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shi3zの長文日記 RSSフィード Twitter

2010-08-27

24時間で普通のサラリーマンがゲームデザイナーになる方法 20:12

今週の24,25は、電通の社内セミナーであるDesign Innovation Workshopにみっちり時間を使っていた。


これが想像したよりもずっと大変で、相変わらず電通の人たちの仕事へのひたむきさにはいつも驚かされる。


今回のワークショップの目的は、ズバリ、電通の6000人の社員のなかから選抜された20人の若手電通マンにわずか24時間でゲームデザインのやり方を教えること。


午前中は、電通の細金さん(エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター)による「広告とゲーム」についての講演が30分ほどあったあと、僕のほうから「ゲームデザインの考え方」について2時間の講義。


この講義ではゲームとはなにか?という定義を一通り説明した。

キーフレーズは「ゲームとはルールの定義とそれを守ろうとする力」である。


そしてこうも言った。

「ゲームデザインとは欲望の設計である」と。


これはまだ序の口。ほんの入り口に過ぎない。

なぜなら、このワークショップの目的は、24時間で20人の"ゲームデザイナー"を養成することだからだ。


どんなゲームスクールでも、どんな大学のゲーム学科でもやったことのないこの目標に、どこまで追従できるか、午後からのワークショップこそが本番なのだった。



まず、「ゲームデザイン」を知る前に「ゲームとはなにか?」を知ってもらわなくてはならない。


そこで教材として用意したのは「人狼」だった。


「人狼」はコミュニケーションを中心にした会話ゲームだ。

10人ほどでグループをつくり、グループのなかに数人紛れ込んだ「人の姿をした狼」を探し当てる、というゲームである。


幸い、このワークショップの参加者は誰一人として人狼をプレイしたことがなかった。


選抜メンバーが全員男性だったので、細金さんに無理を言って女性を呼んでもらった。


経験上、この手のゲームで圧倒的に強いのは女性だからだ。


女性は疑いをかけられにくい。男というのは本能的にオンナを疑うということができない。

自分が留守の間に女性が不貞を働いていたら・・・などといちいち考えては仕事に集中できない。


そんなわけで基本的に男は女性を疑えない。と僕は思っている。

だから男はホステスに貢ぐわけだ。


また、グループの中に目立つ存在が居るというのも重要だ。

グループの中に少数存在する、初対面の女性に興味をまったく抱かないでいるのは難しい。


なんとかしてコミュニケーションをとろうとするが、同時にコミュニケーションする方法についてのためらいが生まれるだろう。


こうした葛藤こそが人狼を面白くしている重要なエッセンスであり、スパイスなのだ。



男だけで人狼をやったら、それは単なる仕事になってしまう。

それではゲームの持っている本質的な楽しさに気付くことが難しいのだ。


そういうわけで、20人を二つのグループに分け、そこに飛び入りの女性に参加してもらって12人で人狼を二回遊んでもらった。


最初は戸惑いながら遊んでいた彼らだったが、二回目となると会話が白熱した。

実は彼らの大部分はこのワークショップでは初対面なのだ。当然だろう。6000人も社員がいるのだから、部署が違えばほとんど別の会社だ。


さて、人狼のルールと楽しさがわかったところで、今度は20人を5つのグループに分け、課題を出した。



人狼のルールを改造して、より面白く、少ない人数でも楽しめるようにしよう、という課題だった。


30分の時間を与え、グループごとに別の会議室でブレインストーミングをした。



それが終わったら、今度は5人用のルールを作ってそれぞれ別のチームに遊ばせる。



すると、ゲームのルールを安易に付け加えて複雑にすると、却ってゲームが混乱したり、興をそいだりすることが彼らにも体験できた。



他人の作ったルールのアレンジを遊ぶことで、遊びやすさや遊びにくさ、面白さやジレンマの変化が体感的に学習できたと思う。


人狼をゲームデザインの最初の課題に選んだのは、このゲームが非常にアレンジのしやすいものだったからだ。

人狼は数多くのバリエーションを持ち、たとえばカードの配分を変えるだけでも全く別のゲームになる。

また、新しい職業を追加することも簡単だ。

つまり、アドホックに「ルール」を付け加えることができるのである。

追加したルールによってゲームが台無しになったり、またより面白いスパイスとして機能したりということを一通り体験してもらったあと、オフィシャルの5人用ルールも体験してもらった。

