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shi3zの長文日記 RSSフィード Twitter

2012-11-06

意識は脳が生み出した幻想であると言う仮説 08:56

最近の僕がもっぱら興味を持っているのは、「受動意識仮説」と呼ばれる仮説だ。

脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説

脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説

慶應大学の前野教授が唱えている仮説で、「意志と心のコペルニクス的転回」となる仮説である。


これまで、意識というものは、最終的な意思決定をするものだと思われていた。

「目の前のコップをとろう」と思ってから、目の前のコップをとるために腕を動かす、という具合だ。


これは「感覚的」に考えたら非常に納得感のある考え方だ。

ところが1980年代にベンジャミン・リベットという科学者が発見した「運動準備電位」の性質によって話は少しへんな方向に行ってしまう。


運動準備電位とは、脳から各筋肉へ送られる信号(電位)で、運動(筋肉の動き)に先立って発生することから「準備電位」と呼ばれていた。


この「運動準備電位」がいつの時点で発生するのか注意深く調べたのがリベットの実験だったわけだ。

実際にそれがどんなものだったのか、岩波書店の「マインドタイム」という本から引用してみよう。

『リベット博士は、時計回りに光の点が回転する時計のような自分にはとても無理で特別な素質のある人にしかできないように思っていたことが、夢ではなく到達可能なのだということを我々に示してくれています。

モニターを開発した。そして、脳に運動電位準備を図るための電極を取り付けた人に、モニターの前に静かに座ってもらった。その人には、心を落ち着けてもらい、「指を動かしたい」という気持ちになったときに、動かしてもらった。

(中略)

 つまり、「意識」が「動かそう!」と「意図」する指令と、「無意識」に指の筋肉を動かそうとする準備指令のタイミングを比べたのである。

 この結果は衝撃的であった。「無意識」下の運動準備電位が生じた時刻は、心で「意図」した時刻よりも約350ミリ秒早く、実際に指が動いたのは、「意図」した時刻の約200ミリ秒後だったのである。

 指が動くのが「意図」よりも遅いというのは、もちろん予想通りである。一方、運動準備電位が「意図」よりも350ミリ秒早いということは、心が「動かそう!」と「意図」するよりも前に「無意識」のスイッチが入り、脳内の活動が始まっているということを意味する。』


「マインド・タイム 脳と意識の時間」

ベンジャミン・リベット著 下條伸輔・訳 岩波書店

http://www10.ocn.ne.jp/~housukai/judouishiki.html


運動準備電位は、意志よりも0.3秒も先行して腕を動かそうとしているのである。実際に腕が動き始めるのは意志の0.2秒後だが、腕を動かそうと準備電位が立ち上がるのだ。


しかしもしそうだとすると、根本的にいろいろなところが腑に落ちなくなる。


たとえばゲームの世界では1/60秒(60fps)というのが人間の感覚の限界値として良く知られたスピードである。


しかし、人間の網膜に光が入って来てから第一視覚野に達するまで0.05秒も掛かってしまう。これは20fpsに相当する。さらに、運動するまで準備電位から0.5秒(意識から0.2秒)遅れると言うことは、とても人間の動きでは普通のゲームには対応できないことになる。


しかし実際には格闘ゲームはそういう時間感覚の中で遊ばれている。

同じことは、変化球を打つバッターにも言える。

0.5秒あれば、時速100kmのボールは13メートルも進むことになる

ボールが飛んでくるのを意識してから打っていては絶対に変化球に対応できないのだ。


ところが意識の方では、このわずかな時間の間に、ボールがどう変化し、自分がどう対応したか克明に覚えている場合が少なくない。実際にはそんな短い時間での意志判断など不可能なのに


鼓膜から第一聴覚野に情報が達するまで0.02秒と視覚の二倍以上速い。これは情報量が少ないことも影響しているのだろう。


しかしこうも言える。

一秒間に二回以上の異なる動作をすることは人間には難しい、と。

何しろ準備電位から実際の筋肉が動き始めるまでに0.5秒もかかるのだ。


高橋名人16連射は約0.06秒に一回ボタンを押すことになるが、これは「連射」という一動作と考えると腑に落ちる。意識のレベルでも「連射するぞ!」とは思うけど「ここでボタン!ここでボタン!」と16回分考えているヒマなどないことは感覚的にも理解出来る。


