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shi3zの長文日記 RSSフィード Twitter

2010-05-19

君のつくる会社の仕事は、100年後の誰かが引き継ぎたい仕事だろうか 12:29

ここ一年でずいぶん知人の会社がなくなった。

または、知人が社長じゃなくなっていった。

また、知人でなかったとしても会社のあり方が変わった会社が業界には多く見受けられた。

同時に、会社を作りたい、という相談事もいくつか受けるようになった。


そういう相談事をうけるなかで、UEIの将来のビジョンはなにか、と問われることが多かった。

僕が自社をユビキタスエンターテインメントという正式名称で呼ばずに「ユーイーアイ」と呼ぶようにしているには理由がある。

アイビーエムがそうであるように、シーエスケーがそうであるように、ロックフェラーや伊藤忠がそうであるように、組織の名前というのはなにを意味するのかわからないくらいがちょうどいいと思っているからである。

僕は百年続く仕事をしたい。

僕がやめた後も、死んだ後も、ずっと続いて行くような組織をつくりたいと願っている。



そうした組織において大切なのはなんだろうか?

売上高か、従業員数か、利益か、利益率か、時価総額か。

僕はそのどれもそれほど重要ではないと思っている。



去年のドワンゴの売上高は265億円だった。

ローマ教皇の率いるバチカン市国の国家予算は277億円だ。


しかしバチカンとドワンゴを対等な基準で比べることは無意味だろう。


では売上高2兆円のGoogleとバチカンだったら?

ソマリアの海賊は、資本金2000万円程度で、一回の襲撃あたり1〜2億円程度の身代金収入が見込めるという。

ゴールドマンサックスの売上高は10兆円で総資産は130兆円。

ゴールドマンサックスとバチカンだったら?

米軍の予算は年間60兆円。

米軍とバチカンだったら?



組織そのものの価値を比較する場合、交換可能な価値はわずかで、時価総額も総資産も、その組織全体の持つ価値のうち、交換可能な部分についての価値を示しているに過ぎない。

売上高も利益も、従業員数も時価総額も、組織を測る断面でしかないのだ。


平成20年における東京大学の収入は2000億円。コナミの2009年3月期の売上高は2900億円。

ではコナミと東大は同程度の価値なのか、といえばやはりそれは話が違う、ということになるだろう。



ドワンゴもコナミも、キリスト教も、東京大学も、米軍も、そしてUEIも、組織であることは一緒だ。


しかし、その存在価値に、明らかな違いがあることは疑いようもない。



では組織とはなにを目的として、なにを価値として存在するのだろうか。



ミクロな視点で考えてみよう。

あるベンチャー企業にこんな人がいるとする。

有能なエンジニアで、社交性が高く、勉強会などにも積極的に参加し、そこで講演することもしばしばあるような男性が、会社に居続けるべきかどうか悩んでいる。


この場合、この男性には常に三つの選択肢がある。

ひとつは、そのまま会社で働き続けること。

もうひとつは、もっと条件の良い他の会社に移ること。

最後の一つは、独立して自分の会社を持つこと、である。



組織が小さく、社長がまだ若いうちは、天才的能力を持ったエンジニアなり営業マンなりが社長をやって、小規模なチームを切り盛りするということが可能である。


しかし、人間には必ず能力の限界や衰えがやってくる。

自分の能力が衰えたときに、自分の能力の衰えとともに組織を衰退させるか、それとも組織を永続化させることに努力するかは社長次第だ。


ちょっと腕がいい程度のエンジニアが独立してうまくやれる可能性は10%もない。

そうでなくても10年以内に90%以上の会社は廃業するのだ。どんどんオフショア化が進み、しかもこれだけ動きの速い業界において、自分の腕一本で食って行くには限界があるはずだ。


