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shi3zの長文日記 RSSフィード Twitter

2012-09-19

「なんで本読まないといけないの?」という問いに対する答えにならない答え 00:15

この前、僕が関わっている講座の受講生・マーギャル(仮名)と話をしていて、こんな質問をされました。

マーギャル「なんで本って読まないといけないんですか?」

は!?Σ(・□・;)

こいつはなんて事を聞いてくるんや!?なんて思いつつ、一応丁寧にそれに答えようとしました。

が、わたくし、いっつも偉そうな事をブログに書いてる割に、なんもええ事言えませんでした…

情けないね〜 ・゚・(ノД`)・゚・

http://naoki95.hatenablog.com/entry/2012/09/19/232824

こういう人、たまに居るよね。

で、僕もまあ明確な答えはないんだけどね。



一言で言えば、「本を読めば必ず得をするし、なによりも人生を何倍も楽しむことができる」ということ。



小説でも辞書でも教科書でも、もちろん技術書でも哲学書でも入門書でもいいんだけど、本というのは実際に起きた事象やなんらかの真実(フィクションでもその内面になんらかの真実がある)を編集し、まとめたものだ。


それを読むことによっていわば他人の人生を疑似体験することができるのである。

僕が経営者になるときに一所懸命読んだのは、もっぱら「社長失格」や「追われ者」といった、有名IT企業の社長が失脚していくドキュメンタリーだ。なにしろ失脚した本人が書いてるんだから迫力がある。


先に失敗を学んでおけば、自分が似たような状況に遭遇した時、「これはやばい」と解る。

失敗は意外とパターン化されていて、何冊もそうした本を読んでいると共通する失敗の予兆が見えてくる。


経営者ほど成功と失敗の境目がハッキリと別れる仕事は珍しいと思うけど、失敗した成功者はたいてい、ろくに本を読んでないか、本を読む習慣を喪失している。目先の成功に気を良くして、自分に自信ができ、他の人の意見など聞かなくなってしまう。


だから「失敗本」の多くは驚くほど語彙が少なく、彼らが失敗そのものからほとんど何も学んでいないという、恐るべきことまで解ってしまう。たいていの場合、怒りの矛先はトンチンカンな方向へ行っており、ああこの人はこのままではまた失敗するなと読者に確信させてしまうあたりも含めて上手い。実際、失敗本書いた人で再起した人ってほとんどいないし。


また、調子に乗ってる経営者が書いた「成功の秘訣」本も同様で、これは時間が経ってから読むと抱腹絶倒ものだ。たいていの場合、そんな状況で本を出して成功し続けるのは難しいので本を書いた時点から数年もすれば明らかに苦しい状況にあることが多い。


最近だと、シャープが液晶で絶好調だったときに社長が自ら書き下ろした「オンリーワンは創意である」を今読み返すとヤバすぎて変な汗が止まらなくなる。つまりある時点までは成功本だったものが突然失敗本になるのだ。


これはホリエモンの「100億稼ぐ仕事術」も同じことが言える。


こういう思考ロジックに陥ると人間はろくなことにならないと良くわかる。

人の振りみて我がフリ直せ、である。これほどいい本はない。



ちなみに成功し続けている経営者はほとんど本を書いてない。

ITの世界で本を書いてなお成功を続けているのはビル・ゲイツくらいなものだ。


数少ない例外もある。

本田宗一郎盛田昭夫だ。


本田宗一郎は技術者なのに著書がかなり多い。

内容も、技術者の目線から書いたエッセイみたいなものが多い。

これらの書籍は本田技研においてはクレドとして機能していたのだろう。

また、こうした本を読んだ技術者が本田宗一郎に感化されてHONDAを目指す理由になったりといいこともある。


本田宗一郎は技術者だから、彼の本は技術者の気持ちを動かす。

だから上手く行く。単に調子に乗って書いただけの本ではない。


盛田昭夫の場合、本の内容はかなり硬派だ。しかも執筆時点からかなり前のことを書いている。

たとえば「メイド・イン・ジャパン」はソニーが充分国際的企業として成長した1990年に過去を振り返る形で書かれている。これはこれで、高度経済成長期のベンチャー企業であった東通工が、いかにして世界のソニーへと変革を遂げて行ったのか、盛田昭夫の視点から振り返るというのは盛田昭夫の人生そのものを疑似体験するという非常に豊かな体験を与えてくれる。


石原慎太郎との共著「NOと言える日本」は日本でもベストセラーになった。


リアルタイムで会社がなぜ儲かっているのか自分で書いて本にしてしまうと、会社はたいていピンチになる。



当たり前だよね。競争相手に弱点を研究されるきっかけになるし、逆にマネしてみようと思う人も出て来てしまう。


マネーの虎として有名だった南原竜樹の本「痛快!クルマ屋で行こう!」もすげー楽しくてポジティブになれるんだけど、その後の彼の凋落ぶりを考えると、ああやっぱこういうチョーシの乗り方はやばいのか、と背筋が寒くなる。