するとプロのゲームデザイナーがデザインすると、驚くほどバランスがとれていることに気付かされる。


人狼のルールは非常にシンプルだ。

しかし、シンプルであるが故に奥深く、人を熱中させるパワーを持っているのである。

さて、しかし僕は実を言うとワークショップの内容はここまでしか考えてなかった。

このまま最終課題に進もうかとも思ったが、もうひとつ重要なことを体験してもらう必要があると思った。


僕はD&Dのキットに入っていたダイスを取り出した。

6面、8面、10面、12面、20面のダイス。

これを各チームに配り、次の課題を出した。


 「それぞれのチームに与えられたダイスを使って、ゲームのルールを考えてください。ただし、初対面の人とコミュニケーションをとるという目的にフォーカスすること」


与えた時間は30分。

再びそれぞれのチームが独立してブレストを始める。

今度の結果は惨憺たるものだった。

実を言うと、ダイスでゲームを作るのは非常に難しいのだ。

しかしダイス・・・確率論による操作というのは数多くのゲームで用いられている重要な手法でもある。


ダイスによる不確実性が効果を発揮するのは、プレイヤーが本当に自分の力でゲームをコントロールしているのだと思い込ませるような状況だけである。


たとえばD&Dにおけるセービングロール。

確率はわかっている。けれども、念を込めてサイコロを振らずにはいられない。

D&DをはじめとするRPGで、筋力や敏捷性が上がるのがうれしいのは、攻撃力や命中率が上がるからである。

そのとき、機械的な数値だけの処理ではかなり味気ないが、確率が加わることでよりゲームに面白味が増すようになる。


確率を使ったゲームの演出、というのはゲームの中毒性の肝をなす部分でもある。

物語が面白くてひきつけるのは、ゲームでなくてもできる。

けれども、「今度こそ」と思ってやってしまうのは、不確実性にその秘密があるのだ。

現実のゴルフやバッティングセンターが面白いのは、肉体による不確実性があるからだ。

あれをロボットのように正確に打ててしまっては面白くない。


だからコンピュータのゴルフゲームも野球ゲームも、不確実性を導入しているのである。

動き回るバーのちょうどいいところでボタンを押したり、風が吹いたりするのは、不確実性をあげるためだ。

あれが全く不確実性のないゲームだとすると、味気もなにもあったものじゃない。

現実の世界でもかなり不確実性の少ないビリヤードのゲームですら、コンピュータでは不確実性を導入するのが当然だ。


不確実性がゼロのゲームというのは、たとえば囲碁や将棋、チェスなどだ。

この種のゲームは理論上、すべての打ち手を計算で求めることができる。

チェスのチャンピオンがコンピュータに負けるのは、当然なのである。

囲碁の名人にコンピュータがまだ適わないのは、囲碁は想定される状況が膨大すぎてまだ最適解を求められないだけなのだ。これもひょっとすると時間の問題かもしれない。

それはそれで面白いけれども、純粋に読み合いだけのゲームはどうしてもマニアックになってしまう。

読み合いだけのゲームは、結局コンピュータの手のひらの上で遊ばされているだけである。

従って、夢中になってひとつのコンピュータ思考ゲームを遊ぶ状況というのはあまり考えられない。

敵の打ち筋に変化がなければ毎回同じシナリオをなぞっているだけのように錯覚してしまうからだ。

ゲームの中毒性を成立させている原因のいくつかは、人は繰り返しが好きだということに尽きるだろう。しかし単なる繰り返しではない。


たとえば僕はときどき筋トレにハマることがある。

目的は主に健康のためだが、筋トレを毎日繰り返していると、確実に昨日よりも体がバージョンアップしているのを実感するのだ。これは快感である。


同じことを繰り返しながらも、毎回ちょっと違う、というのがいいのだ。

この原理はとりわけギャンブルでよく利用されている。

パチンコをやったことがない人はぜひやってみるべきだ。

パチンコというのはほとんどやることは変わらない。

けれども、ある一定の確率でポケットに玉が入ると抽選が開始される。

開始された抽選は、一定確率であたったり外れたりする。

その確率は法律で厳しく決まっている。

しかし、それだけではユーザは飽きてしまう。

そこでパチンコは、演出を入れている。

たとえば、ポケットに玉が入ると、スロットが回りだす。

スロットがあたるかどうかは、実は玉が入った瞬間に決まっている。

しかし、その結果をすぐ見せずに、演出を入れているのだ。

そこに確率変動といって当選確率に波を作ったり(当選確率に波を作ってもトータルの当選確率が法律で決まっているだけだから問題はないようだ)、予告リーチという仕組みを入れてそろそろ大当たりが近づいていることを知らせたりといった工夫が随所に凝らされている。

