはインセンティブというよりもレベニューシェアになってしまいます

*13:創作物の場合はインセンティブとしてロイヤリティがないと途中でくじけます

*14:とはいえコストを下げると品質に跳ね返ってくるのはこの世の常

*15:最初の記事ではコストパフォーマンスではなくてコストと書いてしまい、まるで逆の意味になってしまいました。すみません

*16:これはあながち間違っていないと思います