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UEI shi3zの日記 RSSフィード

2012-07-19

バーと自慢学。

あるとき、新卒三年目のグラフィッカー、新津ににこんなことを言われた。


 「清水さん、コーヘイのこと嫌いでしょ」


コーヘイというのは彼の後輩のデザイナーだ。

若い奴らしく、ちょこまかと良く動く。嫌いな社員などいない。けど確かにコーヘイはちょっと苦手だった。


 「なんでそう思うんだ」


 「清水さん、自分のこと好きな人、嫌いじゃないですか」


なるほど、おれはそうだったのか。と腹に落ちた。

なんかニコニコ寄ってくる感じが苦手なのだ。

コーヘイとはそれからいろいろあって、今はわりと仲のいい相手だ。

こなれてきたんだろう。


似たような理由で動物、とりわけ犬が苦手だ。

なんで連中は、人なつこくまっしぐらにやってきて尻尾を振るのか。


ネコはいい。構わなくても構わないから。


営業マンも苦手だ。

特に僕にモノを売りつけようとする人は。

一番苦手なのは、僕のことを「社長」と呼ぶ人種だ


社内では、僕のことを「社長」と呼ぶのはタブーだ。

僕は「社長」と肩書きで呼ばれるのを好まない。そういうのは歌舞伎町の呼び込みと、焼き鳥屋だけでいい。


こないだ行った福井の焼き鳥屋、秋吉で一人のれんをくぐると「いらっしゃませ、社長」と言われて衝撃を受けた。なんでバレてんだと。そしたらその店は男はだいたい社長と呼ばれるのだった。


こないだの土曜日、ふとしたきっかけで知り合った学生が居た。ごく普通の学生で、まあそうだな。石山君とでもしておこう。

東大じゃない国立大学に通う、ごく普通の大学四年生だ。大手メーカー二社に内定していて、卒論を書く以外は時間をもてあましているのだという。


石山君はバーについて知りたいのだがバーに行ったことがないのだ。


僕はバーが好きだ。好きだと言うよりも、歳をとるとバーにいくくらいしか時間の潰し方がなくなってしまった。まったく、僕はろくでもない生き物だ。


バーを知りたければ、バーに行くしかない。

しかし恐いし高いし入れないのだという。


じゃあつれてってあげるよ。

ただし、大勢で来るなよ、と。


バーは居酒屋じゃない。二人か。多くても三人が限界。それ以上では入店を断られることがある。


都内で7店舗のバーを経営してる柿さんと三人でゴールデン街の名店に連れて行って、勝沼ワインを飲んだ。


石山君と話をしていると不思議な安心感がある。

その正体はなんだろう、と思ったけど、そうか新津の言ってた奴かと思った。


石山君は大人に媚を売らないのだ。

僕の言うことを決して鵜呑みにしないし、鵜呑みにするという態度も見せない。


確たる自信のある部分と、自信のない部分を自分からハッキリ言う。

話を良く聞いてみると、石山君も相当すごいことをやってる。


イタリアの大手部品メーカーにインターンで行ったら、日本の自動車メーカー向けのコンペのリーダーになってしまい(なにしろ要件定義書が全て日本語だったから)、学生ながらに自社のイタリア人エンジニアをまとめあげ、プレゼンし、それまで全く取引のなかった日本の大手メーカーから見事受注を勝ち取った体験をしたのだという。


そういう、面白いネタをいきなり初っぱなからは言わないのがいいところだ。

媚を売るタイプの人というのは、自分を売り込み、飾るのに必死だ。

だから最初から全部みせてしまう。自己紹介の段階から、自分の全スペックを精一杯、ぺらぺらと淀みなく語ってしまう。だから危ういと感じたのかも知れない。


僕は、「能ある鷹は爪を隠す」という言葉がそんなに好きじゃない。

だからわざわざ隠す必要もないと思ってるし、聞かれればたいていのことは答える。

しかし、初対面の相手に挨拶した後、いきなり自分の年収とか、知能指数とか、地位とか、それまでやってきた自慢できるような仕事とか、そういうものをひけらかすようなことはしない。バカバカしいからだ。そんな話をしたら相手の反応はひとつしか有り得ない。


 「わあ凄いですね」


凄いと思われそうなことを凄く感じるように言ってるんだから、「わあ凄いですね」以外の感想は引き出せない。

そんなのって会話する意味あるか?


