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shi3zの長文日記 RSSフィード Twitter

2008-03-10 じゃあ、天才を邪魔しない環境を教育によって作り出すことにするのは

「仮にですよ、ここでトップノッチの子達が育ったとして、日本国内で受け皿ってあるんでしょうか。ぶっちゃけ学生なんて現金なもので、活躍の場さえあれば目を輝かせて頑張ると思うんですよ」

http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20080309/lead

この議論はこの後も参加者のあちこちから聞こえた。

どんなにとんがった奴でも大企業に入ってしまうと数年で丸くなってしまう。道理が解ってきて、根回しという名のライフハックの達人になる。

それで馴染めない人は日本の大企業を飛び出してベンチャーやら外資やらへ逃げてしまう。

このプロジェクトに参加しているのも、日本の名だたる大企業のお偉いさんばかりだというのも、実に道理だ。

要するに彼らは「なぜ優秀な奴らが我々のもとに残ってくれないのか」を危惧しているわけである。

「そういう環境が日本企業にないからだ。日本のトップノッチを育成して、日本の産業界に変革をもたらすのが我々の使命ではないか」と声高に叫ぶのは、IBMマイクロソフトの人間だというのは、もはや失笑を通り越してブラックジョークのようですらある。本当にそういう環境がないのね、という意味で。

そういう人たちの中で、非上場の無名企業経営者として僕が招かれたことの意味というのは、要するにそういう人たちに真横から揺さぶりをかけることだろう。もっと過激なことを言った方が良いのかもしれない。

だったら、リーダー教育とは、というか、教育によるリーダー改革とは、以下のようなものでなければならないだろう。

  • 将来リーダーとなるかもしれない1000人に1人の人間を育てる
  • 将来リーダーとなるかもしれない人間が効率的に仕事ができる環境を作る

つまり、九大の学生さんには申し訳ないが、リーダーとなる教育よりも、リーダーとなれる資質を持つ人間を見つけて、その人間を支援するためには何が必要かという教育論を展開したほうがよほど全体にとって有用な講義になる可能性がある。

とはいえ、まだ22かそこらの学生さんに、「君たちの大半はリーダーになれないから」などという現実を突きつけても拒否反応しか生まれないと思うけど。

でもid:mkusunokの言うように

じゃあかなり志を落として大企業の管理職として必要なスキルを身につけさせるという話になると、MBAとかMOTが既にやっていることだが、会社がそういった能力を発揮する場を提供できず、能力に応じた給与を支払う仕組みも持っておらず、すぐ出る杭を打つのである。

のだとすれば、まず出る杭を打たせないために、将来MBAやMOTくらいは取得するかも知れない、未来のマネージャ候補*1たちに対して、真のリーダーを出現させるためにマネージャとして心得るべきことはなにかを教えた方が良い。

ひょっとするとそういう教育の中からなにかをつかみ取り、天才が才能を開花させるかもしれないし、そうでない場合でも、天才への接し方を予めマネージャが把握していれば、40年後にはずいぶん天才にとって住みやすい国になっていることだろう。