その結果、よくできたパチンコの台は、ほとんどの場合、同じ映像を繰り返し見ているが、細部が微妙に異なるので飽きにくい、という性質を持っている。

一万円もっていけば軽く一時間くらいは時間がつぶせてしまう。

稀に儲かることもある。

儲かるかどうかに腕は全く関係ない。

パチスロが上手い人というのは居るが、パチンコが上手い人、というのは原理的には有り得ない。あれは究極のスピードくじなのだ。

こんな話をした。

そしていよいよ最終課題。

実際にケータイで遊べるソーシャルゲームの企画だ。

ソーシャルゲームの開発費は、ほかのゲームに比べるとかなり安い。

エリュシオンは予算をかなりかけたほうだが、それでも2000万円程度だ。だからうちみたいに資本力のない会社でも努力とアイデア次第で本格的なゲームを作ることができた。

同じケータイの無料課金のメルルーの秘宝の開発費が四年間で5000万円だったからそれに比べてもだいぶ安い。

PSP用のRPGをまじめに作ったら、少なくとも2億円くらいはかかるだろう。

今回のワークショップで、優れた企画が出たら、電通と共同で事業化する、という話になっていたので、ワークショップの本命は、ここだった。

これまでの講義とワークショップを通して、ゲームにはルールとジレンマ、それと不確実性による面白みが必要なことは伝えた。

それとソーシャルゲーム。

ソーシャルゲームの成功例として、芸者東京の「おみせやさん」を例にとり、ジレンマの介在なしでプレイヤー間のペッティングをさせることによってコミュニケーションツールとして成功している、ということを説明した。


 「さあ、今度は皆さんが僕たちを驚かせる番だ。目標は会員数500万人、売り上げは月1億円。どんな企画があるか考えてみよう」


制限時間はたった五時間。午後11時まで。

果たしていままでの講義の内容をきちんと咀嚼し、自分のものにできているのだろうか。

僕は8時と10時に、各チームを細金さんと回った。

彼らの企画は、最初、仕組みは良いが訴求が薄いものが多かった。

当然だ。その部分については教えてなかったんだから。


 「ゲームはまず遊んでもらわなければ話にならない。遊んだら確実に面白い、というのは弱い。まず遊ぶ気にさせる。話はそれからだ。できるだけわかりやすい、陳腐なテーマを選んで、しかしそのうえで新鮮さも打ち出さなくてはならない」


