2011-11-03
■人生を輝かしい物語にする、たった一つの秘訣
僕が勤務する、UEI/ARC(秋葉原リサーチセンター)の大半のメンバーは、大学生だ。
プログラマーも居れば、wise9のブログを編集するためのスタッフや、海外の面白い記事を見つけて来て僕たちのためだけに翻訳する翻訳スタッフも居る。全体の男女比は6:4くらい。毎日来る子もいれば、たまにひょっこり顔を出す子も居る。そういう、出入り自由なたまり場みたいな場所を作りたかった。
若い人たちと話をすると、いつもいろいろな発見がある。
彼らの悩みを聞いたり、助言を求められたりすることもある。
彼らの悩みは、たとえば進路とか、生き方とか、たいがいは共通したものだ。でも悩み方も解決の糸口もみんな違っている。
人には向き不向きというのがあるから、通り一遍の答えはできない。
それでも誰にでも共通して言うことがある。
「もし、自分が輝かしい人生を送りたいのなら、まず周囲の人を輝かせよう」
誰の言葉だったかな。ココ・シャネルだったかもしれない。違ったかもしれない。
なんとなく、音楽の先生に聞いたような気もする。
でもこの言葉は、とても的を射ていると思う。
これは最も簡単で、最も効果的な方法だと思う。
自分はなにもしなくてもいい。ただ、周囲の人を輝かせればいいのだ。
自分自身が輝くことに比べたら、どれだけ簡単だろうか。
僕にとって、人生は一遍の物語だ。
ブログで物語を綴るために、僕は生きていると言ってもいい。
節目、節目でできるだけいいエンディングになるように気をつけることにしている。
それはプロジェクトの始まりや終わりだったり、山場だったり、いろいろだ。
周囲の人びとが生き生きとしていない物語なんか面白いだろうか。
どんな名作映画でも、主人公だけが活躍したら盛り上がらない。
主人公の傍にはいつも絶対の信頼がおける仲間が居て、互いに実力を認め合いながらも、決して馴れ合わないライバルが居て、尊敬すべき絶対者としての師が居て、そして障害を乗り越えていくことで、物語は盛り上がり、輝かしいものになる。
そのとき、たとえ仇敵でさえも、輝かしい存在にしたら、その物語はどれだけ素晴らしいものになるだろうか。
たとえば、機動戦士ガンダムのシャア・アズナブルや、シャーロック・ホームズの宿敵、モリアーティ教授といった好敵手が居るからこそ、人生という物語すべてが輝かしいものに変わっていくのではないか。
そして僕は敵のいない物語が好きだ。
映画でいえば、「アポロ13」や、「日本沈没」。
みんなで力を合わせて、障害を克服する物語が好きなのだ。
だからいつの頃からか、僕のブログには「敵」を登場させないことにした。
現実には、人生には敵が居る。
憎むべき絶対悪も存在すると思う。
けれども、それを物語にするかどうかは全く別の問題だ。
物語には敵はなるべくいないほうがいい。
もし、どうしても尊敬できない、好きになれない相手が身近に居るとしたら、それはひとつのチャンスだ。どうすればその人を輝かしい人にすることができるか考えてみよう。なあに、ダメなら諦めればいい。けれども、どうすれば嫌いな人を輝かしい人にできるか考えることは、とても貴重な訓練になる。
しかもこれに相手の協力はなにひとついらない。
そこがこの方法の素晴らしいところだ。
あくまでも「物語」のなかで輝かしいものにするのである。
その人には「憎まれ役」を演じてもらえばいい。でも「輝かしい」憎まれ役とはなんだろうか。
たとえば自分に嫌味ばかり言う嫌な先輩が居たとしよう。
彼はなぜそんな態度を取るのか。嫌味を言うのは相手のコンプレックスの裏返しだ。
彼と自分はどう違うんだろう。それを反転させて考えれば、彼はどんなコンプレックスを抱いているのか、想像することができる。
では物語に彼がコンプレックスに悩むシーンを入れてみたらどうだろう。
これもただ想像するだけでいい。
たいていの嫌な相手は、この想像をするだけでも許せるようになる。
でも嫌味を言う態度そのものが、彼から消えるわけではない。
嫌味を言うのをやめてもらうのはもっと簡単だ。
他の人と一緒に居るときに、その人のことを褒めればいい。
「そんなこと出来ない!」
と若い人は言う。
けれども、そんなことはないのだ。
服のセンスがいいとか、腕っ節が強そうとか、意志が強いとか、友達が沢山居そうだとか、なんでもいい。褒めてあげればいいのである。
人間は正面から褒められると絶対にすぐには抵抗できない。
直接褒めるのは物語として嘘くさいから、共通の知人を通して褒めるのである。
コンプレックスを持っている相手に褒められるということは、その人にとってはコンプレックスの擬似的な解消になる。
嫌味を言うのはやめるだろう。
また、たいていの物語では、嫌味を言ってくる憎まれ役が輝かしいものになるときは、主人公との友情に目覚めたときだ。
実際、僕はこのやり方で、中学生の時にクラスで一番腕っぷしの強かったいじめっ子と、卒業間際にはお互いの進路を相談しあい、励まし合う仲間になった。
彼は高校受験に失敗してしまったが、一念発起して慶應に入り、今は霞ヶ関で官僚をしている。
彼との友情を僕はいまでは誇りに思っている。
それでも絶対に仲良くなれない相手というのは居る。
そういう人のことは、物語に出さなければいい。
周りの友達や両親や恩師、上司や先輩、後輩といった相手を輝かしくするのはもっと簡単だ。
いいところを見つけて、相手のいないところで褒めればいい。
もちろんチャンスがあれば、本人の前でやってもいい。
どういうときがチャンスかというと、たとえば職場やサークルに新人が入って来たときだ。
自分が相手を紹介するときに、ちょっと一言付け加えるだけでいい。