天才と呼ばれるゆえんは、他人とものごとの捉え方や考え方、のめり込み方が圧倒的に違うことだが、天才が苦悩するのは、まさにその違い故である。

日本はそういう、はみだした人間をスポイルする。これはなにも企業に限った話じゃない。幼稚園や小学校からずっとそうだ。

先日、うちの子供がADHDの疑いがあると保育園で指摘された。

AHDHとは、先天性の脳障害である。

びっくりしてどんな症状なのか詳しく聞いてみると、あきれるようなものだった。

  • 給食の時間に席についていない
  • 同じ遊びを長時間持続できない
  • 本を読んでいる途中で他の本を読み始める
  • とにかく集団行動が出来ない

故に、ADHDだと言うのである。僕から見れば、子供らしい行動だし、なにより僕の子供時代と同様の行動パターンで、そりたてて異常行動をとっているようには見えない。

それだけで集団の中で特別視され、スポイルされることは、こういう子供の教育に著しく暗い影を落とす。

Wikipediaで調べると、ADHDの場合、あまりに集中力が持続しないため、学習障害(LD)を引き起こすことがあると言う。

続くADHDとして有名な著名人のリストを見ると、笑ってしまった。


バカバカしい話だが、求める答えがここにあるのかもしれない。

ジョブズやゲイツのような人間が欲しいなら、ADHDが頭角を表すような社会を作ればいい。

こういう、"ちょっとおかしな奴"が集団の中でスポイルされすぎず、ユニークであることや奇怪であることが美徳であるという価値観を作り出せばいい。

ただ、これが先天性の脳障害だとしたら、文字通り、"天才"だったのだということになる。

人工的に脳に障害を与えることは出来ない。

けれども、このADHDという奴はきわめて怪しい症候群で、血液検査でもMRIでも発見できないのだそうな。それはそもそも本当に先天的な障害なのかどうかも、ここでは明らかになっていない。


Wikipediaにもこんな記述がある。


文化的背景と診断・治療環境

伝統的に集団主義を重んじる日本においては、ADHDをもつ者に対する風当たりが厳しい。また、日本においては児童を精神科医や心理学者に診察してもらい、何らかの精神的な問題を抱えていないかをスクリーニングしてもらうのは事実上タブーであり、もっての他であるとの風潮がいまだ根強い。諸外国において、学校に精神科医や心理カウンセラーを配置し、児童を診察し、少しでも異常の兆候があれば問題を隠すのではなくすぐに医師に相談すべきだと教師・親・子供を啓蒙するサポート体制とは対照的である。

なお、ADHDをもつ者への教師や親および同僚の不理解により、本人の人格を否定することの弊害が、ひきこもりやニート化、うつ病PTSDにつながりうることは一般には知られていない。

日本の雇用流動性の特徴もこうしたADHDをもつ人材の社会貢献や社会復帰をきわめて難しくしている要因である。[要出典]

ということは日本の"ひきこもり問題"とは、実は巨大な"天才牧場"である可能性すら考えられる。

もちろん全てのひきこもりが天才であると考えられるほど楽観視はできないだろうが、彼らがネットゲームや2ちゃんねるに費やすエネルギーをもう少し人類のために役立てるような筋道を付けることが必要なのかもしれない。

「NHKにようこそ」を読んでいるとギャグ漫画なのにしばしば絶望的な気分になる。

[rakuten:book:11873421:detail]

とにかくやりたいことが見つからない。人生に夢が持てない。

乱世の英雄、平世の奇人である。

しかし実際には現代はハイテク乱世、経済乱世である。

ただ、子供達の視点からは、それが乱れているように見えない。

「銀のアンカー」で長岡市出身の冴えない大学生がコンビニの陳列棚が級に戦場のように見えて驚愕するという名シーンがあるが、現代日本は半ば意図的に競争が見えないような仕組みを導入しているのだ。

銀のアンカー 1 (ジャンプコミックスデラックス)

銀のアンカー 1 (ジャンプコミックスデラックス)

SIはもはや成熟産業である。

年に数千億も動いているような会社は、乱世のようにはなかなか見えないだろう。

ベンチャー企業はもしかすると、そういう中で事業としてではなく、人材としてのインキュベーション装置くらいにはなれるのかもしれない。

大企業を飛び出してベンチャーを作るだけではなく、ベンチャーを成功させて大企業の人間になる、というパスもある。たとえばGoogleやMicrosoftには買収された会社の幹部というのが大勢居る。

だったら"内定をもらうだけもらったら、全部蹴って自分で会社を作ってみろ"とアジるのもひとつの教育かもしれない。あまりにも乱暴に過ぎるが。

現代は会社を作って借金苦で死ぬということはあまりない。金利が安いから、ほどほどのところでやめておけばリスクはせいぜい職を失うことくらいである。引き際を間違えると手痛い失敗をする。だからうまい失敗の仕方を教えるという観点もある。