逆に仕組みの部分は驚くほど完璧にマスターしていた。

さすが日本のトップサラリーマン達である。基本スペックは高い。

実は日本のゲーム会社でいっぱしのゲームクリエイターを名乗っている人たちも、ゲームの仕組みをきちんとクリエイトできる人はほとんど居ない。

「企画」と「設計」は明らかに違う仕事だが、そのあたりの分業が日本のゲーム会社ではあまりできていない。


大多数の人が常に「なんとなく」作っているという印象を僕はいつも受ける。

企画書も仕様書もあるが、仕様書は無視することを前提に作られたりする。

仕様書の意味が、いわゆるシステム開発とは天と地ほどにも違う。

結局、面白さの部分の大半は、実はプログラマーが設計しているというゲームは少なくないのだ。


専門学校であっても、「ゲームの作り方」という作業は学ぶが、ゲームの仕組みそのものを作り出すようなやり方は学ばない。


だから世にあふれるゲームは、何かのコピーか、そのまたコピーしかなくなってしまう。

目新しい要素として入ってくる新システムも、実はあまり目新しくない。

結局、ゲームの個性は世界観や絵柄といったことにしか反映されず、仕組みそのものが発明されることはほとんどない。


コンピュータゲームの業界はそんな感じだが、全く別の発想がうまれている場所として、カードゲームの世界がある。

カードゲームのクリエイターは、非常にクリエイティブだ。

カードゲームはまずプレイするためにも世界全体の要素を頭に叩き込む必要がある。

そして、勝つためにはどうすればいいのか、ということを徹底的に知るわけだ。

カードゲームは、人間一人がすべてのルールを決定することができる数少ない分野だ。

コンピュータゲームは複雑になりすぎ、ゲームデザイナが隅々までそのパラメータを調整するということが非現実的なまでに肥大化してしまった。

だからまず、僕は彼らにカードゲームのデザインの方法を教えた。

そしてゲームの世界とはまず、ゲームデザイナーの世界観によって構成されるのだということを叩き込んだ。

時間があればD&Dのプレイをやらせて偶発性の導入も理解させたかったが、それには少し時間が足りなかった。

しかしいずれにせよ、ここまで徹底的にやっても、実はそれをきちんと咀嚼し、消化できる人はそう滅多に居ない。

その点で、電通マンたちは実に優秀だった。

また、質問が的確だ。

このコンテストの評価基準はどこにあるのか、ポイントはどこか?目的はどこか?そもそも「良いゲーム」の基準とはなにか?


そういうところを基点としてピンポイントでいい質問をしてくる。

こんなに教えがいのある人たちを相手にしたのは初めてだった。


僕のほうが却って教えられることが多かった気がする。

午後11時、僕と細金さんは、銀座のいきつけのイタリアンバーでささやかな打ち上げをした。

発表は翌日の午後1時だ。

いったいどんな企画が出てくるのか。

ゲームデザインの面白さについて、奥深さについて、彼らの真摯さについて、いろんなことを話しながら、気がついたら布団で寝ていた。

翌朝、もはや勝手知ったる電通の25Fに行った。


 「清水さん、昨日どうでした?僕、覚えてないんですけど」


僕も覚えてなかった。

男性と記憶をなくすほど楽しく飲んだのは久しぶりだった。


 「いや、実は昨日、人狼のあとのことはぜんぜん考えてなくてですね」


 「知ってましたよ」


とにやりと笑う。

細金さんという方は、なんと凄い人なのだろう。と、改めて思った。

僕みたいなふたまわりも年下の生意気な小僧を信じて、全社からもっとも優秀な若手を集め、その教育を任せるなんて、ふつうの度量じゃできない。

僕なりに手は抜かなかったつもりだが、これで十分だったのだろうか。

ひどい企画ばかり出てきたらどうしよう。


そんな後悔がちらりと頭をよぎった。

昨夜の10時にみた時点では、全体の出来はよくわからなかった。

アイデアの方向性で、明らかにおかしなものはその場で指摘したし、アドバイスもした。

けど、それだけだ。

すべては彼らが自分たちで考えた企画だ。

果たしてそれをどう評価するか。


プレゼンが始まった。

1チーム10分。

そして僕は、言葉を失った。

それでもコメントを求められたので


 「時間がなかったせいかもしれないけど、プレゼン資料があまり綺麗じゃないね」


と言うと、隣に座っていたコピーライターで12年、という人が口を開いた。


 「プレゼンの装飾なんてのはその道のプロがやればいい。僕は時間ぎりぎりまで、本当にいい企画を作ろうと知恵を絞りつくした。真剣に、命を賭けて。いいものを作れば必ず伝わるはずなんだ」


 「なるほどね」


僕は続けた。

 「そうか・・・。実にコピーライターさんの仕事というのは、本当はそういうことなのかしもれない。たった一文のコピーが、脳にこびりついて離れない。そんなすさまじいパワーを持ったコピーを考えるのに、それがどんなフォントであろうと関係ないというんだよね。けれども、ゲームは違うんだ。お客さんが手にとって、遊んでくれなきゃ話にならない。飴玉が甘くておいしいと知っていても、包み紙がおいしくなさそうに見えたら、誰も手を出さない。飴玉は、包み紙の持つイメージも含めて、ひとつの商品なんだ。ゲームも同じさ。どんなに良く出来たゲームを作っても、遊んでもらおうという気にさせるパッケージがなければ誰にも届きはしないのさ。だから、中身なんかより装飾のほうがしばしば大事にされる。実際のところ、売れるゲームなんてのは中身は二の次で装飾にどれだけお金と時間をかけられるかを競っているようなもんだ」