「サークルで一番のイケメンの○○くん」だとか、「我が部のマドンナ、○○さん」だとか、相手がちょっと照れくさくなってしまうような一言、でもまんざら嘘でもないような言葉を付け加える。
これだけで、周囲の人はあなたを好きになり、新しく入って来た人も、「この場を支配しているのはあなただ」と思い始めるだろう。これが「周囲の人を輝かせることで自分を輝かせる」というテクニックだ。
このテクニックのいいところは、誰でもできるということだ。
しかもコストもかからないし努力もいらない。
継続しないと意味が無い、という安いダイエットグッズみたいなことはない。
思い出したように、ときどきこれをやればいい。
最初は戸惑うが(僕だってそうだった)、いざやってみると、予想外に気持ちいいものだ。
ちなみにこの手法はもちろん僕のオリジナルではない。
もっとも古い例を思い出そうとすれば、ギリシアの哲学者、プラトンだ。
プラトンの著書は、その師、ソクラテスとの対話という形式を用いられていることが多い。
僕のブログに対話の部分が多いのは、実はプラトンに強い影響を受けているからだ。
対話という形式なので、かなり古い本であっても非常に読みやすい。
僕は、プラトンは偉大な学者だったが、彼は自分自身が偉大であるという主張を直接しないように、この対話形式を用いたのではないかと考えている。
「ソクラテスの弁明」では、プラトンの師、ソクラテスを「世界最高の賢人」として紹介し、彼がいかにして「無知の知」を得て、そして理不尽に処刑されたか、その前にどんなことを語ったか、ということを描いている。
これをもしソクラテス自身が自らを「世界最高の賢人」と紹介したら、いかにも間抜けな物語になっていたはずで、ソクラテスは自ら本を書いていないので、ソクラテスの思想と呼ばれるものは総てプラトンが後に対話形式で書いたものからしか解らないようになっている。
自らの師、ソクラテスを世界最高の賢人としたことで、間接的に「その弟子」であるプラトン自身も輝きを持つようになっている。
また、対話形式を用いることで、ソクラテスとプラトンの知性をかなり近く対等に見せることに成功している。
近年では、ソニーにおける井深大と盛田昭夫、ホンダにおける本田宗一郎と藤沢武夫が、お互いがお互いを褒め合うというやり方で成功した。
お笑いでいえば、おぎやはぎも同様だろう。
ずば抜けてコントが面白いとも思えないが、お互いを褒め合ってる姿を見ていると微笑ましくてなぜか笑ってしまう。
このテクニックを、「単におべんちゃらを言ってる」だとか、「友達を自慢しろ」と言っていると捉えないで欲しい。
おべんちゃらというのは、心にもないことを言うということだ。
この手法の肝は、物語として人生や生活を捉え、物語として美しい展開をするために相手を理解し、心から褒める、認める、というところにある。
また、単なる「友達自慢」は意味が無い。それどころかあなたをどんどん惨めにしてしまう。
聞いてる方は退屈だし、「で、そのご立派な友達を持ってる空っぽのあんたはなんなの?」という結論になってしまうから注意だ。
知らない人に「おれの友達凄いんだぜ」と自慢するのではなく、凄い友達を実際に紹介して、まずは「共通の知人」にしよう。それから、彼がいないところで彼を褒めればいい。
僕も実際にこのテクニックを使われて、落ちてしまったことがある。
頓知・の井口さんだ。
僕は当初、井口さんのことを全く好きになれなかった。
セカイカメラのビデオは完全にインチキだったし、実際にいくつかの場所で「あれはインチキ」と公言したこともある。同じイベントに登壇するのを拒否したこともある。
けれども井口さんは、そこまで言ってる僕に対して、「清水さんのプレゼンが好きだ。尊敬している」と言ったのである。
僕はかなり頑固で偏屈な方だが、ここまでストレートな言い方をされると、ばつが悪くなってしまった。
その場はお茶を濁したが、その後も、ことあるごとに彼は僕を褒めまくった。
「井口さんが清水さんをすごく褒めてましたよ」
ことあるごとにいろんな人から話を聞くと、さすがに僕も悪態はつきにくくなってくる。
僕だってロボットじゃない。泥臭い人間なんだ。
けれども実際のところ、一年もするとiPhoneは機能強化され、セカイカメラはインチキではなくなってしまった。
ある学者はこれを「嘘から出たマコト商法」と呼んだ。
それから、彼が「一緒にオースチンに行って一旗揚げましょう」と言って来た。
そんな面白いことに、これほど悪態をついてる僕を誘ってくれるなんて、なにか企んでるんじゃないのか、と警戒した。
しかしもはやセカイカメラはインチキではなくなった。
文句を言う筋合いもない。
それから、僕は井口さんに籠絡され、今では彼は僕を「亮さん」と呼ぶ。
そんな呼び方で僕を呼ぶ人は世界中で彼だけだ。
彼の人たらしの技はとんでもないレベルにある。と思った。
実際、頓知・は井口さんによって次々と優秀なプログラマーがヘッドハントしていった。
凄いプログラマーが揃って、セカイカメラはそうして「嘘からマコト」に変わった。
彼はそうやって、周りの人をキラキラと輝かせているんだろう。
そういう人の周りには、やっぱり本当にキラキラした人が集まってくる。
というよりも、そういう人の周りにいると、誰でもキラキラと輝くことができるのだ。
率直に言って、孤高の天才なんてカッコ良くもなんともない。
そういう人生は惨めだ。
キラキラした仲間に囲まれて生きることが、自分がキラキラと輝く最短の道なのだ。
そしてそれはいますぐできる。
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