ただ、舌の根も乾かぬうちにあれだが、学生がなんの前提もなしに会社を作るのはやっぱりやめた方が良いのだろう。それは未踏の反省を生かすべきだろう。

要するに、技術的天才は経営的天才とは限らないのだ。

そして技術的天才は技術の追求に邁進すべきで、経営的天才とどこかで出会うことによって初めて才能が開花する。

経営的天才とは、要するに技術的天才を正しく見極め、それをうまく事業へ転換できる能力を持った人間である。

技術的天才は天才であるが故にギリギリ一人で生きていくには困らないだろうが、経営的天才と出会うことでお互いの能力を何倍にも引き出すことが出来る。ここでいう、経営的天才とは、フォードやフォーブスや、ターナー、ブランソンを指し、技術的天才とは、アインシュタインやエジソン、フランクリンを指すことにする。

ただし、世の中にはエジソンやゲイツ、ベルのように技術的天才と経営的天才を併せ持つ超天才というものが存在する。しかし日本企業の多くは、その二つが互いを助け合って成長しているという側面がある。井深大盛田昭夫のソニーや、本田宗一郎と藤沢武夫など、枚挙に暇がない。Googleのセルゲイ・ブリンも、エリック・シュミットなしに成功するのは難しかっただろう。


秀才型のマネージャは、これら天才の特性や性向を良く理解し、彼らを見分け、うまく引き立てていくことで成功できる。

そして天才型マネージャ(や天才型技術スペシャリスト)は、天才というものの特性や性向を知ることで、自分の行動に当てはめ、自分が天才型であるという自覚を持つに至る。

天才であるということは良いことばかりのように思えるかもしれないが、むしろこれはとてつもない茨の道だ。

歴史的発明家か、無名のひきこもりか、世界一の大富豪か、無職か、そこには同じような行動特質をもっていたとしても天と地ほどの差がある。

だから自覚を持つに越したことはない。天才とは先天的な障害があるたけではなく、天才に相応しい努力をしないと開花できないのだ。

エジソンと同時期にADHDであった人間は大勢居ただろうが、そういう人間の多くは社会の中でスポイルされ、無名の人間として消えていっただろう。なにしろADHD的特質を持っている人間は、学習障害と呼ばれる現象を併発することが多いため、いわゆるエリートにはなることは難しいからである。

ゲイツとエジソンの差は、エジソンは小学校を中退したが、ゲイツは大学入学までは進んでしまったということなのかもしれない。もちろん時代もある。

しかしゲイツの発明はエジソンに比べるとかなり見劣りするのは否めない。

これは時代が悪いのではなく、よくも悪くもアメリカであってもエジソン型の天才が活躍しにくい世の中になってきているのではないか、ということだと思う。

ここでふと思い出したのは、

 「変人と言われたら褒め言葉だと思え、キチガイと呼ばれることを目標にしろ」

という、中学時代の恩師の台詞である。

彼は宮崎駿の義弟で、美術教師だった。

必要なのは狂おしいまでになにかに熱中することであり、シニカルになにかを批判することよりも、罵倒されることを覚悟でひたすら表現に打ち込むことなのかもしれない。

関係ないがはてブのネガコメ抑制問題に関して 11:42

本題とは関係ないが、はてブのネガコメは抑制するのではなくむしろ奨励していいと思う。

ネガコメっていうのは、書かれる方よりも書く方によほどリスクがある。少なくともネガコメばかり書いている人というのは尊敬されないだろうし、好かれないだろう。

その批判が正しいものでなければ、批判された側よりも批判する側の方がよほど大きなダメージを受けるのである。普通の"賢い"人は誤った情報を見ても単に無視すればいい。

しかしはてブでネガコメを付ける行為というのは、そうしたリスクを負ってなお、欠点を指摘したり、情報を補足したりするという、善行であると言える。

それが幼稚な人格攻撃にしか見えないのだとしたら、第三者から見て、ネガコメをしている人の方が不利益を被っているのだ。要するに自傷行為でしかない。

多くの人が反発する意見こそ、実は正しい。

なぜ反発するのかといえば、それは自分の持っている価値観や世界観が脅威にさらされるからである。

5年前、PS3はXbox360に敗北するというブログを書いたとき、反発以外の反応は無いと言っても良かった。普段仲の良い取引先にすら「shi3zさん、いくらなんでもあれはないと思いますよ」と言われた。