コピーライター氏はややムッとした顔で僕を見た。

僕はかぶりをふった。

すべてのチームのプレゼンを見て、最後にいざ総括を、と促され、僕はゆっくりとこう切り出した。


 「今回の感想をひとことで言えば、そうだなあ・・・失敗。大失敗」


会場にさっと緊張した空気が流れる。

細金さんは真顔で僕を見る。会場の全員が僕を不安な目で見つめた。

鏡役員だけは、いつものように銀縁眼鏡の奥で少し笑っているようだった。


 「とても後悔している。最悪だよ」


さらに続けた。


 「お願いだから、ゲームをつくろうなんて考えは起こさないで欲しい。僕らの食い扶持がなくなってしまう」

細金さんの顔から緊張が解けた。鏡役員はくすっと悪戯っぽく笑った。

僕はそれを確認してから、続けた。


 「とんでもない敵を作り出すことに加担してしまったと思う。あなたがたは、たった24時間で、本職のゲームデザイナーとほとんど同じ発想ができるようになってしまった。どうか広告業界でおとなしく広告を作り続けて欲しい。僕は普段、人を褒めたりおだてたりすることは滅多にない。だからこの言葉は僕の本心だ。けれども、もしどうしてもというなら、うちの会社に来て欲しい。おっと・・・」


人事担当者にすこし睨まれた。

それはそうだ。


 「どの企画も目が覚めるほど素晴らしかった。プレゼンのテクニックはともかくとして、どれも甲乙つけがたい。皆さんは僕たちの期待以上に凄いものを作り上げてくれた。そういうことに感謝したい」


みんなが安堵した。


 「ところで今回の優勝作品だけど、プレゼンは一番滑っていたけど、僕はこの企画をぜひ事業化したいと思う」


と言って一枚の企画書をみんなに見せた。

アッという声。なぜなら、彼ら自身が採点した結果では、ランク入りさえしていない企画だったからだ。

隣のコピーライター氏のチームが作った企画だった。


 「この企画は、一見するととるに足らない陳腐なものに見えるかもしれない。でも実は、僕はこの企画を一目見た瞬間、聞いてるそばからウズウズしてきた。僕は他人の企画を聞いて、それを作ってみたいと思った経験なんか滅多にない。だがこの味も素っ気も色気もない企画書を見て僕はもう一秒だってここに居たくない。いますぐ会社に戻ってこれを作りたいという衝動を必死で抑えている」


僕はさっきちょっと緊張した議論をしたコピーライター氏を振り返り、笑った。


 「魂はちゃんと伝わってた」


向き直り、僕は最後にこう結んだ。


 「この二日間は、僕にとっても本当に素晴らしい体験だった。僕が伝えたいことをこれほどまで完璧に理解してくれた人たちはいなかった。みなさんが真剣に僕の言葉に耳を傾け、自分の頭で必死に考えてくれた結果だと思う。本当に、みなさん、どうもありがとうございます」



優勝チームの商品は「究極の人狼」セットだ。

ドイツからの輸入品で、ボードゲームショップに入荷するそばから売れていくという超人気商品だ。


今回は時間の都合でどうしても2セットしか用意できなかった。

そこで残りは同じルールの「隠密作戦」と、これまたドイツの名作「ニムト」をプレゼントした。


事業化しま賞の商品は、「カタンの開拓者」ポケッタブルバージョンだ。

これもいわずとしれた傑作ゲームである。


この二日間、本当にすごい体験をした。

こんな体験ができたのも、鏡役員と細金さんの理解の賜物だ。

こんな凄い人たち相手に僕は自分の文化遺伝子<ミーム>を、彼ら優秀な電通マンに受精させ、彼らはその落とし子として素晴らしい企画を書き上げた。


いわばいまや電通には20人の僕の分身、僕の考え方をすべてマスターし、いつでも模倣できる仮想の清水亮が居るのである。


こりゃあもう、電通からコンサルと称してお金を巻き上げることは金輪際、出来そうにないぞ。会社は大損だな、と思ったのは本当だ。



それでもなんだか妙な満足感があった。

その日は、うまく言えないけれども、なにかとても満たされたような幸せがあった。


新宿のつな八で天麩羅を食べて、それから映画を見て、そしてひさしぶりにぐっすりと眠ったのだった。