2008-07-23
■「便利」よりも「不便」で人は買い、「凄い」よりも「面白い」で人は喜ぶ
昨日はWireless Japanのパネルディスカッションに呼ばれたのでぼくなりのユーザエクスペリエンス論というのを拙く主張したのですが、とにかくみんな、「便利だから」ということに囚われすぎじゃないかと思った。
だいたいの場合、「便利だよ」と言われてそれを買うのは現実に不便を感じている人だけ。
過剰に便利を追い求めた一億総便利社会においては、便利であることは前提条件に過ぎない。
便利であるだけでキャズムを超えることはできないと思う。
たとえば車を持ってない人に「車があると便利だよ」といくら主張しても無意味だ。
「レンタカーでいいや」とか「タクシーでいいや」とか、他の便利手段で代替されてしまう。
レンタカー屋もタクシー会社も自動車会社もそれぞれ便利を追及しているわけなので、どれかが絶対的に便利ということはまずない。
翻ってiPhoneを見るに、あれが「便利だから」という理由で受け入れられたり、逆に「不便だから」という理由で敬遠されたりというのはナンセンスだと思うのだ。
「面白そうだから」売れているのだと思う。
そこでUIまたはUEとの関わりがでてくるわけだ。
売れる新製品のUIは「面白そう」である。
実際に面白い場合がある。
その前提の次のステップが実用性、すなわち「便利」ということなのだ。
WindowsとMacOSの進化の歴史を比較すると、動と静がハッキリと別れる。
Macは基本的にUIが変化しない。Windowsは激しく変化する。
なぜなのか。
ハードメーカーとソフトメーカーの違いではないか。
Appleはハードメーカーである。
マシンの外観を変えることで新規性をアピールできる。UIを変えずにUEを変えることができる。
たとえばMacBookを軽量化するだけで新しいエクスペリエンスになる。
Microsoftはソフトメーカーである。
エクスペリエンスを変えるにはソフトに手を加えるしかない
そういうわけで、Windowsは無様なほどに変わり続けているのではないか。
それでもみんなはWindowsを使い続ける。それが習慣なのだ。
「便利」というのが有効なのは習慣を構築する時である。
出先で電話できたら便利、というだけでは人は携帯電話を持ち歩かなかった。
「出先の電話を借りればいい」と信じられていた。
しかしいちど携帯電話を使うと、そんな主張がそもそもナンセンスとわかる。
そして携帯のない状態が不便で物足りなく感じる。
そのとき人は携帯を買うのである。
形態は対称性があるから携帯を使いたい人間がそうでない人間を教化し、普及させるのだ。
最初、ケータイを持ち歩くのは一種のファッションだった。
純粋な必要性からケータイを買う人はほとんどいなかったはずだ。
しかしケータイを持ち歩くことが習慣化すると、ケータイは必要不可欠なものになった。
僕にノートPCが不可欠なのとおなじようなものだ。
不便を感じると人は物を買うが、不便を感じさせるまでが大変なのだ。
つまり新しい商品やサービスを考える場合、「これはあれの二倍便利です」ではだめなのだと思う。
どんなものだってそれなりに便利なのだ。
僕がゲーム屋だから思うのかも知れないが、サービスの勝敗を決するのは面白そう、ということではないか。
どんなに得体のしれない会社の作品でも、「面白そう」とおもったら人は5000円払うのだ。
これはゲームでも音楽でもツールでもいい。
ペンギンを相手にOracleをあげるといっても喜ばない。
けれどもバランスボールは喜ぶかもしれない。
大衆に受けるというのはペンギンにも受けるようなものなのだろうか。
理想は、面白くて便利なもの。
どんなものがあるだろう
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