マネーの虎のDVD、ぜひ日テレは発売して欲しい。それかせめて再放送。

マネーの虎として威張り散らしていた人たちは殆ど例外なく没落して社長を追われる運命になっている。

人間が調子にのってるとどんなひどい態度になるのか。そしてその後の虎たちの凋落ぶりを含めて追跡報道するスペシャル番組でもいい。吉田栄作もあのあと見ないし*1


リアルタイムで成功した理由はこう、失敗した理由はこう、とあーだこーだ書くと簡単に足下を掬われてしまう。わりと手の内をぜんぶさらけ出してしまうんじゃないかな。



さて、本を読むとこんな感じで誰かの人生を疑似体験できるのだ。

これは経営者本だけでなくて、小説だろうが技術書だろうが変わらない。


技術書は、著者がその技術を学んだ手順の疑似体験だし、これだって人生の一部と言えなくもない。

小説は、著者の頭の中で著者の人生経験が再構成されて出現したものであって、これもまた別の人生を疑似体験することに他ならない。


経済学の本とか、数学の本とか、これは人類が何千年もかけて研鑽を続けて来た歴史の疑似体験であるし、とにかく本は読めば読むほど人生の深みが倍増していくのだ。これはものすごい得な時間の使い方である。


本なんてせいぜい一日もあれば読める。それで人間の、30年ぶんくらいの人生を疑似体験できるわけだ。

ということは、本を一冊読むだけでおよそ1万倍濃密な時間の過ごし方ができるというわけだ。


転ばぬ先の杖、というか、転ばぬ先の本、であるし、別に本を読んでそれをなにかに役立てる必要なんてぜんぜんない。別の人生を疑似体験することこそが快感なのであり、それが快感に感じられないような人間は非常に残念ではあるが人生を楽しむのがちょっと下手なのである。


僕が一緒に働く相手にまず教養を求めるのはそういう理由がある。

どうせ一緒に働くなら、人生を楽しむのが上手い奴とやりたい。



教養とは、乱暴にいえば読んだ本の数とバリエーションだ。軽く1000冊くらいは読んでるような人がいい。何冊読んだかわからないくらいに本を読んでる人がいい。エンゲル係数ならぬグーテンベルグ係数(そんなものはないと思うが)が10%を超えてるような人間、夕飯をカップ麺で我慢してそのぶんで本を買うような人間がいい。


僕は小中学校を通して市立図書館の全ての本棚の本を読んだし、図書コード007や500などの興味のある分野の本は少なくとも一度は手にとり、特に007の本は一つ残らず全ページ目を通した。全く興味のなかった「COBOLで帳票プログラミング」みたいな本も含めて、ね。


別に自慢したいわけじゃない。それくらい本のジャンキーなのだ。そしてそれはすごく得をしたと思っているのである。


本を沢山読むと、語彙が増える。

そして本を読んでいないときの人生が豊かになる。

よく多くの遊びを知り、より深い味わいを知り、より楽しく人生を過ごすことが出来る。

別にそれを仕事に生かす必要はぜんぜんない。本はそれを読む快感を経験することそれそれものが大事なのだ。



最近読んで面白かったのは「素数夜曲」という本で、これは僕の苦手な数学と、僕の好きな関数型言語Lispの話がミックスされた本で、思ったよりずっと解りやすく、そして面白かった。バカみたいに分厚いくせに意外とクセがありつつも読みやすく、読むことがとても楽しい。


僕は面白い本を見つけると、何冊も買って何人かの社員に配る。

貸すよりも、買ってプレゼントしたほうがいい。

貸すということはそれを今読め、ということになるし、返してもらわないといけない。それはなんか居心地が悪いし、本を読む快感にそぐわない。


気にせずいつまでも手元に置いて欲しい本は、僕はあげることにしてる。

大切な人の誕生日のプレゼントも、たいていは本だ。


水口哲也さんの誕生日には、外国の写真集を贈った。

本は費用対効果が最も高い商品だと思うし、恐ろしく有効な時間の使い方だ。




だから本を読むことが日常である人間にとっては、本を読まない人にわざわざ「読めよ」とは言いたくもならない。


だから「本を読まなければならない」なんてことはぜんぜんない。

読んだ方が得だよ、というだけである。

それが解らない人に無理に勧めても仕方ない。


本はワインみたいなものだ。

解らない人には永久にわからないし、解る必要もないのだ。



それで充分じゃないか。

*1:と思ったら、2009年に14年ぶりに音楽活動を再開してアルバムとかもでてるらしい。映画やドラマにもちょこちょこでてるようだ