Hatena::ブログ(Diary)

UEI/ARC shi3zの日記 RSSフィード

2011-12-26

2011年の正義

2011年。あまりにも多くのことがあった。

金正日が死に、カダフィが死に、ジョブズが死んだ。

それよりもずっと多くて貴重な命が、東北地方を中心に失われた。


福島の仮設住宅に住む親類と電話で話をした。

元気そうで明るい声に少し安堵を覚えたが、冬に向けて壁と窓を二重化したらしい。

東北の冬は厳しい。

僕も新潟のうまれだから、豪雪地帯の冬がどれだけ厳しいか知っているつもりだ。

それでも彼らは懸命に生きている。


震災はまだ終わっていない。

むしろこれからが本番なのだ。


原発がメルトダウンした。

あってはならない事故が日本で起きた。


10年前、Microsoftは「Meltdown Tokyo」というイベントを毎年開いていた。

DirectXだ。そのシンボルは、御馴染みの放射能マークだ。


そのイベントの裏方として、学生時代の僕は日夜走り回っていた。

Meltdown Tokyoが僕の青春だった。


その言葉がこんなに悲しい意味に変わるなんて、僕は若き日の自分の無自覚な行動を恥ずかしいと思う。


東京近辺で本当にメルトダウンが起きたとき、これほどまでに人々が嘆き、悲しみ、そして落胆する日がやってくるということを想像できなかった。



最近、いろんな人と酒を酌み交わす。

小さな子供の居る人は、「輸入品しか食べさせない」と言っていた。

「国産の食べ物は極力、口にしない」と。産地に何が書いてあろうと信用できない。

未だに九州に家族を疎開させたままの人も居る。


放射能が恐い。

そんな日が、まさか21世紀の日本に訪れるとは。



なにが正しくて、なにが間違っているのか、もはやなんとも言えない。



3月11日、正直に言えば僕は日本に帰ってくるのが恐かった。

地震と放射能。


僕は部下を連れていた。

彼らの安全を守る義務が僕にはあった。


それ以上に、僕は自分自身が放射能を恐れていた。

最悪のシナリオさえ想定した。

会社の海外移転、少なくとも関西地方への移転まではかなり真剣に考えた。


議論を重ね、最悪の最悪を想定して、部下のひとりひとりに、本当に帰国を望むか、確認した。


帰路についたとき、僕は自らが甘い判断をして、彼らを地獄に叩き落とそうとしているのではないかという思いを棄てきれなかった。


かといって、東京に残したもっと多くの仲間達を見捨てることなどもってのほかだった。



そうして東京に戻って来た。

あまりにもあっけらかんとした東京。

いつもと何も変わってないような東京。


この国の国民達の能天気さに、少し心が救われた。

幸いいま、日本にそれほど大きな混乱は起きていない。

起きているのは静かな混乱だ。


東京に戻るあいだ、そして戻ったあとも、僕はずっと自分に問いかけていた。

正義とはなにか。


正しいことなんてない。

絶対悪もなければ、絶対の正義もない。


もう単純な正義を信じるほど、残念ながら僕も若くはない。

けれども、誰もがひとつくらいは、自分が成すべきこと、自分だけにできること、やらなければならないこと、自分だけの正義を持っているはずだ。


僕の正義はなにか。


今年ほど、自分の中の正義とはなにか、自分に問いかけたことはなかった。

目の前で災害に苦しむ人たちがいる。

それを看過するのが正義か。


一方で、災害から遠ざかりたい人たちがいる。

それを助けるのが正義か。


僕がもし福島で農家をやっていたとしたら、できるだけその土地から外に出たくはない。

否応無しに生活を変えなければならなくなったとしても、それで他の土地にすぐ引っ越せるほどタフになれない。地元で仕事をして、生活をしたい。農協が買ってくれる限りは、作物を作る。それしか自分にはできない。そして地元が復興するために身を捧げたい。それが正義だっただろう。


僕にもし妊娠中の妻がいたら、万が一のことを考えて、できるだけ放射能から遠ざけたい。貯金の許す限り、彼女を遠くへ逃がしたろう。国産のものはすべて疑い、徹底的に排除する。輸入品という札がついていても信じず、全てをガイガーカウンターで測るだろう。それが正義だ。