自分の人生の貴重な時間を消費して、誰かと会話するとき、「わあ凄いですね」って言われるためだけの会話をしたがる人は、根本的に「凄いですね」と言われ足りてないのだ。渇望感がそんなつまらないところにあるから、安易な自慢トークに走る。僕は悪いけど「凄いですね」なんて言われ飽きてる。「凄いですね」と言ってくる人間は嫌いだ。そんな言葉を引き出したいとも思わない。褒められるのも、好かれるのも苦手だ。だからネガコメをみるとムカつくこともあるけど、それ以上に安心する。お、嫌われてるぞ。イエーイ。ネガコメがつかないまま300ブクマくらいいくと不安になる。「おまえら大丈夫か。騙されてるぞ。酔っぱらってブログ書いてるオレに」と思ってしまう。鋭い人間はこのブログ全体が単なる自慢話だと見抜いてる。そういう人間を見つけると安心する。プラスとマイナス。ミニマムとマキシマム。もちろん全部がネガコメだったら凹むだけだが、全部がポジコメでは不安になるのだ。


逆に「僕を褒めて、もっと好きになって」そういうオーラが僕は苦手だし、危ういと思っちゃうのかねえ。


僕だったら、どちらかというと最初に挨拶した後は、相手の話を聞き出してみるか、それか相手が興味を持ちそうな自分の経験、例えば「旅行」に興味を持ってる人だったら、旅行の話、相手がどこに行ったことがあって、僕がどこにいったことがあって、そこは素晴らしい場所だったという話をする。iPhoneで写真くらい見せるかも知れない。


そういう話にならずに、たとえば出会い頭に「あなたはどんな仕事をしてますか?」と聞いてくる人も居て、初対面の人にこういう質問は最低の質問の部類だと僕は思うんだけど、そういうことを聞かれると「さあね、なんにもしてませんね」とひねくれた答えをつい返してしまう。そういう人とはあんまり会話したくない。そういう人は僕に興味があるのではなく、単に僕という人間を値踏みしようとしているのだ。そしてその人が語りたい話は、僕の仕事についてではなく、その人の仕事についてなのだ。たいていの場合、それはセールスか単なる下手な自慢話だ。


出世したかったら自慢話は、うまくならないといけない。

というのは、出世する人間というのは、どうせ何を喋っても自慢になってしまうからだ。

金を稼いで。金を持ってしまうと、生活すべてが少し語るだけで自慢になってしまう。

高校時代に模試で全国一位だった、大学のサークル活動でこんな活躍をした。でもくだらないよね。そんなこと、相手に喋ってもメリットないんだもん。「凄いですね」っていう言葉しか引き出せない。


例えば今年の四月からうちに転職してきたジェイという奴は、最初はエンジニアみたいな顔をしてうちに営業にやってきていた。

でも、僕は一目見て「コードの匂いがしない」から、エンジニアではないと解っていた。

話をしているうちに、エンジニアではないけどコンピュータへの愛情を持っていることがわかって、それから会社でかれのいた事業部がなくなってしまう、という話になって「じゃあうちに来ないか」と誘った。こんなことは滅多にやらない。けど、彼なら一緒に楽しく働けそうだと思った。


一緒に働いてみて、一緒に出張して、酒を飲みながらジェイの武勇伝を聞いた。彼はある分野では僕以上にコンピュータに関する知見と教養を持っていたが、実は東京外語大卒のエリートで、カンボジア語を専攻していて、高校時代にカンボジアへボランティアにいった経験から、大学でもそんなニッチな分野に進み、卒業後もしばらくNPO法人で働いていて、そこで貧困の現実を知って発展途上国に仕事をあたえるため、コンピュータでビジネスすることを思いついたのだと言う。

もっと深く話してみると、高校時代に彼が知り合った10歳の少女がある日、売春村に売られてしまったことが解って、学生ながらその現実に怒りを感じてその売春村まで乗り込んで行き、全財産はたいて彼女を身請けして、もとの村に連れ帰ったと。そのとき彼は、「しかし一人だけ身請けしたところでこんなもんは僕の自己マンなんですよ。彼女の後ろに、大勢の少女達がうらめしそうな目でこっちを見てるのがわかるんですよね」と寂しそうに語った。そうして身請けした女の子は、しばらくするとまたもとの売春村に戻ってしまった。他に仕事がないのだ。貧困とはそうしたものなのだ、だからNPOではだめなんだ、とジェイは寂しそうに言った。