社長をやってる人間は、その厳しさを知っている。だから社員に三番目の選択肢があることを普段は忘れている。


しかし、そうであろうとなかろうと、他の会社に引き抜かれるリスクは常に考えておかなければいけない。


では、他の会社に引き抜かれないようにするためにはどうするか。

自分の会社が他の会社より魅力的で、その本人がより輝ける場所であると認識してもらわなければならない。そしてもちろん、実際にそうでなければならない。



そうしたとき、会社が優秀な社員に提供できるのはお金だけではない。

もしお金しか価値基準がないとしたら、大銀行以外は生き残れない。あらゆる優秀な人材は大銀行をめざし、ほかの産業は発達しないということになる。


しかし、実際には人にとってお金という基準は二の次だ。

重要なのは、お金そのものではなく、価値観だと思う。


組織とは価値観を提供し、普及させることが最も重要な存在意義なのだ。

そのためには経営の理念がなにより重要である。


経営の理念とは会社にとっての価値観そのものを定義するもので、あらゆる契約、あらゆる製品開発の判断のためになくてはならないものだ。


ところが理念が曖昧なまま会社を作ったり、理念が空回りなまま会社を経営したりというケースがここ数年は非常に多かったのだ。


きっとまじめに理念なんか語るのは照れくさい、カッコわるい、と思っているのだろう。

いい理念が思いつかない、というのもあるかもしれない。


しかし、本来、理念は誰の中にもある。

それは倫理観や価値観といったものだからだ。


そうした自分の内なる倫理観や価値観を一言で言い表し、なかおつ、共感を呼ばなくてはならない。


少なくとも組織の幹部全員は、その理念を共有していなければ組織は組織として正しく機能することができないはずだ。


小規模なベンチャーで理念なき経営が成立するのは、事実上の幹部が社長しかいないからだ。

しかし組織の規模が大きくなればなるほど、組織の永続性が高まれば高まるほど、理念の共有は難しくなり、価値観に多様性が出てくる。


そうなったときにブレないためにこそ、しっかりと芯の通った理念が必要なのである。

そして理念とは判断基準であり、判断基準とは要するに価値観である。


 「なには良くて、なにがダメなのか」


誰にでもわかるかたちでしっかりと定めなければならない。


それができずに失敗している組織でも有名なものがいくつかある。

最たる物は日本の政党だ。


面白いことに、政党に確たる理念はない。理念のようなものを唱えていたとしても、すぐに撤回するのではそれは理念と呼べない。


ただし、その瞬間その瞬間のアドホックな「方針」はある。自民党にも民主党にもある。

これは党首が変わるとまるごとすげ変わっちゃうような土台の弱い理念である。


政党の目的は「政権を穫ること」に集中され、政権を運営すること、でないことが多い。



ところがこの「方針」、つまり「暫定理念」とでもいうべきものが、軸からブレてしまうと、うまくいかない。

理念が崩壊するとそれは単なる烏合の衆になってしまうのだ。




その意味ではバチカンは滅多なことではブレない。細かい宗派の違いはあっても一神教でありイエス・キリストを御子と崇めるところは1000年ブレてない。


理念はなるべく普遍的で、なおかつユニークでなければいけないと思う。

普遍的かつユニークというのは、言うは易し、である。そもそも言葉として矛盾しているのだ。



米軍の理念はブレない。米軍の理念は敵に打ち勝つことだ。

ゴールドマンサックスの理念は手段を選ばず金を集め、増やすことだ。だからその理念には叶っているだろう。


Googleが優秀な人を惹き付けるのは、「世界政府ができたら必要だと思われるものは僕らが先に作ろう」という理念(※要出典)なのかもしれない。実際の理念はhttp://www.google.co.jp/corporate/tenthings.htmlにある。


これをみると、Googleが驚くほど普遍的な理念を持っていることに気づかされる。

普遍的で、なおかつ新しい理念だ。



普遍的であるということは、人々の共感を呼ぶということだ。

多くの人々に支持される理念は、組織を維持する原動力となるのである。


そして同時に、普遍的であるということは、長持ちするということでもある。


もし15世紀のフランスに「王の望む物、望まれるであろう物は全て用意しよう」という理念を掲げた呉服問屋があったとしよう。そうであれば18世紀末にその理念は崩壊してしまうはずである。


つまりこの考え方には普遍性がない。絶対王政でないと成立もしない。


要するに理念に流行り言葉を入れたりするべきでない、というのが僕の考えだ。


いまやっている会社、これからつくろうとする会社の理念に「Web2.0」や「セマンティック」を入れることはもうないと思うが、「モバイル」「クラウド」「スマートフォン」「タッチ」「ユーザーエクスペリエンス」なんかは危険キーワードだ。



こうした流行り言葉を取り入れた理念は解りやすくウケやすいが、同時にそんな浅はかな人しか寄ってこない、ということでもある。


そうして作られた会社は、はじめの数年は驚くほどうまくいくかもしれないが、理念として使われた言葉が廃れてくると、急速にその会社の魅力が色あせてくるものだ。



その結果が、事業売却や会社の解散などに繋がって行くのではないだろうか。


なぜなら本質的に、確固たる理念さえあればどんな形であれ、組織は維持できるからだ。

理念の強固さ、確かさというのは、組織の結びつきの強さそのものと言ってもいい。



だからいまのご時世にこれから会社を作ろうという人にまずお伝えしたいのは、できるだけ普遍的で、強固でユニークな理念を作ろう、ということだ。百年後の若者が、それに共感してそれを一生の仕事に選んでくれるような理念である。


そしてそうした理念を自分が本気で心から信じることだ。

自分すら信じていないような理念を他の人に信じてくれ、というのはムシが良すぎる。

見苦しいくらいに自分の理念を信奉し、語り、伝え続ける。

そうやって初めて人は自分の人生をそれに預けても良いと考えるようになると思うのだ