今はどうか

[rakuten:book:12120213:detail]

こんな本が出てしまう。

結果は言わずもがなだ。

小まとめ 11:42

他人と違うことを恥じず、むしろ誇りに思うくらいに図太い神経でなにごとにも挑んだ方が、結局は得をするのではないかと思う。

そして他人と違うことを見つけたら、賞賛するような世の中を作ればいい。

そうすると、それまでは他人と迎合するように抑制されてきた、秀才のふりをした天才が、意外な才能を発揮する日が来るかもしれない。

はてな日記再び 22:38

ひさしぶりにはてな日記に書いてみたけど、やっぱりブログとしては使いにくい。

特に僕みたいに一日に何度も投稿するような使い方には向いていない。

まあでも、手帳にいろんな種類があるように、ブログエンジンにもいろいろな種類があっていいと思う。

はてなダイアリーは、ほぼ日手帳に近い。

使いにくいところもあるが、どこか暖かくて、使い慣れてしまうと、それはそれでけっこう便利なのである。

特にいつもいいなと思うのが、コミュニケーションの敷居の低さ。

so-netブログではぜんぜんトラックバックがもらえなかったが、はてなダイアリーならすぐにいくつもトラックバックがもらえる。

こういうところは、けっこう大きな違いだと思う。

産業スパイのススメ 22:38

ところで世の中には産業スパイという仕事が実在する。

それも、こっそりとやってくるのではなく、堂々と正面玄関から入ってくる。

このビジネスを考えた人は本当に凄いと思う。

そういう会社は、たとえばなんとかデータバンクとか、なんとか商工リサーチとか名乗っていたりする。産業スパイも立派な会社である。


なにしろ本当に堂々と、やってくるのだ。

堂々とやってきてなにをスパイするのか?

会社の財務状況や、あれこれをスパイするのである。

たとえば決算書を見せてくれとか、会社のビジョンを教えてくれとか、社長の考え方をおしえてくれ、とかである。

こうしてインタビューして調査した資料が、クライアントに渡される。

僕はいまのところ会社の経営に関して後ろ暗いところは全くないから、こういうスパイのひとたちが来るとついつい会話が盛り上がってしまう。

ある会議で、「あの会社はどうやって儲かっているんだろう?」という話になった。

そういうときに、産業スパイは実に役に立つ。

予めその会社について徹底的に調べ上げた資料がネット上にアップロードされていて、僕のような会員はそれを好きな時に参照できる。

詳しい情報になればなるほど高い値段がついていく。

なるほどな、と思う。

そして、一見儲かっているように見えるけど、実は内情はボロボロだ、ということが実に手に取るように解ってしまうのだ。産業スパイは恐ろしい。

しかし、だとすると、これって全く、恐ろしいことで、どれだけテレビや雑誌でいいことを言っていても、プロの産業スパイがやってくればそれが嘘だってことがすぐにバレてしまう。

たとえ隠そうとしても、自信がある会社は決して決算書を隠したり事業内容について説明するのをためらったりしないから、そういう会社と調査結果を比較すると、隠そうとしたことそのものがアヤシいと思われてしまう。悪いことはできないのだ。

産業スパイを雇っていて、雇っていたことを忘れていたので、今日ひさしぶりにそんな恩恵に授かってみて、世の中って面白いな、と思ったのだった。

*1:さすがにここには九大修士は必ず入っていてほしい