彼を雇ってみるまで、彼がそんな凄い経験をしていたとは知らなかったし、ジェイはこんな経験を話すのは、自分が少し酔ってるからだ、と言った。


これは彼にとってのトラウマであると同時に、正義の物語でもある。


これはあの種の武勇伝だから、慎重に話さなければならないし、相手との信頼関係ができなければ単なる自慢話ともとられてしまう。

その自覚がないと、単なる不愉快な奴になる。


このブログがときどき不愉快なのは、僕がそういうのを面倒くさがることがあるからだ。

また、長年僕の日記を読んで来た読者なら、僕がどういう鼻持ちならない奴か、ある種の信頼関係が出来ているので今更どうでもいいと思うのだが、ブログの時代になって、エントリー単位で切り出されて(しばしば、tumblrで切り取られて)僕が手を抜いた話だけが一人歩きすることがあるのだ。それは不愉快に決まってる。社長みたいな地位にある人間の話はいつだって不愉快だ。はいメンゴメンゴ。



しかし、初対面の人間に会うときは僕もさすがに多少は気をつける。


「どんな人なんですか?」と聞かれたら、「酒に溺れた単なるダメ人間です」と自己紹介する。

ダメな部分を知ってるし、ある面から見たらダメ人間であるが、別の角度では自分に確固たる自信を持っている。だから自己紹介で「ダメ人間です」と言える。


最初に自分を「ダメな奴なんですよ」と下げておけば、相手も話をしやすい。

自慢話をするときは、ダメ話9割に本当の話1割くらいでいい。

だから僕は知らない人と会った時、困ったら下ネタで誤摩化す。

江島健太郎や鈴木健に初めて会ったときも、僕はずっと下ネタをしゃべっていて、それから相手からも下ネタを引き出して、実際に僕がどんな仕事をしているのか打ち明けたのは二回目に会ったときだ。初対面で下ネタから喋っちゃうバカで下品な奴、から始めれば、自分の経歴について打ち明けても「意外とちゃんとしてる面白い奴」と思ってもらえる。


媚びるというのは、相手の言うことをなんでも聞いてるフリをすることで、実際のところは相手の話なんか聞いちゃいないし、信じても居ないが、信じたフリをするテクニックだ。


そういうテクニックを使われて、つい「可愛い奴だ」と思ってしまうのは事実なんだけど、そういうテクニックに頼った生き方を若いうちからしたらいけない。


石山君は僕に媚びを売らなかった。

石山君は僕と言う人間を安易に信じない。

疑いながらも、この人の言うことはどこまで本当で、どうしたら自分に役立てることが出来るのか、クレバーなボクサーのように距離感を測る。


そういうことができる人を、僕は地に足がついてると感じるようだ。


自慢話がちゃんとできるようになるためには、過去の自慢名人に学ぶしかない。大山倍達とか。

空手バカ一代」は自慢学の古典と言っても良いような素晴らしい教科書である。


自慢学、とでも言えるような学問があればラクなんだけど、日本人は自慢を敵だと思っているので、そんな学問が存在してもなかなか輸入されていない。


でもこれは横文字でセルフプロデュースとか呼ばれる分野かな。


例えば仕事ができる東大卒ほど東大出てるって言わない法則がある。

東大卒の人には二種類居て、初対面で「お仕事はなんですか」と聞かれていきなり


 「東大でちゃったんで仕事が逆に選べなくて、今は敢えて民間に下ってファンド見てます」


などと自己紹介するタイプと


 「みなさんの税金で生活させていただいてる、ドジっ子公務員でーす」


と自己紹介するタイプが居る。

仕事ができるのは後者だ。公務員という一番広い解釈を許す言葉を使いつつも、実際は東大法学部卒で霞ヶ関の高級官僚だったりする。そういう連中と合コンに出ると良くわかる。出来る奴ほど自分の武器を先に使わない。


ある程度の期間、社会で仕事をしてると出来る相手は匂いで東大卒だと解る。


そういう人は、聞かれたら隠さない。けど自分からは決して言わない。

社会に出ると、それは高校のインターハイで全国大会に出た、とか、そのくらいの意味しかないからだ。


ゴールデン街のバーでは、知らない人と会話することがある。

銀座や六本木のバーでも、バーテンダーと世間話をすることがある。


重要なのは、そこでいきなり全部見せないことだ。

いきなり全部見せる人はバカにされる。


バーで出会い頭に名刺交換する奴は、たいてい、ろくな人が居ない。


石山君だって僕や柿さんという、加齢臭オンリーの大人を前にしてビビってないわけがない。

そういうことすらも、石山君は隠さなかった。

そして彼はちゃんと地に足がついた自慢話ができる。

イタリアの件以外にもいくつか聞いて、それは少しも不愉快にならないどころか、素直に僕たちに「こいつはなかなかの奴だぞ」と思わせてくれるような体験談だった。


馴染みのバーを二軒はしごして、店を出た。

それから来週、また飲む約束をした。


僕らにいい友達が出来た。