たとえばある動作から次の動作まで1秒以上あけると、人間はゲームをスムーズに操作出来る。

たとえば難易度が低いステージのテトリスなんかはそうなっている。


どんなに速くても0.5秒以上は動作の間隔をあけた方がいいのかも知れない。


大昔のゲームセンターのテトリスでは、難易度が上がって来てブロックが目にもとまらぬ速さで落ちてくるようになると、もはやブロックを画面上では認識できず、右側に表示されている「次に落ちてくるブロック」を横目で見ながら今のブロック配列のどこに落とすべきか瞬時にマッピングし、あとはレバーとボタン操作を一動作で行う、という神業のようなプレイを要求された。これも一動作は0.5秒以内だが、動作間隔は1秒ごとだったと思う。


さて、受動意識仮説のポイントは実際にはそういうところじゃない。

問題は意識が形成される過程である。


そもそも音の認識速度と画像の認識速度は倍も違う、というのに光が遅いとはあまり感じない。

また、本来は自分が反応出来ないような短い時間に起きた出来事、0.5秒以下の出来事に関しても、あたかも自分がその短い時間の間に合理的な判断をしたかのような錯覚を覚える。


ということは、実は意識が意思決定しているのではなく、全ての意思決定は意識以前、いわば無意識下で行われていて、意識は完全に受動的に過去になされた意思決定を合理的なものとして要約する役割しかもっていないのではないか。


意識が意思決定をしているというのは全て幻想だったのではないか。


これが「受動意識」仮説だ。

まさに意志と心におけるコペルニクス的転回と言えるだろう。


僕は脳神経学者ではないので専門的なところは良くわからないが、いろいろと想像が膨らむ仮説であると思う。


僕は手品が好きで、最近は酔っぱらっては下手な手品を友人に披露したりするのが好きなのだけど、手品にはいろんな心理テクニックが出てくる。


中でも有名かつ重要なのはミスディレクションというテクニックで、これは観客の視線を誘導しつつ、視線から外されている部分でトリックを仕込む、というやり方だ。


と言っても、原理は難しくない。手品のタネというのは聞いてみればバカみたいに簡単なものが多いのだ。


たとえばデビッド・カッパーフィールドという世界的に有名なマジシャンは常に双子や三つ子という手下を抱えていると言われている。


双子テクニックはあまりにも簡単だが、効果は絶大。

ステージ上で消えた観客が、観客席の真ん中から突如出現!

なんてこともお手の物。なんのこたない。同じ恰好の双子が、観客席に最初から座っていただけだ。

しかしいきなりスポットライトが当たって彼らが立ち上がると、なんとビックリ、瞬間移動のできあがり、というわけだ。


以前、ラスベガスでカッパーフィールドのショーを見た時、たまたま僕の真後ろの席に「出現」したわけだが、その人たち(カッパーフィールドは常に複数の双子、三つ子を雇っている)は最初からずっとそこに座っていた。マジックショーを見るときは観客席の周囲を見回して、メモなどをとっておくとタネを見抜きやすい。まあそんなのは野暮だけれども。


人間の脳、というか意識が、今目の前で起きてしまったことをなんとか辻褄をあわせようとする作用をもっていることは良く知られている。モンタージュ効果とも呼ばれるもので、これは映画やゲームといったあらゆる娯楽で応用されている考え方だ。


映画では実際にどの場面で撮影されたかというのは関係なく、表示された順番とナレーションや台詞によって観客はまるで「そこにいる」かのような感覚を覚える。これが映画におけるモンタージュ効果だ。


全く同じ映像とナレーションでも順番が違うと異なるストーリーになることも良く知られている。

人間の脳は、なにかをある順序でみると、もっともらしい辻褄合わせをしてしまうのだ。


このモンタージュ効果が、全ての脳活動に適用されているとしたらどうだろうか。

人間の脳に、「なんとか辻褄をあわせる機能がひとつくみこまれている」と考えるよりも、人間の脳は、常に見たものの辻褄をあわせて認識するようにプログラミングされている、と考える方がずっと自然だ。その機能は、「受動的な意識」そのものとして解釈出来る。


心理テクニックの面白いところは、被験者がたとえそれが心理テクニックのひとつだと知っていたとしてもまんまと引っかかってしまうことだ。


ローボールテクニック、フットインザドア、ラポート、吊り橋効果・・・全て受動意識仮説なら自然に説明できる。人間は「起きてしまったこと、やってしまったこと」を最もらしく肯定したいのだ。