この二つの正義は、同じ国のなかにあってさえ、対立する。


今の僕は、このどちらの当事者でもない。

身近に被災した人がいるというだけで、僕はどこまでも傍観者だ。


僕は無力だ。

経営者は決して自由な人間ではない。


経済合理性という目に見えない掟のなかで、貪欲な人間を演じることを求められる。


映画「梟の城」では、豊臣秀吉が自分を暗殺に着た忍者にこう言う台詞を言う。



 「私を殺してどうなる。私はたんに、世間が求める豊臣秀吉という役を演じているただの駒に過ぎぬ」



経営者も同じだ。

貪欲で、強欲な経営者を人生の場面のそこかしこで演じる必要がある。


本当の自分などどこにもない。


サラリーマンだって同じだ。

仕事のシーンでは、誰もが非情であることを求められる。


最近、新卒募集をすることになった関係で、さまざまな就活性と話をする。

彼らはまだ若く、社会を知らない。それが強みでもあり、弱みでもある。



ひとたび社会に出て、会社の理不尽さに曝されてみればいい。

僕とて表向きは涼しい顔をして、残酷なまでの要求を相手に突きつけたことは数えきれない。


僕は必要とあれば、どれだけ好きな相手であっても、相手がどれだけ自分を好いていてくれても、すぐに切り捨てる覚悟を要求されている。そしてその覚悟がある。


サラリーマンの時もそう。

交渉ごとの場面場面で、理不尽なことを言う人は日常茶飯事だ。

楽な仕事なんでない。


経済合理性という、目に見えない鎖は、資本主義という危うい欲望を束ねるための要だ。

ありとあらゆる社会人が経済合理性の鎖に縛られている。


ただひとつ、それに抗う力がある。

それが正義だ。


自分のなかの正義が、経済合理性を超えたとき、人は自らを社会の枠からはみ出させることができる。


僕と直接やりとりしていたクライアントの担当者で、会社の理不尽に腹を立て、転職した人を何人も知っている。


会社は理不尽を要求する。それは一度や二度ではない。

そのうえで、正義を成すには、むしろ誰よりもはっきりと、自らの正義を自覚する必要がある。


誰もが同じ正義を持つ必要はないし、誰もが同じ正義を持つことはできない。

正義は多次元のベクトルであり、そのうちのいくつかが重なることはあっても、完全に同じになることは、ない。



誰もが目に見えない、自らの正義を持っている。

けれども経営者ほど、その正義を求められる仕事はないだろう。


結局のところ、会社の経営というのは、トップの正義によっていかようにも変わってしまう。

正義と経済合理性のせめぎ合いが、経営であり、ビジョンであると言ってもいい。

少なくとも僕にとってはそうだ。


そして今ほど自らの正義について問われたことは、ちょっとない。

歴史の大きな変動がいま、起こっているのだ。


今年は、その意味でもとても印象的な出来事があった。

うちの会社(UEI)が運営しているサービスのひとつを、買収したいという会社があったのだ。

その社長と僕は会談を設けた。

いろいろと儀礼的なやりとりがあって、先方の社長はこう言った。


 「あれこそ、我が社が求めていたサービスです。いくらなら売ってもらえますか?」


そのとき、僕はこう言った。



 「あれは僕の正義を成すために必要なものです。正義は売れません」



それで物別れに終わった。

単純な経済合理性に基づけば、売った方が良かったかもしれない。

けれどもそれは僕の正義に合わなかった。

経済合理性の帳尻は、他の事業で賄えばいい。


盟友の田中泰生が、おおむかし、こんなことを言ってた。


 「正義のためには懲役も辞さないような社員が、必要なんですよ」


過激すぎる意見に思われるかもしれないが、本当にそうだと思う。

明治維新の英雄は、たいてい投獄された経験を持っている。


たとえば三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎は少なくとも三回は投獄されている。

彼の正義は、「士魂商才」だった。

武士の魂を商売の才として生かして行く、ということだ。

明治期に大量の侍が職を失った。

そのとき岩崎は、侍はその魂を持って商売で才を成せ、と主張したのだ。


僭越ながら、それに倣うとすれば、僕の正義は「プログラマーが世界を変える」だ。

プログラマーは、今の日本ではまだまだマイノリティだ。


しかし僕は、テクノロジーのポジティブな力を信じている。

子供の頃からコンピュータだけが本当の友達だった。


世の中の仕組みも、学ぶべきことも、かっこいいオトナたちも、全てはネットの向こう側に居た。

彼らを信じ、その能力を磨き、はばたかせて行く。


そういうことを、いままでの人生で、この2011年ほど痛切に思い知ったことはなかった。


この災害を単なる悲劇で終わらせてはならない。

それは我々が真に素晴らしい未来へ向けて自らの足で立ち上がる、ひとつの大きな契機となるべきなのだ。


僕にできることは、プログラマーの力を信じること。

答えはわからない。けれども僕は信じる。


それが僕の正義だからだ。