どれだけ警告しても振り込め詐欺やデート商法の被害者が減らないのはまさしくそうした理由によるのだと思う。


また、「与えれた情報からもっともらしい辻褄合わせをする」という性質は、手品や映画、ゲームといった場面に限らず、ごく普通の日常生活でも行われている。


誰かが荷物も持たずにリビングを出て行った。

それは普通、トイレかなにかに行ったと思うだろう。

実際にその人がどこに行き、何をしているのかはわからないけど、トイレに行ったのだろうな、と思う。


そのままその人が荷物も持たずに外に出かけて行ったとしたら、ビックリするだろう。


ビックリする、というのは自分の中にあった「辻褄合わせ」が覆された時に起きる心理現象だ。


夢を見る、という現象も説明できる。

夢とは海馬に保存された短気記憶が、大脳新皮質へとセーブされていく過程で漏れ出る情報を辻褄合わせしたものである。だからところどころリアルだったり、ところどころメチャクチャだったりする。


夢の特徴は、最初から何もかもむちゃくちゃな夢は見ないと言うことだ。

夢を見ている最初の瞬間は、どんな状況にあろうと納得感があるもので、夢が進行して行くと「あれ?こんなことが起きる分けないな」と気付いて夢から覚めるのである。


受動意識仮説以前は、反射神経という高速かつ自律的に動く脳神経系と、意識という少し遅いが慎重に意思決定をする部位とに別れていると思われていた。反射神経であっても、意識によって拒否権は持つ、くらいの認識だったそうだ。


しかし意識による意志決定そのものが幻想であるとする受動意識仮説では、意識による拒否権すら否定するという過激な断定を行っている。


ただ、そうするとではそもそも意識はなんのためにあるのか、と言う問題が発生する。


この先は僕の単なる妄想と断っておく。


僕は特定の宗教を信仰してはいないが、神は居ると考えている。


その「神」とは、秩序であり無駄を作らない合理的な存在である。それは数式かもしれないし、ひとつの概念かも知れないが、とにかく「神は居る、または有る」という立場である。高等知性としての神を信仰してはいない。


その上で、もし神が居たとして、こんな無駄なものを作る理由はなんだろうか。

僕は意識が仮に受動的な存在だったとしても、不要な存在であるとはどうしても思えない。


仮説の上に仮説を重ねるのはどうかと思うが、僕は意識の役割はゼロではないと思っている。

では意思決定に直接関わらないとしたら、意識とはなんなのか。


僕は情報の圧縮装置だと思う。

人間の神経系の情報量は膨大だ。

しかしそれを経験値として蓄えるためには、それらの膨大な情報をそのまま保存すると効率があまりにも悪い。


そこで意識は数秒以内に起きたことをサマライズ(要約)する。

要約しつつ、辻褄を合わせ、あらたな仮説を導きだす。実際に感覚器から入力された情報は膨大な情報量になるが、言葉としてサマライズしたものは、記号化される。記号化されると、論理を扱いやすくなり、その状態で大脳新皮質に保存すると次にその情報を取り出した時(これは意識は取り出さず、無意識が取り出す)、意識によって記号化された仮説に基づいて判断を下す。


これはマシンとして非常に効率的だ。


レンダリングパイプラインのようなものが構築出来ることになる。

意識は盲腸ではなく、記号処理を専門に行うDSPの一種なのだ。


もちろんこれは僕の完全な妄想。

けど、受動意識仮説が半分でも正しいとすれば、確かにこれは意識のコベルニクス的転回と言えるだろう。

その時代の人々の直感に反していることも含めて、非常に興味深い。


天動説から地動説へと転換されるわけだ。


受動意識仮説がもっともらしいポイントはいくつかあるが、非常に興味深いのは、「やったことに対して肯定する」という性質で、これはたとえば「やる気スイッチはやり始めるとオンになる」とか、「毎日顔をあわせてると好きになる(単純接触の法則)」とか、非常に身近なところから確認することができる。


剛力彩芽が苦手な人は、彼女のポスターをベッドサイドに貼って毎朝見るようにするといい。

一週間もしないうちに剛力彩芽が好きになっているはずだ。


余談だけど僕もすごく苦手な上司がいて、その人をNintendo DSの「トモダチコレクション」で作ってみて、座敷牢みたいな部屋にパンツ一丁で住まわせてみたことがあるんだけど、毎日「オナカガスキマシタ」というので適当にオニギリとかをあげると「アリガトー」と言って可愛いのでその上司のことが許せるようになるなどセラピー的な効果があった。


つまり自分の気分は自分のやり方次第でいくらでも変えられるというわけで、だとすると受動意識仮説、なかなか便利よのうと思ってしまうのである。


追記:

この仮説を批判する立場もある

http://ja.wikipedia.org/wiki/ダニエル・デネット

どちらにせよ仮説は仮説に過ぎないので過信は禁物だが、仮説であり、厳密には誤った考え方であるニュートン力学が有る程度までは実用できるように、僕は受動意識仮説が誤った仮説であると考えてもある程度までは心理作用を的確に説明できることもあるのではないかと思っている。